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2014年12月30日 (火)

■1230■

来月1/11(日)に開催されるスーパーフェスティバル67()に参加します!
Sf67_bnrブース名は“Hard Pop Cafe”で、ブースナンバーはD-20となります。

毎回恒例、ギムレットさんのレゴブロック秘密基地も、もちろんあります。たぶん今、必死に新作をつくっていると思います。
そして、僕はフィギュア展示を本格化させます。単なる展示だけでなく、Fig50's[フィグ・フィフティーズ]なるカラー・コピー誌を販売します(デザインはべっちん&ギムレットのコンビにお願いしました)。
手でカットしてホチキス止めするので、そんなに大量には販売しない予定……。

直前になったら、また追加情報を告知します!
今回は、僕のフィギュアを生で見てほしい!


武蔵境駅前のゲオに寄って、仏映画『画家と庭師とカンパーニュ』をレンタル。

Conversationswithmygarde生まれ故郷に帰ってきた画家が、庭師を募集する。応募してきたのは、地元で鉄道員をしていた小学校の同窓生だった。あちこちで価値観の齟齬がありつつも、歳相応の寛容さで互いを認め合っていく余生いくばくもない男たちのやりとりが、ジワリと心に染みる。

……まあ、いにかも「ヒューマン・ドラマ+ヨーロッパの田舎」でアピールする空々しいジャケット・デザインと邦題なんだけど、これはドンピシャ。人物造形がよく練りこまれていて、抑制のきいた映画になっている。
例えば、浮気癖から妻に離婚話を切り出されている画家が、彼女と仲直りするシーンがいい。しきりと「君は元気にしてる?」「娘たちは?」と質問し、妻は「どうしたの、そんなに他人のことを心配するなんて」と笑い出してしまう。そこでシーンは終わる。「仲直りしたい」とか「あなたを許す」とか、そういうやりとりは皆無。だけど、画家の心情変化と妻の受容は、しっかり伝わってくる。


画家が、空疎な評論ばかり並べている若い写真家を「どうして、そこまで自分の意見に確信を持てるんだ?」と、やりこめるシーンも良かった。歳を重ねた画家の老獪さが、短い会話の中で、存分に発揮されていた。同時に、彼には若者に対する嫉妬心もある。

画家は「仕事」として絵を描く自分に、嫌悪を感じている(実際、最短距離で上げられる描き方をしているのがリアル)。一方、庭師は絵に関しては無学だが、彼の絵を「目の前で描いているところを見ているから、愛着がある」と認めている。そんな理由で誉められても、もちろん画家は腑に落ちない。だが、他の誰もがそんな誉め方をしてくれないので、彼は曖昧な笑顔で、それを呑みこむ。歳相応の寛容さを、彼は身につけている。

前日に見た『ラビット・ホール』も良かったが、人生を展望する視野の広さでは『画家と庭師とカンパーニュ』、こっちの方がシックリくる。
こういう中年以上向けの映画を楽しめるようになったんだから、歳をとるのも悪くはないですよ。


12月30日。四年前の今日、僕は母と最後の会話をかわした。
いつも忘れているわけではないが、年末年始は母のことを考えずにいられない。
越してきた部屋では、祭壇の前に花を生けるスペースすらない。

(C)ICE 3 – KJB PRODUCTION– STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA – RHÔNE-ALPES CINEMA - 2006/WISEPOLICY

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2014年12月27日 (土)

■1227■

『レジスタンス』という、見知らぬ映画をレンタルしてきた。
43393第二次世界大戦末期、徴兵されたドイツ人の少年が、戦後はソ連のスパイとして働いている。映画は、大戦中の悲痛な思い出と1960年代、イギリスで進行するスパイ合戦とがカットバックすることで進行する。

いまひとつ緊迫感がなく、チープ感のただよう映画なのだが、主人公が無意味にモテまくるところが面白い。ガールフレンドと生きかれた後、戦場で遺体から身の回りのものを剥奪して生活する、生命力旺盛な少女に助けられる。
彼女と別れ、ドイツは敗戦したし、さすがにもうダメかと思われたとき、ソ連戦車から可愛らしい女性兵士が降りてくる。真新しい軍帽をかぶった彼女は、にこにこと笑いながら、しょぼくれた主人公の手をとる。それでソ連に渡って生きのびてしまったんだから、ご都合主義も見せ方によってはエンターテイメントである。


