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2015年4月28日 (火)

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神撃のバハムート GENESIS アートワークス 本日発売

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●さとうけいいち監督、恩田尚之作画監督、中村豪希美術監督インタビュー
僕より少し上の世代のクリエイターの方たちから、とても面白いお話が聞けたのですが、最近はアニメ制作のメイキングに寄った記事が減っているので、カメラワークやタイムシートの話を書いても理解してもらえるのか、不安です。

「ストーリーはまったく面白くないが、この作画、すごいことをやっている」とか「このカット割りは、こういう意味でカッコいい」など、技術面からの批評がなくなってしまった。テクニックを誉めると、「そういう細かいところしか見てないのか」と、部分評価として低く見られる。
「泣ける」ことが映画の価値のように扱われて久しいけど、作品へのリアクションがどんどん反射的・感情的になっていくようで、なんだか怖いよ……。

だからせめて、紙の本では、テクニカルな話を残すようにしているんです。せっかく、その道のプロに取材できるのだから。
現場でどれほど高度なことをやっているのか理解されないと、アニメーターの低賃金問題も切実に感じられないのではないか?とも思う。「趣味で描いてんだろ」なんて、そんな甘いものではないので。


今週金曜(5/1)の20時からは、ニコニコ生放送で、「児童ポルノ規制法」について、河野晃弁護士に語っていただきます()。
漫画・アニメ・ゲームは、もはや「児童ポルノ」とは無関係なのですが、この法律のゴタゴタに巻き込まれてきた表現規制に反対する人たちが、児ポ法の問題点にいちばん詳しくなってしまった。なので、「児ポ法をよく知らない」人にこそ、見てほしい。

ギリシャのサントリーニ島への旅行と、アブダビへの思わぬ立ち寄り。
白人のジイサンから侮蔑されたり、アニメ映画を見ようかどうか迷ったり、悩んでみて良かったと思う。

深夜に到着したためにフィラのホテルに泊まれなかった件だが、向こうから見れば、迷惑なドタキャン客に思えただろう。ひとこと、謝るべきだった。
また、アブダビ空港、エティハド航空とホテルの丁寧な対応は、彼らの失敗を埋め合わせる以上の意味を持っていた。表面的なお詫びの言葉がなかったかわり、従業員ひとりひとりの表情や態度から、十分すぎるほどの誠意が伝わってきた。「サービス」などという言葉では、とても言いあらわせない。人間の体温に圧倒されたというか。
お客を持ち上げるんじゃなくて、かたわらに寄り添う感じなんだよな。

場末の安ホテルではなく、高級ホテルに泊まらせたことも、もちろん非常に重要。だけど、お金では、人格は育たない。自分がつらい経験をしないと、人に優しくすることの価値は、決して分からないからね。

さて、今回の旅を通して実感したのは、「子ども向け文化を、成人しても引きずっているのは、アジア人だけではないか?」ということ。ピンク色のリュックに、ぬいぐるみなどのアクセサリーをいっぱい付けて歩いているのは、韓国人の女の子。幼さを強調したゴスロリみたいな服装で歩いていたり、スマホでゲームしているのも、みんな韓国人の若者。
ヨーロッパではキティちゃんが定番キャラ化しているようだけど、あくまで「子ども向け」として売られている。日本のように、大人になってもキティちゃんのグッズを買ったりはしないらしい。

だとするなら、「成人しても子どもっぽいものを愛する」文化を欧米基準で切り捨てるのではなく、逆に、共有できるようなコンテンツを打ち出していけないだろうか?と考える。
クロアチアで出会った、サムライ好き、日本刀マニアのウェイターのことを、今さらながらに思い出す。スウェーデンで見つけた、日本漫画専門店のことも。


敗戦後、日本では権力者たちは手のひらを返してアメリカにゴマをすったんだけど、いまだにそういう感覚の政治家は多いし、白人の考えることを何でも無批判に「進歩的」ととらえる日本人も少なくない。
韓国や中国を蔑視するのと同様、「アメリカはこんなに進んでいる」「イギリスは日本とは違って……」も、しょせんは劣等感の裏返しだよ。どの民族や国家が上でも下でもない。

そろそろ、二本の足で立つべき。
というのは、何も日本文化を称揚せよという意味ではない。自分自身にとって、恥ずかしくない個人になるべきなんだ。まず、自分という個人を磨かないと、話にならない。

幸い、旅行から帰ってきて、いくつか大きな仕事をいただいている。
僕が最前線でがんばれるのも、どんなに長く見つもっても、あと10年でしょう。いい意味で、僕を使い倒してもらえるのではないかと期待している。

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2015年4月26日 (日)

■サントリーニ島旅行記・7(完)■

6時間ほどで、目が覚めた。ホテルのカーテンを開ける。
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「へえっ! 天気いいんだなあ」と、無意味な感想が口をついて出る。あたりは、このように高級ホテル街なので、時間をつぶせるような場所はない。
9時半になると、「朝食の準備が出来ていますが」と電話がかかってきた。確かにゆうべ、朝食のメニューに印をしてドアの外にかけておいたが、部屋に運んでくれるとか、そういうサービスじゃないのか。
あわててシャツを着て、食堂へ行く。


食堂へ行くと、確かにオーダーしたとおり、目玉焼きが出来ている。「これがあなたの分です。飲み物は何になさいますか?」と聞かれ、コーヒーを頼んだ。
コーヒーと目玉焼きのほかは、普通のビュッフェ形式だ。12時がチェックアウトで、19時まで待たねばならない。なので、出来るだけ腹につめこむ。
向かいの席から、白人の青年が怪訝そうに見ているが、気にしない。

シャワーを浴び、荷物をまとめて、チェックアウトする……が、七時間後にエティハド航空の迎えを待たねばならないので、そのままホテルのロビーに腰かけて、本を開く。
二時間ほどしたころ、ホテルの女性が近づいてきて、「飛行機を待ってらっしゃるんですか?」「もうチェックアウトしてしまいました?」「ルームナンバーは?」と聞く。
ここに座られていては迷惑なのだろうか……と思ったら、「19時30分まで、お部屋にいられますよ」と言う。「ランチも15時までなら、食べられます。もちろん、ディナーもどうぞ」。
僕は女性にお礼を言って、部屋に荷物を戻すと、ランチを食べに食堂へ行った。


ルームキーを見せて、「ランチ、食べられますか?」と聞くと、ハンサムな青年が「もちろんです」と答えて、好きなテーブルを選ばせてくれる。「飲み物はどうなさいますか?」「何があるの?」「水ですとか、あとは……」、聞きとれなかったので、水にした。
ランチには、米やエスニックな料理が並んでいたのだが、これが、とても美味い。

食べることしか楽しみがないので、ディナーの時間が待ち遠しくなってしまった。
18時30分からがディナーで、19時にエティハド空港が迎えに来る。僕は食堂へ急ぐ。さっきのハンサムな青年が、「先ほどと同じ席になさいますか?」と聞く。飲み物を選ぶのが面倒なので、「水」と注文すると、笑いをこらえた感じで「水? 水だけですか?」
とにかく時間がないから、どんどん皿にもって、「美味いなあ」と声に出しながら、米一粒まで食べつくした。
あまりにもすごい勢いできれいに食べたせいだろうか、ハンサムな青年は皿を片づけるとき、クスッと笑っていた。


部屋に戻ると、すぐに「エティハド航空から、迎えが来ていますよ」と電話があった。
廊下で、さっきの青年とすれ違った。最初は気取っていた彼は、今度は笑顔で「Have a nice trip !」と言ってくれた。僕は振り返りながら、お礼を言った。

出迎えてくれた女性の運転手も、誰も彼もが笑顔だった。
もう、何も怒る気がしなくなってしまった。昨夜、ホテルを世話してくれたスーパーバイザーの女性が、「ハロー!」と笑いかけてくれる。

