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月刊モデルグラフィックス12月号 25日発売
●「組まず語り症候群」第24夜
連載二周年です。一時期は「まとめて単行本にしませんか?」という話もあったのですが、いつの間にか立ち消えになりました。だけど、連載は続行いたします。
今月のサブタイトルは「釣りロマンをプラモでも求めて」で、『釣りキチ三平』のプラモデルを取り上げています。
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レンタルで『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』、CSで『ダイ・ハード』(村野武範吹き替え版)、『プライベート・ライアン』など。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は、ウェブ上の個人情報を集めて「将来のテロリスト」を特定するシステムに、今日的な戦争観があった。1950年代の技術で人工知能を作るというアイデアも、センスいい。
『プライベート・ライアン』は公開時(同年に『タイタニック』、翌年に『スター・ウォーズ EP1』が公開されたCG映画胎動期)に見たはずだが、どういう映画なのか、やっとつかめた気がする。
歳をとったせいだろう、「ひとりの部下が死ぬたびに、その十倍の数の兵士を助けているはず」というトム・ハンクスの屁理屈に、リアリティを感じてしまう。(公開当時、トム・ハンクスは42歳、スピルバークは52歳。僕はいま、二人の中間の年齢といえる。)
CGも使っていると思うが、戦車の上で頭が吹き飛ぶ兵士は、明らかに人形であった。映像の感触としては、それぐらいがちょうど良い加減なんじゃない? 何を見ても「どうせCGだろ」と白けるよりは。爆発のたびに膨大な破片や土煙を浴びる。雨が降りつづけていても、もちろん傘なんてない。風呂どころか、パンツや靴下の替えもない。むき出しの「最貧生活」を引きづりながら、兵士たちは進む。腐りかけた牛の死骸さえ、敵兵から身を隠すのに使う。
匂いさえ伝わってきそうな戦場のリアリティに気がつけたのも、僕がある程度、マイナスの経験を重ねて十数年後、この映画と再会できたおかげだろう。
映画は批評も採点もせず、ただ関係を結ぶだけでいい。そして、関係は年月とともに変化していく。
誰がどんな関係を結ぶか分からないので、「生まれながらにダメな映画」も「未来永劫、無条件に優れた映画」も存在しない。
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『CGで作成した「10歳の少女」で小児性愛者を摘発(動画あり)』(■)
オランダの「子ども支援団体」が、コンピュータグラフィックスで「児童」を造形し、本物と思い込んだ児童性愛者を告発、逮捕者が出たというニュース。
本物の児童に対して行ったら明らかに犯罪だが、「児童だと思い込んだ」者を逮捕するとは、まるで、『マイノリティ・リポート』のようなディストピアである。
さきほど触れた『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』にも繋がるけど、「罪を犯しそうな個人を、あらかじめ潰しておく」、無人攻撃機による皆殺しのような考え方が、全世界を覆いはじめているようで、戦慄をおぼえる。
罪の概念、罪の意識を増やし、その網に引っかかったものは一網打尽。ひとつのモラルを守るため、さらに大きなモラルを破壊する。戦争を防ぎたいと思うあまり、「戦争ではない大量虐殺」を容認してしまう。容認するのは、常に「みんながいいなら、それでいいよ」と流されやすい善意の大衆。
Paramount/Photofest/MediaVastJapan
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