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2015年6月28日 (日)

■0628■

ある人が誉めていたので、レンタルで『プレーンズ』。
Planes_subsub_230_11500_dts_v003_la世界観は『カーズ』と共有しているが、本作はピクサーではなく、テレビ向けのパート2物を専門につくっているディズニー・トゥーン・スタジオの制作。……じゃあ三流の作品なのかというと、飛行シーンは望遠レンズの効果を活かして、驚くほどリアルに撮っている。
飛行機それぞれの空力的プロポーションを保ったまま、キャラクターとして成立させるデザインセンスもいい。主翼がグニャッと手のように曲がることはない。かわりに、着陸足を使って、感情や色気を表現している。

ただ、エアレースというモチーフは、ちょっとマニアックだったかも知れない(今年、日本でも開催されたが、それまでは見たことがなかった)
。あと、第二次大戦の軍人(コルセア)が出てくると、どうしても日本軍が敵役になってしまう。戦勝国はいくらでも美談を語れるが、敗戦国で、余計なコンプレックスを植えつけられている国民のひとりからすると、現役空母や戦闘機が物語を強力にバックアップするのは、やや物騒に感じた(実写映画だと、そうは思わないのだが)。

大学卒業以来、ずっと兵器産業で働いている友人がいるけど、彼も「人の命を直接的に、大量に奪うような戦争の時代は終わったのではないか」という話ばかりする。
ミリタリー物のプラモデルを作っている人が、思想的に戦争を肯定しているとはかぎらない。兵器を捨てれば、戦争を放棄できるほど、人間は単純ではない。


『プレーンズ』のレンタルDVDにはメイキング映像が収録されていて、クレイ・ホール監督がトウモロコシ畑の中にある飛行場をロケハンしたり、実際に第二次大戦機に乗ったり、空母で何日間か過ごす様子が出てくる。戦闘機の離発着を見て、大興奮している。『インデペンデンス・デイ』を見ても分かるけど、これが平均的なアメリカ人の感覚なんだろうな。

メイキングによると、物語の始まる農場は、中西部に設定されている。『キャスト・アウェイ』のラスト・シーンも、「この先はカナダ」と言っているから、中西部でしょう。『未知との遭遇』で、少年がUFOに連れ去られるのはインディアナ州。『フィールド・オブ・ドリームス』は、アイオワ州。映画の中では、もっぱら、田舎というイメージで使われているのが中西部。
そして、常に美しく描かれてきたから、僕らはアメリカの田舎に、勝手な郷愁すら抱いてしまっている。だけど、『戦後史の正体』を読んでしまうと、ストレートに「きれいな国だな」とは思えない。


晴れたので、午前中から吉祥寺まで歩いてきた。
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チマチマしたプラモデルを組みたくなったので、バンダイのメカコレ「ラスコー級宇宙巡洋艦」を買う。本屋で、情景師アラーキーさんの『凄い! ジオラマ』(アスペクト)も買ってしまう。1ページたりとも無駄にしない、細部まで丁寧にデザインされた本。
ただ、模型という趣味は「侘び・寂び」に陥りがちなので、そろそろ新しい視点が必要なんじゃないかと思った。


「年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。ひとつは自分を助ける手。そして、もうひとつは他人を助ける手」――オードリー・ヘプバーンの、この言葉が胸にひっかかっている。
残念ながら、両手とも自分を助けるために使っている人が、大部分だろう。

自分と意見や価値観の違う相手は、人権を奪われようが惨い死に方をしようが、どうでもいいと思っている。それぐらい、今の日本人は余裕を失っている。

(C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

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2015年6月27日 (土)

■0627■

『性的虐待の時効は大人になるまで停止して下さい。子どもが全国どこでも助けを求められる体制を!』(
このような署名活動がありますが、ある時期から、賛同者数がにぶってきました。自民党の馳浩議員が「女性の権利保護プロジェクト・チーム」の座長となり、実際に児童虐待防止法を改正しようというニュースが流れてからだと思います。

僕は、この署名をTwitterでプッシュしていたのですが、「自民の馳浩は戦争大好き」といった乱暴なメンションが届くようになり、たいへん失望しました。僕も自民党は嫌いだけど、目的は、「性虐待を受けた児童が、成人してから加害者を告訴できるよう、法改正すること」でしょう? なぜ戦争の話が出てくるんだか……。

馳浩議員に不安があるなら、メールフォームから意見を送ればいい。国民の権利を行使すればいい。僕も、真っ先に意見を送りました。
だけど、あいかわらずTwitterでは、「こうすればいいのに」「なぜ、そうしない?」と、独白を書いてる人ばかり。自分から、情報を集めようとしない。疑問があっても、当事者に聞こうとしない。だけど、要望だけは通したい。そんな怠惰なムードに、嫌気がさしたことも、アカウントを削除した理由のひとつです。


もうひとつ、表現規制反対でも性犯罪対策でも、僕が直接、誰かと会おうとすると、止める人がいるんです。「いや、いま相手を刺激したら、かえって不利になります」とか「あなたに余計なことされると、今後のわれわれ(って誰?)の活動にひびく」とか、見ず知らずの人からダメ出しが出る。
だけど、たとえば児童ポルノ規制法を要望どおりに改正したのは、議員と定期的に顔をあわせている団体でしたよね。堂々と会って、直接に話した者が優位に立つ――僕には、そう見えるのですが。

