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2015年1月 6日 (火)

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次の日曜(11日)に開催されるスーパーフェスティバル67()にて、コピー誌[Fig50's](フィグ・フィフFig50s_hyoushi_image テーズ)を販売します。カラー4ページで、一部100円の予定です。
(D-20 Hard Pop Cafeにて)

表紙デザインは、プロデザイナーのべっちん氏、本文デザインはギムレット氏にお願いしました。
内容は、今まで作った3体のフィギュアのメイキング、何を考えてこういう造形にしたのか?という話です。フィギュアって、「市販品のように作ろう」と考えたとしても、その時点で思想が出てしまうんですよね、「市販品に準拠する」という。
技術だけで評価する人が多いんだけど、「俺ならこうする」という考え方が面白いんです、人の作るものって。


『ベイマックス』をめぐって、日本アニメが負けた、いや負けてないといったやりとりを見かける(議論ってほどのものでもないと思う)。
誰にどう言われようと、世間に認められまいと、自分が好きだと思った作品を渾身の力で愛すればいい。認めてほしいと思ったら、世間に伝わる言葉・方法で訴えればいいんだし。

「世間」と「アニメ」の話になると、いつも鬱屈した心理が噴出して文脈を捻じ曲げてしまいがちだけど、もともと日本のアニメはルサンチマンをバネにして世の中に出てきたからね。1979年の『ガンダム』放送時、「テレビまんが」って言葉が当たり前に使われていて、「アニメ」と呼んでいるのは一部のアニメ好きの人だけだった。「まんが」と呼ばれると、とても腹が立った。
だから中学のころ、クラスの男子全員が『ガンダム』の劇場版を無視できず、徹夜組まで出たときは、ようやく報われた思いがした。

ところが、高校に入ると、早くも「アニメを見ているヤツらは暗い」と言われはじめ、また底辺に叩き落されるんだよな。その頃には、女性キャラのヌード・シーンを写真に撮るようなマニアが生まれていたから、しょうがないのかなとも思ったし、「俺はあいつらとは違うんだ」と、同属嫌悪のような感情もいだいた。
1982~85年ぐらいにかけて、劇場アニメも大ヒットには至らず、ハイティーンでアニメ好きだった人たちはOVAのように嗜好の偏ったものを受け入れるか、アニメ以外の趣味を見つけるしかなかった。そのベクトルのまま、30年が経過してしまったのではないか……と、ふと思う。


ちょっと話がとっちらかりそうなので、「なぜ『ベイマックス』の出来がいいと、日本のアニメが萎縮しなければならないのか?」 そういう雑駁としたリアクションが散見されるわけだけど。
僕が「かなわんな」と思ったのは、『キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー』で、70年後の世界に蘇ったキャプテン・アメリカが、現代の常識をノートにメモするシーン。メイキングを見ると、その「現代の常識」は、各地域ごとに内容を変えてあるんだよね。アメリカ国内の出来事ばかりだと、他の国の観客が置いてきぼりをくうから。「世界中の観客に親近感を持ってもらうのだ」って、その気概と自信に、まずは圧倒された。
それで、そのノートのバージョン違いに、「日本の常識」ってのは含まれてなかったの。さすがに、疎外感をおぼえた。ショックだったね。

つまり、かつては「ハリウッド映画の市場としては世界第二位」とまで言われた日本が、ひょっとして、もう有望な市場と見なされていないのではないか?という焦り。
なのに、クリエイターたちの日本文化リスペクトは強まる一方……という、この隔靴掻痒たる気持ち。それなら、僕は分かるんだ。『スター・ウォーズ』の新作の特報を見ても、「やっぱり、黒澤明だぞ、この演出は!」って唸らされるし。
だから、これはどっちが勝った/負けたといった、ネットにありがちな「黒でなければ白なんだろ?」って性質の話ではないと思う。

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