« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月30日 (木)

■0730■

レンタルで、『ハッシュパピー~バスタブ島の少女』。子供向けのような邦題だが、かなり奇怪なファンタジー映画。フェリーニやホドロフスキーに近い作家性。
344537_005バスタブと呼ばれる地域に暮らす、アフリカ系アメリカ人の父親と娘。彼らの廃墟のような村落は、海面上昇によって水没してしまい、貧しい人々はボートに乗って、共同生活を始める。
同時に、南極の氷から獰猛な怪物があらわれる。この怪物たちは、CGでもミニチュアでもない。イノシシに、作り物のツノなどを付けて撮影しているようだ。怪物が町を蹴散らすシーンは、ミニチュア丸出しの町を使って、
屋外で撮影している。
動物の死骸なども本物を使っており、フィルムの質感は、生々しい。

後半、政府の施設から逃げ出した少女たちが、海上にあるナイトクラブに迷い込む。ドレスを着た女たちが男性客を誘い、退廃的な装飾の店内には、古い音楽が流れている。
少女たちはひとりひとり、店の娼婦たちに優しく抱き上げられ、心の平穏を感じているかに見える。
ひさびさにジャンル分けの不可能な、インデペンデントな映画を見た。アメリカは、広い。


『ガッチャマン クラウズ インサイト』は、第4話で、一気に怖さが増してきた。スマホ選挙や、群衆の心が読める宇宙人……などの雑多な要素は、このために散りばめてあったのか。

「インサイト」とは、マーケティング用語で「本音」という意味らしい。それを知ったとき、ちょっとゾッとした。前作は、ぜんぜん楽観的な結論だった……ということなんだろうな。


調布市に小型飛行機が墜落した事件をネットで見ていたら、NHK ON LINEが平然と犠牲者の顔写真を掲載していたので、「必要ないのでは?」と問い合わせた。
数時間後、「
NHKでは、正確で客観的な情報を多角的に伝えることを基本姿勢としています。国内外で起こる様々な出来事についてNHK独自の取材・判断に基づいて放送でお伝えしています」……などと書かれたメールが、返信されてきた。
おそらく、一日に何千と送られてくる問い合わせメールに対応するため、何種類かテンプレを用意してあるのだろう。

これでは答えになっていないので、「もし私が事故で死亡した場合、NHKによって顔写真がバラまかれるという意味ですか?」と問い直したら、「ご理解をお願いいたします」との返事であった。

死者には、人権がないのだろうか? もし母の生前の写真がネットに出回っていたら、僕は告訴する。「気の毒だから、顔写真など見ないであげよう」というモラルが、インターネットにあるとは思えない。


産経新聞が、児童ポルノ単純所持禁止について、
先進7カ国で単純所持を禁じていなかったのは日本だけだった。諸外国から、わが国が性犯罪に寛容な国だとみられているとすれば、これは許容しがたい。厳罰化を進めるべきである。
と書いている()。犯罪被害にあった児童個人が気の毒だから、その児童の写真を見られないようにする……という視点が、抜けている。いまだに、「諸外国」の印象を優先している。マスコミの人権感覚など、この程度のものなのかと、気持ちが萎える。

だから、僕の提出した「性暴力にあっている児童の、顔写真だけでも流布禁止にしてほしい」という請願が理解されない。日本は「性犯罪に寛容」というより、人権意識が低いのだ。
「気の毒な目にあった人の顔写真は、見ないであげよう」という気づかいを、マスコミが殺して歩いている。

(C) 2012 Cinereach Productions, LLC. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月27日 (月)

■0727■

「ガンダムではなく、ガンダムに乗るパイロットの食事をデザインする」アニメ現場の縁の下の力持ち、ベテラン・メカデザイナーの大河広行に学べ!
T640_682880最近、更新のはげしい『アキバ総研』さんに書いた記事です。
以前にインタビューさせていただいた演出家さんからの紹介で、膨大な数の作品に参加されているデザイナー、大河広行さんに取材できました。
ここまで雑食性で、しかも謙虚な仕事観の方は、アニメ業界では初めてお会いしました。

「自分の実力はこれぐらいだから、こういう仕事はできる」「ただ、ここから先は望まない」と、冷静に客観視できれば、順調に仕事は回っていくんでしょうね。学ぶところが、多いです。


レンタルで、『それでも夜は明ける』。アカデミー作品賞受賞、ブラッド・ピット製作・出演と聞くと、「メジャーな映画なんだな」と安心できるでしょ? しかし、見たあとにグッタリするぐらい、精神的にダメージを受けます。
1386627197_631113_1386627385_sumari19世紀のアメリカ北部、自由黒人で、妻も子もいたソロモン・ノーサップは白人に拉致され、奴隷として12年間ものあいだ、残忍酷薄な人生をすごす。その描写が理不尽すぎて、絶句してしまう。
奴隷たちは毎日毎日、死ぬまで綿花畑で働かされるけど、それは白人の豊かな生活を支えるため。僕の生活も、どこかの誰かに犠牲を強いているのじゃないか、と考えてしまう。19世紀のアメリカの話だから関係ない、私は黒人じゃないし、これはただの映画だし……というのは、逃げだと思う。

現代のアメリカが、自らの恥ずかしい過去を映画化し、賞まで与えてしまう理由を、考えてしまう。そして、製作のブラッド・ピットが、主人公のソロモンを奴隷から解放する“ズルいほど善い白人”として、かなり唐突に登場することの意味とかね。
(監督のスティーブ・マックイーンは黒人なので、「お前なんかしがないドアマンか清掃作業員だ。ファック・ユー、俺のケツにキスでもしてろ」と、公の場で罵声を浴びせられている。⇒

差別意識だけではなく、差別に乗じた偽善、被差別者同士の中での優越意識やぬけがけ、裏切り……そういうイヤな構造が、今の日本社会に皆無といえるのか? やはり、考えてしまう。


主人公ソロモンの“持ち主”となる最初の白人は、信仰心に篤く、奴隷にも優しい。ソロモンが有能であることも、見抜いていた。ところが、彼は言う。「君は自己主張するし、そのうえ、仕事がよく出来る。それが災いを招くような気がする」――日本でも、有能で独立心の強い人ほど、職場で虐げられているんじゃないの?

ソロモンは借金のカタとして、残虐な農園主に転売されてしまう。
その白人は、気に入った女性の奴隷を、毎夜犯している。そのくせ、昼間は畑でこき使う。優遇しているわけではない。彼の奥さんは、旦那のお気に入りの女性の奴隷に嫉妬し、さんざん意地悪をする。もう、支配・被支配、性欲と保身の絡み合った人間関係と憎悪、あらゆるネガティブな感情が、ドロドロの塊となって出てくる。
これを果たして「過去の出来事だから、今の日本人には関係ない」と言い切れるのだろうか?