スパイとしてイギリスに派遣された後も、主人公は下宿先の黒人女性と恋におちる。ここまでモテつづけると、もう何の映画だか分からない。
終盤になって、主人公が情報交換する相手として、ショートヘアの女スパイが登場する。彼女は西ドイツからの観光客に擬装しており、乗っている車はメッサーシュミットだ。観光客だが、自分の車を母国から持ってきたという設定だろうか。
半そでのタートルネックに、ボックスボブというのかな。60年代らしいスタイルが素晴らしい。

ラスト近く、ほんの10分ほど登場する彼女の美しい目鼻立ちを見ながら、「クロアチアに、こういう冷たい感じの美人がいっぱい、いたよなあ……」と思い出していた。レア・モルナルというこの女優を検索してみると、果たして、クロアチアのスプリット出身であることが分かった。スプリットなら、昨年訪れたばりかだ。もっとも、彼女が生まれた1972年当時はクロアチアではなく、ユーゴスラビアの都市だった。

この映画については、日本語では情報が少ないが、原題は“Joy Division”で、2006年に公開されたイギリス・ドイツ・ハンガリー合作映画だと分かった。レッグ・トラビス監督の長編デビュー作である。
レア・モルナルは撮影時、33~34歳だったわけだ。


レア・モルナルは、『ワイルド・アサシン ~非情のミッション~』というアクション映画に主演しているらしいので、探してみよう。
彼女の公式サイトを見ると、毎年映画に出演しているんだけど、チェコやウクライナの映画で日本未公開だったりする。よく知らない映画を借りてくると、いろいろ分かって面白いね。
徒歩10分のレンタル屋と自宅のパソコンと翻訳ソフトだけで、ここまで分かるんだから。

(C)IMS 5 LLP, HUNGARIAN FILM CONNECTION & DREAMTOOL ENTERTAINMENT.

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2014年12月24日 (水)

■1224■

月刊モデルグラフィックス 2月号 25日発売予定
Mg
●組まず語り症候群 第26夜

今回のサブタイトルは「なんでこんなにグロいいのかよ」。ゲームズワークショップの超絶キット「マゴスロード」を取り上げています。
「マゴスロード」は2014年ラストにふさわしい、狂ったキットです。撮影中も、ずっと千葉ーザム氏と「すげー!」「この金型を彫った人、確実に頭おかしいな!」と言い合っていました。
未組み立てのプラモデルが「表現」として成立していることを、あらためて分ってもらえると思います。


友人に誘われて、吉祥寺オデヲンで『フューリー』。
シャーマン戦車の迫力バトルを目当てに行ったのだが、バッチリ、『プライベート・ライアン』の路線。陰鬱だけど、わずかに希望を残した知的な映画。

Fury_sub27_large最初は、とりつくシマもない乾ききった映画だな……と思わせておいて、第二幕で誰もが感情移入せざるを得ない美しいシーンを入れる。それが、ここに貼らせてもらったドイツの民間人の家庭で束の間、和やかに過ごす場面なわけだけど。このシーンで描かれた感情の起伏が、第三幕のティーガー戦車との接近戦、第四幕の最終決戦、すべてに影響してくる。


敵を容赦なく殺して「一人前の兵士」だと強がるような、マッチョな映画ではないです。人を殺すシーンは特殊メイクを駆使して、いちいち「嫌な行為」として描写している。
それでも、ティーガー戦車と出会ったときは、主人公たちと一心同体になって「倒せ倒せ!」と身を乗り出してしまう、そういう作劇になっている。「人殺しはよくないが、だったら、お前や仲間が殺されてもいいのか?」という問いかけに、観客も付き合わされる。