往路でアブダビ空港に寄ったとき、いくらかアブダビ・マネーを使いのこしていたことを思い出した。何十時間ぶりかで、ビールを買った。空港の椅子で、「長かった……」と、声が出た。
もう少しだけ、アブダビ・マネーが残っているので、別の売店でビールを買おうとした。すると、硬貨が一枚だけ足りない。「あーあ」と立ち去ろうとすると、売店の女の子が「……いいですよ、どうぞ」と、ビールを手渡してくれた。
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この一缶に、すべてが込められている。
僕を嫌った人。救ってくれた人。道を聞いた人、聞かれた人。「ハロー」と言い合った人。「サンキュー」と言い合った人。
僕を怒らせた人も、結果的には、僕を生かしてくれたのだという気がする。だから、相手を憎みかえさないことだ。

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2015年4月25日 (土)

■サントリーニ島旅行記・6■

イア、というよりサントリーニ島、最後の朝がやってきた。
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ホテルの朝食の時間は、今日はお婆ちゃんから赤ちゃんまで、にぎやかだ。「もうすぐタマゴ料理が出てくるわよ」と、お婆ちゃんが声をかけてくれる。
12時チェックアウトなので、イアの町をぐるっとひと回りする。

レセプションの女性は、「チェックアウトまで時間があるのだから、もっとゆっくりしていけばいいのに」と引きとめるが、なんとなく気持ちが急いていた。「いつ」とは言えないが、このまま無事には帰れないのではないか……という、妙な予感がしていた。
「エフハリスト・パラ・ポリ」と、ギリシャ語でお礼を言って、その場を辞した。


13時ごろ、フィラに着いた。空港行きのバスまで、まだ時間がある。見落としたものがあるような気がして、新先史博物館に入ってしまう。スーツケースを持って入ったら、「床にキズがつく」と、怒られた。

空港には14時すぎについてしまったので、もっと早い時間のチケットに換えてもらった。
他のお客さんたちがチェック・インしようとして、次々に断られているので、「?」と思いつつ、カウンターへ行って、せめて荷物だけでも預けようとした。
すると、「あら、早い時間のチケットに換えたんですね」「まだ時間ありますから、どこかへ行かれては~? せっかくのバカンスでしょう」などとニヤニヤと話をはぐらかし、ぜんぜんチェック・インさせてくれない。まるで人をナメた態度だ。

掃除のオバチャンは、休んでいる旅客をどかせてまでモップがけしているし、サントリーニ空港の雰囲気は、良いとは言えない。
僕らは、今日は観光に来て遊んでいるかも知れないけれど、ちゃんと自分の仕事をもっているよ。あんたらと同じなんだよ!と怒鳴ってやりたくなった。


アテネまでは一時間ほどのフライトなので、明るいうちに着くことができた。ホテルまでは地下鉄で行けると思ったのだが、駅の職員さんが地図を見て「これはバスで行くべきですね。バス乗り場は、向こうです」と教えてくれた。
バス停の名前が分からないので、タクシーを拾う。
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タクシーの運転手のオジサンは無愛想だったが、いちど変な場所で高速を降りてしまい、ギリシャ語で「しまった、チクショー! 俺としたことが!」みたいな感じで、僕が横にいるのもかまわず大声で叫ぶので、ちょっと笑ってしまった。
そしてホテルに着くと、「31ユーロ」と言う。「31だね。ちょっと待ってね」と財布を開くと、「いや、やっぱり30ユーロ」「え?」「30でいい、30で!」と言ったあと、またギリシャ語で「あー、まったくドジ踏んじまったぜ!」とオーバージェスチャーで叫び、僕が30ユーロ渡すころには、すっかり笑顔になっていた。
こういう人は、どこか憎めない。


ホテルは、ビジネス街にあるというが、目の前を高速道路が突っ切っている。
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高速道路の両岸にガソリン・スタンドがあり、その中にハンバーガー・スタンドとコンビニがあるのだ。これで、ホテル内の高級レストランで食事をしなくてすむ。サンドイッチやらポテトチップやらビールやら、いろいろ買ってきて、さっさと食って、さっさと寝てしまう。

翌朝、ガソリン・スタンドでジュースを買ってウロウロしていたら、タクシーの運転手たちが集まっており、「どこかへ行くんなら、タクシーどうぞ!」と声をかけてきた。
空港までは、なんと20ユーロ。昨日の30ユーロが高すぎたのだ。
……が、順調なのは、ここまでだった。


アテネ発アブダビ行きの飛行機が、一時間も遅れるという。
不安になり、カウンターでチケットを見せると、新しいものと取り替えてくれた。その際、「荷物はどこで受け取りますか?」と聞かれた。僕はなぜか、「アブダビ」と答えていた。
アブダビで荷物を受け取ってしまったら、成田行きにトランスファーするのに、時間がかかってしまう。だが、40分ほど余裕がある。何とかなるんじゃないか、とそのときは思っていた。

おわびの印なのか、4.5ユーロまで売店で使えるカードまでもらった。
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このときも、まだ良かった。頑張って走れば、今夜中に成田に向かえると信じていた。ところが、飛行機の到着は、さらに遅れた。


アブダビまでは4時間ほどで、僕の乗る成田行きは22時05分発。
ところが、アブダビに着いたのは、22時08分。もちろん、成田行きの飛行機は飛び去ったあとだ。

僕はとりあえずバゲージ・ベルトで荷物を受け取り、アブダビ空港で呆然と立ち尽くした。すると、警備員が「どうしました?」と近づいてきて、事情を話すと、「分かりました。エティハド空港の社員と話してみてください」と、場所を案内された。
最初に寄ったところでは、「うちはエコノミーのお客様の相手はしません。ビジネスクラスのみです。お引取りください」と言われ、思わず自分のスーツケースを蹴飛ばし、アタッシュケースを、地面に叩きつけてしまった。

だが、アブダビ空港の人たちは親切で、向こうから「どうしたんですか?」と話しかけてくれる。その結果、僕はエティハド空港のオフィスで、次の飛行機に乗せてもらえることになった。
が、フライトは24時間後だという。「それまで、どうすればいいのですか?」「ここから先は、当社のスーパーバイザーと話してください。えーと、場所はですね……」と、メモ帳に、次の行き場所を書いてくれた。


エティハド航空のチェック・イン・カウンターで、「乗れるはずの飛行機に乗れなかったんですが」と、同じ説明を繰り返した。スーパーバイザーの女性は、明晩のチケットとホテルのバウチャーを手渡し、「ホテルで朝食から夕食まで、ちゃんと出します。明日の夜、ホテルまで迎えに行きますから」。深いため息が出た。

同じ車に乗せられたのは、何人の家族だろう……アジア人だが、聞いたことのない言葉を話していた。もうひとりは、白人の女の子。とても若い子だ。かわいそうに。
僕らは、げっそりと疲れ果てた顔で、大きなホテルのレセプションに並んだ。丸々と太った白人の女の子が割り込んできたけど、もうどうでもいい。怒る気にもなれない。

アブダビの高級ホテルの客室にたどりついたときには、25時になっていた。
そのときの僕のメモ帳には、「怒るべきときに怒れない人間は、無力」と書かれている。(サントリーニ島旅行記・7へつづく)

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■サントリーニ島旅行記・5■

『Winx Club』の映画をあきらめてしまうと、いよいよ本当にやることがなくなってしまったが、カマリの町には、独特の南洋ムードがあった。
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だが、レストランなどに入る気力が失せてしまったので(もちろん『Winx Club』をあきらめたため)、夕食はスナック菓子ですませて、はやばやと就寝した。
翌朝は、7時台のバスに乗るため、早めにホテルを出る。レセプションが開いておらず、メガネの美人オーナーさんには、挨拶できずじまいだった。
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カマリの町は東側に面しているので、朝焼けを楽しむことができた。朝早いバスは、フィラへと向かう。美人オーナーさんが説明してくれたのだが、カマリからどこか別の場所に行くには、一度、フィラに戻るしかないのだ。

カマリ→フィラ行きのバスは空いていたが、フィラ→イア行きのバスは混雑している(日帰りの観光客も多いため)。間違って別のバスに乗ってしまわないよう、料金を払うときに地図を見せて「イア行き?」と確かめた。僕は、用心深くなっている。


なぜこんなに早い時間にイアに着きたかったかというと、ホテル探しで迷う時間を見こしてのことだ。だが、イアのバス停から、ホテルは一本道を歩いて5~6分のところにあった。