痴漢被害対策のため、防犯カメラやポスターを増やしてほしい――という署名のときも、似たようなリアクションがありました。
防犯カメラは「下からのぞくような位置に取り付けられて、その画像がネットに流出する可能性があるから、やめてくれ」という女性。しかし、埼京線の防犯カメラを画像検索すれば分かるように、天井に付けられています。そして2010年の設置以来、録画内容が流出したなどという話は、聞いていません(とにかく調べないんだわ、こういう人たちは……)。

また、痴漢防犯ポスターを掲示すると、「ポスターの掲示してあるような場所で痴漢にあったら、被害者の注意不足だと責められるので、やめてくれ」。確かに、二次被害が起きないよう配慮はすべきです。しかし、「ポスターを増やす」目的は、二次被害以前に、痴漢を減らすことですよね? ポスターが悪いんですか? 痴漢が悪いんじゃないですか? なんだか、禅問答みたいです。 


Twitterは実行動と相性が悪いというか……ジャンルによるんでしょうけど、僕のところには、「動かない理由」を並べ立てる人が、多く訪れました。
勇気がないんなら、そう言ってくれていいんです。僕は電話は苦手ですし、医者から対人恐怖症と診断され、20年以上も精神安定剤を処方してもらっています。
「お金がない、時間がない」も、納得できる理由です。僕も昨年、貯金をゼロにされたことがあり、その時期は生活するだけで精一杯でしたから。

だけど、そういう赤裸々な理由ではなく、「私も、本気になれば動けるんだけど」「あなたに動かれると困るんだけど」と、ひねった言い訳を考えてくる。その人たちが動いたという話は、ついに一度も聞かなかった。
窒息しそうでしたよ。行動の予告・報告のため、Twitterを始めたのに、「行動しない主義」の人たちに、常に監視されてるみたいで。
あるいは、フォロワーがいっぱいいる発言力のある人たちが、「じゃあ、痴漢被害に対抗しましょうか!」と計画するところまでは、いつもワーッと盛り上がるんですよ。だけど実行する前に、次の話題にうつって、すぐに忘れてしまう(笑)。

僕の行動を手伝ってくれた何人かの人は、ネットでは何も言わないんです。サッと現場に現われて、雨の中、チラシ配りを手伝ってくれたり。重たい封筒の束を抱えて、最寄り駅まで来てくれたり。
Twitterでの意見交換も大事でしょうけど、ひとりでも多く、実際に人と会ったり、合法的な手段で社会に働きかける人が増えたら、男女ともに住みやすい、子どもを大切にする社会を実現できると思います。現状のままでは、あいかわらず男尊女卑的な不愉快な状況がつづき、人権もへったくれもない、報復と懲罰と相互監視の社会が到来すると思います。
それが怖いから、僕はジッとしていられないのです。

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2015年6月26日 (金)

■0626■

昨年4月に作成したTwitterアカウントを、削除しました。数日前、雑談用のアカウントを作りましたが、そっちは飽くまで、アニメや模型、映画の情報集め用なので……。

本来は、GMOメディアが、個人のフィギュア作品ブログを「児童ポルノ」と呼んで削除しようとしたとき、反対署名を集める()ために、Twitterを始めたのでした。
その流れで、「児童ポルノ」という言葉を、メディアや個人が自己都合で解釈し、「私が不潔だと思うもの」「私が嫌悪しているもの」程度の意味で濫用している現状を変えたいと思い、「児童性虐待記録物」と呼びかえるべく、さらに大規模な署名を始めたのでした()。

このときは、児童ポルノ規制法の改正前で、付帯決議として、漫画やアニメを研究対象にする案が残っていたので、それを回避する意味が強かったです。その時期にフォロワー数が伸びたので、「廣田は、エロ漫画などの表現規制に反対する人」というイメージが強いと思います。

だけど、僕は「性虐待」という言葉を、ダシとして使い捨てるつもりはありませんでした。被害者の心情を知りたくて、東小雪さんや森田ゆりさん、海外の研究者の本から、手当たりしだいに読みました。それはもう、署名とは一切関係なく。
児童福祉系のNPO法人を訪ねたり、「ゴー宣道場」などの討論会にも出席して、児童をモチーフにしたエロ漫画に反対する方の意見も、直に聞きました。その頃から、「一切、表現規制するな」「自由に描かせろ、読ませろ」では理解が得られないと思いはじめていました。だから、『コップのカドでグリ美ちゃん』のような性的な含意の強いフィギュア()は、販売場所を考えるよう、何社かに批判意見を送りました。

だから、表現規制に反対している一部の人からは嫌われたし、怒られもした。だけど、一年も性虐待・性暴力について調べたり、被害にあった女性の話をじかに聞いたりして、まったく考えが変わらないほうが、どうかしてるでしょう。


だけど、痴漢対策を求める署名()まで始めると、Twitterの内部のみで対立している男女の陣取り合戦みたいのが、うっすらと見えてくるわけです。痴漢被害に対抗して、「痴漢冤罪のほうが深刻だ」といったレベルの。

僕は、自分の声と体を使った活動を前提に、Twitterを告知や報告用のツールとして使っていたので、顔も名前も立場も隠したネットの中での議論、罵りあいには、関わりたくないのです。だけど、僕は「児童ポルノという言葉を変えて、エロ漫画を守ろうとするゲス男」として、かなりの数の女性たちからブロックされていて、その不寛容でみみっちい争いに、漠然と巻き込まれているような感じもしていて……そんな非建設的な叩き合いより、僕は、生で人と会うのが目的なんですよ。実社会で起きていることは、実社会でしか変えられないのに、なんでTwitterに書いてるの?と、不思議で仕方がない。


