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Febri Vol.30 10日発売●Febri Art Style
『ガッチャマン クラウズ インサイト』の美術監督、倉橋隆さんへのミニ・インタビューと、美術ボードで構成しました。作品の中身については、別のインタビューが掲載されるようです。
●渋キャラオヤジ列伝 第十二回
ときどき、思い出したように掲載されるオッサン・キャラを通じて語る、人生エッセイ。今回は『Gのレコンギスタ』より、ドニエル・トス艦長です。
『Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス』も評判いいし、「コラボしましょう」と編集部に提案し、告知コーナーもつくりました。もちろん、『Gレコ』の熱をさましたくないから、やるんです。
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昨夜、日付が変わった時間、被爆者にインタビューして、それをラジオ番組にしている広島の高校生たちのドキュメンタリーが放送された。放送部に入ると、必ず被爆者にインタビューすることになる。
高校生のひとりは、取材をするうち、自分と同い年の子たちが、原爆で惨い死に方をしたことを知った。だけど、「私の17年間の人生経験で、“語りついでくれ”なんて言われても、どうすればいいのか分からない」と落ち込んでしまう。……それが17歳の、素直なリアクションだと思う。
その番組では、同じ高校の生徒の「原爆なんて、グロい写真見せられるし、見たくない聞きたくない」「もう知ってるから、これ以上は知る必要はない」など本音の声も、紹介していた。それも偽りのない意見だと思うし、大部分の日本人も、同じように思っているだろう。
(僕自身、小学校のころに『八月がくるたびに』を読んで、そこから知識も何も深まっていない。)
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で、この高校生たちは広島に住んでいて、放送部の「義務」「決まり」「慣習」として原爆の話を集めているので、誰からも責められないだろう。
先日、東京で高校生たち主催の団体が、安保法案に反対するデモを行なった。ネットでの反応を見ると、「大人に騙されている」「野党に利用されている」から、「こいつら日本人じゃない」「金もらってやってる」「勉強しろ」「部活でもやってろ」……ぜんぶ、いい歳こいた大人が、顔も名前も立場も隠し、キーボード打ってるだけ。
僕だって、学生デモの妙なブランド志向を嫌悪するし、彼らは調べたり交渉したりする前に、叫んでしまっているな……と、批判的な気持ちのほうが強い。デモって、叫ぶだけで、何か為した気になっちゃうんだよね。叫ぶことが目的になってしまう。
だけど、若かろうが年寄りだろうが、自分の肉体を使って訴えることは、とりあえず肯定する。部屋に隠れて、キーボード打ってるよりは、顔を出して、声を出すほうが説得力があります。たとえ反韓デモであっても、参加している彼らは責められるリスクをしょっているわけで。
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日本人の建前の奥には「自ら主張するな」「不満をいうな」「我慢しろ」という、主体性放棄の奴隷根性が横たわっているんだと思う。
痴漢被害に対する、「痴漢そのものより免罪のほうが深刻」論も、「痴漢ぐらい我慢しろ」「不満を口にするな」など、他人に忍耐を強いる、歪んだ連帯意識から発しているんだろう。性犯罪にあった人が「私さえ黙っていれば……」と泣き寝入りしてしまうのも、同根じゃないだろうか。
だから、世の中の風通しをよくするために、肉声でばんばん言えるようにすべきです。
僕は、今後もいろんな立場の人たちと対話していきたいので、僕と主張の異なる人にも、肉声で訴える権利を持っていてほしい。
安易に、法規制すべきではないと思います。
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