何しろ10時前についてしまったので、部屋の準備が整っていないらしい。レセプションの女性が、ロビーで話し相手になってくれ、ギリシャ語の発音をいろいろと教えてくれた。
その女性の父親だろう、70歳ぐらいのカッコいいジイさんがオレンジジュースとクロワッサンを乗せた皿をもって厨房から出てきて、「カリメーラ」と朝の挨拶をした。ギリシャ語の挨拶は、実ははじめて聞く。今まで会ってきた人は、「グッモーニング」ですませていた。僕も、「カリメーラ」と返した。

このジイさんは本当にカッコよくて、ホテルの朝食用にスクランブルエッグを作って、サッと持ってきたりする。やるべきことだけを、キチッとこなす人だ。
そして、ホテルは二階の部屋まであるコテージ風のもので、プールは透明なたっぷりの水で満たされていた。


まず、イアのバス・ステーションまで戻り、向かって左側へ歩く。
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人の話し声さえまばらな、静謐とした道が伸びている。道の終着地点には、真っ白な教会があり、広場になっている。明らかにフィラとは違う、ある種の神秘性が、イアには漂っている。
だが、バス・ステーションから右手に向かって歩きはじめると、とたんに迷宮じみてきた。
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そして、フィラ以上に犬が多い。犬たちは観光客のとおる小道に、どうどうと寝そべっており、まったく警戒心がない。
レストランや土産物屋も多くなるが、フィラのような激しい呼び込みは、一切ない。町の西端には港があるが、ケーブルカーはない。長い長い階段の下に、ドンキーの群れが見えた。たとえ階段を降りられたとしても、上がりたいときにロバたちがいなかったら、登ってくることは体力的に不可能だ。

イアの町は複雑に入り組んでいるが、フィラのように階層構造になっているわけではないので、比較的、把握しやすい(フィラでは、「どうすれば、この町から抜けられるの?」とすれ違いざまに聞かれたほど)。
見晴らしのいい城砦が、ひとつのランドマークとなっている。


「夕陽は、19時からがきれい」とホテルの女性に聞かされていたので、いったんホテルに戻り、シャワーで汗を流してから、18時半ごろ、夕陽を撮りに出かける。
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城砦は、撮影の場所とりで、ご覧のようなありさまになってしまう。夕暮れの時間帯は、何をどう撮りたいのか、考えたほうがいいだろう。
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夕陽が落ちるのは、わりとアッという間である。その代わり、余韻のように、空がいつまでもいつまでも、くれない色に染まっている。潮が引くように人々がいなくなり、イアの町は寂寥感に包まれる――。フィラのように、深夜までにぎやか、ということない。


サントリーニ島にいるのも、あと2日である。出発前、「ワインと魚料理は試してみてよ」と友だちに言われていたので、安そうなレストランに入る。店舗の横に犬をつないでいて、子ども連れが気楽に立ち寄れるような、庶民的な店を選んだ。
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メニューに写真が載っているので、選びやすい。魚料理が7.90ユーロ、赤ワインが3.90ユーロ。気どりのない、店の雰囲気がいい。
残金、335ユーロ。一日に50ユーロも使っている計算になる。あちこちでビールを買いすぎなのだろうか?


イア2日目の朝は、8時にホテルを出て、朝の散歩。
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教会では、早くも修理工たちが集まってきていて、「カリメーラ!」と挨拶をかわしている。

30分後にホテルへ戻ると、朝食の時間のはずである。だが、食堂には僕しかいない。
まだ用意ができていないようなので、勝手にコーヒーを淹れていると、例のカッコいいジイさんが「コーヒーなら飲めるよ」と言いにきた。僕が自分のカップを指差すと、「ああ、知っていたか」と厨房に戻っていった。この英語の返しが、スマートで素晴らしい。

しばらくすると、食堂に次々と料理が並びはじめた。ピンク色のぶよぶよした物体があったので、「これは何?」と給仕の女の子に聞くと、「ヨーグルト」とのこと。ひとくち食べると、「おお!」と声が出てしまうほど、美味だった。

僕はイアに来てから、とても心穏やかに過ごしている……レセプションに置いてあった地図を広げて、海事博物館の場所を探していると、例の話好きの女性が出勤してきて、「今日はどこへ行く予定?」と聞いてきた。


海事博物館は、やや分かりづらい場所にある。近くには「ミュージアム入り口」と書かれた看板がいくつか貼ってあるので、分かるとは思うが……。
中身は古いイアの写真などがあり、貴重な資料も多いのだろうけど、保存のしかたが雑だ。30分ほどで回りきれてしまう。

ちょっと腹が減ったので、高台にあるレストランに入ってみた。ハンサムな店員は、「上の階へどうぞ」と見晴らしのいい席に案内してくれた。
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パイとビールを注文。何ユーロかは、メモし忘れてしまった。サントリーニ島最後の一日なので、遠慮なく楽しもうと決める。
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民家の裏に寝そべっていたこの犬には、すっかりなつかれてしまった。どこまでも着いてこようとするので、困ってしまった。


ホテルに帰って地図を見ていたら、西端の港だけでなく、もう少し手前にも港があると分かる。だが、やはり長大な階段を上り下りせねばならず、途中まで降りて、あきらめた。

ところが、町を出て、一時間ほどかけて車道を降りると、あっさり西端の港に出られるのだ。道はなだらかなので、体力もいらない。Cimg0713

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ここまで来たからには、ぜひ遊覧船に乗りたいと思い、事務所のようなところで聞いてみる。受付の女性が、「今すぐ乗りたいの? それは困った」と言う。前日に予約しないと、乗れないのだという。「明日の分なら、いまから予約できますけど? 明日、何時に帰るんですか?」と聞くので、「昼間です」と答えると、その女性の妹だろうか、ややつっけんどんに「昼間って何時?」と聞かれる。
お姉さんのほうは、とても申し訳なさそうにしていた。その対比が面白い。

港には三軒のレストランがある。大きな二軒では、すでに夕陽観賞用の、海に面したテーブルが予約されていた。しかし、午後から曇ってしまったので、昨日のような鮮やかな夕陽は期待できないだろう……。
小さな一軒に寄ると、「ハロー。おひとりですか? 海の近くの席が空いてますよ」と、薦めてくれた。
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小魚のフライを注文する。めっぽう美味い。
トイレに行こうと席を立ち、ついでに「ビールを、もう一本」と注文しようとしたら、「大丈夫、トイレに行っているあいだ、席はあのままにしておきます」と、店員さん。好青年ばかりだ。すっかり気に入ってしまった。もちろん、チップは多めに渡す。

天気さえ良ければ、いい夕陽が撮れるのだが……。バス・ステーションに戻って、夕陽の時間帯を待つことにした。


バス・ステーションのファスト・フード店にて、時間をつぶす。
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しかし、明らかにビール飲みすぎである。バス・ステーションのトイレは有料なので、店のトイレを借りる。
そろそろ夕陽の時間になりそうなころ、さっきの港への道を引き返す。
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この鈍色の夕暮れも、そう悪くないと思える。ともかく、これがサントリーニ最後の夕景だ。陽が落ちるのは、昨日より早い。

いいレストランでは、たまにビックリするような金額のメニューがあるし、白いスラックスに花粉がついてしまったので見てくれが悪く、昨日と同じレストランに入る。
ちょっと太目のウェイトレスは、愛嬌たっぷりの笑顔で「ハロー」と立ち上がった。
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魚料理の中では、もっとも大きなものを選んでみた。15ユーロ。ワインは白にした。このレストランは、味はそこそこである。だけど、気がねのない雰囲気がいい。僕は、十分に満足。

残金265ユーロ。明日の夜、いよいよサントリーニ島を離れ、アテネで一泊して、日本へ向かう……そのはずだった。しかし、まだまだ先は長かった。(サントリーニ島旅行記・6へつづく)

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■サントリーニ島旅行記・4■

さて、『Winx Club』の映画ポスターを見つけた先に、フィラの町の独特の喧騒とは、切り離された通りを発見した。ひととおり歩いてみて、夕方にまた撮りに来ることにした。