「何もかもが怖い人々は、とりあえず最も強そうなものに縋りつく」――斎藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人々』の一文が、いまさらながらに思い出された。

人は感動するために生きているけど、「泣ける」だけが感動ではないと思う。……まあ、疲れるんだけど、ダークな感情も「知らない」よりはマシなような気がする。

(C)2013 Bass Films, LLC and Monarchy Enterprises S.a.r.l. All Rights Reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月23日 (木)

■0723■

月刊モデルグラフィックス2015年9月号 25日発売予定
1_000000003160
●組まず語り症候群第33夜
サブタイルは、「うさぎ追いしかの積み」。千葉ーザム氏的には、積みキット=山という意味でしょう。
扱っているキットは、リッチモデルの「家畜セットNo.1」と、タミヤの「動物セット」です。こういう「見るからに面白いネタ」は、かえって難しいのです。
書くのは楽しいので、月に二回ぐらいやりたいぐらいなんですけどね……。


吉祥寺プラザでは、午前中のみしか上映していないので、早起きして行ってきた。『インサイド・ヘッド』。

僕のように一人でフラフラときた中年~高年男性は数えるほどで、親子連れがほとんど。映画の後半、後ろの席で、お母さんたちのすすり泣きが聞こえる。僕も、隣のアベックがいなかったら、遠慮なく泣いていただろう。
主人公の少女・ライリーの、たった11年間の思い出が最初のほうに出てくるけど、それがまず、泣かせる。誤解しないでほしいが、お涙頂戴をやっているわけではない。ごく当たり前のシーンを、むしろ凡庸に描いている。簡単に言うと「あるある」なシチュエーションばかりなんだけど、それがこの映画には必要だったんだ。「そうそう、私にもこんな思い出、あった!」と親近感を抱かせるテクニックが、まずは一流。

結論から言うと、この映画を見たあとでは、「自分が自分であること」に自信がもてる。他人が怖くなくなる。
05_large「頭の中の世界の話」と聞いて、やけにスケールが小さいな……と思った。ところが、「頭の中」はひとつの街ぐらいの大きさがあるし、細かいところまでアイデアがぎっしり詰まっている。分かりやすいところでは「深層意識の森」とか、夢を制作するスタジオだとか。
「頭の中」には、ちゃんと仕組みがあって、不合理なことなどひとつも起きてないのだ……と、安心してしまう。

五つの感情のうち、正反対なヨロコビとカナシミが主人公の頭の中(の指令室)に帰還するまでの物語だが、なぜこの2人をコンビにしたのか? ラストで、やっぱり「そうそう、人間ってそうだよね!」と大納得する。歳とればとるほど、納得すると思う。お母さんたちが泣くのも道理。

幼い頃は単純だった「楽しい思い出」「悲しい思い出」が複雑に絡まりあって、ひとつの人格をつくっていく……ひとりひとり、感情のあり方、傾向は違う……そんな当たり前のことをビジュアルで、カリカチュアライズされて見せられて、……というか、そんなものを「アニメで見せよう」「エンタメにしちゃおう」と思いつくピクサーのスケールの大きさを、怖ろしいとすら思う。
圧倒的にすごい。心にガッチリくいこんで、離れない。


あと、現実世界、少女ライリーの数日間の物語は、実写テイストで撮られている。これがまた、上手い。適度に手持ち風にカメラを揺らしたり、手前にモノをナメたり。アニメの中の「お約束」だけに留まってない。ちゃんと、実写の演出を研究している。

吉祥寺プラザでは吹き替え版だったんだけど、おそらく吹き替えで見たほうがいいで06_largeす。大竹しのぶが、ネガティブで動作も話し方ももっさりしたカナシミを演じていると知って(ラストに日本語キャストもクレジットされてます)、「マジで?」と驚いた。
俳優がアニメの吹き替えやると、「実は私、有名な○○なんだよねー」と、芝居の中に営業をまぎれ込ませてくる人がいるけど、この映画では、まったくそんなことはなかった。


ただひとつ、一体全体、なにがどうなっているのか、ドリカムのPVが映画の前に流れます。映画のあとに流されるよりはマシとは思ったけど、本当に唖然とした。
ああ、こういう企画があったのか()。曲自体はいいんだけど、映像が……。

で、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンに、電話で「どの映画館でも、必ずドリカムのPVは流れるんでしょうか?」と聞いてみたところ、全映画館で流れます……との答えでした。
「ソフトにも入ってしまうんですか?」と聞いたら、ソフトでは未定とのこと。ディズニー配給にしては客足が鈍く、興収25億円との予測()。だったら、よけいに客足が遠のくオマケは付けちゃダメでしょう。もったいない。

ぜひ、ドリカムのPVの時間はトイレに行くか、目を閉じて我慢するかして、『インサイド・ヘッド』を見にいってください。我慢するだけの価値は、絶対にあります。

(C)2015 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月22日 (水)

■0722■

報告するほどのことでもないのですが、仁藤夢乃さんのブログ記事『児童ポルノ禁止法・単純所持への罰則適用へ』()を拝見し、僕からも「知ってほしい」と思い、【実在児童への性暴力写真に関する請願書】について()のリンクを、女子高生サポートセンターColabo宛てにお送りしました。

性犯罪や児童虐待に関して、膨大な数の本を読みつづけている中、仁藤さんの『難民女子高生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』を知りました。
仁藤さんは、元・当事者の立場を活かして、ご自身にしかできない活動をしてらっしゃると思います。反射的に彼女を批判する人は、まず著書の一冊でも読んではどうかと思います。

一般人が「性的に興奮」しないかぎり、性暴力をふるわれている児童の顔写真を規制してくれない児童ポルノ法。ようするに、社会の絶対強者である「大人の男」の目線を基準にすえた法律ですよね。「大人の男」が「性的に興奮」しなければ許されてしまう――こんな男根至上主義的な法律を、どうして女性たちが支持するのか、僕にはちょっと分かりません。

最初に「報告するほどのことでもない」と書いたのは、僕が国会に提出した請願書。これはすでに、いくつかの児童福祉系の団体にお知らせしてあり、どこの団体からもリアクションをいただけていないからです。
「児童ポルノ撲滅」と声高な団体ほど、性犯罪現場でつくられた陰惨な性暴力画像を軽視しがちなイメージがあります。これでは、ひどい目にあわされた子どもたちは救われません。


