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2014年11月29日 (土)

■1129■

友だちから、「あんたは文章を売り物にできるのだから」と言われて、ハッとした。
それは、ちょっと違う。小説や詩のように、雑誌に載せても文庫にしても同じ価値を発揮するような文章は、僕は書いていない。その年、その月に発売される雑誌に「ページを構成する」「ページの一部を作る」のであって、文章だけをお金にしているわけではない。
企画を持ち込むこともあれば、「ガンダムで何かやりたいんだけど、ネタない?」と相談される場合もある。そこに答えを持ってくるというか、素材を用意する。少なくとも、それが僕の仕事。

なので、ライターだから文章が上手いとか下手とか、ライターだから文章が上手くなりたいというのは、ややお門違いな評価であり、願望だ。シメキリに間に合うように(つまり全体の制作期間を考慮して)、そこに必要な素材を配置することの方が、何十倍も必要な技術だ。


WEBアニメスタイルさんで、『機動戦士ガンダムUCインサイドアニメーションワークス2』を取り上げていただき、その文中に「作画参考などマニアックな資料満載だった前著に対して」という記述がある。
「マニアックな資料」が、バーニア炎やカメラ内の光源などの撮影指示書をさすのだとしたら、それは「ガンダムUCの現場でしか通じない資料」のこと。絵コンテやタイムシートなどの共通言語ではない、ローカルルールのことでしょう。ローカルルールは、どんな職種の現場にだって、必ずある。
「その瞬間、そのスタッフの間でしか通じないルールを徹底させる」のは、仕事を納期どおりに完成させ、なおかつ、クオリティを維持するための工夫だよね。根性論ではない。

なんかね、目に見えない「文章の神さま」「絵の神さま」みたいなものを素人が信仰するならまだしも、現場が頼りはじめたら終わりだと思う。
(そういう信仰を持っている夢見がちな人とは、怖くて仕事できないですよ。僕は、「早く終わらせて、早く呑みにいく」ことを目標とするようなリアリストと仕事したい。)


秋元才加の存在を数日前に知り、彼女がタンクトップでロボットを操縦する『ウルトラマンサーガ』をレンタルしてきた。冒頭で『ビューティフル・ドリーマー』をパクってみたり、けっこういいセンスの映画。
Img_3秋元は、『牙狼』のスピンオフ映画で、主演するんだよね。もう、雨宮慶太のもとにいるんだったら、秋元主演で『ゼイラム』を撮りなおしてもいいじゃん?
やっぱり、女優にとって怪獣映画は特別だろうし、怪獣映画にとっても女優は大事だろうし。日本映画専門チャンネルで『フランケンシュタイン対地底怪獣』を見たんだけど、水野久美がいなければ、ストーリーを構成できないようになっているよね。
やっぱり、その女優が単独で強いのではなく、女優と映画の「関係性」さえよければ、いくらでも魅力的になる。

ところで、『ウルトラマンサーガ』のVFXには、白組が参加している。
白組といえば『ガッチャマン』なんだけど、どうしてあの映画だけが執拗に叩かれるのかと思ったら、剛力彩芽の熱心なアンチがいるせいでは……と、友人の指摘。
せっかく良い部分があっても、自分の目で確かめようともしない愚民どもが、かさにかかって映画をダメにしてしまう。

(C)円谷プロ

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2014年11月26日 (水)

■1126■

機動戦士ガンダムUCインサイドアニメーションワークス2 28日発売
48841
冒頭のストーリーパート、後半のメカニックパートの構成と執筆を担当しました。本のコンセプトは「オールカラーによる作監修正集」です。

特にメカニックのページは、ガンプラを作る人は、ぜひ見てほしい。立体の把握と構成の仕方が、まさにプラモデル的な説得力を持っています。過去の宇宙世紀モノは、やはり作画が突っ走っていて、カットごとの整合性は後回しだったと思う。だけど、メカニック総作監の玄馬宣彦さんは、全編を通じて破綻をなくし、カッコよさの基準を明確にするため、あちこちで微調整しています。
(その玄馬さんの方針が後半では浸透していったので、エピソードの前半に比べると、実は総作監修正は少なくなっています。)

台割の段階から、足りないキャラやメカをリストアップし、すでにデータ化されている作監修正をより分ける作業から着手しました。
キャラクターパートは日詰明嘉さんの担当なので、構成と画像選定はお任せしたのですが、山のように詰まれたカット袋を運んだり整理したり……の肉体労働は、担当編集と3人がかりで数日かかりました。紙の上の作業に入れたのは、ずっと後ですね。
年内、まだいくつか取材やコラム執筆が残っているけど、このムックを作った時間、場所、どれも忘れがたい。埼玉県の貸し倉庫で、何も食べるものがないから、国道を渡って、誰もいない殺伐としたラーメン屋へ駆け込んだりね。靴の裏が焼けつくような、晩夏の光景だった。


