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月刊 創 11月号 本日発売
●漫画・アニメの現場、“規制される側の本音”とは
漫画家の海野螢さん、アニメ監督の入江泰浩さんに取材して、「常に規制対象にされているメディアの現場」の声を聞きました。
特に、表現規制についてアニメ業界の人が話すことは珍しいので、初めて聞く話も出てくると思います。
入江監督と知り合ったきっかけは、「児童性虐待記録物」署名に賛同してくださったこと。取材のときも、署名について少し話しました。
海野さんは、ある人からの紹介だったのですが、インタビュー後に単行本がアマゾンで取り扱い中止になってしまい、その一件を盛り込んだりしたので、充実した記事になっていると思います。
今月号の「創」には、連載直前に突然中止となった『あいこのまーちゃん』のやまもとありささん、「コミックゼノン」誌の堀江信彦さんのインタビューもあり、全16ページの表現規制ミニ特集となっています。
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珍しく、アニメの話でも書きましょうか。
富野由悠季監督の『Gのレコンギスタ』が、深夜枠で放送開始されました。僕は放送第一回スペシャルを通しで4~5回は見ていると思うけど、その後で深夜アニメを見ると、まったく別のメディアのように感じられる。おそらく、「(深夜)アニメは、こうでなくてはならない」という決まりが、いつの間にか熟成されて、現場に浸透しちゃってるんじゃないかな……。
制作ってのは、ようはシステムなので、システムを変えないと、作品も変わらない。押井守監督の言う「個性的な作品は、個性的な現場からしか生まれない」は、そういう意味だと思う。
システムが同じだと、ロボット物も学園モノも、同じような質感になってしまう。「最近のアニメは、どれを見ても同じ」に感じるとしたら、受け手の感覚が鈍磨しているだけではないと思う。システムが強化されると、個性はひっこむ。
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じゃあ、『Gのレコンギスタ』は何が違うのかというと、夾雑物が、ノイズが多い。まず、撮影時に主線を途切れさせることで、映像にノイズを発生させている。線がランダムに途切れていると、止まった絵でも「ピタッ」と静止しているようには見えない。線が途切れているってのは、つまりは絵の情報量が増しているということだから。
デジタル化される前のアニメを見ていると、けっこう予想外の情報が混入している。
「セルに付着した埃」なんてのが代表格だけど、色パカはあるし、透過光のミスもある。セルの厚みが映ってしまっている場合もある。デジタル化により、そうしたノイズは淘汰されていった。すべてがクリーンに研ぎ澄まされていった。
だけど、今はCGを使ったとしても、「手描きに見えるようなCG」が「上手い」ってことになっているでしょ。その揺り戻しは、レトロ趣味ではないと思うんだよ。
反面、作画は、各話作監のうえに総作監がいて、とにかく絵柄の統一を図ろうとする。完璧なシステムのようだけど、人間が描いているから、長いシリーズだとキャラ表から絵が違ってきてしまう(なので、作監修正のコピーを作画スタッフに配る)。
ところが、『Gのレコンギスタ』は、第一話からして、絵がキャラ表と違う(笑)。それは劇場パンフ用に、吉田健一さんにインタビューして聞いたことだから、そこからしてシステムが崩れてきてはいるんだよ。
(コンテに書かれた芝居に、キャラ表が対応できない……だから、予想外の躍動感が生まれているのではないか?)
僕にとって、それが深夜アニメが起きているってことは、とても痛快。
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もっと書きたいんだけど、明日夜はニコ生をやります(■)。
映画『月光』のプロジェクトが、めでたく成立したので、小澤雅人監督に今後の意気込みを聞きたいと思います。
(C)創通・サンライズ・MBS
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