■0506■
ルーマニア映画『4ヵ月、3週と2日』。レンタルで。
音楽はなく、1987年の共産政権下のルーマニアに暮らす女子大学生の一日を、じっくりと冷徹に撮っていく。ホテルの一室を借り、妊娠してしまったルームメイトを、ひそかに堕胎させようと計画する主人公(チャウシェスク政権下、人工中絶は禁止されていた)。
だが、危険な状態にあるルームメイトをホテルに残したまま、主人公はボーイフレンドの母親の誕生パーティに出かけなくてはならない。もしかしたら、ルームメイトは堕胎がうまく行かずに、深刻な事態に陥っているかも知れない……。
それなのに、パーティの大人たちは彼女に「タバコを吸うな」と説教したり、どうでもいい自慢話をえんえんと続ける。カメラはフィックス(固定)で、途方にくれる主人公の表情を空しく撮りつづける。
そして、ボーイフレンドは無力で無気力で、少しも彼女の役に立ってはくれない。「一緒に暮らそう」など、目の前の現実から遊離したことばかり語っている。主人公のほうが、たった一日で二年も三年も先を行ってしまった。男たちは、歴史の外に置かれている。
■
日本公開当時は「ヒロイン映画」「女性映画」と宣伝されたが、むしろ男性こそが見るべきだろう。そもそも妊娠させたのは男だろうに、その張本人がまったく画面に現われないのだから。なぜ女たちだけが、こんなにも奔走し、こんなにも助け合わなくてはならないのか。
そして、この映画のつくられた2007年ごろのルーマニアが平和になったのかというと、2012年8月には、日本の女子大生が強姦・殺害されている。
この映画で「堕胎後、胎児は野犬の掘り返すところには埋めるな」というセリフが出てくるが、実際の旅行記を見ても、野犬がいっぱいいるらしい。強盗やスリの体験談も、いくつか見た。「白人の国で、キリスト教圏でそんな凶悪犯罪が起きるはずがない」などという思い込みは、甘ったるく罪深いメルヘンでしかない。
監督のクリスチャン・ムンギウは、実際にチャウシェスク政権下を生きた人物である。日本公開時のインタビュー(■)を読むと、ちょっと興味深いことを語っている。
「これは上手く説明できませんが、歴史的背景を説明することは、映画としてやるべきことではないのです。」
「映画そのものが人々に熟考させる自由を与えて、特に答えを出すべきものではないのです。」
■
連休最後の吉祥寺駅前。尻ポケットから財布を出したまま、ぼんやりとスマホ歩きしている男たちがいる。だが、彼らが片っぱしからスリにあっているという話は、聞いたことがない。
これでは、平和ボケても仕方がない。「ベビーカーが邪魔」だとか、「子どもの声がうるさい」といった、みみっちい不寛容も、平和ボケから生じてきたのだろう。治安のよさが、別のスケール、別の次元で抑圧を生んでしまっている。
自国の平和を、過大評価すべきではない。同時に、「欧米は何でも進んでいる」といった粗雑な幻想も捨てるべきだ。やはり、子どもや女性が安心して住める国が、いちばん良いと思った。
(C)Mobra fulms 2007
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント