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モデルグラフィックス 11月号 25日発売予定
●廣田恵介の「組んだ語ったSWキットレビュー症候群」
月末発売の1/12ボバ・フェットと、1/144スレーブⅠまでの、全キットを組んでレビューした記事です(あくまで、塗装しないパチ組み派の立場から)。
オマケ的に、「模型視点・ルーカス視点からスター・ウォーズを愛してみよう」というコラムも書きました。
●組まず語り症候群 第35夜
今回のサブタイトルは、「剣闘士の模型があるなら遣唐使のも欲しい」。編集氏の選んできたキットも面白く、文章もなかなかノッていると思います。
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【懐かしアニメ回顧録第10回】初代「ルパン三世」の傑作エピソードは、「引き算」でできている!?(■)
最後のほうに書いた、「アニメは足していくだけで引くことの難しい表現」、これは何人かの監督やアニメーターさんから聞いた話です。
テレビの『新世紀エヴァンゲリオン』には、いくつか止まったままのカットがありましたが、あれも「引く」表現だと思います。
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レンタルで、『LUCY/ルーシー』。見終わってから知ったのだが、脚本・監督ともに、リュック・ベッソン。製作総指揮か何かかと思っていたら……。かつて、レオス・カラックスやジャン=リュック・べネックスとともに、ネオ・ヌーベルヴァーグ三羽烏と呼ばれていた人が……。
ベッソンを好きだった人は、『サブウェイ』か『グラン・ブルー』でハートをつかまれ、『ニキータ』と『レオン』でメロメロになり、『フィフス・エレメント』で興ざめするパターンが多いのではないだろうか。
だが、ベッソンが『TAXi』の製作などで興行的成功を収めていくのは、その頃からだ。同時に、カラックスやべネックスは作品自体が減少していき、映画界の表舞台からは、ほぼ姿を消してしまう。
『LUCY/ルーシー』は、ブラック・ウィドウ役で気に入ったスカーレット・ヨハンソン目当てで見た。彼女が、ガン・アクションを披露するだけのアクション物かと思ったら、新種のドラッグで万能のエスパーと化してしまう。他人の知覚や記憶に入り込み、電子機器を遠隔操作し……と、(ヨハンソンが主演する予定の)『攻殻機動隊』のような……といっては『攻殻』に失礼なぐらい、ムチャクチャな展開となる。
ヨハンソンが全知全能になるほど、画面がCGで埋め尽くされていくのが面白い。「万能となった人間」を描こうとすると、おのずと「人間の視覚」の限界を提示せざるを得ない。
視覚の万能感を表現するには、現時点ではCGに頼るしかない。CGで表現できないとすれば、それはすなわち「人間の視覚」を超えたものなのだ。
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冒頭近く、ヨハンソンが韓国人マフィアたちに拘束されるシーンと、野生動物が狩られる記録映像とをカットバックさせる演出は、彼女の身に迫った危機を重層的に感じさせてくれる。
しかし、そのようなモンタージュ効果は、百年も昔に発見されたものだ。つまり、この映画はヨハンソンが生身の人間であるときには、古色蒼然としたモンタージュを使い、彼女が万能化していくにしたがって、CGがモンタージュにとって代わっていく。
CGが多くなるにしたがって、ヨハンソンが「恐怖も欲望も消えていく」と語っているのが、とても象徴的だ。
「目に見えないものを感じさせる」映画の文学性と、見えるかぎりのものを描写しつくすCGとは、どこかで相反するのだろう。
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