レンタルで、『トガニ 幼き瞳の告発』。
Mv49853l韓国映画は、暴力描写がエグい。そんな印象がある。『息もできない』のラストも、精神的に後をひきそうな痛みの描写が、いつまでも心に残っている。『親切なクムジャさん』も、キツかった。
『トガニ』は児童虐待がテーマ。なので、それなりに覚悟して見たほうがいいだろう。

映画の後半では、生徒たちに性虐待を加えていた校長以下、3人の教師が法廷で裁かれる。社会的に身分の高い、地元の有力者。性虐待・性暴力の加害者は、どういうわけか偉い人ばかり。『なかったことにしたくない』の東小雪さんの父親も、その地方では、誰にも名前を知られた名士だった。
そこに目をつむっている人が多すぎるんだよね。児童福祉的な立場から性虐待を問題視している人さえ、やっぱり「社会風紀が悪い」と、手近なところに原因を求めたがる。家父長権の横暴さと対峙しようとしない。家庭内の支配と服従の図式から、目をそむけている。それは、男親の横暴さに屈服しているも同然なんですよ。

18禁ゲームやジュニア・アイドルを犯罪視するぐらいなら、国会議員がとっくにやってるよ。性虐待の専門書に近い本を読んでいる人たちが、浮世離れした国会議員と同じように「社会風紀が悪い」と、甘っちょろいことを言っている。思考がフラット化している。真実に肉薄してない。(例えば、盗撮については騒ぎ立てても、自画撮りについては口をつぐむ。)
だからといって、僕が動くと、「あいつこそが犯罪者」と陰口を言われる(笑)。最下層で僕らが狙撃しあっているうちにも、家庭内で沈黙と服従を強いられている子たちがいるんじゃないでしょうか? 一体いつまで、その子たちはほったらかしにされているのだろう?

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2014年11月23日 (日)

■1123■

月刊モデルグラフィックス 1月号 発売中
Mg
●組まず語り症候群 第25夜
今回のサブタイトルは、「サンゴーの死者」。マスターボックス社の1/35フィギュア・シリーズを四点も取り上げています(見開き2ページです)。

いっぱい写真を撮ってもらったけど、多すぎて使いきれなかった。本をつくるには、もちろん素材は多いほうが安心。だけど、本当に必要な能力は、思ったように素材が集まらなくてもページを構成できる能力。インタビューがポシャっても、ちゃんとページを持たせられる代案力です。


もうひとつ、「アキバ総研」さんにて、新連載『中年アニメライターの懐かしアニメ回顧録』がスタート()。第一回は、タツノコプロの『アニメンタリー 決断』です。
連載モノは、回数を重ねていって、いい意味で気合が抜けて、書いている人の“地”が出てきたあたりが面白い。なので、第一回は、やや硬いと思います。


いま作っている記事は、画像素材を集めるメーカーへの交渉も、すべて僕に投げられてきました。電話は苦手なので、本当は編集者に頼みたい。
だけど、ここでメーカーの担当者とやりとりした事実をつくっておけば、次の仕事に活かせるかも知れない。で、電話する前に、仲のいい不動産屋のおばちゃんと雑談します。「もっと人と話したいな」という気分になったところで、席を立つ。不動産屋から家まで一分もかからないので、帰ったらすぐ電話。これで緊張せずに電話できます。

で、メーカー3社とやりとりして画像をお借りしましたが、アニメ会社と違って「原稿チェック」なんてことはしません。実写の場合は、「(C)は忘れず入れてください。後、よろしく」。
なので、記事づくりに専念できます。アニメの記事の場合は、アニメ会社のチェック期間を織り込んで、スケジュールを立てないといけない。すると、一週間ぐらい早くテキストを上げる必要がある。最前線というか最下層では、本の制作期間を考えて、ありとあらゆるリスク・マネージメントをせねばなりません。しかも、ライターと編集者の2人だけで。


編集者とは主従関係ではなく、悩みをともに出来る関係が理想。
なので、困ったら、遠慮なく甘えます。甘えるんだけど、相手からのレスポンスが来るまでに、代案を用意して、できれば作業も始めておいて、「ごめん、何とかなりました」と答えられるよう、努力だけはしておきます。
だから、「甘える」というのは、相手に過剰な負担をかけるのではなく、「困難な状況を共有する」って意図があります。