もうひとつ、考えるべきことがあります。
仁藤さんのブログに書かれている「子どもの人権問題を、表現規制の問題とすり替えて、児童ポルノ禁止法の強化を否定する人もいます」という一文。
児童の人権擁護が目的の児童ポルノ禁止法に、「漫画・アニメ・CG」などの創作物をまぎれ込ませようとしたのは、改正派議員だったように思うのですが……。今ちょっと検索しただけで、2013年に「漫画・アニメ・CG」を調査研究する改正案が提出されたことが分かります()。

つまり、最初に「子どもの人権問題を、表現規制の問題とすり替え」たのは、国会議員たちだったわけです。漫画やアニメを規制してほしくない人たちは、本来は自分たちと関係なかったはずの児童ポルノ規制法に「対処せざるを得なかった」「巻き込まれた」にすぎないのではないでしょうか?
しかし問題は、「表現規制に反対している人たち」が、あたかも性犯罪・性虐待を容認しているかのように受けとられてしまっている、悪いイメージでくくられてしまっていることです。
そして、表現規制に反対する一方で、性犯罪を軽んじたり、痴漢被害をダシに女性にセクハラ的な発言をしたり、「表現規制したら性犯罪が増える」など恫喝めいた発言をしていないか、十分に注意すべきではないかと思います。

表現規制と関係するかどうかは分かりませんが、こんな記事を見かけました。“金ロー『時をかける少女』にあの曲がない!名曲「ガーネット」のカットに視聴者騒然”(

地上波テレビの場合、まずCMの枠が先に決まりますよね。CM以外の「余った時間」に、ドラマやバラエティを放送しているわけですよね。
地上波では、実写映画だって例外なくカットされているのに、なぜアニメにだけ「エンディングまで流せ」と特別扱いを望むのか。どうしていつもアニメの周辺にだけ、こうした不寛容な、偏狭な、排他的ムードがたちこめてしまうのか、ガッカリします。

「アニメは、俺たちアニメファンのものだ」と篭城するより、好きな作品が一般に広まって良かった……と、鷹揚にかまえられないものでしょうか。
一般の人たちの嗜好とうまくすり合わせていかないと、いかなる作品も実社会に受け入れられないと思うのですが(作品にかぎらず、意見でも何でもそうですかね……)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月19日 (日)

■0719■

ホビー業界インサイド第1回:3Dプリンターは美少女フィギュアを革新するか? 有限会社アルターのクリエイターたちの期待と不安!
T640_682439今月から毎回、フィギュアやプラモデルの製作会社や、個人のクリエイターに取材していきます。第一回は、「美少女フィギュア」という、誰でも目にしたことのある商品の制作舞台裏を知りたくて、有限会社アルターに取材しました。
すると、「男性キャラを求める、女性ユーザーの視点」という、思いがけないテーマが浮かび上がってきました。実はいま、女性向けフィギュアが、猛烈な勢いで増えてきています。

市場が変化して、文化のあり方が変容しているのに、既存のホビー誌は、その実態を伝え切れていないと思います。メーカーさんが「今、これを売りたい」という商品が、どうしてもトップに来てしまう。すると、メーカーと出版社、両方の事情だけで誌面が成り立ってしまう(だから、宣伝力の強いメーカーばかりが、何度も取材される。雑誌が全面広告のようになっていく)。
だけど、ユーザーは、もっとダイナミックに変化している。その最前線の、繊細に震える空気を、僕は吸っていたい。ほかに取材しようとする人がいないので、僕がまず、こういう連載を始めてみました。


「今度、こういうガンプラが発売されます」という告知は、僕自身も楽しみに見ています。だけど、ガンプラに限らず、メーカー側が綺麗に色を塗った塗装見本が、いちばん多く目に触れると思います。
しかし、「理想的な状態で仕上げた商品写真」は、インスタントラーメンの「盛りつけ例」写真と同じで、メーカーの提案するイメージの一形態にすぎない。

たとえば、工具も塗料も持っていない、そこまでお金を使うつもりがない人も、プラモデルの面白さを感じているはずです。そもそも、組み立てずに「買う」だけでも、プラモデルは面白い。
インスタントラーメンは、何も具を加えずに調理しても、いちおうは食べ物として完成されるように出来ている。プラモデルも、そうなっているはずです。「箱の中にあるものを組み立てる」だけで、面白い/つまらないと感じられる。色を塗らないと何も分からない、なんてことはないはずですよ。


色を塗らず、ゲート跡やパーティングラインも処理せずに組み立てた「素」の状態のときこそ、「プラモデル」という商品のスペックが、最大限に発揮されているんだと思います。
(少なくとも、僕は成型色そのまま、何ひとつ手を加えていないプラモデルの写真に、いちばん興味をおぼえます。美しいとも思います。)

「苦労しないと楽しめない」「苦労したヤツが、いちばんエラい」という価値観が、イヤなんですね。結果として、苦労がともなうのは仕方ない。「苦労したんだから認めろ」と、はじめから対価を求めているところが、きらい。


GEOで、『神々と男たち』をレンタル。カンヌ国際映画祭でグランプリをとった映画が、たった86円で見放題なのだから、割安な趣味だと思う。
338143view004アルジェリアの修道院に滞在するフランス人宣教師たちが、イスラム過激派の人質にされた事件を、静かなトーンで再現する。宗教のことが分からなくても、寂れた村の情景、抑制のきいた映像を見ているだけで、まったく飽きない。

冒頭の修道院のシーンで十字架が映るので、「キリスト教の話なんだな」と、日本人にも分かる。自分の記憶をたどると、井の頭公園の近くのカトリック吉祥寺教会の十字架。あれが、原風景だと思う。
幼少期から、せいぜい20歳ぐらいまでに見た情景。それしか、リアリティを感じる手がかりはないのだと思う。20歳以降に見聞きするものは、現実を理解するための追加オプションでしかないような気がする。

(C)2010 ARMADA FILMS - WHY NOT PRODUCTIONS - FRANCE 3 CINEMA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月17日 (金)

■0717■

一昨日の【参議院議員山田太郎のさんちゃんねる】、まさかの音声トラブルで30分延長、ラスト30分は、かろうじて音が聞きとれたようですね()。
(一時間以上、レギュラーの人たちがえらく頑張って復旧しようとしてくれていた……)
Bandicam_20150716_212615312実は、音が途切れている間も、山田議員や荻野幸太郎さん、志田陽子教授、永山薫さんたちの議論は盛り上がっていて、特に山田議員の考え方をよく知ることが出来ました。前から思っていたけど、山田議員は「どうせなら、最初から最後まで、きっちり筋を通してほしい」「確信があるなら、堂々としてほしい」と言っているわけですよ、児童ポルノ規制法にかぎらず。だから、信頼に足る。