そして、フィラの町は犬が多くて、ちょっと遊んであげると、こうしてカメラに写りにくる。
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この犬をピンクの自転車で追いかけていた地元の女の子が、「ハロー」と、照れくさそうに挨拶してきた。僕は笑顔で「ハロー」と返した。子どもが、外国人の大人に挨拶できるぐらい、平和な町なのだろう。

そして、フィラ三晩目の夜がやってこようとしている。さりゆく夕陽を撮る。

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そして、3日目の夜は、通りに面したジャンクな雰囲気のNick the Grillで、ちょっと贅沢。
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三人前はありそうなビッグサイズで、フレンチフライとビールも入れて、10ユーロ。しかし、量が多すぎ、食べるのが大変だった。まさに格闘。オッサン観光客ならともかく、女の人は大変だろう……。

それでもこりず、ビールの安いスーパーによって帰る。レジの女の子が、「バッグが空いてますよ!」と指摘してくれたんだけど、財布を手に持っているから、しまいやすいように、わざと開けてあるのね。でも、ここは「サンキュー」と、閉めるのが礼儀です。
結局、「人間性」なんだよな、人種でも性別でもなく……。


翌朝は、カマリへ向かうバスに乗るため、さっさとホテルを出る。バスの時間はメモしてあるので、朝9時にはカマリ行きバスに乗れた。(ただ、バラバラに来るバスがどこ行きかは、発車数分前にならないと分からない。自分で、発車時間と行く先を確認しないとダメ。)

そして、スーツケースも積んでもらえるけど、運転手や車掌が覚えていない場合がある(タグなどは付けてくれない)。
僕は終着点のカマリではなく、いくつか手前のバス停で降りてしまい、「あれ? 俺のスーツケース、降ろしてくれないのかな?」と思っていたら、バスは走り出してしまった。あわてて追いかける。
終点までに追いつけなかったら、もうどこへ行ったか分からなくなってしまうので、必死に走る。

すると、50メートルほど先で、バスが停車した。僕の後ろに座っていた若いお兄ちゃんと運転手が降りてきて、僕のスーツケースを歩道に置いた。その若いお兄ちゃんは僕が荷物を入れるところを見ていたので、「停めてやってくれ」と、運転手に進言してくれたのだろう。
そのお兄ちゃんには、お礼を言えなかった。グラサンの運転手は、「悪かったな」という感じでニカッと笑い、手を振ってバスの中に戻っていった。

今回の旅は、こんなのばかりだ……見知らぬ人に、助けられてばかり。


カマリのホテルへ向かうときも、そうだった。何しろオフシーズンなので、海辺の町は閑散としている。
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さすがに見晴らしがいいから、ホテルの場所はすぐ分かるだろう、とタカをくくっていたが、見つからない。またしても、トラベルセンター(という呼び名が正しいのかどうかは分からないが、Travelと大きく書いてある)へ駆け込む。すると、オジサンが通りに出て、「あそこの一番目の……いや、いいや。荷物、持っておいで」と、ホテルの前まで歩いて、案内してくれた。
なんとまあ、親切な人だろう。何の見返りもないのに、ここまで出来るだろうか……。


ホテルの前、長身でメガネをかけたお姉さんが「ウェルカム!」と両手を広げて、出てきてくれた。そして、「サントリーニ島は初めてですか?」「フライトは長かったですか?」など、いろいろ聞いてくれる。僕が答えられずにオロオロしていると、「疲れましたよね?」とニッコリ。この、さりげない気づかい。人との出会いだった。今回の旅は。

しかも、このメガネ美人さんは、僕の重たいスーツケースを運んでくれようとしてくれた。女性には重たすぎるので、自分で運んだけど、一階レストランの修理を仕切っていたり、ひとりで何でもこなしてしまう女性みたいだ。
そして、南国風味あふれるホテルの部屋も、すばらしいセンスだった。


オフシーズンなので、カマリの半分以上のホテルや店舗は、閉まっているか修理中だった。
もちろん、ビーチにも人気はない。
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そして、古代ティラへのバスツアーも、この時期はやっていない(旅行会社が閉まっていた)。車なら登るんだけど、さすがに山の上まで歩くのは不可能なので、ビール(0.80ユーロと安い)を買って、ホテルに帰る。
そして、日本から持ってきた文庫本をテラスで読みはじめた。
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風が、葉をゆらす音だけが聞こえる。歩き回るのではなく、こういう休日もいい。来てよかった。作家が、執筆のために旅に出るのが、すこし分かるような気がした。

しかし、ビールが安い、スーパーが近いので、ついつい飲みすぎてしまった。
酔いがさめるまで、しばらくベッドで横になる。


そして、夕方、また町中を歩いて、てきとうなレストランで食事でもとろうと思った。
だが、砂浜で『Winx Club』の映画の看板を見つけてしまった。
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このアニメ映画は、なんとここ、カマリの町にあるショッピングセンター(と言っても、レストランや本屋などが数軒あつまった、広場のようなところ)で、上映されるのだ。
しかも、時間もぴったり。あと15分ほどで始まる。だが、お母さんに連れられた子どもたちが映画館(半分は食べ物屋になっていて、空いたスペースで映画も上映するような店舗らしい)に入っていくのを見て、さすがにためらった。

たぶん、これが『スター・ウォーズ』の最新作を特別に上映!とかだったら、飛び込んだと思う。だけど、女児向けのアニメを、東洋人の中年男が見るというのは、おそらく異様に感じられる。
「大人なのにアニメを見るなんて幼稚」なのではなく、そういう文化が理解されていないのに、場所もかまわず自分の趣味をゴリ押しするのは、かえって理解を遠ざけるだけだよ?って意味。
「本物のオタクなら、場所なんか考えず、周囲の目も気にせず飛び込め!」と言いたい人もいるたろうし、僕も悔やんだ。だけど、地元の子どもたちの遊び場に踏み込まなくて、正解だったと思う。

このとき、自分の中の「大人」と「オタク」が拮抗していたのは確か。「我慢しよう」と決めてから、もうレストランとか酒とか、「大人向けの娯楽」がすっかり色あせて見えた。
日本だったら、『プリキュア』の映画を大人が見たとしても、その手の文化の下地があるだろうと思う。ぎりぎり、理解してもらえるかも知れない。だけど他国ではそうではないのだから、僕らは「そういう大人も、アジアにはいるんですよ」と理解を求めていくべきなのだろう。へんな被害者意識をもつことなく、大人のオタクとして。(サントリーニ島旅行記・5につづく)

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■サントリーニ島旅行記・3■

気をとりなおして、港まで降りてみることにした。港へのケーブルカーは時間帯によっては大行列だが、いきなり空く時間がある。
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このウネウネとした港への坂道を降りてみたのだが、降りるだけで死にそうになったので引き返し、ケーブルカーに乗ることにした。5ユーロ。
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港へ降りると、すぐ遊覧船の客引きに声をかけられた。3日後に行くイアでは、前日に予約しないと遊覧船に乗れないので、ここで乗っておけば良かった。しかし、18ユーロは高いのではないか。
その代わり、港にあるカフェでビールを飲むことにした。丸々とかわいいオヤジが、「何か食わないか? ちょっと見においで」と、チキンやラム肉を焼いている様子を見せてくれた。「ビールに合うよ。どれがいい?」と聞くので、ラム肉にした。
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すぐに調理されて出てきた。ラム肉が10ユーロ、ビールが3ユーロ。オヤジは話好きらしく、「ジャパン? トーキョー? アリガト!」「日本語でハローは何て言うの?」と聞いてきた。「こんにちは」と教えると、「コンニチハ、アリガト!」と楽しそう。
そして、黙ってケチャップの大ビンをテーブルの上に置いた。「これ何?」と聞くと、「かければ分かるよ」という顔。確かに、ケチャップをかけないと、味が辛すぎる。なるほど。こういう、親しげなオヤジもいるのだ。というか、大多数の人は親切だ。
しかし、こういう店でアジア人が目につくところに座っていいのかどうか、つい気にしてしまう。