昨夜、友人とコーヒーを飲みながら、いろんな話をしました。そのとき、こういう最前線=最下層でよりよい仕事をするためのノウハウって山ほどあるんだけどな……と、思ったのでした。

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2014年11月20日 (木)

■1120■

友人の強い勧めで、中野ブロードウェイの「深堀隆介展」()へ。
2_isou僕の写真はボケボケで何だか分からないので、上記リンクから、公式の写真を貼っておきます。これは立体の金魚ではなく、絵です。
透明なエポキシ樹脂の上に金魚のパーツを描いては、上から樹脂の層をつくり、また金魚のパーツを描いては樹脂を流し……という工程をくり返して、三次元空間に配した二次元のパーツのみで、立体的に表現しているのです。

近くで見ても、「あれ、やっぱり立体?……いや、絵だな」と、トリップ感を味わえます。
僕がとても嬉しかったのは、エポキシ樹脂もアクリル絵の具も、そこそこ知っている素材だったからです。どちらも、魔法のマテリアルではなく、不便なところもあります。それを物ともせずに、地道な作業のみで「この世に無いもの」を作る、その姿勢に惚れました。いさぎよく、堂々としています。
「工夫次第で、ここまで行けるんだ」と、元気づけられた気持ちにもなりました。

友人が言っていたのですが、10年ほど前の作品は「今ひとつ」な出来です。10年かけて、見違えるように進歩したことが分かる展示の姿勢も、小気味いい。
12/2まで、中野ブロードウェイの小さなギャラリーで開催しています。


CSで、『MS IGLOO-1年戦争秘録- 』第二話。モビルタンク、ヒルドルブの話。
実は、松戸バンダイミュージアムでの上映時、僕は、第二話までパンフを手伝っていた。第二話は大野木寛さん脚本、絵コンテはカトキハジメさんで、群を抜いて出来がいい。
Romo_lampkin___cc___685x385ゲストのソンネン少佐の声が、『ギャラクティカ』に出てきた弁護士、ロモ・ランプキンの吹き替えの人に似ているなあ……と思ったんだけど、天田益男さんは、『ギャラクティカ』には出ていない。
それで、役名の明記されていない「その他」のキャストをしらみつぶしに調べ、ランプキンの声は、隈本吉成さんだと分かった。

隅本さんの舞台の動画を見ても、ちゃんとランプキンの声、あの「話すのも面倒なんだけど、お前とは口ぐらいきいてやるよ」といった、寂しがり屋な雰囲気がある。
同じ事務所の声優さんは出てないから、バーターで割り当てられたのではなく、「ランプキンは隈本吉成さんしかいない」と、『ギャラクティカ』の日本語版制作スタッフが決めたはずなんだよな。
そして、隈本さんはランプキン役のマーク・シェパードの声に引っぱられることなく、自分でランプキンという役柄を演出、造形している。優れた俳優さんって、本当に「話し方」そのものが「作品」なんだよね。


で、今はいろいろ仕事してます。僕の提案した企画が動いてもいるし、提案された企画は実作業に入っています。

でね、あいかわらず、ぜんぜん返事のない人は、何も考えてないね。考えてる人は、「ちょっと待って、検討させてください」と即座に返事くれて、「こことここさえクリアすれば、何とか進めます」と、具体的に言ってくれるもん。
返事のない人を、「どうなりましたか?」と突っついても、「あー、それダメになりました」「忙しくて忘れてましたー」とか、「早く言えよ!」ってことしか出てこないもの。
だから、のろい人に当たってしまった場合は、先に代案を進めておく。僕らは忙しくならないように先手先手を打ってるのに、あなたが「忙しい」を言い訳にグズってるだけよって話です。

(C)2014, Syfy. All rights reserved.

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2014年11月16日 (日)

■1116■

朝はやく起き、たっぷりのお湯につかって、「今日はどうやって過ごそうか?」と思案する。
次の仕事のしめきりは、一週間ほど先だ。駅の北口でDVDをレンタルしてきてもいい。南口の図書館に行ってもいい。日曜日。外は穏やかに晴れている――。
ふと、ヴァンゲリスのオリジナル・ファーストアルバム『アース』に収められていた『イン・ザ・レイン 』の歌詞が、頭をよぎった。

My face in the rain
I walk all alone
It's Sunday time is slow
I'm happy that is all I know


