■0930■
赤い光弾ジリオン Blu-ray BOX 発売中
●インタビュー
後藤隆幸(キャラクターデザイン)
石川光久(制作プロデューサー)
●座談会
浜崎博嗣×沖浦啓之×黄瀬和哉(作画監督)
以上、取材・執筆を担当しました。
こうしたブックレットの仕事は、編プロさんのお手伝いなので、あまり、ブログで告知することはありません。高額商品なので、買う方も少数、ブックレットを読む方も少数です。
それだけに、記事内容をどの程度の“濃さ”にすればいいのか、いつも迷います。
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たとえアニメ制作者に取材したインタビュー記事であっても、僕は「社会に向ける」ことが大原則だと思っています。アニメを見ない人が読めるぐらい、普遍性をもたせたいと考えています。
もちろん、記事の指向性(少数のマニアしか読まない等)によって、専門知識を多く入れたり、裏話をサービス的に盛り込むことはあります。
それでも、誰が読んでも、ある程度の意味はつかめる、何について語っているか分かる、たまたま読んだ人が、自分の仕事や立場と照らし合わせることができる――そういった一般性は、不可欠ではないかと思います。
「俺もマニアだし、読むのも、どうせマニアだろ」的にひらきなおり、内輪にむけた仕事をしていくと、ますますアニメを見る人は減り、文化としてやせ細っていくと思います。
まったく別の世界、別の趣味の人たちに読まれても、恥ずかしくない読み物にするよう、心がけています。
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やはり、多くの悲劇は、「俺たちにだけ分かる言葉で、俺たちにだけ分かる話」をしすぎることに由来しているような気がする。
「イヤなら見るな」ではなく、「イヤかも知れないけど、これこれこういう文脈から生じた文化なんです」と説明する段階が、いずれにしても必要なはず。
単に「分からない」「イヤだ」という印象だけ持ちかえられると、オタク文化には、マイナスイメージだけが付与されていく。外部と内部の意思疎通の手段を用意しないと、オタク文化はひとたまりもなく潰されると思う。
図書館で予約していた『ルポ 中年童貞』を読みはじめたけど、オタク趣味にころがるキッカケが、周囲との「コミュニケーションの失敗」である例が、いくつも出てくる。
コミュニケーションとは、自分には未知の価値観を、自分の内部に取り入れること。「自分の知っているもの」を「自分とよく似た人」から聞くのは、コミュニケーションではない。
なので、思春期に「外部」とのコミュニケーションに挫折すると、幼少期に見知ったものばかり愛好するようになってしまう。
思春期以前に親しんだものは、決して裏切らないから。
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ただ、そんな「老いた子ども」のような人たち、死ぬまで童貞でも独身でも構わない、という人たちを救っているのがオタク文化。外から見ると、まるで保育器のように見えるかも知れないけど、アニメやアイドルがないと、生きていけない人たちがいる。外から見て気持ち悪いから、「根絶させてもいい」ものではない。一部の人たちにとっては、命綱なので。
「オタク文化」という括り方も荒っぽいけど、どこかで社会と接点をもっていないと、あっさり消えてなくなりそうな頼りなさを感じている。■
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