そこへ来て、通常国会が3ヵ月も延長されたでしょう?
僕が山田太郎議員を通じて国会へ提出した、【実在児童への性暴力写真に関する請願書】()の結論も、先延ばしになってしまった。もし保留にされるなら、一日でも早く、賛同してくれる議員を増やすために活動したいのに。

それで、あえてアカウント名は書きませんが、この請願について、こんな風にツイートされました。『廣田という人はもともと、自分のブログの創作の児童の画像が規制されたのを機にこの「実在児童」「児童虐待記録物」という運動を始めている。』
ちょっと調べれば分かることですが、僕のブログではなく、他のフィギュア・モデラーの方たちのブログですよね。規制されたのは。
『要は、「絵なら児童ポルノじゃないから規制するな」のスタンスであることは忘れないようにしたい。』『児童と性交渉(レイプ)するマンガ作品は「誰の人権も侵害していない」という主張だから、「実在児童」という言葉を使っている。』
「実在児童」という言葉は、山田太郎議員事務所の要望で入れたのです(先方も、相応のリスクを背負いますので)。それと、「漫画作品を児童ポルノとして規制しない」のは、昨年の法改正で決まったことですよね? 僕ではなく、国会議員の方たちが決めたことです。検索すれば、すぐ出てくると思うんですけど……。

そもそも、「性虐待記録物」という言葉は、刑法学者の園田寿教授が、少なくとも二年前に出した案()だし、大阪府が「性的虐待の記録」という用語を使用している例は、署名サイトに明記したはずです。
このアカウントの方も、たいへん苦労なさっているようなので、責めるつもりはありません。批判は結構ですが、最低限の情報ぐらいは調べていただきたい……と思いました(Twitterは自ら調べず、「教えてください」という人が多いですね)。


一年たって、僕も勉強しました。表現物でも、人を傷つける・不安にさせる可能性がありますから、18禁雑誌の売り方について、近所の書店に意見を出し、売り場を改善してもらいました。

だから、創作物の敵にまわる可能性だって、おおいにあるわけです。「理想もなく、ただ、今の自分を変えないために、他人を叩く」のは、苦しいだけだろうと思うんですけど……だけど、僕はTwitterの中で、ぼやきに近いような女性たちのツイートを見て、彼女たちが「女である」だけで、いかに苦労してきたか、蔑まれてきたかを知ることができました。それは、とても大きな、十分すぎるほどの収穫でした。
あとは、「実社会で、何が出来るか?」だけです。

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2015年6月24日 (水)

■0624■

モデルグラフィックス8月号 明日発売
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●組まず語り症候群第32夜
『レッドホーク連合艦隊これくしょん展開希望』のサブタイトルで、アオシマの「合体巨艦ヤマト」を、見開きで取り上げています。
……これは難しかった。僕も手伝った『アウトサイダー・プラモデル・アート』などで、すでに再発見・再評価されて久しい商品なので、新しい価値を再発見することが困難だった(今回のアイテムのセレクトは、編集部)。

なので、担当編集の意見も聞きながら、自主的に三回ほど原稿を書き直しました。
「愛しすぎて笑ってしまう」感覚は、なかなか文章にしづらい。単に「嘲笑している」と受け取られてしまう。それは価値観の相違なんかじゃなくて、僕の技術不足とひとりよがりのせい。

「組まず語り」も、もうすぐ三年目だし、バージョンアップしないと!


「ネタですよね? ネタじゃなかったらガチですか?」みたいな荒っぽい峻別が、インターネットの根底にあって、どんな繊細な感覚でも、野蛮な攻撃にさらされる可能性がある。
(だからってわけじゃないけど、雑談用のTwitterのアカウントを、別に作ってみた。それだけでも「廣田は逃げた」とか何とか、言われかねないんだけれど。)

古本を売るついでに、三鷹駅前図書館に寄ってみた。
すると、地域の情報を載せたチラシやパンフがいっぱいあって、「こういう、地元への取材を仕事に出来ないかなー」と考えてしまう。(三鷹市にはジブリ美術館や多数のアニメスタジオがあるおかげで、地元に密着しても、アニメとは縁が切れないし。)

三鷹では、アニメの上映会もよく行なわれる。「ブルーレイ&DVDの第一巻が発売決定!」なんていう、業界の都合最優先の薄ら寒いCMより、親子連れが公民館で見るアニメのほうが「生きている」感じがする。
福島県いわき市で『マイマイ新子と千年の魔法』上映会をやったときには、現地の人たちの受けた感覚までは分からなかった……が、この感覚を知らないまま、アニメ業界と接するのは不健康な気がしてきた(おりしも、明日は徒歩で行けるアニメ・スタジオに取材である)。

取材って、やっぱり「人と話す」ことなので。「業務」という頭で人と会うと、場の空気は冷えてしまう。


そもそも、心から面白いものって、「体の芯から面白い」。生理的なものだから、パンツを脱がないと気づけない。でも、ここ数年の僕は、パンツを脱げないのを歳のせいにしてきた。
70歳になっても、パンツは脱げます。ジョージ・ミラー監督が証明している。
 

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2015年6月22日 (月)