本棚の隅に山をつくっていた、古い雑誌の整理をした。
僕がライターになった当初の、1998~1999年の「週刊SPA!」、書いた記憶のほとんどない「日経キャラクターズ!」の『ガンダムSEED』の取材記事、「シネコンウォーカー」の宮崎吾郎さんへのインタビュー記事などが出てきた。
「週刊SPA!」は、毎週水曜になると担当編集から「ピーンチ。廣田くん、ピーンチ」と電話がかかってきて、僕は即座に取材ネタを探して、アポとりから素材集めから、ひとりでやることが多かった。最速では、電話を受けてから6時間後に、原稿と写真を編集部に送ったこともある。
ひとりで仕事するのが好きだった。90年代後半の、ひんやりと冷たい東京の空気は、今でも忘れられないし、嫌いではなかった。

浜松町駅下車、東京湾にちかい通りに、「週刊SPA!」を発行している扶桑社はある。
ある日、編集者は僕を呼んで、高級なエスニック料理をおごってくれた。「しかし、お前さん、今のままでは生活が成り立ちますまい」。
それから、彼は多くの仕事を回してくれるようになった。98年の秋ごろ、僕は31歳だった。


夜になって、TSUTAYAで借りてきた『アイアンマン2』を見た。
ここのところ、仕事の都合で、アメコミ映画ばかり見ている。

トニー・スタークは大金持ちだが、その心は平穏ではない。胸に埋め込んだ動力炉のせいT0008293 で、身体が侵食されつづけている。
自暴自棄になった彼は酔っぱらい、ゴージャスなパーティを開き、そうかと思うと、Tシャツとスニーカーでオフィスに現われ、引きこもって研究に没頭することもある。

スタークを演じたロバート・ダウニー・Jr.は、当時45歳だった。
彼自身、華やかな経歴を薬物中毒で台なしにしてきた経歴を持つ(新しい動力炉を埋め込んだときの「口の中に金属とココナツの味がする」という感想は、彼のドラッグ体験が下敷きになっているようだ)。
その、いわば役者と役柄の起死回生が渾然となったとき、決して悲壮にならない。どこか、投げやりなほどの多幸感に満ちている。
膨大なビジュアルエフェクトを隅から隅まで堪能し、まだ一時間ある、あと30分もある……とゾクゾクしている。こんな満ち足りた娯楽を、たった108円で味わえる。しかも、続編も借りてきてある。今夜みても、明日の夜に見てもいい。
とてもちっぽけなようだが、これはこれで贅沢な時間。あの31歳の秋から、どうやってここまでたどり着いたのだろう、と思いをめぐらす。

Iron Man 2, the Movie: (C) 2010 MVL Film Finance LLC. Iron Man, the Character: TM & (C) 2010 Marvel Entertainment, LLC & subs. All Rights Reserved.

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2014年11月14日 (金)

■1114■

EX大衆 12月号 明日発売
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●大人のための超合金再入門ガイド
3ページのカラー記事です。今年40周年をむかえた超合金のセレクションと解説、バンダイの寺野彰さんにインタビューを行いました。
最初の超合金が出たとき、僕は7歳だったので、リアルタイムで『マジンガーZ』の超合金に触れた世代は、みんな40代ですね。
来年、『スター・ウォーズ』の新作が公開されますが、1978年の日本初公開を実体験したのは、30代後半以降じゃないでしょうか。

人口ピラミッドを見ていると、数年後には、僕より少し下の世代が突出して増えてきます。だから、40代向けのコンテンツばかり増えていくのは、ビジネスとして正しくはある。
昨夜、ある子供向けアニメの監督さんにインタビューしたんだけれど……その人は「子どもに向きあう」ことが、いわば宿命づけられている。
僕は、15歳までに出会う作品や趣味によって、人生が決まると思っている。それはビジネスのみで考えてはいけないと思う。質で勝負しないといけない。10代の人たちに向けてコンテンツを提供する人たちは、責任重大になっていく。それはメディア業界の大人だけでなく、あらゆる商売・職種、子供の目線を受けとめながら、それぞれ、しっかり仕事しないといけないんだってこと。


『さよならだけが人生だ 五社英雄という生き方』が、三鷹駅前図書館にあったので、借りてきた。著者は、五社監督のひとり娘である五社巴。

驚いたことに、五社を最初に襲った災難は、妻のつくった二億円もの借金であった。その後、妻は失踪。残された父と娘は実家を失い、それぞれアパートとマンションに移り住む。
ところが、大学生だった娘はバスにはねられ、大怪我を負ってしまう。九死に一生を得た娘が退院した翌日、五社は短銃不法所持容疑で逮捕される。
罰金刑で釈放されたものの、25年も勤続したフジテレビからは解雇されてしまい、50歳にして路頭に迷う(借金をつくった前妻と別れ、再婚できたことが、唯一の救いだろうか)。