それが確認できただけでも、良かったです(音声は永山さんが録ってらしたので、そのうちアップロードされるのでは)。
あと、国民の意識が高ければ、法律なんて最低限度で足りるはず……というお話も聞けた。「こういうのは良くないよね」「これぐらいは許せるよね」という相互認識が成り立っていれば、あれもこれも法でしばる必要はないでしょう……というようなお話。
だけど、顔をあわせての対話を、みんな嫌がるからね。ネットに毒素が沈殿していくばかり。


誰もが、苛立ってるんだと思う。日常生活で、猛烈なストレスに耐えているのは分かる。
だからネットで、「無制限に罰せられる誰か」、「決して反撃してこない誰か」をサーチ&デストロイしてるんだろうな。

僕は放送の最後に、「人間ひとりが出来ることは、思ったよりたくさんある」と言ったと思うけど、請願だけでなく、刑事告発も無料でできるし、弁護士に相談したり、企業に意見があるなら、メールフォームだってあるでしょ。
だけど、それをTwitterで言うとキレられるので(笑)。僕は直接、企業や行政に意見するから、キレる人たちはTwitterでキレてれば?という気持ちになってしまう。


昨日は、午前中はおとなしく原稿を書いて、午後は単行本の打ち合わせで、出版社まで出かけた(この写真は、水曜に撮った)。
7cimg0828_25
雑談だけど、地方に行くと、同人誌即売会など滅多にないと聞く。
ところが、クラスの地味な女子生徒から「今度、地元で即売会があるよ」「一緒に行こう」と誘われ、とまどいながらも出かけたんだって。ある人が。
そうしたら、学校では地味なはずの彼女が、すごい華麗なコスプレ姿で現れて、「オタクとは、解放されねばならない何者かなのだ」と悟った……という昔話をしてもらった。

まあ、昔話です。今の若い人たちは、そんなに屈折していない。
「オタク」って言葉は、とっくに汎用性が薄らいでいる。


「友だちの子ども(高校生)が感動していた」という話に触発され、二児の父親である僕の友人が、『バケモノの子』を見てきた。間接的とはいえ、高校生に薦められるというのは理想的パターンであるように思う。

だけど、「みんな元の鞘にもどって、めでたし」という終わり方が、よくないという。
ようするに、まだ戻るべき鞘すらない年齢の子たちに向けられた作品なんだと思う。確かに、人間社会でしっかり生きていこうって、現状を肯定しているだけで爽快感はないんだけど……でも、ヒットしてくれて、僕は嬉しい。

『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は、ゲーム会社にいるとき、上映会を開いて社員に見せたぐらい好きなんだけど……だから、細田作品には口出しする権利があるとは思っていなくて、自分の知らないどこかで支持されてるほうが嬉しい……という気持ちがある。
そのほうが、「世界は広い」と感じられる。

本当は、誰がターゲットの、どんな作品だろうと、感動した者の勝ちだろう。
だけど、僕は、ちょっと置いてきぼりをくう方が、世界の豊かさを感じられる。映画も、隅から隅まで分からないほうがいい。誰かに理解されれば、愛されていれば、すべてOK。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月15日 (水)

■0715■

吉祥寺オデヲンで、『バケモノの子』を見てきた。アベックや親子連れ、大学生のグループが多くて、にぎやか。
Bg0誰もが、ちりばめられたギャグに遠慮なく笑い、スペクタクルなシーンでは「おお~」と、どよめいていた。僕も、映画館で声を出して笑ったのは、ひさしぶりで、気持ちよかった。

ただ、『おおかみこどもの雨と雪』もそうだったけど、細田守さんは高齢アニメ・ファンなど相手にしてないというか、置いていかれる感じがある。『バケモノの子』から本当に勇気をもらえるのは、小学校高学年から大学生ぐらいまでなんじゃない?
熊徹(バケモノの世界の父親)が「俺に着いてこい」ではなくて、九太(人間の子)が知恵をはたらかせ、勝手に技を盗むというプロットで、そこが良かった。細田監督は、僕と同じ年の生まれなんだけど、オッサンを無意味に美化することはしなかった。オッサンはむしろ、子どもに助けられ、気づかされる存在なんだよね。

……で、人間社会の日常というのは、やはり退屈なんだけど、バケモノの世界へ現実逃避させてくれない。無味乾燥といってもいいぐらいのリアリズムが、細田さんの作品の根底に横たわっている。
九太が仲良くなる人間の女の子が、友だち一人いなくて、どこかサエない子というのもリアルだった。

そして、これが大事なんだけど、実写の日本映画によくあるように「思い」では勝たない。ちゃんと、ミッションと技量で勝つ。


なんとなく、頭の中で『魔女の宅急便』と比較しながら見ていたんだけど、細田さんがもうすぐ48歳。『魔女宅』のとき、宮崎さんも48歳だったんだ。
僕は『魔女宅』のとき大学生で、他の大学の女性と宮崎アニメの話で盛り上がり、「じゃあ、今から『魔女宅』を見にいこうよ!」と、そのまま劇場へ行き、なんだか肩透かしをくらって帰ってきた。

あの映画は、22歳の男女を励ますような映画ではなかったんだろうな。
『おおかみこども~』のときは、「俺なんかより、この映画を必要としている人たちがいるはず」と、子育て中の女友達に強くすすめた。「とても素晴らしい映画だが、俺のものではない」という意識があった。
『バケモノの子』も、「まだ少年~青年と呼びうる子たち」に見てほしいと思っているけど……意外と、それこそが、よけいなお節介なのかも知れないな。
僕と同い年の友だちは、ほぼ全員が子持ちなので、彼らには薦めるだろうけど。

僕は『プリパラ』を毎週楽しく見ているけど、楽しく見る以上のことは望んでいない。やはり、「本当は俺のものではない」気持ちがある。
だけど、『バケモノの子』は、48歳の子どものいないオッサンに「熊徹のようになれるか?」と、問いかけてもいる。その問いからは、逃げられないんだろうね。
(それにしても、バケモノたちの世界は、南欧風というか石造りの低い家ばかりで、坂だらけだったサントリーニ島を思い出してしまった。)


今日、明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師に取材に行って、来月のアキバ総研に、かなりエキサイティングなインタビューが載ると思う。
レナトさんの考えは、もう一歩先へ進んでいて、「俺みたいなオッサンは、端っこで小さくしてます」という、いじけた態度の向こうへ行ってるんだよね。