坂道を登るのは体力的に不可能なので(だから、ロバが重宝されている)、ケーブルカーで町に戻る。ホテルで少し休んでから、夕方、外出する。

民家の近くで、白人の女性が黒人の小さな女の子と何か話しており、僕が通りかかると、「ヤパン?」と聞いてきた。あるいは、みやげ物屋の店頭で「アニョハセヨ、ニーハオ!」と笑いかけられる。こういうのは、ぜんぜん腹が立たない。実際、元気なのは韓国人。若い男女のグループやカップルが、貪欲に遊んでいた。

フィラの町に立ち、暮れていく夕陽を撮る。
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夜のフィラは、また昼間の浮遊感覚とは違った趣きがある。しかし、坂を下れば下るほど、喧騒は激しさを増していき、道路に出るころには、荒っぽく車を乗り回す青年たちに出くわす。正直いって、夜のフィラは、ちょっと品位が落ちる。

フィラ泊、二晩目。夕食はピザを2ピース買い、ホテルですませる。計、7ユーロ。


翌朝、ホテルの朝食はパンとシリアルのみ。……まあ、予算のない中、がんばってるんだと思うけれど、勝手に部屋に入って荷物を動かすのは、やめて欲しかった。

午前中、なんとなくホテル周辺を歩いていたら、町とは別の迷宮感があって面白かった。
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そして、遠くからヒゲの青年が「ハロー!」と、手をふっている。初日に、僕に宿を貸してくれたチーフ・チロルだ。彼の笑顔には、いや、人の笑顔には、誠実さがストレートにあらわれるような気がする。


にぎやかなフィラの町には、新先史文明博物館という知的なスポットがあり、入場料3ユーロで、かなり見ごたえがあった。
博物館を出るとき、どこの国の人か分からないが、チケットを買ったくせに「中身はナイスか? ビューティフルか?」と聞いてきて、ちょっと笑ってしまった。「おお、ナイス、ナイス」と答えると、「シェシェ!」と返された。お礼の言葉なんて、どこの国の言葉でもいいのかも知れない。

午後、カルテラドスという小さな村まで歩いてみたら、すっかり日に焼けてしまった。サンオイルが必要だと思い、ティラに戻ってからオイルを売っている店で聞いてみた。すると、20ユーロをこえるものを薦められた。「ついでにワインも買わないか?」などと言われ、「いやいや、それはぜんぜん目的が違う……」と店を出たら、店員の青年が「ここを降りて、ちょっと左へ行くとオイルの専門店があるよ」と教えてくれた。何も買ってないのに親切だと思い、「サンキュー」とお礼を言うと、「ドウイタシマシテ!」と日本語が返ってきた。


カルテラドスまで歩いたらさすがに疲れたので、ちょっとホテルで休む。
それから、ティラの町とは逆方向に歩いてみたら、なんと『Winx Club』の映画ポスターが!
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イタリアのアニメなのに、まさか、サントリーニ島でも上映してるのか? この映画のポスターには、翌日、カマリの町でも出会い、僕はおおいに悩まされることになる……。(サントリーニ島旅行記・4につづく)
■■

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2015年4月24日 (金)

■サントリーニ島旅行記・2■

翌朝、8時にチロルの経営するホテルを出た。まずは、予約していたホテルに泊まれるかどうか、確かめないと。
だが、例のホテルは、まだ開いていない。フィラの町の朝は早く、24時間営業のベーカリー、ピザ屋など、食べ物には困らない。パンふたつと飲み物で、5.80ユーロ。
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写真を撮る余裕がでてきた。

10時半、チーフ・チロルの宿をチェックアウトすることにした。とても助かったので、僕にしては珍しく「いい部屋ですね」とお世辞のようなことを言ったら、チロルの奥さんは明るく笑ってくれた。

そして、予約してあったホテルの扉をノックすると、オーナーの奥さんに「ほーら来た」と呆れた顔をされた。扉には、「何があっても20時以降は対応できません」と、新しく紙が貼ってあった。「このルールは、知りませんでした」と、いちおう言い訳をする。若いオーナーは、「朝食は8時半、チェックアウトは11時半、これはとても大事なこと」と早口で言うと、さっさと階段をのぼっていく。僕はスーツケースを持っていたので、転んで左手をすりむいてしまった。
……まあ、遅く着いた僕が悪いんだけれど。朝食で部屋をあけているあいだ、勝手に部屋に入ったり、感じのいいホテルではなかった。

事前に、「どうしても飛行機が遅く着いてしまうのですが」とメールしておけば、もう少し対応も違ったのだろう。


迷ったおかげで、フィラの地理関係が把握できた。
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「日が山の端に隠れると、港の街には清らかな夕べがやってきた。私は、ワイシャツを取り変え、先日買ったすみれ色のバウを結んで外へ出た。」――稲垣足穂の『星を売る店』冒頭の、すばらしい坂の町の描写を思い出した。

アジア人の女の子がひとり、大きなカメラを片手に、町のあちこちを撮って歩いている。きりっとしたキャップが、よく似合っている。
存分に時間はある。僕は迷うにまかせて、白い壁の町を歩きつづけた。いや、歩くというより泳ぐ感じに近い。歩けば歩くほど、気持ちが浮遊していく。


ところが、教会の近くで、僕は地元の老人に怒鳴られた。
白人の家族が、教会の時計塔をカメラに収めていたので、僕も同じ場所から撮影していたときだ。「ヘイ! ヘイ!」と大声で声をかけられ、教会の近くから立ち去るまでジーッとにらまれた。写真を撮るのがダメなら、なぜ白人の家族はOKなのだろうか?

サントリーニ島には、中国人や韓国人がとても多く観光に来ていた。彼らも、同じように怒鳴られたりしたのだろうか? その老人はフィラに住んでいるらしく、あと二回、僕の前でツエを振り回したり、うなり声を出したり、嫌がらせのようなことをした。「教会を撮るな」というのではなく、単に僕のどこかを気に入らないだけなのだろうけど、その悪意の何パーセントかに「アジア人だから」という理由が入っていたのではないだろうか?
それを「いいよ、嫌いなら仕方ないよね」では、僕はすませられない気分になってきた。

遅く着いたためにホテルに泊まれなかった……などという分かりやすいトラブルではない、もっと別の重たい気分が、僕の心に入り込んできた。ほとんどの人は、昨夜、ホテルを見つけてくれた女性のように親切だった。しかし、たまに無愛想にされると「アジア人だからかな?」と、のどに引っかかった魚の骨が気になるような、ささくれた思いにかられた。(サントリーニ島旅行記・3につづく)

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■サントリーニ島旅行記・1■

僕の場合、決まった休みのないフリーランスなので、航空券の安い時期を狙って、海外に行くことができる。だいたい、「3~4月に一週間」というパターンが定着しつつある。
今回も12万円ほどで航空券がとれたので、サントリーニ島へ一週間の旅程を立てる。フィラとイアに滞在しないと話にならないので、フィラに三泊、イアに二泊。そして、なんとなく「ハズレ」を一箇所、入れておくと意外なことが起きるようなので、古代ティラへのバスツアーがあるというカマリという町に一泊。
航空会社はエティハド航空なので、成田→アブダビ→アテネ→サントリーニ島という経由で行く。最終日のトランスファーは一晩以上かかるので、アテネ空港の近くにホテルをとった。午前中をうまく使えば、アテネ市内を観光できるかも知れない。
(ただ、今回は仕事がたて込んでおり、事前の下調べが足りなかった。)

まあ、そんな感じで4月13日夜、いつものように成田空港でビールをやってから(僕はトイレが近いので、機内では飲まないようにしている)、飛行機に乗った。


途中、アブダビ空港でコーヒーとサンドイッチが欲しくなり、何ユーロかアブダビの通貨(ディルハムとフィルス)に換えてもらった。ユーロのままでも使えるが、お釣りがアブダビ・マネーになってしまうのだ。そして、このときに余ってしまったアブダビ・マネーが、旅の最後のドラマで思いがけない役割を果たす……。