アメリカ映画が、今さらながらに「戦争は是か非か」と問いかけるのは、イラク戦争を経験したからでしょう。正義や大義に、確信がもてなくなってきた頃から、あらためて戦争を陰惨なものとして描きはじめた。
「理想は平和だが、歴史は残酷だ」と、ブラッド・ピットがあるシーンでつぶやく。僕らは平和な映画館で、その言葉を聞く。『プライベート・ライアン』を見たときも、まるで土木作業のような生々しい戦争に、もし自分が参加することになったら、何をするだろう?と考えた。戦争という状況は特殊だけど、そこに投げ出される生の肉体と生の心は、決して特殊ではない。戦争映画を見ることで、むき出しになった体や心を、考える。それが映画の、平時につくられる文化の価値なんだと思う。

「戦争反対。話し合いで解決しましょう」と夢見ている人、「人間はどうしょうもない生き物なんだから、戦争ぐらい楽しもうぜ」といきがっている人、両方を受けとめる度量のある映画。それをね、記念スイカを買えなかった観客が怒声をあげるほど平和な国で、誰でも見られるという幸福な状況ね。
文化的には、世界でも珍しいぐらい恵まれた国のはず。それは間違いない。


ラストの戦いは「?」という要素がいっぱいあったんだけど、映画の価値は「ラストがどうなるか」ではないんです。『フューリー』で言うと、兵士たちがドイツの民間人の家庭で過ごしたシーンが、映画全体にどう影響するのか、それがキモとしか言いようがない。それは見て、感じて、読み取っていく性質のものです。

だから、ラストがどうなるのか「お話のすじ」を「ネタバレ」だなんて、短絡的で雑な解釈をするのは、いい加減にやめたら……?
百点満点からの減点法もそうだけど、作品への評価を効率化すればするほど、審美眼は枯れていく。豊かさから遠ざかっていくんですよ。

(C)Norman Licensing, LLC 2014

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2014年12月22日 (月)

■1222■

Febri Vol.26 25日発売予定
Febri
●Febri Art Style 構成・執筆
今回は、『四月は君の嘘』の美術で、薄井久代美術監督にインタビューしました。
オープニングのハーモニー処理には、美術は関わっていないそうです。ただ、本編は光のフレアを撮影で入れるのではなく、美術で描いている箇所もあったりするので、そのあたりを中心に聞いています。
あと、影の付け方とか、絵を描いている人には、けっこう参考になりそうな話も出てきます。
(基本的に、アニメの美術のお話は、取材する側も絵が好きでないと、どうにもならないですね……当たり前の話だけど。)


ムービープラスの早朝映画で、『コンタクト』。
83437view001公開当時は、宇宙へ移送されてからのイメージが、宇宙人の造形から逃げているような気がして、好きになれなかった。今は、下手にひねったデザインを映像に出すより、観客の意識からイメージを掘り起こすような作劇に好感が持てる。
父親の葬儀の日、寒風の中、子どもの頃の主人公が憂鬱そうに座り込んでいるシーンが、とてもいい。ああいうイヤな寒さを、僕も、過去に味わったような気がする。
(そのシーンの終わり近く、遠くの犬の吠え声が、offで入るのが寂寥感をかきたてる。)

『エイリアン』のように、現実にプラスオンする形で、稚気にまかせてデザインを増やしていく表現も好き。だけど、現実を実感的にとらえて、普段は忘れている感覚や感触を掬いあげる力が、映画にはある。歳くってくると、日々の実感を呼び覚ますシーンや演技に心惹かれる。


無責任に「宇宙には、夢や可能性があります」と言っているんじゃなくて、現実といかにして付き合うべきかを、シビアに描いた映画だと思う。どんなに生々しい体験を経ていようと、それを他人に伝えるすべがなければ、現実は遠ざかっていく。
査問委員会で何も証明できなかった主人公は、ふたたび、ニューメキシコ州の電波望遠鏡の町へ帰っていく。モニュメント・バレーの岩山で、彼女はこれまでにない孤独を、冷たい指先に感じている。18時間の至高体験のゆるやかな余韻、長すぎる残響の中に、彼女の人生は続いていく。

査問委員会のシーンで思ったが、愛のない知識や理屈は、ただの暴力でしかない。
知識を得れば得るほど、愛情や寛容さが必要になるんだ。

WarnerBros./Photofest/ゲッティイメージズ

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2014年12月19日 (金)