余談だけど、レナトさんの今日の講義(すべて英語)では、「メカと美少女」の歴史にも触れていて、『艦これ』『ガールズ&パンツァー』のスライドを映した直後、『響け!ユーフォニアム』が出てきて、「ああ、これもメカと美少女だよな」と納得させられた。
(しかも、裸足でユーフォニアムを抱えている、かなりエロいキービジュアルだったからね。レナトさんも、よく見てるなあと。)


本日は、夜21時から、参議院議員・山田太郎がお送りする政治バラエティ『山田太郎のさんちゃんねる』()にゲスト出演します。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月13日 (月)

■0713■

人生で4冊目の単行本を、出版できることになりました。
M256coverその資料になるのではないか?と思い、『月刊MdN』の制服特集を買ってみた。漫画やアニメの制服が、いっぱい載っている。
もっと男性目線の、フェティッシュな特集かと思っていたら、女性漫画家や女優(アイドル)の「憧れの制服」についてのコメントなどが散見され、どちらかというと、女性に主導権のある世界。

ただ、「スカートを履かせられるのが苦痛なので、制服なんてジャージでいいでしょ」っていう女性もいるので、男性サイドから制服を美化・神聖視しすぎるのもどうかな、と思ってます。


『Classroom☆Crisis』第二話を見ていて、やっと、僕のような中年がこの作品に熱中べきではない(という危険信号を感じる)理由が分かった。
宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の、『仮面ライダー響鬼』批判が、そのまま当てはまると思う。いわく、“「完成された大人に子供が倣う」という「成熟」モデルが、完全に古くなっている”……『響鬼』も、細部まで手堅く設定された世界観が魅力だったけど、思想的には、大人が子どもに「俺に着いてこい」ってノリだったでしょ? それで、オッサンに受けたんだよね(当時、僕は38歳)。

人間は、肉体的には15歳前後が、最も優れているという話を聞いたことがある。
「神経系は5、6歳で8割がた発達し、12歳ぐらいでほとんど完成される」「(骨や筋肉)が14、15歳から神経の発達に追いつくかのように成長スピードが急激に増すのです」()、これはアスリートの話だけど、つまり、生物として最も完成されているのが15歳ごろ。
それぐらいの歳の子たちを主役にすえるのは、まったく正しい。だけど、彼らを「未熟」と規定し、教師が引っ張っていく構図は、大人にとって気持ちがいいだけ。

僕を萎えさせたのは、教師の兄が先に帰宅し、居間でビールを飲んでくつろいでいる、そこへ妹が買い物袋を抱えて帰ってきて、料理を始めるシーン。それこそ、絵に描いたような家父長制。昭和ですか、と。せめて、兄貴が料理を手伝え、と。

だから、架空社会を細部まできっちり作り込んでいるのは好感がもてるけど、僕らオッサン世代が気持ちよくなるような思想が、根底にあるのは確かじゃないかな。
(フィクション世界の「妹」は、どうも愛玩・奉仕目的にカリカチュアライズされがちだよね。)


「アニメと現実の区別をつけろ」と、紋きり口調で反論されそうだけど、テレビ放送している以上、アニメは公のものだと思う。実社会に組み込まれているものだと思う。
だから、女子高生の頭をなでるゲームのCMに、クレームをつける人も出てくる。そのCMの存在が、インターネット(というよりSNS)によって共有されてしまい、本来のゲームの購買層とは違う人たちが怒り出す……その流れは、止めることができない。

だから、自分と立場の違う人(僕は男性だから、まずは女性)の意見を聞く。そのうえで、女子高生の頭をなでるゲームが、なぜ必要かを考える。必要だと思うなら、批判している人たちに届く言葉で伝える(考えを留保し、黙っているという選択肢もある)。
Twitterだと、「表現規制派」「規制反対派」に、バッサリと分けられてしまうんだよね。痴漢をめぐる議論が「男vs女」と単純化されてしまうように、せっかく真面目に考えているところなのに、「アイツは規制派に寝返ったんだろ?」「カネでももらったんじゃないの?」と、どんどん戯画化されていく。「ごっこ遊び」に堕してしまう。

僕が、児童への性暴力写真について嘆願書を提出したのも、「エロ漫画を守るため」と、単純化したがる人がいる。
苦しんだり怒ったり、実社会で活動している人たちと会って話せば、そりゃあ、考えは変わります。自分を変えないために周囲を攻撃するんじゃ、本末転倒でしょう。


自分の痛み、自分の快楽にしか興味のない、「大きな赤ちゃん」みたいな人がいる。
ネットは、顔を隠したまま、無制限に相手を攻撃しつづけられるんだけど、それを抑制しない人がいる。表現規制でも性犯罪でも、あるいはオタク趣味の世界でも、「大きな赤ちゃん」が駄々をこねはじめると、議論の余地などなくなるし、「関わりたくないな」と引いてしまう。

他人の痛みを分かろうとしない者の主張は、薄ら寒いだけで、説得力がない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月11日 (土)

■0711■

【釧路・性的虐待訴訟】最高裁決定が出ました!
以前から応援していた署名キャンペーン「性的虐待の時効は大人になるまで停止して下さい。子どもが全国どこでも助けを求められる体制を!」 署名のキッカケとなった裁判で、性虐待を行なっていた被告男性が敗訴しました。
NHKで、勝訴した原告女性のインタビューが流れたようです。「今も、性的虐待の被害に苦しんでいる子たちがいます。でも、私が被害を受けていた30年前と、被害を受けている子どもを取り巻く状況は変わっていないように思えます。 未だ、このまま被害を受けている人を、ほおっておくのですか?と、政治家の方々や、社会を作っている人たち皆さんに問いたいです。」(原告女性)

ところが、毎日新聞のこの記事。
性犯罪:罰則強化や「親告罪」見直しが多数意見
法務省の有識者会議「性犯罪の罰則に関する検討会」では、「年少者が被害者の性犯罪の公訴時効は停止・撤廃すべきか」については、「被害から長時間経過すると、被害者の供述が唯一の証拠になることが多い」との理由で、消極意見が多数。

この有識者会議は、女性8人と男性4人で構成されているんだけど、ちょっとガッカリしますね。
性虐待は「大人→子ども」と、暴力の方向が決まっています。そして、大人は子どもを「どうせ抵抗できない」「訴えられない」とナメてかかっているから加害するのだし、「誰にも言うな」と必ず言うのです(性虐待の体験談を図書館で借りて、読んでください)。
これでは、法律にたずさわる人たちが、性虐待加害者を擁護しているも同然ではありませんか。


昨日のブログでは、実体験にもとづいて、そうとう物騒なことを書いた。これでまた、読者が激減するであろう。
だけど、「おまわりさん、こいつらブッ殺しちゃってください」と、安全圏からツイートしている連中と同じレベルで死刑制度を支持しているわけではない、と言いたかった。