アブダビからアテネへは、4時間ほど。アテネからは国内線に乗り換えるが、ちょっと時間があったので、地下鉄に乗ってみる。切符は、窓口で「ワンパーソン」と言えば買える。改札で打刻すれば、90分間は、自由に乗り降りできる。
本当はアクロポリス駅まで行きたかったが、けっこう時間がかかるので、適当な駅で降りてみた。
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陽はさんさんと降りそそぎ、人気のない駅前には、日曜日の気分がただよっている。車は、たまに通る程度だ。そう、昼間はまだ平和だった……。
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17時ごろ、アテネ空港に戻ってきた。日は、まだ高い。空港の外にサンドイッチやビールを売る露店があり、みな、思い思いにくつろいでいる。まだ4月なのに、真っ青な空の下、タンクトップ姿のお姉さんが、のんびり座っている。
日が暮れてから、国内線でサントリーニ空港へ向かう。


20時すぎにサントリーニ空港に着く。良いホテルは、迎えの車を用意して待っている。が、僕はフィラの安宿に泊まる予定なので、バスに乗る(飛行機の到着にあわせてバスが来てるので、フィラまで行くなら心配いらない)。バスは1.60ユーロと安く、車内で払えば大丈夫。
だが、順調だったのは、バスに乗ったところまで。それから3時間ほど、汗だくでフィラの町をさまようことになった。

まず、バス停でホテルの場所を聞いてみると、「ここ降りて、右」とか、大雑把なことしか教えてくれない。日本で印刷してきた地図は、まるで役に立たなかった。
フィラの町は、車の通りのはげしい道が一本、上下をつらぬいている。右に降りれば、民家が広がっており、左を登れば、複雑に入り組んだ大歓楽街となっている。僕は、坂道だらけの歓楽街をスーツケースを引きずったまま駆け上がり、サンドイッチやスブラキなんかを売っているスタンドで、ホテルの場所を聞いてみた。「この地図を見ると、たぶん、坂の下だろうけど……坂の下で、誰かに聞いたほうがいいよ」と言われ、そうすることにした。


フィラの町は夜おそくまでにぎやかで、観光客相手のトラベルセンターが開いていた。デスクに座っていた60歳ぐらいのおばちゃんが親切で、「この前の道をまっすぐ左へ行って、坂を下りたところ。すぐそば」と教えてくれて、やっとホテルに着いた……が、レセプションは閉まっている。緊急時の電話番号が扉に貼ってあったので、それを写真に撮り、トラベルセンターへ戻った。

おばちゃんは親切にも、ホテルのオーナーに電話をかけてくれた。とっくに21時を回っている。「いま、オーナーがホテルへ向かったそうだから、あなたもホテルへ戻ってみて」。スーツケースを引きずり、真っ暗な道を、ホテルへ引き返す。だが、誰も来ない。レセプションは閉まったままだ。

幸い、まだトラベルセンターが開いていたので、「どこか別のホテルを知りませんか?」と泣きついた。おばちゃんは二箇所ぐらいに電話してくれて、空き部屋のあるホテルを見つけてくれた。「いま、そのホテルのオーナーが来るから、ここで待っていて」。
数分もすると、ヒゲをはやしたチーフ・チロル()のような、がっちりした青年がやってきた。


チロルは、僕の重たいスーツケースを頼もしく持ち上げると、小さく清潔なホテルに案内してくれた。現金で40ユーロで泊めてくれるという。何もぜいたくを言える立場ではないが、彼は部屋を見せて、僕が納得するまで、現金を受けとろうとしなかった。
本当は、このホテルも、レセプションを20時で閉めているそうだ。僕が現金を払うと、チロルは「交渉成立だ」と、握手してきた。「もし夕陽が見たければ、イアに行くといい。マリンスポーツが好きなら、カマリ」と、彼は説明してくれるのだが……、いまはそれどころではない。明日の朝、例のホテルへ出向いて、あと二泊とまれるのか、それともキャンセル扱いになっているのか聞くぐらいはしないと……。

とにかく汗だくだったので、シャワーを浴びてシャツを着替え、ベッドに沈み込むようにして、眠りに落ちた。(サントリーニ島旅行記・2につづく)

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■0424■

今回は、旅行に出る直前まで、本当にずーっと仕事していたので、今になっていろいろ出るのです……。

押井守ぴあ 明日発売
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●世界をリードした押井守と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
ほかでもない、「押井守さんについて語ってくれ」というオーダーだったし、編集者とは以前によい仕事をさせてもらったので、なんとかスケジュールに組み込み、旅行の数日前に書きました。

『攻殻機動隊』といえば、もはやプロダクションI.Gの作品のようになってしまったけど、最初の『GITS』で士郎正宗さんの絵柄を脱却して、なおかつ原作の骨格を上手にトレースしたから、ハリウッドの映画人にも把握しやすい濃度の作品になったんだと思う。
士郎さんの絵柄自体は、目の描き方、口の描き方、どれをとってもオタクの好むキャラ絵の最先端をいっていた。その分、「アニメの『攻殻』は好きだけど、原作漫画の絵はちょっと……」と敬遠されてもきただろうし、一回りして「あのオタク的な俗っぽさがいいんだよ!」と納得している人もいるだろう。

で、あいかわらずオタク好みのキャラ顔のまま18禁作品に移行して、あいかわらず海外に士郎マニアがいる。反面、押井さんは、オタク的エロティシズムをまったく解さない人なので、士郎さんと『GITS』でコラボできたのは、まったく奇跡的だったと思う。記事では、『GITS』以前の押井さんと士郎さんとの関係も、僕の知るかぎりで、書いておいた。

モデルグラフィックス 6月号 明日発売
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●組まず語り症候群 第30夜
今回のサブタイトルは、「赤を切るか青を切るか、それがMENG題だ」で、MENG社製の1/35の変わったフィギュアとディオラマ・アクセサリーを紹介しています。
この連載も、旅行を見こして千葉ーザム氏とスケジュールを調整して撮影にのぞんだんだけど、もう何を書いたか、おぼえてない。『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』のことなんかを、書いたようです。

この連載は適当なことばかり書き飛ばしているようだけど、キャプション部分ではキット内容にも触れなければならないし、デザインが上がってことないとキャプションの文字数が出ないので、それなりにスケジュール調整が必要です。しかも毎月、30回も休まずやってきたからね。

このエントリと分けて、ギリシャ・サントリーニ島の旅行記を、何度かにわけて書きたいと思います。
旅行中は、毎晩ひたすら、濃密な夢を三本立てぐらいで見ていたが、旅行から戻った昨夜も、悪夢にうなされた。今回はつくづく、ただ楽しいだけの旅行ではなかった。最後まで、ちゃんと書けるんだろうか……。

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2015年4月23日 (木)

■0423■

本日23日午後、ギリシャのサントリーニ島への旅行から戻りました。まず、旅行中に発売された本の紹介から。

タイムボカンシリーズ メカニック大百科 発売中
Tb_1コンビニ用の本なので、書店には置いてないと思います。しかし、内容的には『夜ノヤッターマン』に登場のヤッターメカを含む、現存する主役メカの設定資料が、ほぼすべて掲載されています(まったく画稿の見つからなかったものが一点だけあり、それはテキストで触れています)。

各メカの解説を、ちょっとガンダム風に、硬く書いてみました(「運用」とか「艦載」とか)。作品の解説と物語は、高嶋規之さんの執筆です。
それにしても、タイムボカンシリーズのメカは、1/35でプラモデルが欲しくなるぐらい機能的で、かつキャラクター性があります。2008年版『ヤッターマン』のメカ解説もノリノリで書いたのですが、ヤッターワンのバリエーション機が何タイプもあったら、かなり模型的にいいと思う。そういう再評価の動きにつながれば……と、とにかく毎日毎日、映像を確認しながら、コツコツと書きました。


仕事ではありませんが、26日(日曜日)のスーパーフェスティバル68()、出店します。
ブース名【Herd Pop Cafe】で、プラモデルの完成品やアニメのムックなどを売ります。


さて、サントリーニ島への旅行。「サントリーニ島」で検索すれば、断崖絶壁に広がる白い壁と青い屋根の不思議な町並みの写真が、数え切れないほど出てくると思う。

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これはフィラという大きな町の、ちょっと寂しい町外れの方だけど、ケーブルカーもあるし教会もあるし遊覧船も出ているし、町そのものが一大歓楽街にもなっている。
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僕は、このフィラの町、イアという夕陽で有名な町、それから夏には海水浴客でにぎわうカマリの三ヶ所を泊まり歩き、飛行機の都合でアテネの空港近くで一泊、その翌日には、日本へ帰るつもりだった。