■1219■

EX大衆 1月号 発売中
Ex_taishu
●「日本よ、これがマーベル映画だ。」構成・執筆
『アイアンマン』から『アベンジャーズ』へいたるマーベル・スタジオズの作品群の連関を、表のようにまとめました。ラストは、『キャプテン・アメリカ』のミリタリー設定について、軍事関係の仕事の方にインタビューしています。

特集冒頭にも書きましたが、マーベル映画はヒロインも大人ばかりで、中高校生時代をSFXムーブメントにもまれて育った世代向けの娯楽映画としては、かなり成熟した完成度だと思います。

日本では「マニアック」と言われそうな高度なアイデアやセンスを、うまく大衆にも伝わるように希釈したり、分かりやすいビジュアルに転ばせたり、学びたいところはたくさんあります。


引っ越しのドタバタが、まだ片付いていない。
どんな業種でも、現場で懸命に働いている若者と出会うと、つい「ありがとうございます」と頭を下げてしまう。こちらがお金を払っているのだから、いくらいばってもいいとは思えない。仕事というのは、誰かに喜んでもらうことなので、上下も貴賎もない。

ひさびさに、いかにも老舗といった趣きの古本屋に、「これは価値のわかる人に買ってほしい」と思った本を数冊、持っていった。
白髪頭の主人が、「これは内容がいいんだけど、ちょっと折り目がついている」「こっちも貴重ではあるんだけど、最近はよく流通するようになってしまって」と、丁寧に見てくれた。古本業界の決まりごともあるとは思うが、自分ひとりでは推し量れない、流動する価値意識が生きていることを知り、すこし落ち着いた気持ちになれた。

「あまりに多くの価値観が乱立していると、人の評価は雑になる」と、友人は言う。
百点満点からの減点法で映画を評価すると、百点をこえる価値観を持てない。「どんなに素晴らしい映画でも、決して百点はこえられない」という考え方は、まず評価する本人の審美眼を痩せさせる。「星五つが満点で、それ以下の場合は、必ず欠点がある」と思って作品を見ると、気持ちの振幅にリミッターがかかってしまう。そこでは、新しい発見は見過ごされる。

ある数値までは必ず満たしたい、損はしたくない。だが、その数値をこえる場合は考えない。「想定外」ということにして、いわば「無かったこと」にする。


社会というより、「日本という組織」を維持することが目的になってしまっている。「組織を良くしよう」ではなく、単なる維持が目的なので、自浄能力がない。
『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』()という本を読んでいると、教師が絶対権力をふるう学校にこそ、すべての理不尽があったのだと思えてくる。問題が起きたら、まずは上下関係と仲間意識で「無かったこと」にしようと試みる。外部に問題が露見すると、たちまち個人に罰を与えて「落とし前をつける」。
だが、根本的な解決のために組織が努力したわけではないから、また別の場所で、まったく同様の問題が生じる。本来なら、組織に巣くっている構造を何とかしないといけないのだが、自分の任期中に面倒なことはしたくない――事なかれ主義の校長だの教育委員会だのは、そのまま国会議員や自治体職員に置きかえられる。

教師の側がそんな風だから、子どもたちが無力感を植えつけられないわけがない。
社会に出たら出たで、「効率」という名の点数主義が、広く柔らかなバッファがあるはずの文化や娯楽までもを採点していく。
これじゃ、社会が停滞して当たり前だよ。まずは、作品に対する採点をやめよ、と言っておきたい。

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2014年12月15日 (月)

■1215■

シナリオは面白いことが大前提!アニメ「妖怪ウォッチ」監督 ウシロシンジが語る制作の裏側
T640_663403『妖怪ウォッチ』のウシロシンジ監督に、パワフルなシナリオ会議の様子を聞きました。実は、かなり打ち合わせ時のノリで内容を決めているのですが、この打ち合わせは、才能のない人にとっては地獄です(笑)。
才能がなければ見ることのできない、努力しきれずに力尽きたからこそ見えてくる風景というのも、あるんです。