幼稚な想像力で、被害者遺族の心中を、推測してほしくもない。
僕の父親のように、たった6年で刑務所から出てきてしまうような殺人犯を受け入れる覚悟が、社会構成員であるあなた方にあるのか、とも問いたい。徹頭徹尾、他人事だと思って、気楽に「死刑でいいだろ」とぬかす態度に、腹が立つ。


ひさびさに、勉強のためではなく、娯楽のために読書している。『旅行者の朝食』。
Photo食べ物にフォーカスした旅行記かと思ったら、ロシア語翻訳者である著者による、食べ物にまつわるエッセイ集。
実は「旅行者の朝食」というフレーズそのものが、ロシア人にとってはギャグなのだが、「なぜ笑えるのか」を歴史と政治を参照しながら、丁寧に解題していく。「国民性」なんていう、曖昧かつ無責任な偏見で逃げない。

実証的だけど、どこか不真面目に「笑いのツボ」を探っていく。真摯で、茶目っ気のある本。


旅行者の朝食といえば、ストックホルム郊外にある安ホテルの朝食が忘れられない。準備もいい加減なら、客たちもあきらめ半分だった。失敗というほどでもない、「どこか外したポイント」の方が、旅の印象に残る。

お金がないので無理だが、早くもまた、海外へ行きたくなっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月10日 (金)

■0710■

取材・原稿執筆・打ち合わせにもまれる日々ですが、来週水曜(15日)夜21時~、山田太郎議員の番組『みんなのさんちゃんねる』()に、出演することになりました。
というのも、この日から、児童ポルノ規制法の単純所持罰則化がスタートするからです。さて、僕はどういう観点から話をすることになるのやら……自分としては、山田さんに紹介議員になっていただいた請願書()に、すべての気持ちをこめたつもりなんですけどね。


今日は、いささか物騒な話を書く。
今まで、父親に殺されそうになって逃げ回る夢は、何度か見てきたが、今朝は父親を殴り殺す夢を見た。説明が必要だと思うけど、僕の父親は殺人犯として、2011年から刑務所に拘置されている。殺されたのは母親なので、僕は被害者遺族でありつつも、同時に加害者の息子という、妙な立場にたたされている。
夢の中で、父親は、やはり殺人をはたらいており、まったく反省することなく、僕の女友達をベッドで口説こうとしていた。なので、もうぜんと殺意がわいた。

なぜ、そんな怖い夢を見たかというと、この記事が影響していると思う。
『ビートたけしの死刑廃止論に「たけしさん、そりゃないよ…」と落胆の声』(
「この人でも身内が死なないとわからないんだな」という、おそらくTwitterにでも書かれたらしい意見が転載されている。身内を身内に殺された僕としては、死刑は手段のひとつとして残しておくべきと考えるが、被害者遺族の感情は「殺されたから、やり返せ」というほど単純ではない。

僕は、被害者遺族参加制度によって、法廷で被告を前に意見を述べられることを知り、その制度を最大限に活用しようと決めた。一生、耳から離れないような痛烈な言葉を、被告の耳に残してやろう。それが、僕の復讐だ。母への贖罪だ。
意見陳述は判決に影響を与えるし、被告に直接、質問することもできた。上告が却下されたときは、「ざまあみろ」という気持ちになれた。
だから、言葉で、肉声で、ゆっくりと時間をかけながら、復讐をとげることが出来た。


「身内が死なないとわからないんだな」とか言ってる死刑賛成の人は、「悪いやつは殺したほうがせいせいする」程度にしか、考えてないでしょ? 「面倒だから、死刑でいいよ」って程度でしょ?
ある意識調査によると、救急車の有料化について、8割の人が賛成している()。つまり、制度で締め上げることしか、考えていない。「制度を使う人間を変えよう」という向上心も理想もない。「人間はグダグタのままでいいから、罰をあたえて懲らしめよう」、そんな獰猛な社会が生きやすいかどうか、簡単に想像がつくだろうに……。

ようするに、「俺らは改善の見込みがないから、檻を頑丈にしてくれ」ってマゾ国民が多い。
SNSでボヤいたり言い争っているから、実社会で戦う気力なんて、残ってないだろう? そのくせ、簡単に認められたい、誉められたいと思っているだろう?
死刑制度は、使いどころを熟慮する前提で残すべきだとは思うが、自堕落な人間たちの欲する、手っとり早く楽ちんな「死刑制度」など、怖ろしくて賛同しかねる。


ひどい夢を見たので、駅前で花を買って、母の墓前に供えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 9日 (木)

■0709■

昼に原稿が上がったので、夜、編集者と飲みにいくまでの間、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を見ることにした。
しかし、新宿バルト9とは相性が悪い。今回もスムースにチケットが発券されず、隣の席のカップルのおしゃべりに悩まされた。

新キャラクターが2人も出てきたら、話がゴチャゴチャになるのでは?と危惧したが、スカーレット・ウィッチとクイックシルバーの双子は、なかなか良かった(話は十分に混乱していたので、この2人のせいじゃない)。
352157_005東欧の紛争地域に生まれ、爆撃で両親を失ったという生々しい過去が、感情移入をうながす。
2人が20代前半だとしたら、ひょっとして、90年代のユーゴスラビア紛争に巻き込まれたんだろう。「ソコヴィア」という架空国家が出てくるけど、東欧~中欧だろうな。リアリティを出すため、冷静に世界情勢に目を向ける誠実さが、このシリーズの魅力のひとつ。

もうひとつ。韓国が、舞台のひとつになる。
ハリウッド映画にとって、もっとも大きな海外市場は日本から中国へ移行しており、いま、韓国が日本を抜きつつあるという。 『トランスフォーマー/ロストエイジ』は、日中合作映画だったでしょ? なぜなら、前作の『ダークサイド・ムーン』が、中国国内だけで200億円も売り上げたから()。日本での、同作の興収は、たった42.5億円()。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』冒頭に出てくるメモ帳は、各国語バージョンが用意されている。だけど、韓国バージョンはあっても、日本バージョンは作られなかった。ハリウッドから見ると、日本はかつてのような、おいしい市場ではなくなってしまったわけだ。何だか、おいてきぼりをくらったようで、寂しい。


何もかもCGで造形し、ことごとく破壊しつづけける『エイジ・オブ・ウルトロン』は、情報量が飽和して、観客の理解が追いつかなくなっていると思う。何が起きているのか認識する前に、「すごいCGだな」と反応してしまい、それ以上考えることが出来なくなってしまうのだ。