■0622■

売り切れ直前だった、ハセガワの1/35メカトロウィーゴを入手。
Cimg0795どうして、原作アニメすらないこのプラモデルが売れているのか、ここ数年、あるいは十年ぐらいのポップ・カルチャーを掘り起こさないと、説明不可能ではないかと思う。
このキットには、昭和レトロな少年と少女のフィギュアが付属していて、まずは大阪万博世代にリーチする手堅さがある。だけど、同時に平成不況のもとで根づいた、シンプルで簡素なものを求める、軽やかな嗜好にもマッチしている。
(例えば、ゆるキャラのセンスなんかも、どこかでリンクしていると思う。)

あと、昨夜、友だちとファミレスで話していて気がついたんだけど、90年代後半のガシャポンの高品質化と食玩ブームが去って、ベンダートイには、当時とは違う客層がついている。マニアだけがホビー業界を支えているというのは、尊大な思い込みであって。
広くて薄いライトユーザーの価値観って、必ずコアなユーザーに影響を与えている。しかし、ことにプラモデルというジャンルでは、頑迷固陋なマニアの声しか、テキスト化されてこなかった。


1/35メカトロウィーゴは、パッケージ・アートが、漫画家のあらゐけいいち氏というのも驚きだった。商品のもつ軽さや自由度を、このうえなく奔放に表現していて、「リアル」とか「重厚」とかいった、メカ物の陥りがちな陳腐さから、解放されている。

プラモデルの世界は、「とにかく作れ」「色を塗れ」「自分で改造しろ」という、年寄りの根性論が支配的で、「精密なら精密なほどいい」という泥沼にはまってしまっていた。その反動は、すでにあちこちから起きはじめている。
アニメもそうだけど、緻密さを極めてしまったら、あとは上手にUターンしてくるしかないと思う。Uターンが下手だと、単なる手抜きになったり、特典に頼ったくだらない商法に落ちぶれてしまうわけだけど。

説明書には記載されていないけど、メカトロウィーゴには、ちゃんと女の子フィギュアも乗れます。そんな仕様も含めて、本当にキュートなプラモデルになったなあ……と、ほれぼれ。


レンタルで、『42 ~世界を変えた男~』。第二次大戦直後、メジャーリーグ初の黒人選手が、野球界の偏見を塗りかえていく。
346143_003「もともと、世の中は複雑なんだ。野球界も、もはや見て見ぬフリはできないぞ」と、ブルックリン・ドジャースの経営者(演じるのはハリソン・フォード)が、野心満々に言う。彼には、黒人のチームメイトを差別から救えなかった苦い過去がある……ひとつ残らず、実話である。

映画の冒頭、ラジオから日本の全面降伏についてのニュースが、さりげなく流れる。映画は差別撤廃の美談を語る一方、少なくとも70年前、アメリカを覆っていた、見るにたえない傲慢と不寛容を暴きたてる。
白人がリベラルなんてウソっぱちなのに、僕らは「白人のようになりたくなる」教育を受けてきた。たとえば、その惨めな敗戦コンプレックスに切りこめる日本映画は、見当たらないわけです。「欧米に比べて、日本は……」と嘆いていたほうが、戦わなくてすむし、楽だから。
黒人差別は対岸の火じゃない。日本人だって、海外に行けば、きっちり差別されるよ。

アメリカ映画は、しばしば、自国のダークサイドに言及するからね。その姿勢は見習うべき。この映画で描かれたように、「すごいのは白人だけじゃない」と証明してこそ……だと思うんだ。

(C) Warner Bros. Entertainment Inc.

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2015年6月18日 (木)

■0618■

アキバ総研 アニメ業界ウォッチング第9回:模型メーカーの感じる「ガールズ&パンツァー」商品化の醍醐味 雑誌編集から模型業界に転職した高久裕輝(マックスファクトリー)インタビュー!
Chv9l3ducaaeoqj「アニメ業界」というくくりで考えると、「ん?」という企画ですが、内容は抜群に面白いはずです。特に後半、「クオリティ・ファースト」や「決定版」という概念が、いかにホビー業界を敷居の高い、年寄りだけが住みやすい偏屈な世界にしてしまったか、よく分かると思います(もちろん、ホビー業界だけでなく、他業種にも当てはまることです)。

マックスファクトリーとは、30年前に少し仕事を手伝わせてもらっただけで、新社屋は初めて訪問したのですが、とにかく開放的で、「何の会社だろう?」という雰囲気。女性社員も多いし、西洋人も働いています。
このリラックスした若々しい模型業界のムードを、いままで、どのメディアも伝えてこられなかった。地道に取材してきた方には悪いけど、みんなが知っている有名大手メーカーを、みんなのイメージどおりに伝えるだけだったと思います。

そして、心から良いと思ってない製品(作品)を、「お約束」として持ち上げてきたのではないでしょうか。


話は、ガラリと変わって、僕の作成した請願書の行方を、山田太郎議員が伝えてくれています。⇒児童ポルノ禁止法で児童が守れないという理不尽!全てはその定義に【第47回山田太郎ボイス】(

12日付で、法務委員会に付託されたことが分かりますが、「請願は、関係の委員会の理事会に付託されますが、全会一致でなければ、保留となってしまう」「こういったことに賛同できる議員を他に10名集め、法律を変えるためのきちんとした改正案を出すことを、早急に考えていきたい」……なるほど。

発言の説得力は、リスクの大きさに比例すると思っています。誰にでも簡単に出せる請願書の効果など、その程度のものかも知れません。ただ、このひどい判決内容を、多くの人に知ってもらえたのは、良かった。