才能がないのに、「ある」と信じこんで努力していると、大変な苦労を強いられることになります。それでも、20代のうちは立て直しがきく。「30歳をすぎて、才能があるくせに世の中に出られないのは、そりゃあ性格の問題だよ」と、ある人にいわれて、僕はあきらめがついたんです。性格をあきらめたのではなく、「自分には、創作の才能がない」と認められたんです。
それはやっぱり、失敗してみないと分からない。人にアイデアを見せて、首を横にふられないと、分からない世界です。そういう恥を、僕は20代のころ、百回ぐらい味わってきたので。

でね。己の才能のなさに絶望しつづている間、「その裏で、しっかり蓄積できているものがあるはずだから、それを見つけろ」と、僕は言いたいんです。
ぜんぜん絵がヘタクソ、物語をつくるオリジナリティも筆力もない。そんな風にけなされて、うなだれて帰ってきた経験のある人は、何万、何十万といるはず。その帰り道に、ちょっとずつ熟成されていくものがあるんだと、僕は信じている。それは、他人に対する接し方かも知れない。「もうちょっと愛想よくすれば、担当者のウケも少しは良くなるかも?」と反省できたなら、笑顔をつくる習慣が身につくでしょう。だったら、笑顔を活かせる仕事についたほうが、絶対に幸せ。
それは、隠れた才能の発見であって、妥協ではない。


実体験にとぼしい僕は、かじりつくように本を読んで、そこからビジュアル的に面白そうなアイデアをひねり出した。だけど、アイデアを具体的に映像化していくのは、また別の才能です。現場でおおぜいのスタッフに指示を出せるぐらいのコミュニケーション能力、寒くても元気に屋外で動きまわれる体力も必要。僕には、どちらもなかった。

すると、現場でどんどん撮れる才能の持ち主に、アイデアだけ持っていかれる(笑)。
最初は怒っていたけど、「いやいや、待てよ。こいつの実践していることは、俺には出来ないすごい事だぞ?」と気がつく。そうすると、どうやって彼がアイデアを形にしているのか、興味がわく。……それで、僕は「取材すること」が好きになったんです。
自分でゼロから創るよりは、もう完成している作品から帰納的に「作家の考え」を類推することが面白くなってきた。ある編集者が「雑誌に書いてみない?」と誘ってくれて、初めて僕の成果物が、世に出たわけです。
それまで、10年かかりました。だけど、その後、16年間も雑誌や本に記事を書いているのだから、無駄な10年ではなかったでしょう。


だけど、「ライターの才能」は文章力なんかではないと、僕は思っています。ひとえにスケジュール管理能力。シメキリを死守するため、複数の仕事を調整していく。プロジェクト全体からすれば、ライターの文才なんて、「ないよりは、あった方がまし」レベルでしょう。
そこが、小説家や脚本家と違うところです。別の種類の才能です。

それでも創作をやりたかったら、趣味の世界でやればいい。そのほうが幸せなはずです。
どうしてもプロになりたいがため、長年かけて構築した人間関係、もともとあったはずの才能、すべてご破算にしてしまった人を、何人か知っています。

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2014年12月11日 (木)

■1211■

レンタルで、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』。
Jppubphotosub1reveot_large原作は日本のライトノベルだが、英語圏で出版されるかされないかという初期の段階で、早くも映画化企画が立案されたらしい。さすが、ハリウッドは企画に飢えている。
日本のアイデアが輸出される形でのハリウッド映画化は、ホラー映画をはじめ、過去にいくつも例がある。でも、オタク・コンテンツを作っている人は、別にハリウッドで映画化されることを夢見てはいないんだよね。そんなことより、国内でアニメ化してほしいんだ。
「内輪で熱狂的に愛されれば、それで満足」って価値観が、ハリウッドに搾取されつくされない防波堤にもなっている。『ブラック★ロックシューター』は、pixivとニコ動から深夜アニメへ展開したからサクセスなのであって、深夜アニメが「あがり」なんです。クールジャパンがどうこう議論している議員さんには、この感覚すら分からない。うまく行くわけないじゃない。

