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2015年6月10日 (水)

■0610■

レンタルで、フランス・ベルギー合作の『君と歩く世界』。
Main_large邦題で、無理やりにハートウォーミングな路線へ引き寄せようとしているが、スルリと手の間をすり抜けてしまうような、不思議な感触の映画。
シングルファーザーで、頑丈な体だけが自慢の男が、シャチのトレーナーの女性と知り合う。女性は、シャチのショーの途中、事故で両脚を失ってしまう。男は、彼女の親友とも恋人ともつかぬ不思議な立場から、彼女に寄り添っていく……が、恋愛映画とも言いがたい。

映画のラスト近く、男は息子とふたり、凍った湖へ遊びに行く。そこで息子は事故にあってしまう。その事故と、シャチのトレーナーの女性があった事故は、どこか重なって見える……が、たまたま似たシチュエーションなのか、狙ってやっているのか分からない、分からせない。
自然光をいかした撮影は繊細で、カッティングはテンポがあり、かつシーンに曖昧さをにじませていく(編集助手からキャリアをスタートさせた監督のジャック・オーディアールは、今年のカンヌでもパルム・ドールを受賞している)。


女性が両脚を失った映像を見て、「もともと足を失った女優を探してきたのだろう」と思っていたら、なんとCGだという。足のないまま海水浴するシーンなど、とても自然に出来ている。
『バリー・リンドン』を文芸座で見たとき、ラストでライアン・オニールの足が無くなっており、その姿のままベッドの上で姿勢を直すシーンで、客席からどよめきが上がった。「一体どうやって撮ったんだ?」というどよめきだ。
CGの出現で、映画に対するリアリティは変貌し、僕らの感覚は鈍磨した。何を見ても「どうせ、CGだろう?」としらけ、自ら目撃したものに対して、無責任になったとも言える。

この映画は、「刺激の強い性愛描写、ヌード」のため、日本ではR15+指定だ。
セックスもそうだし、格闘技も出てくるし、もちろん足を失う事故もそう、肉体をつかみとるように、もぎとるように撮られた映画だ。命が、もろい肉の集積から構成されていることを、解き明かそうとするかのように。


「自分の生きている現実世界には、何か意味があるはずだ」と、僕は思いたい。
シガニー・ウィーバーやマーク・ハミルが存命で、まだSF映画に出演してくれることは、僕を元気づける。この世界に、何らかの秩序が存在しているのでないか、と期待を抱かせてくれる。

コレクションを棚に整理したり、フィギュアを製作したりするのも、とらえがたい現実に形を与えて、納得したい欲求のあらわれなのだと思う。他者との差別化のため、優越のためなんかじゃない。自分が孤独なのは分かりきっているし、誰かに認められたからといって、何かが解決するわけじゃない。「癒される」というのは、一時しのぎのごまかしであって。
「結局、僕の接してきた現実って何だったんだ?」という、不条理な気持ちのまま死にたくない。

でも、「納得して死にたい」という欲求と、僕がブログに書いているようなことは、ほぼまったく関係ない。もっと、古くて遠いところに、答えはあるんだろう。

(C)Why Not Productions - Page 114 - France 2 Cinema - Les Films du Fleuve – Lunanime

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