ゴールデン街に小さな飲み屋を出そうとしたとき、東映の岡田茂社長から電話があり、『鬼龍院花子の生涯』の準備を始めるわけだが、そのくだりで泣かされた。
脚本を読んだ夏目雅子が、すっぴん、ジーンズ姿で五社のマンションをいきなり訪ね、土間に正座すると、「夏目雅子と申します」と、みずから出演を希望したというのだ。
……が、これは五社の作り話で、実際にはマネージャーや他のスタッフが同席して、夏目に決まったのだという。しかし、財産も社会的信用も失い、どん底にあった五社の心象風景は、まさに「新進女優がすっぴんで、借金から逃れるために借りたマンションまで、わざわざ足を運んでくれた」のであろう。

美しい嘘は、ついてもいいんだよ。特に、人生があまりに辛すぎるときは。


『Gのレコンギスタ』、あまりに安定した面白さなので、かえって不安にかられる。

前から気になっていたのは、モビルスーツのコクピット付近をフレームに収めたとき、BLカゲになる部分が真っ黒ではないこと。薄く、埃のかかったような処理になっている。
だが、デジタルらしい、べったりしたBLカゲも散見される。察するに、「線を途切れさせる」撮影処理時、BLカゲ部分にも影響が出て、セルに埃がかかったような、セルの厚みを感じさせるような効果が出てしまったのではないだろうか。
(『101匹わんちゃん』でゼログラフィを導入した結果、余計な線まで画面に映ってしまい、それがグラフィカルな効果を生んでいるのと似たような感じ。)


富野由悠季監督が「10歳の子どもに見せたい」と言うように、自分たちの世代だけが満足を考えていると、しょせんは閉塞する。自分より下の世代、自分と境遇の違う人たちと話さないと、世界は広がらない。
原発の再稼動を決めた町のように、自分たちのテリトリーさえ上手く循環してくれれば良いとムシのいいことを考えていると、やはり自滅しか待ってないと思う。

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2014年11月10日 (月)

■1110■

日本映画専門チャンネルで放映された『鬼龍院花子の生涯』を夜中に見ていたら、あまりに面白くて、最後まで見てしまった。
Kiryuuこの映画の公開された1982年といえば『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』の年で、「実写の日本映画は暗い、ダサい」と嫌われていた時代だ。『蒲田行進曲』も、この年なんだよね。
「なめたらいかんぜよ!」という夏目雅子の決めゼリフは、流行語としてしか知らなかった。85年放送の『スケバン刑事Ⅱ』で、土佐弁はオタクの間にも浸透していく。
(余談だが、『スケバン刑事』は、オタクとヤンキーが共有できる数少ない番組だったのかも知れない。失速した80年代後半のアニメ文化も、アイドル歌謡に助けられていたと思う。)


『鬼龍院花子の生涯』当時、五社英雄監督は銃刀法違反容疑で逮捕、仕事もキャンセルされ、妻にも逃げられ、人生は下降線をたどっていた。かつての仕事仲間が、ドロップアウトしつつある五社監督にチャンスを与えたのだという。
3年のブランクを経て『鬼龍院花子の生涯』で第一線に復帰したとき、五社監督は53歳になっていた。この後、63歳で死ぬまでの十年間、ほぼ毎年かかさず映画を撮っていたのだから、きれいな人生だと思う。

夏目雅子が27歳の若さで没するのは、この3年後である。花子役の高杉かほりはアングラ女優で、映画出演は、この一本きりだという。

アニメに首まで漬かっていた僕にとって、『鬼龍院花子の生涯』は、知れば知るほどアウェイな映画である。
ただ、当時はスルーしていた文化が、歳を重ねて、ようやく役立つこともある。異質な文化に触れることで、自分があの時代の中でどこに立っていたのか、ようやく把握可能になる。自分の趣味嗜好の中だけで生きつづけていると、いずれは行き詰ることになる。審美眼や好奇心は、加齢とともに、しっかり衰えていく。


僕は、五社英雄の過ごした最後の十年に興味がわいた。
五社は1985年に、自分のプロダクションを設立する。墜落寸前の極道監督を、好景気が救ったことは間違いないだろう。
そして、景気後退が始まると、あっさり逝ってしまった。鮮やかな死に際だと思う。こういう面白さは、五社の映画の質とは、いささかも関係ない。だから、映画に点数はつけられない。

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2014年11月 9日 (日)