でも、ハリウッド版『オール・ユー~』には好感をもった。ダグ・リーマン監督はSF映画は初めてで、別にマニアではない。それゆえの実直さが、端々に感じられる。強化外骨格の管制システムが日本語音声だったりするのも、さり気ないリスペクトになっていた。


強化外骨格をCGにせず、実際に着用してアクションするメイキングは事前に見ていたが、レンタル用ブルーレイには、外骨格をFRPで作成しているシーンも収録されている。それぞれ細部が異なるので、何十人というスタッフが、えんえんとFRPを磨き上げている。
時間をループさせられる主人公が、いよいよ敵のそばまでたどり着けたのか……?というタイミングで、バッテリーの切れた外骨格を脱ぎ捨てていくシーンがいい。自由になった主人公の背後で、じっと動かなくなった外骨格……それは、彼が何十回と体験させられてきた過去の亡き骸のように見える。

この映画は、計算づくで撮影されたわけではなく、80回も書き直された脚本は完成せず、撮影しながら、現場で細部を決めていったという (スクリプターが、「このシーンはこう変わったから、あのカットはキープだ」とプロっぽい会話をかわしているメイキングには、見ごたえがある……何百人という細分化されたプロたちが、映画を支えているのだ)。
少し似た構成の『メメント』がソリッドなのに対して、『オール・ユー~』には、その先どうなるのか分からない揺らぎ、柔軟性がある。だから、そのバッファの中で、自分のプレイしてきた様々なゲームや、何度もリプレイしてループを脱したときの達成感、そのループが実体験としてどんな意味を持つのか?などなど、好き勝手なことを考えていられた。

おんぶにだっこで、最後の1秒まで飽きさせない映画に価値があるのかと言ったら、見ながらあれこれ考えられる映画にだって価値はあるし、それぐらいの余裕は見る側にもほしい。


だけど、いまは映画に付随する情報が多すぎるので、誰もがハズレを引きたくない。だから、100点満点で何点だとか、★がいくつあるとか、減点法のネガティブなレビューばかり当てにする。しょせんは減点法だから、いい部分を見つけたら星が増える、悪い部分が多いからマイナスといった程度の、ケチくさい評価しかできない。
つまり、「満点をこえる体験」を、ハナっから拒否してしまっているのだ。せっかく予想外の出会いがあっても、「どこで点を減らせるか」ばかり考えている。初対面の相手のどこがダメなのか、あら探しするのに似ている。
そういう人ばかりになってしまったら、映画は30年もたたずに滅びると、僕は思っている。

(C)2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED

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2014年12月 8日 (月)

■1208■

半年ぶりのフィギュア新作、『うる星やつら』のラムです()。
A_1今回は、「髪の毛で自立させる」「付け睫毛を植える」など、いろいろトライアルしてみました。反省点もあるけど、ようやく「作品」になってきたのかなあ……と、すこし自信が出てきた。

来年1月11日、スーパーフェスティバルに出店しますが、これまで作った『魔女の宅急便』キキ、『タイムボカン』淳子も含めて展示します。これらの写真を集めたミニ同人誌も作るつもりですが、やはり実物を見て欲しい。
写真は、ある部分は活かすけど、欠点を必要以上に強調してしまう場合があるので。


『ガッチャマン』の初音映莉子を目当てに、『ノルウェイの森』を借りてきた。
監督はなんと、『青いパパイヤの香り』のトライ・アン・ユン監督じゃないか! 20代後半だった僕は、ちゃんと『青いパパイヤ~』の前売り券を買って観に行ったよ。

だから、『ノルウェイの森』もアホな映画には仕上がっていない。知的なカメラワーク。主人公が、アルバイトで生鮮食品を運んできて、ガシャッとフレーム外に置いて立ち去る。そのとき、カメラがフレーム外にある生鮮食品(魚)に寄る。「魚のアップは気持ち悪いな」と思うか思わないかのうちに、シャッと次のカットへいく。鮮やかだ。
そういうディテールから映画のテンポは生まれるし、僕らが「見やすい映画だな」と感じるのは、洗練されたカメラワークとカッティングの賜物なんだ。
(文学性と無縁の映像センスをおざなりにした映画は、脚本がよかろうが何だろうが、スカスカだよね。)


