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日本映画専門チャンネルで放映された『鬼龍院花子の生涯』を夜中に見ていたら、あまりに面白くて、最後まで見てしまった。この映画の公開された1982年といえば『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』の年で、「実写の日本映画は暗い、ダサい」と嫌われていた時代だ。『蒲田行進曲』も、この年なんだよね。
「なめたらいかんぜよ!」という夏目雅子の決めゼリフは、流行語としてしか知らなかった。85年放送の『スケバン刑事Ⅱ』で、土佐弁はオタクの間にも浸透していく。
(余談だが、『スケバン刑事』は、オタクとヤンキーが共有できる数少ない番組だったのかも知れない。失速した80年代後半のアニメ文化も、アイドル歌謡に助けられていたと思う。)
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『鬼龍院花子の生涯』当時、五社英雄監督は銃刀法違反容疑で逮捕、仕事もキャンセルされ、妻にも逃げられ、人生は下降線をたどっていた。かつての仕事仲間が、ドロップアウトしつつある五社監督にチャンスを与えたのだという。
3年のブランクを経て『鬼龍院花子の生涯』で第一線に復帰したとき、五社監督は53歳になっていた。この後、63歳で死ぬまでの十年間、ほぼ毎年かかさず映画を撮っていたのだから、きれいな人生だと思う。
夏目雅子が27歳の若さで没するのは、この3年後である。花子役の高杉かほりはアングラ女優で、映画出演は、この一本きりだという。
アニメに首まで漬かっていた僕にとって、『鬼龍院花子の生涯』は、知れば知るほどアウェイな映画である。
ただ、当時はスルーしていた文化が、歳を重ねて、ようやく役立つこともある。異質な文化に触れることで、自分があの時代の中でどこに立っていたのか、ようやく把握可能になる。自分の趣味嗜好の中だけで生きつづけていると、いずれは行き詰ることになる。審美眼や好奇心は、加齢とともに、しっかり衰えていく。
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僕は、五社英雄の過ごした最後の十年に興味がわいた。
五社は1985年に、自分のプロダクションを設立する。墜落寸前の極道監督を、好景気が救ったことは間違いないだろう。
そして、景気後退が始まると、あっさり逝ってしまった。鮮やかな死に際だと思う。こういう面白さは、五社の映画の質とは、いささかも関係ない。だから、映画に点数はつけられない。
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