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レンタルで、『魔女の宅急便』。
もし、この映画が80年代に存在したら、「日本を舞台にしてもファンタジーは成立するんだ!」と狂喜したと思う。それぐらい、まずSFXのセンスがアナログっぽい……というか、80年代でも十分に可能だったであろうSFXが多い。ジジはCG製だけど、どこかアニマトロニクスのような雰囲気が残る。いっそ、ジム・ヘンソンのように、すべてアニマトロニクスのみで撮影したら、多分、ハートを射抜かれていたと思う。
『赤いカラスと幽霊船』という、1989年の横浜博覧会のみで上映された実写ファンタジー作品があって、いま思い出したけど、宮崎駿が幽霊船のデザインを担当(子どもの描いた絵をクリンナップ)していた。日本人キャストなんだけど、赤いカラスはジム・ヘンソン・クリーチャーショップが動かしていた。
僕は、「宇宙船」で『赤いカラス~』のスチールを知っただけで本編映像は見ていないんだけど、日本でも『ラビリンス/魔王の迷宮』のようなファンタジー映画がつくれるんじゃないかと、夢を膨らませた。
そのとき想像したのがちょうど、今回の『魔女の宅急便』のようなイメージだった。日本だけど、日本ではない舞台。日本人が出てるんだけど、怪獣映画ではないSFX映画。『未来忍者』や『ガンヘッド』も、「日本でもSFX映画がつくれるぞ!」という前のめりな情熱の産み落とした、“偉大なる失敗作”だったのだと思う。
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結局、SFX的な感性というか、「日本を舞台にした邦画なのに、洋画のような目線で見られる恥ずかしくない作品」は、『時をかける少女』だったりするわけだけど……日本の風景の再発見という意味では、尾道三部作か。背景をマットペインティングで描いているのも、センスがいいと思った。
『魔女の宅急便』も、香川県の島でロケして、どこか異国情緒が漂うように粉飾してはいるんだけど……それゆえ、「なぜ、実際の日本は今のような景観になったのか」考えさせられてしまう。魔法を成立させるために、携帯電話もコンビニも、テレビすらない世界(デジカメの代わりに8ミリフィルムが使われている)に設定してるんだけどね。だけど、それはリアルな日本の風景、状況と向き合っていないんだ。
郊外に大型量販店があって、車さえあれば不自由のない生活の中に、本当に魔法は成立させられないのだろうか?
最近では『ウルトラミラクルラブストーリー』のような不思議な映画もあったし、沖縄だけど『ウンタマギルー』が、現代を舞台にしたファンタジーだった。
厳しいことを言うようだけど、ネットもスマホのある現代の日本に、ほうきで飛ぶ魔女を登場させられたとき、「日本を舞台に実写で撮る」意義が、厳然と立ち上がってくるのだと思う。
キキが「お前は魔女だから、お前の運ぶ荷物には呪いがかかっている」と厭われるプロットは、いいセンいってると思った。日本で、日常的に見られる光景だから。だから尚のこと、異世界の話にして欲しくなかった。
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それと、この映画に限ったことではないんだけど、「思いの強さ」が問題解決してしまうんだよね。日本映画って。
問題は、戦術レベルで解決しないといけないよね。精神で勝とうとしたから、日本は負けたんだよね。だけど、邦画の主人公って、戦術をほったらかしにして、みんなの「思い」や自分の「思い」をかみしめて、ジーンと立ち止まっていることが多い。いやいや、そんな時間があったら、タクティクスを遂行しなさいよ。ジョン・マクレーンだってハンニバル・レクターだって、戦術で勝ったはずだよ。
「思い」「精神」のみで乗り切る作劇を平然とやってしまうのは、日本の政治や歴史と無関係ではないと、僕は思っている。特攻精神を脱却してないんですよ。
(C)2014「魔女の宅急便」製作委員会
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