『ノルウェイの森』の原作は、日大芸術学部に通っている87年に、出版された。誰からともなく、上下巻が回されてきたので、読んだ。その程度には文化的な環境だったし、「村上春樹ぐらい読んどけ」ってムードのある大学の雰囲気には、感謝している。
物語はどうでもよく、ただひたすら、文体に魅了された。小学校時代からの友人が村上春樹を勧めてくれた理由は、「お前のとがりすぎた部分が、とれるだろうから」とのことだった。

「日本文化なんてダサい、泥臭くて恥ずかしい」と思っていたところに、日本語でも垢抜けた文章を書けるんだってことを示してくれたのが、村上春樹だった。
しかし、映画化作品は、大森一樹監督の『風の歌を聴け』しかなかった。80年代、日本映画だけが文化の潮流から、取り残されていた。

初音映莉子だけでなく、女優のいっぱい出てくる映画だけど、菊地凛子の存在感には驚かされた。
Photo6『図鑑に載ってない虫』の暑苦しいイメージしかなかったし、スチールを見ると、確かに顔の造形はゴツいのだが、映画の中では透明感がある。動きや話し方に、リズムがある。女優ってのも、自らの身体をつかった「作品」なんだよ。

そういう質的な評価をせず、「当たりか外れか」「ネタバレかネタバレ回避か」レベルで、乱暴に作品を切りすてていく日本人が、たとえば半世紀後に文化を維持できているか想像すると、不安しか感じない。

(C)2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、フジテレビジョン

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2014年12月 5日 (金)

■1205■

『ベイマックス』の試写。仕事でインタビュー予定なので、サラッと。
1c55aef3
ロボット物です。ロボット・アニメです。『ジャイアント・ロボ』(もちろん今川版)、『アイアン・ジャイアント』、ボーイ・ミーツ・ロボット好きの日本人なら、見る資格と権利と義務があります。ちょっとした背景やコスチュームに、「これ、ひょっとして○○!?」と指差したくなるようなオマージュが満載です。

何より、舞台がいい。史上初めての、「海外から見た変なニッポン」の裏返しにある理想化された日本(東京)。未来ではなく、現在ってのがいい。「これ新宿にある通りだ!」とか、「ひょっとして上野のガード下?」とか、いろいろ発見がある。
CGアニメの強さは、既視感だから、知っている場所が出てくるほうが刺激的だし、愛着もおぼえるわけです。あと、CGは情報が効率的に伝わる。風船にさわったことのない人はいないから、風船で出来たベイマックスに触った感じは、誰にでも分かる。「ここは少し硬いんだな」「これぐらい押しても平気なのか」と、シナリオ的な説明なしで伝わる。(2Dで風船の質感を出そうとしたら、そういう演出と作画を考えないといけない。果たして、それを手で描けるアニメーターは誰なのか? 人選も考えなくてはいけない。)

もうひとつ、人物の表情ですね。これが、すごいレベルに達している。記号的な表情ではない。微妙なニュアンスが漂っている。まるで、俳優が演じているみたい。
「これはもう、全面的に3Dになって、2Dは特殊なジャンルになるな」と思ってしまった。全世界的には。『妖怪ウォッチ』は2Dで残るだろうと思ったけど、エンディングが3D作画でも、怒る子どもはいないでしょ?


もうひとつ、これはメカニックの話、エンジニアたちの話です。科学の門外漢は、ほとんど出てきてません。(主人公の母親がわりの、美人な叔母さんぐらい。)
そこが、好悪を分けるとは思う。14歳の主人公ですら、専門用語を平気で使い、幼さをまったく感じさせない。「子どもなんだから、未熟でいいんだ」って考えが、かけらも無いんです。そこがカッコいい。

