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2015年8月16日 (日)

■0816■

終戦の日、レンタルで『原爆の子』。TSUTAYAでは、オッサン向けの「時代劇」コーナーの片隅、「戦争映画」コーナーにひっそりと置かれていた。
Mv23310l1952年、終戦から7年後の作品。やけにおとなしい、怒りも悲しみも淡白におさえた作品だな……と思ったのだが、当時は、初めて原爆被害をストレートに扱った作品として、日本政府はナーバスになっていたという。連合国による占領の終わった年に公開された映画なので、それもやむを得なかったのかも知れない。

だが二年後、第五福竜丸の被爆により、国民の怒りがピークに達したとき、当時の日本映画業界は総力を結集して、憤激の超大作『ゴジラ』を公開する。
黒澤明が、予算をガンガンにオーバーしながら娯楽作品を連発、ヨーロッパからアメリカ、ソビエト連邦で賞をとりまくっていたのも、この時期。そのバイタリティには、いまだに震えるような感服と誇りをおぼえる。

「私たちは、怒っているぞ」「あんな目にあっても、元気に生きているぞ」と、言葉にする前に、スパン!と映画にしてしまう。エンタメにして、ビジネスにしてしまう。「どうだ、俺らの作品は面白いだろ、文句あっか?」という勢いで、潔い。建設的だと思う。

『原爆の子』のラストは、平和な未来を感じさせる温厚なものだが、その静かなムードの中、ふいに上空で、飛行機のエンジン音が聞こえる。大人たちはハッとして、不安げに頭上を凝視する。このシーンの緊張感は、すごかった。
あのリアクションこそ、空襲を生きのびた人たちの実感なのだろう。


終戦記念日、総理大臣の談話が発表されたけど、僕は「意外と、いいじゃん」と感心した。
だけど、ネットの人々はギラギラと、「どうせサヨクどもは、粗探しするんだろ?」と、はじめからケンカ腰。わざわざ検索してまで、「敵」をつくりたがるのは、どういう感情なんだろうな……と、ため息が出る。

インターネットってのが、そもそも、現実に為すことの「代わり」になりがちなんだよね。
mixiで、擬似的なハーレムをつくるのも、ニコ生で顔出しするのも、すべて何かの「代わり」なんだろう。彼らは、実生活では解決できない、満たされない何かを抱えている……誰もが苦しいのだから、それを責めはしない。

代替品を使ってでも気休めしないと、精神的に壊れてしまう局面が、人生にはある。
だが、ネットで社会を変えることはできない(Twitterに「政府の対応をのぞみます」と書いたところで、誰が読むんだよ)。
また、人と会って話すことだけは、何にも代替できない。「他人」。他人とのレアな関係だけが、僕らの心のあり方を、決定づける。


依存の対象になるのは、アルコールやスマホだけとは限らない。
他人との関係が、依存先となる場合もある。恋愛はもちろん、強すぎる友情も。あるいは、他人の役に立つかに見える社会活動さえも。

「日本のメイドカフェ、実態は単なる買春産業。女子児童が強姦されても警察は捜査しない」・・・エミー賞受賞の米国記者や英デイリーメールなど、26の海外メディアが日本を集中砲火

僕は、秋葉原という街には思い入れが乏しいのだが、記事によると、「秋葉原のJKビジネスやメイドカフェは児童買春の隠れ蓑」……もし事実としたら、警察や地元商店会が黙っていないはずでしょう。
よって、千代田区にあるタウンマネジメント会社に、見解を問い合わせ中です。

(C)近代映画協会

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