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2015年2月 5日 (木)

■0205■

レンタルで、田中裕子主演の『ザ・レイプ』。
64bbf3df7f720683cf0a8b65add0ceec1982年公開、落合恵子原作。空前のアニメブームの中でも、この映画が公開されたことは、よく覚えている。
今回、はじめて全編を通して見たけど、「田中裕子が脱いだ」「セックスシーン、レイプシーンまで演じた」センセーショナリズム込み、いや、明らかにヌードで集客しようとした企画だと思う。ラストのシャワーシーンなんて、かなり無意味だもん。
ではレイプ被害を訴えながら、ポルノ的要素を盛り込んでもいいのか。創作の場合、それが許される。許されるというか、「こう感じろ」「こう受け取るな」って、そこまで自在に観客をコントロールできないんだよ、作品って。どんなに醜く撮っても、興奮する人は興奮するだろうし、その醜さの中に美を感じることもあるかも知れない。作品は、表現は未知の知覚、領域を開拓する。だから、裁けない。


さて、物語はとても堅実に出来ている。法廷ドラマになるのかと思いきや、勝訴するかどうかは、だんだん関係なくなっていく。田中裕子演じる女性の、恋愛やセックスに対する奔放さが明らかになっていって、でも「奔放だったらレイプされても仕方ない」とは、もちろんならない。彼女は自分への陵辱に激怒しながら、若い恋人があまりに頼りないから、昔つき合っていた不倫相手に逃避したりもする。バーで男に突き飛ばされた女の子を「大丈夫だよ」と抱き上げて、いっしょに踊ったりする。

レイプされたことで自分は何者であるか、何を大事に生きているのか考えるし、周りにいる男たちの良いところも、救いがたい下劣さも見えてくる。単に「レイプはいけません」という話に終わっていない、その器の大きさには、ちょっとたじろぐ。

そういう大らかな映画だから、「レイプされて、逆に良かったんじゃないの?」と早合点する人もいるかも知れない。創作物は治外法権だから、「そのように早合点するな」と命令はできない。
レイプを糾弾する映画でありつつ、セックスシーンを積極的に撮ることが許される。逆に『ヴィオレッタ』のように、「被害者と同じ思いを女優にさせたくない」と、ヌードを避ける監督もいる。
あらゆる表現物は、グレーゾーンに存在している。むしろ、現実を白黒に分けさせない、倫理的役割を表現物が担っている。『ザ・レイプ』を見て、「強姦なんて大した罪じゃないんだな」と勘違いする人もいるだろう。でも、だからこの映画を上映禁止にすれば実社会が改善されるわけではない。「ヌードを撮ってはいけません」「セックスシーンはいけません」と、雑な割り切りをする人が増えているような気がする。


実社会の犯罪は、実社会で防ぐしかない。
なので、「痴漢対策についてのアンケート」というのをやっています。(
もうちょっと集まってから、署名キャンペーンへ移行しようかと思います。……にしても、昨年の署名のときにも感じましたが、「私は違う意見だ」と言うなら、ご自分の意見を浸透させる努力ぐらい、してほしいんです。なぜか、僕に「あなたの考えを曲げて、私の意見を通しなさい」と要請してくるんですよ。自分は決してリスクを負わず、署名を始めたヤツにすべて押しつけてしまえ……という人が出てこないことを祈ります。

SNSで嘆いているだけでは、社会は良くなりません。署名を集めても、すぐに制度が変わるわけではありません。何も保障されてないんです。
勇気を出すと孤独にならざるを得ないので、誰にも勇気を持てとは言えない。孤独に耐えられそうなヤツが、ちょっとずつ頑張るしかないのです。

(C)東映

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