子どもを主人公にして、「科学技術はどうあるべきか」を分かりやすく描けるだけで、もう降参!という気がしてしまう。
日本人には、基礎学力がない。それは理科や物理の授業の話ではないです。問題が起きたとき、どういう手順を踏んで、どう役割分担して、どこまでリスクを負えば解決可能なのか、日本人には考えられない。「まあ、何となくやろう」「ダメかも知れないけど、頑張ろう」としか思っていない。今の選挙活動を見ても、そうですね。有権者にメリットを提示できていない。スローガンの連呼だけ。ロジックがない。スローガンだから、平気でウソもつく。「政治ごっこ」「ままごと」なんですよ。


そういう意味からも、僕は「アニメは3Dになる」と思ってしまう。何よりも効率がよく、2D的な感情表現さえ可能になったから。「なんとなく、一生懸命やったから、伝わればいいな」ではなく、「どうすれば伝わるのか」討議した痕跡が、動きのひとつひとつに宿っている。
CGだから手抜きとか冷たいとか、そういうレベルの話ではなく、強い事実をより多くの人に伝えるには、CGが向いているんだと思います。実写だと3時間かかるところを、90分にできる上、年齢層を広げられる。どうすれば分かってもらえるか、ロジックがあるからです。
茫洋な、感覚的な好き嫌いなど、どこかへ消えてしまいます。

(C)2014Disney.AllRightsReserved.

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2014年12月 1日 (月)

■1201■

昨夜はレンタルで 『そして父になる』、今日は映画の日だったので、立川シネマシティまで『インターステラー』。平日で雨だったせいか、空いていた。
Gdafuxxl0y8おそらく、SF小説を熱心に読んできた人は、何度も何度も、こういう体験をしていると思うんだよね。上映時間3時間だけど、20年ぐらい経過したように感じたでしょ。文学的な体験だったね。

クライマックスで、五次元空間だったっけ、時間を物理的に感じられる世界に迷い込むけど、あれも既視感の強いシーンだった。おそらく、ああいう世界との接し方を、僕らは無意識の世界でやっているはずなんだ。
だから、ちょっと夢うつつのような、半睡しているような心地よさもあった。人は70歳で死んだら70年分だけしか知らないわけではなく、人の話を聞いたり、本を読んだりして、何百年分も生きているんだよね。そういう映画でしたね。


僕の友人は、四つの立方体を組み合わせた板のようなロボットに感心していたけど、あれはテオ・ヤンセンの風で歩く彫刻みたいだった。どこか、記憶の彼方からやってきたような風景にあふれた映画だ。
『フィールド・オブ・ドリームス』のようなトウモロコシ畑も、おそらくアメリカ人にとっては原風景なんだろうし、僕らも何度も繰り返し、映画の中で目撃してきたよね。だから、見ている間、気が遠くなるというか、フッと意識が途切れそうになるんだよね。

その体験は独特のものだけど……ストーリーテリングで言ったら、『トップをねらえ!』のほうが、丁寧に出来ていたと思う。だけど皮肉にも、『トップ~』の脚本を思いつく人材が邦画界にいない。たぶん、『宇宙戦艦ヤマト』を本気でアップデートしようとしたら、『インターステラー』のような映画になるんだろうな。だけど、この国の人たちは、コスプレ学芸会にしかお金を出さない。(というか、「漫画やアニメの実写化なんて、こんなもんでいいでしょ?」という妥協線が低すぎるんだよね。あまりにも。)


『そして父になる』も、カンヌで賞をとったがゆえの大ヒットであって。
福山雅治とリリー・フランキー、対照的な父親が出てくる。二つの家族像の対比が面白くもあるんだけど、「どんな親でも子どもを愛しているはず」という建前ぬきには、お金のかかった映画はつくれないんだろうな……。

僕の父親は、僕の母親を殺したけれど、4年近くたっても影響は残りますよ。もちろん、悪い影響。他人の同情なんて、半年ももたない。自分が関わりそうになったら、親戚だろうと友人だろうと、ダッシュで逃げるし。
「廣田は、あの事件で頭がヘンになった」とか、平気で言いふらされますよ。「廣田自身は悪くない、彼の父親の犯行だろう」なんて、そんな物分りのいい人はいません。僕も返り血をあびてるから、同罪なのよ。
もう忘れたつもりでいたけど、いまだにそういう扱いをされるので、ちょっと呆然としているところです。ホントに、くやしい。

(C)2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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