■1109■

レンタルで、『モンスターズ/地球外生命体』。
339767_01_01_02_26年前に、地球外生命体を乗せた探査船が墜落し、メキシコを中心にモンスターが繁殖してしまう。危険地域周辺には米軍が戦車を駐留させ、上空には戦闘機が飛び交い、定期的に空爆が実施されている。

付近の住民には、化学兵器用のマスクが配られ、テレビでは、子供向けにマスクの着用を促すCMが流れている。
主人公は、モンスターと彼らに脅える現地の人々を撮影する、いわば戦場カメラマンのような男。彼は、金持ちの令嬢をメキシコからアメリカに逃がすために同行する。
主人公のセリフにもあるように、これはアメリカという母国を「塀の外側から見た」映画だ。社会的な視点がある。


低予算であるがゆえに、ディテールの描写には手抜かりがない。
001_l_large前半、主人公とヒロインが繰り出す夜の街の喧騒。オールロケの効果が存分に発揮されている。街の随所に、米軍の空爆に反対する落書きがある。危険地域であることを警告する錆びた看板、犠牲となった人々を弔う墓地、干からびた魚の死骸……。
それらの風景が、半永久的に局地戦をくり返すしかなくなった世界の現状を、雄弁に語る。本当の「今」は鳥瞰できない。歴史の断片に触れることでしか、「今」を感じるすべはない。

映画のラスト近くで、確信した。これは、ウェルズの『宇宙戦争』だ。原作の『宇宙戦争』は、全体を概観する描写は一切なく、ひとりの男の手記として書かれている。全体像を見渡すことの出来ない焦燥感が、そっくりなのだ。
意識してみれば、タコのようなモンスターが数本の長い足で直立して歩く姿は、『宇宙戦争』の火星人と三脚のウォーマシンに直結する。


そして、この映画は人生の岸辺にたどり着いた男女の物語である。
主軸は、モンスターを倒せるか否か、生き残れるかどうかではない。世界の運命に関与できない生身の男女が、いわば、世界の傍らに呆然と立ち尽くす。メキシコの国境をこえるまで、彼らは帰属している日常から切り離されている。その寂寥感が、映画全体を心地よく覆っている。
卑近な、手近なところにテーマを収斂させない粘り強さがある。何より、そこに感心させられた。

旅情を誘う映画でもある。映画を見ながら、透明人間になれたら、タダで飛行機に乗りながら、死ぬまで世界中を転々とできるのになあ……と、おかしなことを考えていた。

(C)Vertigo Slate 2010

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2014年11月 7日 (金)

■1107■

ヤマトメカニクス2199: 宇宙戦艦ヤマト2199モデリングアーカイヴス 本日発売
231497
●出渕裕総監督インタビュー
インタビューそのものは、「モデルグラフィックス」本誌に載ったものの再録です。が、インタビュー時の写真が、すべてカラーに刷新されています。ちゃんと、ゼンマイ走行のヤマトの写真もカラーで掲載されました。わざわざ、写真を探してもらった甲斐があったというもの。

作例の写真も、本誌掲載時より増えています。パラパラっとめくるだけで、「これは見たことないな」と分かるぐらい、増えています。作り下ろしの作例もあります。
単なる寄せ集めではなく、「別冊」本来のスペックに達した本だと思います。


アニメの話でもしましょうか。『四月は君の嘘』、第五話は作画で変化球を投げてきたなあ……と思ったら、作監・演出が小島崇史さん。原画のクレジットも、小島崇史さんのみ。ようは、一人原画ってことですね。納得。(演出は、絵コンテの石浜真史さんと連名。)

この公式サイトにあった絵が、まさにそうなんだけど。
Photo3影を細かく塗りわけずに、ベタ塗りで仕上げると、ちょっとシャフトっぽい。線は減らさず、立体感だけ相殺してグラフィカルに処理するというか。細田守さんの作品で影がないのとは、意図が違う。

しかも、アクションカットでも、丁寧に影を塗り分けた絵と、影なしの絵を繋いでしまう。ワンカットずつの充実感を重視して、つながりは気にしない。ラストの橋から飛び降りるアクションが、そうなっていた。カット間に飛躍があった方が、ダイナミックに見える。
それと、冒頭の回想シーンでも橋から飛び降りるアクションには影がなかったので、演出上の整合性はとれている。そういう意図をこめているのか、あるいはスケジュールの都合や実務的な理由があるのか、いずれにしても、シリーズの中に一人原画の回を混ぜる試みは面白い。

『輪るピングドラム』で一人原画をこなした武内宣之さんにインタビューしたことがあったけど、やっぱり特殊な回だからこそ、一人にぜんぶ描かせるというリスキーな試みが許されるらしい。
それを誰がどうジャッジして、シリーズを通しての制作体制の中で、どう消化しているのかは興味をそそるよね。


