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2015年1月12日 (月)

■0112■

昨日のスーパーフェスティバルにご来場の皆様、ありがとうございました。
Cadn3att僕の同人誌[Fig 50's]は、60冊刷ったうち、5冊ぐらい売れました。中には、フィギュアの写真を撮影して「ガレージキットにして売らないんですか?」と言ってくれた方もいたのですが、やっぱり、僕のフィギュアにはポピュラー性がない。

それが分かっただけでも、本をつくった意味はありました。


レンタルで、サウジアラビア映画『少女は自転車に乗って』。
163098_1監督は、サウジアラビア初の女性監督ハイファ・アル=マンスール。この映画は、サウジでは公開されていない。メイキングを見て驚いたが、スタッフはドイツ人男性たち。
サウジでは、女性と男性が公の場で仕事をしてはいけないので、監督は車の中からトランシーバーで、俳優たちに指示を出さねばならなかった。また、保守的な考えの住人や警察にも邪魔され、ゲリラ撮影をすることもあった。

苦しい撮影事情が、そのまま映画のテーマにつながっている。
主人公の少女は自転車を欲しいが、お金がない。そこで、学校で行なわれるコーランの暗唱コンテストの賞金をあてにする。ところが、少女には信仰心がまったくない。そんなことより、自転車で思いきり、街を駆け回りたいと願っている。


無論、監督はイスラム世界で女性の自由が不当に抑圧されていることを、海外に訴えるために危険をおかして映画を撮ったわけだ。
サウジアラビアに、欧米文化はどれぐらい入り込んでいるのだろう?と思って見ていると、なんと、主人公の父親はプレステ3で、FPSを楽しんでいる。中東の大部分の国では、PAL規格というドイツ製の映像信号が使われており、ゲーム機も欧州経由で入ってくるらしい。

この映画は、ヴェネツィア、ドバイ、ロッテルダムの映画祭で賞を受けた(ドバイはイスラム国だが、宗教的制約は非常に薄く、開放的な国だと聞く)。
たまたま、フランスの襲撃事件の直後に見たせいもあって、複雑な気分にさせられた。淀川長治は「いろいろな国の映画を見れば、戦争などなくなる」と言ったが、その通りだと思えてくる。

ただ、先日も『魔女の宅急便』について書いたように、日本映画は国内事情を描こうとしない。無国籍にすればするほど、実は国際性を欠いていく。「最も国内的な映画ほど、最も国際的である」、これは宮崎駿の言葉。
曖昧に現実逃避しようとする国民の態度が、映画にあらわれてしまっている。


昨日、スーフェスが終わってから、友だちと話したのだが、何より「痛い」のは、自分の趣味・嗜好の領域に問題を引き寄せ、矮小化し、その中でだけ話をしたがる人たち。
たとえば、アニメにまったく興味のない一般人の前で、自分の好きなアニメがどんなに素晴らしいか熱烈に語って、座を白けさせた経験は、僕にもある。

アニメに限らず、仕事の話でも何でも、自分だけが知っている狭い世界を普遍的であるかのように語ると、共通言語がなくなって、コミュニケーションが分断してしまう。
世間で「キモイ」と言われているのは、そういう人たちだと思うんですね。で、「分かる人にしか分からない」ように作られた作品が「キモイ」と言われるのも当然のことなんだけど、別の角度からスポットを当てたときに研究的価値が出たりするので、なくなって欲しくないと思ってます。

(C)2012, Razor Film Produktion GmbH, High Look Group, Rotana Studios All Rights Reserved.

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