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2015年9月12日 (土)

■0912■

僕らは、僕らのことがしりたい

ぼくらの「国」には、「社会」がないこと
「社会」と「世間」はちがう世界で生きているということ

情と理
「悩む」のではなく「考える」ことが大切ということ

現代人は「速」すぎる 呼吸も浅く早い
ゆっくり深くが「僕ら」は苦手だ

『ガッチャマン クラウズ インサイト』の公式HPに、こんな文章が載っていることに気がついた()。この真摯さに、心打たれる。こんなことを思いながら、作品をつくってくれる人たちがいることに、感謝したい気持ちになる。
泣くような話ではないのに、『インサイト』を見ていると、たまに涙ぐんでしまう。前作『ガッチャマン クラウズ』ともに、再編集して2本の映画にすれば、もっと多くの人に見てもらえるのでは……と、たまに考える。

ネットで罵りあっている人たちが、どうすれば冷静に対話してくれるのか。
道にゴミを捨てて、ボランティアの子どもたちに拾わせているような大人たちが、どうすれば自分のゴミを、自分で片づけてくれるようになるのか。
何がいい社会で、どうすれば理想を実現できるのか。

政治の話をしちゃいけないのか。原発や差別のことを、スルーしながら会話しないといけないのか。世の中を変えたいと思うのは、間違いなのか。
この2年ほど悩みつづけた僕の肩を、ポンと叩いてくれるような作品。残り3話。


碧志摩メグ問題は、テレビで取り上げられたこともあって、少なくともツイッター内では収拾のつかない罵りあいに陥っている。
メグに結びつけて、その人の気に入らない文化や人物がいろいろ関連づけられて、「ぜんぶ許せない」「撲滅」だそうで。

「許せない」って、どういうことでしょうね? 告訴でもするんですか? 刺し殺すんですか?
ツイッターに「許せない」って、キーボードで打ち込んでるだけでしょ?
その「許せない」って気持ちを、どう実社会で具現化するのか、機能させるのか、まるで考えてない。ツイッターの中で循環しているだけなので、どんどん水が濁ってくる。

ネットに「クソが」「カスが」と書いている人間は、社会で他人と会ったとき、まず信用されないですよ。
だけど、僕が他人と会って交渉して、顔と顔をあわせられる議論の場をもうけても、「クソが」「カスが」レベルの匿名ツイートで、丸潰しにされちゃうんですよ。


碧志摩メグ問題は、異質なメディアや文化圏と実社会のかかわりについて、僕らがいかに未熟であるかを教えてくれる。
「○○反対派」「○○賛成派」以前に、遠くの他人に対する想像力が欠如していて、人権感覚が薄い。ネットの意見なんて、スマホの電源を切ったら存在しないも同然なんだけど、それをいいことに、際限なく言葉の暴力性を行使する。

たとえば、イラストレーター、アニメーター、漫画家たちが集まって、秋葉原で「武者絵展」をやったんですって()。中には、いわゆる萌えキャラもいますよ。
その入場料は、南相馬市に寄付しているそうです。この企画は、異なる文化同士を“キャラクター”で結んで、社会に役立てた、とても良い例だと思います。

実社会で行動すれば、行動してない人たちに、それこそ一挙手一投足、批判され、罵られます。それを気にしているよりは、人と会って、話して、先へコマを進めたほうが建設的と思います。会って雑談すだけで、思わぬ話に発展したりするので。

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