『ジュラシック・パーク』の公開が、1993年。この20年間は、「やっぱり、実物のセットやミニチュアのほうがいいよな」と再確認するための、長い回り道であったとさえ思えてくる。アナログの良さを生かした『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、アクション映画の潮流を変えるだろう。
『君と歩く世界』で、両脚を失った女性が義足をつけて歩くまでのプロセスには、心から驚かされた。後からCGだと聞かされても、いまだに信じることができない。映画におけるCGの役割は、時間をかけ、静かにフィックスされていくのだろう。

……CGがバレまくったパニック映画や、モンスター映画も、それなりに味があって良いんだけどね。このCG万能の20年間を回想する日々も、遠からずやってくるんだろうな。


ロバート・ゼメキスの『フライト』に、末期がんの患者が出てくる。
「宗教(キリスト教)は、楽でいいぞ? 何が起きても、神様のせいにして、神が俺を試していると思えばいいんだからな。だが、“なぜ、俺をがんにしたのですか?”と神に問いかけたが、答えはなかったよ」。
彼は、だいたいこんな話をする。もちろん、彼は運命への皮肉をこめて宗教に傾倒しているポーズをとっているにすぎないが、大震災のときに折り鶴をおって、ひたすら「祈る」不可解な行為の理由が、ちょっと分かったような気がした。

(C) Marvel 2015

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 6日 (月)

■0706■

ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス 10日発売予定
Photo
●吉田健一氏×コヤマシゲト氏対談 取材・構成
昨年夏、『G-レコ』の先行上映用パンフレットのため、初めて吉田さんにインタビューしたとき、コヤマさんと西村キヌさんの名前が出てきて、その年末に『ベイマックス』でコヤマさんにインタビューする機会を得たので、「吉田さんとコヤマさんに取材できるなら、『G-レコ』のキャラクター本が作れる」と、気がつきました。

ただ、僕が吉田さんの名前を知ったのは、『耳をすませば』を特集したコミック・ボックス(1995年発行)だったので、まずは十年前の『エウレカセブン』までさかのぼった、吉田さん単独の本はどうか?という提案をしたと思います。
やっぱり、『G-レコ』のデザイン本にしようという話になったので、「絶対にコヤマさんへの取材は外せない」と助言し、巻末の対談だけは責任もってまとめることになりました。

その分、「キャラクターデザインとは、そもそも何か?」という根源的な部分に踏み込み、デザイナーとアニメーターの立ち位置の違いにも、触れることが出来ました。
隅から隅まで充実した本になったと思います。


夏アニメの中では、『Classroom☆Crisis』(クラスルーム☆クライシス)第一話を、4度ほど繰り返して見た。

02まず、僕のようなアラフィフにとっては、90年代的な絵柄が落ち着く(キャラデのお二人のキャリアを調べると、割と納得するものがある)。Cというアルファベットを二つ並べたロゴも、ピチカート・ファイヴがお洒落といわれていた時代を思い出す。
(タイトルの中に☆を入れるのは、わざと古くしてるのか?と疑ってしまうほど。)
……こういうセンスに僕が安心してしまうとしたら、『クラクラ』がオジサン向けのコンテンツになっていないか、ちょっと危惧しないといけない。僕の世代には何だか分からないものが流行っている状態が、健全だと思うので。


制作会社のLay-duceは、ボンズの米内則智プロデューサーが独立してつくった会社だ。
火星のクレーターにコロニーを作るアイデアは『カウボーイ ビバップ』にあったが、ボンズ出身のプロデューサー作品と意識すると、やはり納得というか許せてしまう。
(こういう作品は、メカとキャラだけでは成立せず、ハンガーデッキのような特殊な美術デザインのできるスタッフが必要なのです。)

主役メカニックがロボットではなく、戦闘機ですらない試作宇宙船という点も、それゆえ高価で壊れやすいという設定や描写も、いちいち手堅い。落ち着いてしまう。
こんなに安心してしまって、いいのだろうか。『ガッチャマン クラウズ』は第一印象が「俺には、よく分からないものが始まった」で、第5話は「ずっと前から俺が考えていたことを探り当てられた」驚きで、そのギャップにゾクゾクしたものだった。
『クラウズ』第二期の第一話は、「なんだか期待していたものと違う」のだが、日本人特有の「空気」を説明したり、「気分」を可視化したりするくだりには、「きわどいことに触れている」ヒヤヒヤ感がある。

本当に面白いもの、本質に触れているものって、「ちょっと怖い」んじゃないかな。
『クラクラ』も『クラウズ』第二期も最後まで見るけれど……「テレビアニメを自宅で見る」って、映像に触れる手段の中では、いちばん受動的で楽なので、もっと体を動かさないとダメだな。


このままではアニメ業界は自滅する? アニメ制作の「実態調査」が暗示する未来
アニメ業界は必ずしも「食えない」わけではないが、業界全体を下支えする動画マンが、大変厳しい生活を送っている。助成金や補助金では限界があるので、タックスクレジット(税額控除)などの優遇措置で、苦しい制作現場を救おうというアイデア。

しかし本当に、ソフトを売る以外の回収方法はないのだろうか?
七千円の商品を六枚買わせるというのは、とてもニッチな商売ではないだろうか……。

(C)2015 CC PROJECT

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 4日 (土)

■0704■

先日、『響け!ユーフォニアム』について、かなり分かりづらいことを書いてしまった。
いま、アニメを含むキャラクター文化は、複雑な状況におかれていると思う。
SNSによって、現実では出会わなかったはずの人たちが衝突し、ユーザーとして想定されていない層が、たまたまキャラ文化の特殊性を目にして、クレームをつける事態が増えている。

『バトルガール ハイスクール』のCMへの苦情()が新聞に投書されたが、僕はそのニュースをTwitterで知った。その頃には、普段は美少女ゲームなど決してプレイしないであろう女性たちが「現実に頭を撫でられることが、いかに不快であるか」を熱く訴えていた。
その憤りに対して、「現実とゲームの区別がついていない」式の冷めた決まり文句は、あまりに脆弱だ。「ゲームやアニメには興味津々だが、実社会での出来事など知ったことか」といった、幼稚なニヒリズムを感じる。「現実では出会わなかったはずの人たち」の神経を、逆なでするだけだと思う。まずは批判を受け止め、無用な対立を避けながら、なんとか共存していく道を探るべき。
なぜなら、「頭を撫でれば、女子高生は喜ぶ」と思い込んでいるセクハラ男と勘違いするのもされるの、まったくのエネルギーの浪費で、1ミリたりとも現実を豊かにしてくれないから。誰の益にもならない議論で多くの人が疲弊すれば、世の中はますますギスギスしていく。僕は何より、それがイヤ。

