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以前、「子ども時代に性虐待を受けた女性が、大人になってから加害者である叔父を訴えた」ニュースをリンクしたと思います。
その裁判で勝訴した原告の女性と弁護団が、「性的虐待に関する時効制度の改正 及び 被害救済制度の整備に関する要望」を求めて、署名キャンペーンを行っています(■)。
いま、500人をこえたところですが、僕は何千人、何万人集まってもいいと思います。
性虐待を行っておきながら、今なお、のうのうと生きている加害者たちを訴え、被害者たちに力を与える、具体的かつ実際的行動です。
ぜひ、協力をお願いします。
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その反面、非常に残念な話もあります。
10月15日の内閣委員会の質疑で、松島みどり法務大臣(当時)が、創作物であるフィギュア商品について、「児童ポルノとは言いがたい年齢かなとは思うんですが、いろいろな欲情の誤った形の扇動になるというのは言い逃れることはできないだろうと思っております」と発言しました。(出来れば動画を見て欲しいですが、こちらのブログに正確な文字起こしがあります。→■)
法務大臣ともあろう者が、加害者も被害者もいない創作物について、「児童ポルノ」という言葉を誤用したことに、僕は怒りを感じます。
児童ポルノ禁止法の目的を知っているなら、「いかがわしいフィギュア商品を、どう思うか」と問われて、「児童ポルノ」という言葉が出てくるわけがありません。
「淫猥な」「卑猥な」という意味で「まるでレイプのよう」と言われたら、強姦にあった人は腹が立つでしょう。「まるで性虐待のよう」と言われたら、実際に性虐待にあって苦しんでいる人たちは、どう思うでしょう?
その暴力性を、「児童ポルノ」という言葉は弱めてしまうのです。「度をすぎて扇情的な性表現」という俗な意味で、国務大臣から国会議員、民間レベルにまで浸透してしまっている。
これは「表現の自由」とは関係のない問題です。表現規制とも関係ありません。
「児童に対する性虐待」という過酷な現実から、「児童ポルノ」という言葉は生々しさを脱臭してしまう。児童福祉という面から性暴力・性虐待に強硬な立場をとっている方たちも、なぜか、児童ポルノという言葉には無頓着です。
そこには、「児童ポルノ」という曖昧な概念が、いかがわしい性表現(たとえばアイドルDVDやエロ漫画など)を取り締まり、世の中から一掃してくれるのではないか……という期待・願望を感じます。
性表現をどこまで許すのか。それはそれで、議論を進めるべきです。と言うより、先ほど挙げたフィギュア商品の例で分かるように、性表現に関しては、議論も規制も進んでいると思います。
しかし、創作物規制に、「児童」という言葉を混入させて正当性を強化するのは、あまりにも乱暴で無神経で、場合によっては姑息ではないかと思います。
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そもそも、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」は、児童への性虐待を禁ずる法律ではありません。児童ポルノとは、「児童の姿態」の記録を指しているのであって、虐待の有無は一切関係ありません。
僕は「性欲を興奮させ又は刺激するもの」(条文より)でなくとも、性虐待の記録となるものを取り締まるべきだと思います。だから、「児童ポルノ」ではなく「児童性虐待記録物」と呼ぶべきだと言うのです。
専門的に刑法に詳しい方から見れば雑だと思いますが、僕の主張は、以上です。
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