ところが、この旅行は、初日からトラブルつづきだった。
まず、ホテルが見つからないのは毎度のことだけど、見つかったのに泊まれない。荷物を載せたまま、バスが発車してしまう。飛行機が遅れて、乗り継ぎができない。あげく、二時間かそこら滞在するのみだったはずのアブダビのホテルに泊まらされ、さらに夜のフライトまでホテルの中で、じーっと待ちつづけなければならなかった。
(旅なれた人にとっては、こんなのトラブルのうちに入らないとは思うが、僕には大きな経験だった。)

特に、飛行機が一時間も遅れたときは、「こりゃもう、乗り継ぎできないな」と分かったので、アブダビ空港で怒鳴ってしまった。……が、不思議なことに、丸一日、アブダビで足止めされたことが、今では「とてもラッキーだった」と言える。もう一度、今度は人と会うためにアブダビに来たいとさえ思ってしまった。


逆に、サントリーニ島では、とても不愉快な目にあった。でも、僕は「サントリーニ島の人は」「ギリシャ人は」「アブダビの人たちは」という言い方は、なるべくしたくない。
人種は関係ないと、はっきり分かった。日本では、欧米人は「自我が確立されている」ことになっている。とんでもない。白人でもゴミは散らかすし、ずうずうしく横入りだってする。彼らの散らかしたゴミを、僕が拾ったことさえあった。

「日本人は幼稚で未熟で、まだまだ欧米に追いつけない」「正反対に、欧米人は進んでいる」ことになっている。果たして、そうなのだろうか。敗戦以降、「白人はカッコいい、強い」と、そう思わされてきたに過ぎない。
では、僕らは、どうすれば彼らを逆恨みせず、互いに認め合い、どんな人種をも敬愛し、彼らの、そして僕らの個性を尊重し合うには、いかに生きていったらいいんだろう。今回の旅で、僕は、そんなことを考えさせられた。

やっていることは、いつものように、ダラダラと缶ビールを歩き飲みしては、安いピザやパンをかじりながら、町歩きしたにすぎない。僕は誰にも干渉されず、石畳の町々を歩くのが好き。だけど、今回は、人との出会いについて、深く考えざるを得なかった。
……ちょっと長くなりそうだけど、旅のあいだのメモをもとに、旅行記を書いていきたい。「サントリーニ島」というタグをつけておくので、お付き合い願いたい。

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2015年4月12日 (日)

■0412■

明日夜出発で、一週間、ギリシャのサントリーニ(ティラ)島へ行ってきます。

4/13  成田発
4/14 ティラ島着 フィラ泊
4/15 フィラ泊
4/16 フィラ泊
4/17 カマリへ移動 カマリ泊
4/18 イアへ移動 イア泊
4/19 イア泊
4/20 ティラ島発 アテネ泊
4/21 アテネ観光 アテネ発
4/22  成田着

フィラとイアの町並み見たさに行くのですが、途中で「ギリシャに行くのに、遺跡すら見ないのかよ?」と恥ずかしい気持ちになり、カマリという場所を組み込んでみました。
カマリからは、古代ティラへのバスツアーが出ているのです。まあ、途中から山道を歩くうえ、つまらないらしいんだけど……。

それと、帰りのアテネでのトランジットが長いので、空港近くのホテルを予約しました。翌日14時までに空港に戻ってくればいいので、午前中は、アテネ市内を観光できるのではないでしょうか。
もうちょっとキッチリと調べてから行きたかったのですが、とにかく先月末から仕事がギッシリだったので、いまごろ調べています。
(去年のスウェーデンは、旅行用にカードまでつくったのに。)


昨夜は、すべての仕事を終えられたので、ひさびさにDVDをレンタルしてきた。二週間ほど前に『キカイダーREBOOT』を借りて以来だ。
Sub5_large今回は、ウディ・アレン監督の『ブルージャスミン』。40代前半のケイト・ブランシェットが、アカデミー賞をとった。彼女の年齢を意識すると、ビターな映画の内容が、ますますやる瀬ないものに感じられる(それで賞をとったのだから、たいしたものだ)。
もうすぐ80歳にもなろうというのに、ウディ・アレンはダメな人々を愛らしく描くのが、腹が立つほど上手い。

大富豪の旦那に死なれ、パートタイマーの妹のアパートに転がりこんだケイト・ブランシェット。まずはパソコン講座に通い、ネットでインテリア・デザイナーの資格を得て、セレブに返り咲く……という計画が迂遠すぎて、その時点で悲しくなる。もちろん、彼女の計画はうまくいかない。いやいや始めた歯科医の受付のバイトに、意外と慣れていってしまうのが悲しい。
ふたりの子どもと、ダメ男に振り回されてばかりいる妹のほうが、よほど幸せに見えてくる。その対比のさせ方が、残酷なまでに上手い。


それで、実写映画というのは、女優のさえない表情を撮るだけで、マイナスを表現できる。
アニメというのは、線を引いて動きをつけて、色を塗ったり背景をつけたり……と、足していく表現なので、マイナスを表現できない。
なので、実写映画もいっぱい見なくてはダメだ、と思ってしまう。というより、アニメは「足していく」表現だと自覚しておかないと、かえって損をするような気がする。

人生のある時期をすぎると、マイナスの意味を知らされるというか、いやでもマイナスと向き合わねばならない時期がやってくる。
何か失うたびに、いちいち悲しんでもいられないので。
(C)2013 Gravier Productions, Inc.

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2015年4月10日 (金)

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Febri Vol.28 17日発売予定
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●『ガンダム Gのレコンギスタ』 勢力相関図、各艦隊の航路図、キャラクター図鑑、名場面集 構成・執筆
勢力図と航路図は、番組を見ながらセリフをメモして、がんばって図表にしました。やっぱり複雑なので、3パターンぐらい書き直しました。
だけど、あの世界を親切に、分かりやすく見せようとすると、たちまち薄っぺらになってしまう。最初にエレベーターがあって、終着地点がどうなっているのか見せないまま地上で話を始めるから、月や金星を遠くに感じられるのであって。

劇場パンフ用に吉田健一さんにインタビューしたとき、「金星の人たち」という言葉を聞いてしまったので、僕はちょっとバイアスがかかっていると思う。……が、月も金星も少しずつしか見せず、まだまだ広大な世界がフレームの外に広がっていると想像させるスケール感は、他の作家には真似できないと思う。
ガンダム作品的には、「地球とコロニーしかない中で、どうやって生きのびるか」という閉塞的な世界を脱却できた。それは金星という新しい場所を出したからではなく、ラストに富士山(!)を出して「富士山を登る」という身近なスタート地点で終われたからです。
あのラストに希望を感じられないとしたら、それはもう、見ている側の負けだと思います。

●Febri Art Style
今回は『ユリ熊嵐』、中村千恵子美術監督にインタビューしました。
幾原邦彦さんも、やはりすごい作家です。優れた作家は、どんなに自分の好き勝手をやっているつもりでも、時代性を取り込んでしまうのだと思います。

●『カイト/KITE』原作者 梅津泰臣インタビュー
『ウィザード・バリスターズ』以来、なんとかもう一度インタビューしたいと思っていた梅津さんに、原作の『A KITE』について聞けました。


いまのアニメ作品は、ひとりの作家にかかる負担が大きすぎるのではないかと感じている。
作家性に頼らず、民主的にソフトの売れる企画をつくろうとすると、どうしてもハダカやパンチラに頼らざるを得ない。30年かけて、そういう市場をつくってしまったのだろうし、現場のクリエーターやユーザーを信用できなければ、記号的なエロしか残らなくなるのも道理かも知れない。

企画というのは、何も作家ありきで成立するものではなく、エロの代わりに「売れた原作」とか「続編」「リメイク」とか、何かしら安心材料を持ってきて、初めて成り立つもの。
その安心材料をダシに好き勝手をやるから、そこに道が出来ていくわけだよね。『A KITE』だって、エロで売るんだけどハードボイルドなアクションをやったから、海外の映画人に注目されたわけで。
その「好き勝手」の部分が、どんどん萎縮している気がする。テレビという、時代遅れの媒体に対する萎縮も大きいし、お金を出す人たちがネットの反応を気にしすぎとも思う。たがいに気兼ねしすぎる社会のありようを反映してもいる。