それにしても、どこの誰がどうした……という話ではありませんが、社会に対する理想もなく、「誰かが何とかしてくれる」としか考えてない人は、情報を集めるのさえ面倒がるし、他人が自分の思いどおりに動いてくれないと、冷笑まじりにいじけてしまうんですね。
やらずぶったくりを、恥とも思わない人がいる。


『キャスト・アウェイ』。ラストの十字路のシーンを過去に見たような、あるいは誰かに聞かされたような、どこかで感想を読んだような……とにかく、既視感があった。
162818view001そして、トム・ハンクスの4年間の漂流体験も、ふしぎと自分のことのように思える。世界観の一変してしまうような空白期間が、自分にも、確かにあったような気がする。

ネットの感想を読んでいたら、「何年かに一度、とても見たくなる映画」と書かれていた。よく分かる。
それにしても、無人島の不安定な空模様が、絶妙に美しかった。

ZADEROSENTHAL_64/20THCENTURYFOX/DREAMWORKS/TheKobalCollection/WireImage.com

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2015年6月16日 (火)

■0616■

EX大衆7月号 発売中
Ex_taishu
●全世界のファン、待望の新作公開! STAR WARS クロニクル

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公開半年前になって、ようやく一本目の記事を書けました。計5ページ。
ただ、新作の写真が使えるのはいいんだけど、マスコミ向けに、なにか新しい情報があるわけではありません。プレスシートでも、ストーリーには一言も触れられていません。

フルネームが明らかになっているキャラクターは、ポー・ダメロンのみ(プレスシートに、カイロ・レンの名前は未掲載)。キャラクターの画像は、レイとカイロ・レンのみ使用可。やっぱり、この2人を中心にした話になるんでしょうね。
後半ページは、樋口真嗣監督へのインタビューが丸1ページ、くれい響さんのコラムが半ページ、掲載されています。

●『マッドマックス 怒りのデス・ロード』必見ガイド
こちらは、モノクロ1ページ。だけど、試写を見たその日に書いたので、我ながら勢いのある文章になりました。オフィッシャル・ガイドとかより、こういう読み流される記事のほうが、自分には向いているような気がする……。


ディズニーXDにて、『スター・ウォーズ 反乱者たち』第1話と第9~13話まで。
2043085_201410080457943001412751861たった5人の反乱チームの乗る貨物船は、コレリアン・シップという設定なので、ミレニアム・ファルコンとよく似ている。TIEファイターを4機懸下した小型空母だとか、メカデザインは良い。『帝国の逆襲』版のAT-STが出てきたり、なかなか気がきいている。
チューバッカの初期デザインを流用したのも、センスが良いと思う。

ただ、ジェダイ騎士の生き残りと新しいシスは出してほしくなかった。旧三部作で、フォースは、ルークのパーソナリティの一部でしかなかったと思う。
近代化された帝国軍の中で、ダース・ヴェイダーですら「時代遅れの魔法使い」と笑われているところが、かえって歴史を感じさせて、カッコよかったのに。


レンタルで、『フライト』。
F01574_largeロバート・ゼメキスは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の頃から、欠点のある大人を好んで描きつづけてきた。アルコール依存症でコカイン中毒のデンゼル・ワシントンの醜態には驚かされたが、彼の欠点の何パーセントかを、僕も持ち合わせている。
ジョン・グッドマンの演じるコカインの密売人は、良心に翻弄されるデンゼル・ワシンシンより、はるかに達観した人生を歩んでいる。どの人物も、とても魅力的。多彩な人生観が、共存している。

もっとゼメキスの映画を見なくてはイカンと思い、『キャスト・アウェイ』を借りてきた。

(C)2014 LUCAS FILM
(C)2012 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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2015年6月14日 (日)

■0614■

月刊アーマーモデリング 7月号 発売中
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●プラモデル×キュートな女の子 マックスファクトリーの新提案
肌色成型色好きの僕のために企画されたかのような「ミリタリーキューティーズ No.1 ネーネ」の楽しみ方を、読者向けに解説しました。
最初は、もう少し気がくるった感じで書いていたのですが、飽くまでアーマーモデリングの読者層を意識して……とのオーダーだったので、三回ほど書き直しました。

アキバ総研 【懐かしアニメ回顧録第7回】小学1年生の感じた背徳と困惑! 元祖サイボーグ美少女アニメ「キューティーハニー」に漂う昭和のドキドキ!!
文中で触れている、パチンコの『キューティーハニー』。ネットに出回っている動画を確認したら、僕の考えた演出はひとつだけ生き残ってたね。「廣田さんが会社からいなくなったら、この企画、進められない」と言われたけど、それは社交辞令であって、むしろ「絶対にやる」と宣言した人たちが、何もしないまま会社から去っている。

有能な人は、誰に頼まれなくても、「自分だけの目標」を具体的に持っていて、「みんなで相談しよう」「まず、みんなの意見を聞こう」と集まりたがるヤツは、実は何もアイデアがないし、決断力もない。就職期間中に知りえたのは、その事実だけだった。


時代劇専門チャンネルで『隠し砦の三悪人』。もちろん、1958年版。
Jd11000835_0001途中、敵に見つかった三船敏郎が、敵の馬を奪って、二騎を追いかけるシーン。あれは、『ジェダイの帰還』のスピーダーバイクそのままだ。敵に連絡させないために追うところ、併走しながら戦うところがそっくり。
『フォースの覚醒』も、噂話を聞くかぎり、黒澤っぽい展開のようだ。通好みの地味なシリーズにするよりは、「これがスター・ウォーズなのか?」という意外性を期待している。

