■0626■
昨年4月に作成したTwitterアカウントを、削除しました。数日前、雑談用のアカウントを作りましたが、そっちは飽くまで、アニメや模型、映画の情報集め用なので……。
本来は、GMOメディアが、個人のフィギュア作品ブログを「児童ポルノ」と呼んで削除しようとしたとき、反対署名を集める(■)ために、Twitterを始めたのでした。
その流れで、「児童ポルノ」という言葉を、メディアや個人が自己都合で解釈し、「私が不潔だと思うもの」「私が嫌悪しているもの」程度の意味で濫用している現状を変えたいと思い、「児童性虐待記録物」と呼びかえるべく、さらに大規模な署名を始めたのでした(■)。
このときは、児童ポルノ規制法の改正前で、付帯決議として、漫画やアニメを研究対象にする案が残っていたので、それを回避する意味が強かったです。その時期にフォロワー数が伸びたので、「廣田は、エロ漫画などの表現規制に反対する人」というイメージが強いと思います。
だけど、僕は「性虐待」という言葉を、ダシとして使い捨てるつもりはありませんでした。被害者の心情を知りたくて、東小雪さんや森田ゆりさん、海外の研究者の本から、手当たりしだいに読みました。それはもう、署名とは一切関係なく。
児童福祉系のNPO法人を訪ねたり、「ゴー宣道場」などの討論会にも出席して、児童をモチーフにしたエロ漫画に反対する方の意見も、直に聞きました。その頃から、「一切、表現規制するな」「自由に描かせろ、読ませろ」では理解が得られないと思いはじめていました。だから、『コップのカドでグリ美ちゃん』のような性的な含意の強いフィギュア(■)は、販売場所を考えるよう、何社かに批判意見を送りました。
だから、表現規制に反対している一部の人からは嫌われたし、怒られもした。だけど、一年も性虐待・性暴力について調べたり、被害にあった女性の話をじかに聞いたりして、まったく考えが変わらないほうが、どうかしてるでしょう。
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だけど、痴漢対策を求める署名(■)まで始めると、Twitterの内部のみで対立している男女の陣取り合戦みたいのが、うっすらと見えてくるわけです。痴漢被害に対抗して、「痴漢冤罪のほうが深刻だ」といったレベルの。
僕は、自分の声と体を使った活動を前提に、Twitterを告知や報告用のツールとして使っていたので、顔も名前も立場も隠したネットの中での議論、罵りあいには、関わりたくないのです。だけど、僕は「児童ポルノという言葉を変えて、エロ漫画を守ろうとするゲス男」として、かなりの数の女性たちからブロックされていて、その不寛容でみみっちい争いに、漠然と巻き込まれているような感じもしていて……そんな非建設的な叩き合いより、僕は、生で人と会うのが目的なんですよ。実社会で起きていることは、実社会でしか変えられないのに、なんでTwitterに書いてるの?と、不思議で仕方がない。
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そこへ来て、通常国会が3ヵ月も延長されたでしょう?
僕が山田太郎議員を通じて国会へ提出した、【実在児童への性暴力写真に関する請願書】(■)の結論も、先延ばしになってしまった。もし保留にされるなら、一日でも早く、賛同してくれる議員を増やすために活動したいのに。
それで、あえてアカウント名は書きませんが、この請願について、こんな風にツイートされました。『廣田という人はもともと、自分のブログの創作の児童の画像が規制されたのを機にこの「実在児童」「児童虐待記録物」という運動を始めている。』
ちょっと調べれば分かることですが、僕のブログではなく、他のフィギュア・モデラーの方たちのブログですよね。規制されたのは。
『要は、「絵なら児童ポルノじゃないから規制するな」のスタンスであることは忘れないようにしたい。』『児童と性交渉(レイプ)するマンガ作品は「誰の人権も侵害していない」という主張だから、「実在児童」という言葉を使っている。』
「実在児童」という言葉は、山田太郎議員事務所の要望で入れたのです(先方も、相応のリスクを背負いますので)。それと、「漫画作品を児童ポルノとして規制しない」のは、昨年の法改正で決まったことですよね? 僕ではなく、国会議員の方たちが決めたことです。検索すれば、すぐ出てくると思うんですけど……。
そもそも、「性虐待記録物」という言葉は、刑法学者の園田寿教授が、少なくとも二年前に出した案(■)だし、大阪府が「性的虐待の記録」という用語を使用している例は、署名サイトに明記したはずです。
このアカウントの方も、たいへん苦労なさっているようなので、責めるつもりはありません。批判は結構ですが、最低限の情報ぐらいは調べていただきたい……と思いました(Twitterは自ら調べず、「教えてください」という人が多いですね)。
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一年たって、僕も勉強しました。表現物でも、人を傷つける・不安にさせる可能性がありますから、18禁雑誌の売り方について、近所の書店に意見を出し、売り場を改善してもらいました。
だから、創作物の敵にまわる可能性だって、おおいにあるわけです。「理想もなく、ただ、今の自分を変えないために、他人を叩く」のは、苦しいだけだろうと思うんですけど……だけど、僕はTwitterの中で、ぼやきに近いような女性たちのツイートを見て、彼女たちが「女である」だけで、いかに苦労してきたか、蔑まれてきたかを知ることができました。それは、とても大きな、十分すぎるほどの収穫でした。
あとは、「実社会で、何が出来るか?」だけです。■
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