来週月曜からギリシャのサントリーニ(ティラ)島に旅行なので、どんどん仕事を終わらせていく。
「どうしても廣田さんに書いてほしい」と頼まれるのは嬉しいけど、編集者に負担をかけてしまっている。編集者が「ここまで来てほしい」という地点まで、僕ひとりで登れない。上から、手を伸ばしてもらっている。助けてもらっているのが、自分でも分かる。

20代前半の編集者たちは悪戦苦闘しているけど、彼らには体力という資本がある。ミスするには、ミスしても取り返せるだけの体力が必要なんだ。オッサンになると、かすり傷でも治るのに時間がかかるから。

サントリーニ島には丸一週間も滞在するんだけど、そういう緩いスケジュールにしておいて良かったと思う。ビーチがあるので、革靴だけでなく、スニーカーを持っていくつもり。

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2015年4月 4日 (土)

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毎朝毎晩、原稿に追われている。13日からギリシャ旅行だが、その前日までかかりそう。そうならないように調整してきたつもりが、「勝手ながら」の前置きで、締め切りが旅行中に設定されていたりするので、昨日は倒れてしまった。
フリーランスの立場は弱い。出版社や編集プロダクションに、アルバイトのように使われるのは、まだ交渉の余地がある。彼らはまだ、ぎりぎり仲間だ。アニメ記事の場合、「版権チェック」がある。ここで、いつも主従関係が生まれてしまう。「従わなければ、画像は使わせませんよ」と、平然と脅迫してくるアニメ会社もある。パワハラの起きる場合が多い。


そもそも、膨大に直しが出たら、下へ行けば行くほど疲弊する。
担当者が「ここ、全部ナシで」と気軽に赤を入れたら、編集やライターやデザイナーは、なんとか工夫して「ナシ」にされたところを、埋めないといけない。

「こういう書き方しないでください」「こう受け取らないでください」と言われる場合は多い。もっとも力関係を実感させられるのは、「これ、ちゃんと調べましたか? ウィキペディアを見て丸写しじゃありませんよね?」と、根拠もなく疑われるとき。アンタは俺の上司か先輩ですかと。
ようは、アニメ会社の担当者は(社員なので)プロだが、こちらはプロ扱いしてもらえないのだ。

というより、彼らは不眠不休でオーダーに従うのがプロだと思っている。クオリティを高めるのではなく、「言うことを聞く」のがプロだと思っている。
しかしそれは、僕らライターが「はいはい、版元様の仰せのままに直します」と従いつづけてきた結果なのだ。


実写映画業界では、たとえ宣伝担当者が原稿を見ても、一文字たりとも直さない場合が多いのだから、やはりアニメ業界の一部に、幼稚なパワハラの起きやすい下地がある。
上下関係を与えられたとたん、遠慮会釈なく、相手に際限のない要求をつきつけてくる。教え子をセクハラする学校教師のように、「これこそ自分の権利だ」と言わんばかりに。

今日も、Twitterでは「モテ、非モテ」といった言葉が、悪意と自虐のもとに交わされている。
男がモテない理由は簡単で、性格が悪いから。「あなたは、何もかも顔のせいにしている」「あなたは、自分がされたくないことを他人に平気でしている」と大学時代に指摘され、それ以来、自分がモテないのは性格のせいなのだと自覚をしている。

アニメ業界では、幼稚なパワハラが起きやすいと書いた。濃いアニメファン同士も、よくトラブルを起こす。オタクならではの性格の悪さ、というものは間違いなくある。恨みぶかいというか、自分ひとりが不愉快なら、平気で場の空気をにごすのだ。そのくせ、「俺のことを変なヤツだって思ってるんだろ?」と、隅っこでいじけている。
コミュニケーションの不足をフィクションに頼った分、毒素の濃度は増している。薄めるには、生身の人間と触れ合うしかない。


どこへ行っても、うっかり気を許すと、力関係に取り込まれてしまう。
誰もが誰かを罰したいと思っている国だから、自由でいることは難しい。

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2015年4月 1日 (水)

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仕事の都合で、ずっとタイムボカン・シリーズを見ていた。
51sddf8ajql1983年放送の『イタダキマン』って、当時から「これじゃあダメだよね」と呆れ半分に見ていたんだけど、主題歌は康珍化さん作詞だったのか。道理で、80年代臭が強いわけだ。
(←アニメでは、天野嘉考さんのキャラを水村十司さんがリファインしている。このキービジュアルは、本編とはずいぶん雰囲気が違う。)
たぶん、『うる星やつら』や『さすがの猿飛』のような、軽くてナンセンスなギャグアニメを狙っていたんだろうな……。タイムボカン・シリーズはアニメというより、子ども向けテレビ番組の理想形を探っていたんだと思う。視聴者の顔写真を使うとか歌のコーナーがあるとか、バラエティ番組に近い。ところが、80年代に入って、細分化された「アニメ」というジャンルに無理やり分け入ろうと試みた感がある。

『うる星』でも『猿飛』でも、アニメ・オリジナルのエピソードがあって、そのときは中身スカスカで「今週はハズレだ」と、白けた気持ちで見ていた。『イタダキマン』の空虚さって、あの感じに近い。
80年代前半はとても懐かしい時代だけど、逆をいうと懐かしさしかない。「懐かしい」というのは、抜け殻の感情だから。枯れはてていくと、最後には「懐かしさ」だけが残るんじゃないかって気がする。


前に触れた、酔っ払ったサラリーマンが眠りこける醜態を盗撮していた写真家さん。
メールでいくつか質問をして、Twitterでメールを読んでもらえたか確認したけど、返事はない。ま、そういうガサツな人だから、盗撮なんてするんだろうと思う。
写真家本人の意図なんかより、無名のサラリーマンが酔った姿を盗撮されてネットに晒されていることに、誰も憤らないことのほうが僕には不気味だけどね……。

でも、電車の中や街中で、「こんなキモいカップルがいた」「こんな無様なオッサンがいた」と盗撮して笑うのは、女子高生でもやっていることだから。
僕は来週、中野駅前で痴漢被害啓発シールを配るけど、おそらく「何こいつ、キモイ」って写真を撮られると思う。痴漢する男もひどいけど、オッサンなら盗撮して晒してもいいだろうって意識まで含めて、モラルの崩壊ととらえなくてはいけない。女性への性被害だけ、きれいに削除することは出来ないだろう。一部の人は、「そんな都合よく解決するわけがない」って、気がついてると思う。

児童ポルノ法だって、同じこと。性虐待されている児童の顔写真が規制されず、自分で撮影したヌードで児童が逮捕されるって、もう何が目的の法律なのか、分からなくなっている。
児童ポルノ販売幇助でAmazonの関連会社の派遣社員を逮捕した愛知県警。その愛知県警の警察官が、小学生を脅迫してヌードを送らせて、逮捕されたでしょ()。
だから、人間の中身がよくならないと、何ひとつ解決できない。一箇所ほつれを直そうとすると、別のところがビリッと破れてしまう。くたびれたスラックスみたいだよ。


みんな、責任を負いたくない、とにかく誰かになすりつけたいんだよね。
『お花見シーズンで賑わう代々木公園 ゴミ放置で「台無し」の現状』()、このニュースに対して、「宴会を禁止にしろ」「ゴミ出したヤツを処罰しろ」「死刑でいい」という声が出ている。ゴミを片づける人間を増やそうとか、自分たちのモラルを改善しようとか、そっちの方向へはいかない。「罰しろ」「殺せ」なんです。

自分が殺すわけではないけど、目の前にいない誰かに対する処罰感情だけが、異常に肥大してしまっている。
ネットによって、「出会わなくていい人」同士が、指先ひとつでやりとり出来るようになってしまった。しなくてもいい嫉妬、憎悪、怒り……。
だから、僕が盗撮されてもいいような街中に立ちたい気持ちも分かるでしょ? 身体を経由しない、無駄な感情に付き合ってられないからです。

(C)タツノコプロ

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