雪姫役の上原美佐は、なんと『隠し砦の三悪人』がデビュー作であり、この映画のために馬術を習ったという。「いまの日本には、馬に乗れる女優がいない」と嘆いていたのは、『アサルトガールズ』のころの押井守監督。
半世紀前の日本映画は、世界のお手本だった。欧米のマネをしていたのではなく、アイデアも技術も、独自のものだったのだ。


【実在児童への性暴力写真に関する請願書】について()、公開から二週間で、3,700人の方に見ていただいた。
国会閉会まで、あと二週間。「児童ポルノ」の単純所持禁止まで、あと一ヶ月。この一年間、児童ポルノ規制法を主なテーマに、討論会を配信したり署名を集めてきたが、この請願に活動を一本化しようと思っている。児ポ法に対するクエスチョン・マークと性暴力への厳正な対処、両方がこの請願には込められている。

一方、世の中に要望を通すためには、国会への請願だけでなく、いくつかのルートが与えられていることを、他の人にも知ってほしい。
Twitterを見ていると、かつて性犯罪にあった方が、男性への恨みごとを書いている。それは仕方のないことだし、ネットで少しでもうっぷんが晴れるなら、止める理由はない。ただ、社会的な手続きによっても、現状を変えられることを知ってほしいとは思う。
そうでないと、「性犯罪にあってPTSDを発症しているわりに、やけに攻撃的なんだな」と、くだらない揚げ足をとられてしまう。

また、男性側も「痴漢冤罪にあったら、その場で、告発した女性を叩きのめす」など、女性への恨みを隠さなくなってきた。
Twitter上では、しばしば、そのような「暴動」が起きる。実社会で、自分の権利を行使する機会を、ネットの手軽さに奪われているように見える。

(C)1958 TOHO CO.LTD

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2015年6月10日 (水)

■0610■

レンタルで、フランス・ベルギー合作の『君と歩く世界』。
Main_large邦題で、無理やりにハートウォーミングな路線へ引き寄せようとしているが、スルリと手の間をすり抜けてしまうような、不思議な感触の映画。
シングルファーザーで、頑丈な体だけが自慢の男が、シャチのトレーナーの女性と知り合う。女性は、シャチのショーの途中、事故で両脚を失ってしまう。男は、彼女の親友とも恋人ともつかぬ不思議な立場から、彼女に寄り添っていく……が、恋愛映画とも言いがたい。

映画のラスト近く、男は息子とふたり、凍った湖へ遊びに行く。そこで息子は事故にあってしまう。その事故と、シャチのトレーナーの女性があった事故は、どこか重なって見える……が、たまたま似たシチュエーションなのか、狙ってやっているのか分からない、分からせない。
自然光をいかした撮影は繊細で、カッティングはテンポがあり、かつシーンに曖昧さをにじませていく(編集助手からキャリアをスタートさせた監督のジャック・オーディアールは、今年のカンヌでもパルム・ドールを受賞している)。


女性が両脚を失った映像を見て、「もともと足を失った女優を探してきたのだろう」と思っていたら、なんとCGだという。足のないまま海水浴するシーンなど、とても自然に出来ている。
『バリー・リンドン』を文芸座で見たとき、ラストでライアン・オニールの足が無くなっており、その姿のままベッドの上で姿勢を直すシーンで、客席からどよめきが上がった。「一体どうやって撮ったんだ?」というどよめきだ。
CGの出現で、映画に対するリアリティは変貌し、僕らの感覚は鈍磨した。何を見ても「どうせ、CGだろう?」としらけ、自ら目撃したものに対して、無責任になったとも言える。

この映画は、「刺激の強い性愛描写、ヌード」のため、日本ではR15+指定だ。
セックスもそうだし、格闘技も出てくるし、もちろん足を失う事故もそう、肉体をつかみとるように、もぎとるように撮られた映画だ。命が、もろい肉の集積から構成されていることを、解き明かそうとするかのように。


「自分の生きている現実世界には、何か意味があるはずだ」と、僕は思いたい。
シガニー・ウィーバーやマーク・ハミルが存命で、まだSF映画に出演してくれることは、僕を元気づける。この世界に、何らかの秩序が存在しているのでないか、と期待を抱かせてくれる。

コレクションを棚に整理したり、フィギュアを製作したりするのも、とらえがたい現実に形を与えて、納得したい欲求のあらわれなのだと思う。他者との差別化のため、優越のためなんかじゃない。自分が孤独なのは分かりきっているし、誰かに認められたからといって、何かが解決するわけじゃない。「癒される」というのは、一時しのぎのごまかしであって。
「結局、僕の接してきた現実って何だったんだ?」という、不条理な気持ちのまま死にたくない。

でも、「納得して死にたい」という欲求と、僕がブログに書いているようなことは、ほぼまったく関係ない。もっと、古くて遠いところに、答えはあるんだろう。

(C)Why Not Productions - Page 114 - France 2 Cinema - Les Films du Fleuve – Lunanime

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2015年6月 9日 (火)

■0609■

週末、小学校時代の友人2人と、『チャッピー』鑑賞。
Sub3_large警官として量産されているロボットの一機が、AIを組み込まれたことから意識をもち、ギャングの片棒をかつがされる。
今から35年も前、中学一年生のときにみた『エイリアン』のシガニー・ウィーバーが、ロボット会社の社長として出演。僕らも彼女も、SF映画というジャンルにとりつかれたようになって、いまだそこから離れられずにいる。同じ時代の空気を共有できたことを、今では幸福に感じる。
今年は『ターミネーター』も『スター・ウォーズ』もある。ハリウッドが、このジャンルで新しいアイデアを生み出せずにいるのか、単純に、80年代にティーン・エージャーだった世代が多いだけなのか(つまり、マーケティングの結果なのか)。『チャッピー』のニール・ブロムガンプの次回作は、『エイリアン』の続編らしい()。

映画は、これまでのブロムガンプ作品と同じく、異種間でかわされる信頼、約束の映画。
治安の悪いことで有名な、ポンテシティ・アパートも出てくる。外務省の危険度情報で、ヨハネスブルグは「十分注意してください」と、黄色で表示されるほどだ。今年は、外国人排斥運動による暴動が激化し、渡航注意が喚起されている。
だが、ブロムガンプ監督は、この荒みきった母国を愛しているように見える。チャッピーを犯罪に使おうとするギャングたちを、不自然なほど愛らしいキャラクターとして描こうとする。


そのせいで、映画のテーマが分岐しすぎてしまい、巨大ロボットのコントロール装置で意識をダウンロードするアイデアにも、かなりの無理を感じる。
こういう監督は、三本目か四本目で得意ジャンルから離れると、いい映画を撮る。ピーター・ジャクソンも、『乙女の祈り』で作風が広がった。ジャン=ピエール・ジュネも、『アメリ』で現実世界を舞台にして、急に人間くさい映画を撮るようになった。

一本ずつを見て、「失敗だった」「得した」「入場料金に見合うか、届かないか」などとケチくさい判断をするより、監督の来歴だとか企画だとか製作された時代背景だとか、いろんな断面から映画は楽しめる。


仕事をするときは、「いかに自由な時間を獲得できるか」を、テクニックとして織り込んで考えたい。「30分あるなら、10分で終わらせて、あとの20分はボーッとしたり、好きなように過ごそう」と考えないと、結局は、他人の首をも絞めることになる。

時間が無駄に消えていくのは、実は僕ではなく、僕以外の誰かが、すぐ読めるメールを何週間も放置していたせいだったりする。
そのために、僕はどうやって並列する仕事を終わらせようか、無駄な知恵をしぼっている。不安にもなるし、関係者の誰もがイヤな気持ちになっている。ギリギリで、ドタバタで終わらせる仕事のクオリティは、“必ず”低下する。

ところが、他人の時間を無駄に削って平気な人間は、「そこを何とかするのが、お前らの仕事だろう」程度にしか考えてない。誰かが苦しんだり、貧乏クジを引くのを、当たり前だと思っている。そういうヤツは人間的に幼稚だから、性格も悪いです。


楽しい仕事が、楽しい余暇を提供してくれる。少しの労働で、いっぱいお金をもらえたほうが嬉しい。出ていくお金は、少ないほうがいい。どんな夢でも、あきらめるより、かなえられる方が、人生は楽しい。そんな当たり前の理想を、愚か者の僕らは、さっさと投げ捨ててしまった。

どこか近場でいいから、観光に来ている人たちの顔を見てごらん。解放された、晴れやかな笑顔をしている。あれが、人間本来の顔なんだよ。
「誰もが幸せに生きる」という理想をあきらめた世界は、地獄だよ。

(C) Chappie -Photos By STEPHANIE BLOMKAMP

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2015年6月 5日 (金)

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雨の合間の晴れた日、深大寺へ行ってきた。
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2011年、女友だちと行って以来だ。あのときは、「こんな綺麗な場所にも、放射性物質が舞ったのか」と、暗澹たる気持ちだった。今回は、植物園の大温室が工事中で、入れなかった。
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4年前に比べると、観光客が増えた。やはり、元気なのは韓国人。ギリシャと同じだ。
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もっと観光地らしい、風情のある写真を撮りたかったのだが……。
食事は、バス停の前にある、もっとも安そうな蕎麦屋にした。見かけなり、値段なりの味だったが、店のおばあちゃんが、愛嬌がたっぷりの笑顔だったので、十分にお礼を言って、バスに乗った。


最近、横になるときには「ディズニー・チャンネル」をつけっぱなしにして、寝る。
ばかばかしいカートゥーンや、チャンネル独占だとかいう、幼稚なテレビ・ムービーをやっている。どれも安っぽくて、それでいて、底抜けに明るい。「ちょっとダークなほうがいい」というのは、ガキのたわごとであって。闇などつけいる隙のない明るさを貫くほうが、よほど難しいと思う。

『ラブライブ!』も、いやになるほど繰り返して放送されているが、「ディズニー・チャンネル」の中だと、美少女系マガジンから出てきたコンテンツには見えない。「かなり風変わりなカートゥーンだな」と誤読してしまい、そのまま勘違いしたフリをつづけるのが楽しい。

日本の作風を意識した海外アニメといえば、『TIE Fighter - short film』()が凄いね!
Sw1e1427418238322_2ワカメ影とか、パイロットのカットインとかは、やはり『マクロス』『ガンダム』の影響なのだろう。「いまだに、板野サーカスか」とは思ったけど、オレンジと茶色の柔らかな爆発は、明らかに日本アニメが失ったものだ。
それでいて、ビームの飛ばし方や、ダメージの受け方(船体の輪郭やディテールにそって、青い電流が流れる)は、本家『スター・ウォーズ』から、外れていない。

