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2014年10月16日 (木)

■1016■

起きたら、脳の状態が良好なうちに原稿を書いて、メシを食って一休みして、また夕方ごろから原稿書いて、そのまま深夜まで……という生活なので、DVDを借りに行く暇もない。

なので、録画してあった『ゴジラ対ヘドラ』を見てみた。僕が4歳だった昭和46年の公開で、300010_big_2初めてリアルタイムで見たゴジラ映画が、『ゴジヘド』。ただ、特撮映画よりはセルアニメが好き(つまり、東映まんがまつり派)だったから、ゴジラ映画は、それっきりだ。

しかしまあ、なんという醜悪な怪獣だ。巨大なオタマジャクシのような幼生体も気持ち悪いが、工場の煙突から排煙を吸うときの音も、ものすごくイヤな感じだ。ゴジラのように、水爆実験に対する怒りもないし、感情が読みとれない。
ただ移動するだけで花を枯らし、鉄を錆びさせ、人を骨にしてしまうほど毒性の高い怪獣なのだが、そもそもコイツに殺意などない。殺す気もないのに、生きているだけで殺さざるを得ないヤツが、何より怖いでしょう。


僕は、ゴジラ映画には、つい時代相を求めてしまうんだけど……確かに、僕が小学生の頃は、光化学スモッグ注意報なんて日常茶飯事だった。
ヘドラが武器にするネバネバした、何かバッチイ液体。外で遊ぶと、ああいう得体の知れない物質がズボンにへばりついていて、なかなか取れなかった。コールタールみたいな、ムカムカする匂いのする液体にも、子どもは平気で触るんだ。「スライム」みたいな、明らかに化学的にヤバそうな人工の物体が、実は僕らは大好きだった。そういうものに触ると体に良くないんだけど、しょせん毒から逃れられない世界なんだって、心の触覚で感じとっていた。

清浄な野山が美しいとか、澄んだ空気が恋しいだとか、そういう価値観は後付けにすぎない。大人たちは、汚染した世界に平気で僕らを生んだんだって、小学校に上がる頃には納得していた。『ゴジラ対ヘドラ』を見たせいかも知れない。原爆のことを知っても、「しょせん、先に生まれた人たちが、そういう世界にしちゃったんだろ? だったら、せめて楽しまないと」って、覚めた気持ちだった。

そもそも、「救われたい」なんて思ってないの。だから、幻滅も絶望もなかった。
ずーっと、「どうにもならない」っていう諦観の中に生きてきた。たまたま、歩いて来た道に、ちょっとずつ曲がり角があって、アミダクジをたどるようにして、今ここにこうしている。「ちょっとはマシな世界にしてやるぞ」って思えるのも、いくつか曲がり角があったから。


昨日、法務委員会で遠山清彦議員が、児童ポルノ法について質問しているのを見たんだけれど()。
天童荒太の小説から「幼い頃に性的虐待を受けた子たち」を例に出しておいて、児童ポルノ法と「若干関連する」なんて言っている。若干じゃなくて、全面的に関連してないといけないのに、いつも本気じゃないから、言葉の端にボロが出てしまう。

誰もが、何か汚らわしいもの、見たくもない忌まわしいものを「児童ポルノ」って呼び捨てている。そういう雑な神経と、児ポ法改正に熱心だった議員たちの心根は変わらない。彼らの頭の中に根絶すべき「ポルノ」はあっても、救いたい「児童」はいない。
頭がスカスカだから、遠山議員はジュニアアイドルのDVDを取り締まれ、なんて見当違いの方角へボールを投げている。「ポルノ」なんて言葉を使っていると、家に閉じ込められた児童の救済ではなく、目に見えやすい「風紀取り締まり」に話が流れていってしまう。流されていっても、心に締まりがないから、「こういう社会にすべきだ」って理想もないから、気がつかない。アイツラには分からないんだ。

僕は、幻滅も絶望も体験しないで、平坦に生きてきた。だけど、「児童」をダシに「ポルノ」を取り締まりたいと言い出すほど愚鈍ではない。そんな自分たちにって楽チンで甘っちょろい、手ぬるいことを、さも難しそうに言うほど厚顔ではない。
ああいう偉い人たちが本気で怒ったところ、子供の頃から、一度も見たことない。大人が世界をマシにしてくれるなんて、小学校の頃から、まったく、一ミリも期待してなかった。だけど、僕はマシにしたい。「アイツラのようにはならない」って、子供の頃に思ったからだよ。

1971 TM&(C) Toho Co.,Ltd.

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