「現実の女子高生」と、「女子高生のキャラクター」を厳密に分けねばならない、混同してはならないのは、法律の上でのこと。それとは別に、「現実を材料にした表現物が、現実の常識で推し量られる」のは、やむを得ない事態と思う。


「現実とフィクションの区別」とかいうより、「自分と他人の区別」がついてない人が多くなったような気がするね……。

どうすれば、他人に迷惑をかけず、楽しく快適に生きられるか、それを追求すべき。よく話題にのぼりがちな、性表現については、誰がどう感じるか分からないので、なるべく見えないところで、ひそかに楽しめよ……と思う。
だから、僕はゾーニングにはうるさい(Twitterで文句をつぶやくより、販売店やメーカーに直接意見する。なぜなら、僕はネットではなく実社会を改善したいからだ)。


現実の女子中学生や女子高生は、オッサンの目を楽しませるために制服を着ているわけではない。だが、アニメの中では制服のデザインが、ひとつの見せ場として機能する。フィギュアでも、そうだ。
その倒立、矛盾については、何らかのエクスキューズを用意しておくべきだろう。民間レベルの公正明大な対話によって価値観が変移し、その時代ごとの常識が形成されていくのだと思う。

そのうえで、他人の趣味や性癖に口を出しすぎるべきではない。同性間でも、そうだ。
ところが、価値観の違う相手や、理解できない趣味の相手を、ネットではいきなり罵倒するでしょ? 他人は、あなたの一部ではない。だからこそ、他人の事情も考えてやらねばならない。誰もが、苦しい、イヤな思いをして生きてきたはずだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 1日 (水)

■0701■

ミリタリーSF好きの友人が、公開時に「あれはイマイチだった」と言っていた『バトルシップ』。テレビ放映にともなうネットでの盛り上がりがすごかったので、レンタルしてきた。
341532_01_04_02 最初は「1,800円払うほどの内容でもなく、日本語吹き替えで気軽に楽しめるポップコーン・ムービー」程度にナメていたのだが、クライマックス、ミズーリが再就役してからは、身を乗り出してしまって。ラストの勲章授与のシーンになると、もう笑いが止まらなくなって、ようやく、優秀だった軍人の兄貴が、とっくに戦死していたことが分かった。大活躍していたのは、チャラい弟の方だったのか。ようするに、「バカで何が悪い?」という映画なんだ。どんな崇高な映画より、人を救うよね。こういうスタンスの映画は。


ミズーリの戦闘描写は広角レンズを効果的に使って、日本のアニメみたいに豪快だった。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』も、これぐらい頭が悪くて良かったのに。
義足の黒人がエイリアンを殴るとき、スロー気味で歯が飛ぶじゃん。エイリアンの歯が(笑)。『あしたのジョー』だよね。どんな名作でも、「真面目に実写でやったらアホっぽくなる」、自らの価値観を笑い飛ばす勇気や寛容さが、日本人には欠けている。失敗したら、容赦なく叩くからね。他人から笑われることを恐れすぎる国民性と表裏一体の、イヤな生真面目さがある。

日本の降伏調印の行なわれたミズーリは、太平洋戦争を語るには欠かせない艦。そのミズーリに日本人が乗り込み、(真珠湾のある)ハワイで勝利するアイデアには、複雑な感情が込められているんだろう。
だけど、笑わせたほうの勝ちだから。実写版『ヤマト』で、アメリカ人を笑わせてやれば良かったのに……と、本気で思う。
僕が『トップをねらえ!』を好きなのは、「日本が再びアメリカに宣戦布告し、勝利した」あとの未来世界を舞台にしているから。その裏設定に立脚して、ロボットとか美少女とか(東宝の戦争映画・怪獣映画のパロディとか)、日本のアニメにしか出来ないことをやっている。彼らは、「実写映画はともかく、アニメ技術やオタク文化の面ではアメリカに圧勝している」と自負しているのに違いない。その傲慢なほどの自信が「日本がアメリカに戦勝した」設定にあらわれている。

だけど、日本人は「侵略される」というテーマを、歴史的に笑えないんだろうな。だけど、自分にとって深刻なテーマを、ある角度から「笑う」のは、生きていくために必要なセンスじゃないかって気がする。『バトルシップ』を見ただけで、悩みがひとつ消し飛んだような気持ちになった。


「表紙を見ただけなので中身については詳しくはわからないのですが、ゲームの世界でもかなり児童ポルノが蔓延しているのではないかという印象を受けました。表紙には、制服(中高生?)姿の子どもが性的なイメージを想起させるものが散見され、ゲームの世界でもかなり児童ポルノがはびこっているのではないかと感じました。」
……これは、僕が最初に始めたアンケート『次のうち、あなたが「児童ポルノ」と思うものを挙げてください』()に寄せられた回答のひとつ。
このアンケートは、法律の定義とは無関係に、意識調査のつもりで開放しており、あえて批判などはしないつもりでいたけれど、「しょせん、こんな程度の認識なのか」「法文すら読んでいないのか」と、かなり落胆した。

みんな、「自分がいちばん嫌悪する性表現」に「児童ポルノ」という言葉を当てはめているだけで、他に便利な言葉があるなら、そっちでもいいんだろう。自分の価値意識と無関係に、被害児童が存在していることを忘れている。
これでは、昨年の法改正で「諸外国が」「欧米では」と繰り返すばかりで、国内事情を顧みなかった与党の国会議員と変わらない。


見落としていた事件だけど、今年2月20日の記事「高知県警巡査部長を不起訴 横浜地検 児童ポルノ禁止法違反で」()。「神奈川県警は1月、巡査部長が昨年6月にインターネット上で入手した少女のわいせつ動画を自宅のパソコンに保存し、ファイル共有ソフトを通じて不特定多数の利用者に公開した疑い」なのに、不起訴。
氏名も公表されず、最も軽い「戒告処分」で済んでいるので、今も高知県警に勤めているんでしょうね……。

警官や教師のような社会的信用度の高い者が、なぜ低年齢の子どもに性暴力を振るうのかは、『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)を読むと、かなり理解できると思う。
『性犯罪者の頭の中』((幻冬舎新書)を読むと、痴漢が「より弱い者」を求めていく心理過程が分かる。このような「大人>子ども」「男>女」の不均衡を破壊せねば、性犯罪はなくならない。漫画やゲームを規制するとしたら、その後だろう。

ところが、社会は「大人の男」が頂点に立っているので、女性や子どもを尊重する構造には改変しづらい。なので、取り締まりの楽なメディア規制に偏りがちなのだろう。

(C)2011 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »