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2015年5月11日 (月)

■0511■

いつも、一緒に映画を見にいく友人から、「『寄生獣』は、それほど悪くないよ」と言われていたので、レンタルしてきた(地上波で放送されたそうだけど……)。
News_header_kiseiju2原作モノ映画を見るとき、人は鑑賞者ではなく、なにか特権を付与された裁定者のように振る舞いがちだ。僕も原作は夢中で読んだクチだけど、映画は原作の重要な要素をコンパクトにまとめ、省略が適切だと思った。特に、最初のほうに出てくる寄生犬は、モチーフのひとつとなった『遊星からの物体X』とカブるので、避けて正解。新一を母子家庭にしたことで、物語の視界がクリアになった。

逆に、原作で気になっていた“余白”を、中華料理屋や夜の市場などの舞台設定で埋めてくれたのも良かった。原作では、町中に誰にも見られない空き地や広場が出てくるのが、どうにも不自然だったので。
引くのも足すのも効率がいい。新一と島田が言い争った直後、ミギーの人差し指が斜め上をピッと指すと、そこに田宮良子が立っているとか、演出も洗練されている。

あと、PG-12指定で、人体損壊描写に容赦をしなかった点。ここで遠慮したら、寄生生物の怖さがまったく出なかっただろう(地上波テレビでは、かなりカットされていたんじゃないかな)。


ただ、新一が母の死とミギーとの同一化を通じて、鉄のようなクールな男に変貌していく様は、まったく伝わってこなかった。せめて、生物的に強くなったことは明確に見せてほしかった。新一は、もっといろいろ辛い目にあって、それで生き物としての強さを獲得したはず。
子犬の死骸は、やはり木の根元に埋めてほしかったとか、いろいろある。だけど、「俺の知ってる原作と違う」と文句を言うのは、「俺はこれ以上、学ぶことをしません」と宣言しちゃってるようなものなので。

橋本愛は出番が少ないのに、「新一の家に行く」といっても不思議ではない距離感を出していて、なかなか良い。
ただ、日テレ=東宝ラインならではのキャスティング、という匂いがしないでもない。「この予算の映画なら、そりゃこういうキャスティングに落ち着くでしょうよ」「この方が、各方面にとって都合がいいんでしょうよ」と、覚めてしまうところはある。


「どのアニメも同じように見える」と書いた直後、『ニンジャスレイヤー フロムアニメイション』を見て、夜中に声を出して笑ってしまった。
News_xlarge_ninja002原作は、たまにTwitterで読んではいたんだけど、あの変な日本語のとおり、予定調和を破壊したアニメになっている。壊した結果、たまたまアニメの形態になったというか、壊れたまま客に出すところが豪胆というか。よく分からない居酒屋に入って、普通のメニューを頼んだつもりが、「これ失敗してない……?」という料理が出てくること、たまにあるでしょ。「ひょっとして、この店では、こういう料理が普通なの?」と聞くに聞けない、あの気まずい感じに近い。


美少女キャラが出てきたら、こぢんまりとまとまらないか?と危惧したんだけど、むしろ「美少女だけ丁寧に描いて、あとは投げっぱなし」の80年代OVAのテイストが加わって、より破壊味が増した。
「いま、変なセリフが聞こえたんだけど、なんかミスしてない?」という、ヒヤヒヤする感じ。だけど、だんだん「ここでカッコよく決めるなよ? ここで決めたら、よくある普通のアニメになってしまうぞ!」と破壊願望がわいてきて、見事に引きの絵でスライドだけで、いちばん外した絵を持ってきてくれる。「決めるなとは言ったが、ここまで外すなよ!」というレベルの。

ようは、「意志の疎通の不自由さ」が世界を広げてくれる。「確実に伝わること」「理解できること」だけが、エンタメではない。「これ、ひょっとしてカッコいいんじゃない? 単に、俺に理解できないだけで……」という焦燥感がないと、向上心も生まれない。語りきれない、語りえないことの値打ちを、『ニンジャスレイヤー』は教えてくれる。

(C)映画「寄生獣」製作委員会
(C)Ninj@ Entertainment/Ninj@ Conspiracy

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