■0325■
モデルグラフィックス 5月号 本日発売
●組まず語り症候群 第29夜
今回のサブタイトルは「オマケに見る生と死」。二種類のオマケ・キットについて触れています。
ちょっと裏話をすると、実はキャプションを間違えて多く書いてしまったところ、担当の千葉ーザム氏が「文字数が多すぎるけど、このくどさが面白い!」と、写真を削ってまで残してくれたのです。
そういうフレキシブルさは、この編集部ならではの気風ですね。
■
「映画を見ている時間があるなら、原稿を進めろ」と怒られそうな状況下であるけど、レンタル半額デーなので、『アクト・オブ・キリング』。1965年にインドネシアで起きた大虐殺に加担した人々(今は大金持ちで、孫がいるぐらい恵まれた老人たち)が、大虐殺を再現した映画を撮る。その虐殺再現映画のメイキング……という、変わった体裁のドキュメンタリー。
楽しみながら、誇らしげに人を惨殺して、50年たっても「こうやって殺したんだ」「もっと残酷になれるぞ」と自慢する老人たち。その醜悪な姿を、知性と理性でとらえた映画。見た人は、「俺は非暴力だし死刑反対だし、こんな風に人を殺したりなんかしない」と他人事にしたがるだろうけど、誰もがちょっとずつ、理不尽な力関係に参加させられていると思う。過去をほじくったら、嘔吐してしまうような醜い行為を、誰もがしてきたんじゃないだろうか。
たとえば、凶悪犯罪が起きたときに「死刑にしろ」とスマホで書き込む人たちは、死刑にされる様子は肉眼で見たくはないわけですよ。誰かに「目につかないところで、俺の気がつかないように殺しといて」って程度でしょ。「要望どおりに死刑にするから、見に来てください」と言われても、絶対に来ない。
邪魔なヤツに消えてもらいたい曖昧な気分だけで、スマホに触れる以上の体験は拒んでいるでしょ(スマホ歩きってのは、液晶画面以外で起きている事象を無視する態度でしょ)。そういう人ほど「俺には関係ない映画だ」って言いたがると思うよ。罪悪感まで引き受ける勇気はない、だけど、生殺与奪権は欲しい。そういう人が増えたら、日本でも、違った形で虐殺は起きると思う。権力に「ぜんぶ任せるから、殺しといて」って依頼心は、すでに、この国にあるわけだから。
■
昨日、『痴漢被害根絶のため車内防犯カメラの設置と学校での性暴力対策教育を求めます』という署名の回答が、JR西日本から来たわけですけど(■)。
何の成果もないから関心が低いのは分かるけど、こんな気の長い話より、「痴漢が捕まって、顔も名前もさらされて一生苦しむ」って有り様を、みんな早く見たがってるじゃなかろうか……?って気がしてしまう。あのね、何より怖ろしいのは「法を最大限に活用して、フェアに、潔く戦ってみせよう」なんて、誰も考えてないんじゃないか?ってことなんです。
性犯罪者を憎む気持ちを理解したい、でもだからこそ、社会の真ん中を走るルートを使って、法治国家にふさわしい形で無念を晴らしましょうよ。こちら側だけでも、きちっと筋道を通しましょうよ。そう考えるから、僕は顔と名前を出して行動できるんですよ。
だけど、誰も僕のあとに着いてこないのは、「コイツのやってることは回りくどい」ってことなんでしょう。驚くほど、みんな社会に要望を通す手続きを知らない、関心がないんです。
(だから、僕が「児童ポルノ」規制法に疑問を呈している件も「えっ、こんな自由自在に男どもを処罰できる便利な法律なのに、なんで?」とか思われていそう。皆さん、児ポ法の話題だけは綺麗に避けて通るから。)
だからね、やっぱり『アクト・オブ・キリング』を見てほしいんです。今の日本人は、罪悪感が足りなすぎです。ちょっとぐらい法的に間違えていても、私の気が晴れるんなら、誰をどう罰してもいいと思っている。「何が人権だ、二言目には人権だよ」って、虐殺者だった老人が、映画の中で言うんです。「自分の気にくわない相手の人権はなくてもいいよ」って、そう思ってない?
僕は、内乱とか戦争とか虐殺の起きる因子は、今の日本に明確にあると思う。ヘイトスピーチなどの見えやすいものより、一見リベラルそうな人の秘めている爆発的な攻撃性や人権への無頓着さのほうが、よっぽど怖いじゃないですか。
(C)Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012
| 固定リンク
コメント