そのバランス感覚は、ナメられない。目のつけどころは、完全にミリタリー・オタクなんだけど、品よくまとめている。コミュニケーション能力に秀でた自主制作アニメ。


請願書の公開()から、丸3日ほどたって、少しずつ話題が広がっている。
ただ、ネットという安全圏からグチる・ボヤくのみで、実社会に働きかけない人は、コツコツと実務をこなすことの面倒さや忍耐を理解していない。実感、体感がないから、「あんなのはダメだ」「俺なら、こうする」と口にしながら、かわりばえのない日常の中へ埋もれていく。行動力も決断力もがない。

ちょっとすれ違うだけの見知らぬ誰かでも、自分と同じぐらいか、それ以上の痛みをかかえていると、想像ができない。他人の時間をうばう、労力をかけさせることに、何のためらいもない。調べない、考えない。その場にとどまりつづける。
だから僕は、怠惰な連中の多い分野から、1~2年で崩壊していくと思っている。地味な作業を嫌がらず、異なる生活意識の人たちと対話できる分野の人たちは、お金がなくても残っていく。人脈があるから。

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2015年6月 1日 (月)

【実在児童への性暴力写真に関する請願書】について

山田太郎参議院議員に紹介議員になっていただき、山崎正明参議院議長に宛てて、請願書を提出いたしました。山田議員から明日(2015年6月2日)、参議院議長に紹介・提出予定とのことです。
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実在児童への性暴力写真に関する請願書
一 請願の要旨
平成22年9月7日、高松高等裁判所において、「児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」違反について、ひとつの判決が下りました(添付資料参照)。
被告人は当時6歳だった女児を公園の公衆トイレに閉じ込め、下着を脱がせて写真を撮影しました。この際、被告人は女児の頭に射精し、それを写真に収めています。ところが、この性暴力写真は、高松高裁では「児童ポルノ」には該当しないと、判断されました。
平成26年、児童ポルノ規制法が改正され、平成27年7月15日から単純所持の罰則化が始まります。しかし、6歳女児の頭に射精した性暴力写真は「児童ポルノ」ではないと判断されましたから、所持も自由ならインターネットに掲載するのも自由ということになってしまいます。顔の映った写真を取り締まれないようでは、被害女児の苦痛を取り除くことができません。被害女児は、今現在も人権をないがしろにされ続けています。
性暴力の証拠写真が「児童ポルノ」に該当しないのであれば、「性暴力をふるわれている実在児童の写真を世の中に流布させない」手立てを、私たち大人が責任をもって考えるべきです。
二 請願事項
1.「児童ポルノ」の定義を「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではなく、「実在児童が性加害されているもの」「実在児童への性暴力が認められるもの」と修正、あるいは文章を書き加えてください。
2.もしくは、「児童虐待の防止等に関する法律」で「性暴力をふるわれている実在児童の画像」の製造・提供を禁ずるよう、法改正してください。
3.法改正にあたっては、被害女児が事件当時を思い出して苦しむことのないよう、細心の注意を払ってください。
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上記の(添付資料)とは、TKCローライブラリー()で閲覧できる「高松高裁平成22年9月7日判決(TKC文献番号25464058)」のことです。
会員制サービスですので、全文を掲載することは出来ません。以下、要点になる箇所のみ、引用します。

“「同女の頭部等に射精した上,これを同カメラで撮影し,その電磁的記録を同携帯電話機に内蔵する記録媒体に記録して,もって(中略),衣服の一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により電磁的記録に係る記録媒体に描写した児童ポルノを製造した」と認定し,児童ポルノ等処罰法7条3項,2条3項3号に該当するとしているが,同画像は,判文によっても,実際の画像をみても,児童ポルノを定義した同法2条3項3号に該当しない(以下略)”

“児童ポルノ等処罰法2条3項3号の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」は,一般人を基準として判断するものであるところ,原判示第2の事実において,被告人が撮影,記録した画像は,6歳の児童に対するものであり,一般人を基準とすれば,性欲を興奮させ又は刺激するものではないから,児童ポルノに該当しない(以下略)”


判決文を見ると、「被害者のズボンと下着を脱がせて下半身を裸にし,両足を開脚させるなどしてことさら陰部を露出させる姿態をとらせ,これを撮影,記録したもの」は、「被害者が6歳であっても,一般人を基準として,性欲を興奮させ又は刺激するものに該当する」として、【児童ポルノ】とされています。

しかし、私は「陰部の露出している写真」が、一般人の「性欲を興奮させ又は刺激する」から【児童ポルノ】、「頭部に射精した写真」 (顔面のアップ)が「性欲を興奮させ又は刺激しない」から、【児童ポルノ】ではない(例えば、インターネットにアップしても処罰されない)のは、倫理的に納得できません。
「一般人の性欲を興奮させるかどうか」ではなく、「撮影過程に加害行為があったかどうか」を基準にしてこそ、「児童の権利を擁護する」法の目的にかなうのではないでしょうか?

請願書をめぐる過程は複雑で、受理されなかったり、採択されない場合もあります。
日本政府が、明らかな性暴力の記録写真を「非合法」と認定してくれる日まで、何度でも提出したいと考えています。

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