「個性的な作品は、個性的な現場からしか生まれない」は押井守さんの言葉だけど、それは奇人変人が集まれば個性的になるという意味ではなく、制作体制、システムが特殊であれば、すべからく特殊な成果物が得られるのであって。

どんな仕事でも同じじゃないかな。「誰と誰が組むか」だけではなく、納期や予算に余裕がなければ、それなりの方策を考えるだろう。最前線で、何とか納品しなくてはならない人間たちが主役なんですよ。責任を負った人が主役。どんな仕事でも。

(C)新川直司・講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

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2014年11月 4日 (火)

■1104■

数日ほどかけて、ガンプラなどのパーツを組み合わせ、ロボットを作りました()。
3280256image1かつて模型誌で盛んだった、模型+脳内設定が暴走した体裁の「フォト・ストーリー」形式の小説……は、現在では廃れてしまい、どれこれも版権問題をクリアにした「公式外伝」ばかりになってしまいました。

前回のスーパーフェスティバルで、「フォト・ストーリー」文化を復興させられないだろうか?と雑談したことがキッカケで、まずは模型だけ作成。来年一月のスーパーフェスティバルで、模型の写真+小説を掲載したペーパーを販売するつもりです。


前回、自分のライター人生を振り返ってみましたが、その続きです。

僕は生活費のすべてをライター業で稼いできたので、「ライターであることだけが、俺の存在証明」と化してしまいました。自分の仕事にプライドを持つのは間違っていないでしょうけど、「ライターで食えてないヤツは、一人前とは言えない」と減点法で同業者を見てしまうのが、僕の悪いところです。
過去のイベントでも、「今の若いライターは、一度雑誌に名前が載れば満足してしまう」「ライターを続けていく戦略も根性もない」と、批判していたはずです。

ただ、ここ最近は「ちょっと書いただけで、すぐ満足する」ことを批判的には考えなくなりました。
なぜなら、「ひとつの仕事だけを長くつづける」スタイル自体、僕らの世代の勝手な押しつけだと気がついたからです。バブル期に大学を卒業した僕らは、かろうじて「大企業に就職できたら、一生安泰」と信じられた世代です。
あれから20年の間に、終身雇用の絶対性が崩れ、ワーキング・プアやネットカフェ難民という言葉が生まれました。
その状況を鑑みると、「一度雑誌に書いたから、ずっと書きつづける」ことには、何のメリットもない。むしろ、さっさと満足して、新しい経験を積んだほうがいい。柔軟性のある働き方をしないと、生きていくことさえ難しい。

「いまの若いヤツらは、冒険しない」「言われたことはキチッとやるが、自分の枠から出ようとしない」と、僕らは好き勝手な不満を並べてきました。
バイトで手軽に稼げて、朝まで遊び歩いても何とか暮らしていけて、「ギョーカイに入れればオシャレ、モテる」「有名人とお近づきになれれば、おいしい話にありつける」と刷り込まれてきた僕らは、いまの若い人たちが抱えるリスクに想像がおよばない。少なくとも、僕は無神経でした。


話がライターからずれてしまいましたが、つまりはそういうことです。
僕はアニメのことを中心に執筆してきましたが、「趣味のことなら、なおさら仕事、食いぶちにしたくない」……そういうスタンスも、今なら理解できます。「商業誌に書いて一人前、職業にして一人前」という考え方は、終身雇用を神聖視するのと同じぐらい古いし、狭い。

そんなことより、肩書きを剥ぎ取られたあとに残る、素の人間力みたいなものの方が大事なんです。
『東のエデン』の滝沢くんの職業は、新聞配達でした。だけど、彼はアメリカに行っても、英語を使わずにトラブルを解決できる。プロフェッショナルでないことが、彼の武器なんですね。

プロが独占していた職域に、プロでない人が流れ込んできたほうが、少なくともメディアは活性化すると思う。「アマチュアの柔軟な発想をプロが採用する」とか、そんな上から目線の搾取ではなく。
流動性を社会全体が獲得しないと、おそらく未来はない。


「仕事をする」意味は、社会に還元することだと、今でも信じている。
クライアントを喜ばせるためじゃない、本屋で立ち読みしている見知らぬ誰かに、ちょっとでも楽しくなってほしいから記事を書く。原稿料というのは、その見返りなのだと思う。

だけど、僕のその頑なな信念が、クソの役にも立たないシチュエーションがある。
それを認めて受け入れないと、世の中の人たちと本当には話せない、交われないのだと感じています。

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2014年11月 2日 (日)

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ここのところ、「原稿料が支払われない」という、作家の方のツイートを目にします。
僕はフリーライターとして、16年間、ほぼ切れ目なく雑誌や定期刊行物に記事を書いてきましたが、「原稿料が支払われない」ことはありませんでした。支払われない場合は、徹底的に追求し、半年かかろうが一年後かかろうが、払っていただきました。

その点、作家さんとフリーライターでは、仕事の質やフットワークが違うのかも知れません。
たまたま現在、ライター開業以来、初の大ピンチに陥っていることもあり、自分のライター生活を省みてみようと思います。


まず、僕が有利なのは、独身であること。
結婚していた三年間は、「就職すること」が結婚の条件だったので、「ライター業も平行してつづけられること」を大前提に、ゲーム会社に就職しました。
その間、月給は13万円。それより低い月もありました。会社をリストラされた月、ライター業で稼いだギャラが70万円だったので、元嫁も、思わず黙ってしまったものです。
(元嫁は専業主婦で、家計はすべて僕が持っていました。)

そのときの貯金が200万ちょっと。離婚時に、元嫁から「引っ越し代」として60万円を請求され、自分の引っ越し費用が40万円ほど、かかりました。
貯金は半分になったけど、100万円の貯金があって、毎月何本か仕事があれば、フリーライターのみで十分やっていけます。――ただ、結婚して共働きだとか、親元で暮らしている人は、条件が変わってくるでしょう。子どもがいる人は、すごく大変だと思います。

僕は三年前に、父親が母親を殺傷するという事件に遭いました。
このとき、母の火葬と父親の飼っていた犬の世話代などで、一度に40万円ほど消えました。遺産とか、そういうものは一円ももらっていません。
それでも、離婚したとき手元に残った貯金をベースに、減ったり増えたりはしたけれど、何とかやりくりして来られたのです。


ここ数年の確定申告の記録を見ると、年収は300~400万で、下降気味です。
一時期は700万円ほど稼いでましたから、半分になってしまった。だけど、支払いのタイミングを工夫して分散させれば、海外旅行も出来ます。

ただ、40代半ばにして初めて海外へ行ったのは、「これから2~3年後には行けなくなるかも」という経済的な危機感があったからで、残された人生で何を優先すべきか考えはじめた……という動機のほうが強いです。余裕があったから、ではありません。

署名活動についても、同じです。30万円、決して戻ってこないお金を注ぎこみましたが、社会に必要だと思ったから、貯金を切り崩したのです。
もちろん、高い買い物は控えるようにしました。墜落しないよう、低空飛行を維持できるだけのお金は、必ず残しておく。離婚しようが、親を殺されようが。

そうしておけば、ろうそくの炎が消える前に、別のところへ火を移せるはずなんです。
ところが今回、別の方面からから火を吹き消されてしまったから、ピンチだと言うのです。具体的に何が起きたかは、それこそ本が書けるぐらいのことだと思うので、タダで教える気にはなれません。


いま、「本が書ける」と言いましたが、単行本だけで食べていくのは難しいと思います。
『失職女子。』が話題の大和彩さんが仰るように、印税って、思ったより入ってこない。僕の過去に出した『スーパーロボットコンプレックス』は、出版元が計画倒産したので、80万円入るはずの印税が、ゼロ円になりました(そのときも、他の原稿料で何とか食いつないだ)。

『俺の艦長』は、その半分ぐらいです。ムック本を、ほぼ自分ひとりに任せてもらえた場合も、同じぐらいの原稿料……いや、もうちょっと貰える場合もありますね。
時間と労力を考えると、単行本を書き下ろすより、ムック本を手伝ったほうが良いと思います。

「来春、三冊目の本を出さないか」という話が来ましたが、過大な期待はかけず、下請け・孫請けでもいいから、細かい仕事を進んで手伝うようにしています。「ネットの記事用にライター登録しませんか」という誘いも来たので、登録させていただきました。
フリーライターって、仕事のバリエーションが広いというか、何でも仕事にしてしまえる。映像企画の手伝いもやるし(名前は出ないけどギャラは出る)、一行のキャッチコピーでも書く。CDドラマの脚本なんて仕事も、一度だけやりました。

もし「単行本だけで勝負しろ」と言われていたら、最初の一年で潰れていたと思います。
……と言いながら、16年間、使っては足し、使っては足していた焼き鳥屋の秘伝のタレを、壺ごと持っていかれてしまったので、いま、人生観を問い直しているところなんです。

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