« ■0929■ | トップページ | ■1004■ »

2014年10月 1日 (水)

■1001■

『社会や家庭の闇で多発する性暴力や虐待を真正面から描く映画「月光」応援プロジェクト』(
Detail_325_detail_325_ninomiya_1小額ですが、支援してます。残り二週間ちょっとで、まだ70%ぐらいなので、「1,500円ぐらいなら、映画の前売り券を買うつもりで出してもいいな」という方は、ぜひ協力してください。

「性暴力・性虐待は問題だろうけど、それについて調べたり、本を読んだりするほど余裕がない」人にも、映画だったら意識してもらえるんじゃないか――と、ずっと思ってました。
だけど、クラウドファンディングが苦戦しているということは、「お金まで出すほどではない」「しょせんは映画」と覚めている人が、大多数ってことなんでしょうね。

性虐待がなくならないのは、ようは「子供という存在の弱さにつけこむ」社会です。大人が、苦労せずに手に入れた力を、だらしなく振り回す社会です。


僕はやっぱり、ネットの中であれこれ推測するのではなく、当事者に会わないと気がすまないから、性虐待を経験した女性に会ってきました(仮にBさんと呼びます)。
ところが、こちらが拍子抜けするぐらい、Bさんは幸せに暮らしていました。Bさんの友だちも来たので、子育ての話や家族同士で遊びに行く話で盛り上がり、むしろ家族のいない僕のほうが疎外感をおぼえてしまうほどでした。

Bさんも、過去には、父親を殺したいと思い悩んだこともあるそうです。
また、自暴自棄になり、自分の存在価値を見出せず、一度は「どん底」と言ってもいい状態にまで閉塞した、死屍累々の過去があると聞きました。

しかし、円満な家庭を築いている親類を見て、「自分もこういう温かい家庭をつくりたい」と、理想が生まれたんだそうです。実際に結婚して、子供がひとり生まれ、ふたり生まれ……そのうち、父親(や、父親の性虐待を見逃した母親)に対する憎しみは、少しずつ薄れていったようです。

Bさんの家庭では、近所の子たちも一緒にご飯を食べさせたり、お風呂に入れたりするそうです。それはいわば、幼い頃に優しくしてくれた親類の家庭の再現とも言えるでしょう。
別に言葉にしなくても、生活の一端に触れさせるだけで、ちょっと救われた気持ちになる子もいるのではないか。
……そこまで愛情のキャパシティを広げられるまで、七転八倒したみたいですけどね。詳しくは書きませんが、トラウマに苦しんだ期間のほうが、ずっと長くつづいてきたわけです。


だけど、「実際に虐待されている最中には、助けを求めることさえ出来ない」と、Bさんは言います。どんな保護施設やシステムがあったとしても、子ども自身は、その存在を知らない。

また、「性虐待の全容を知ろうとすれば、加害者に直接聞くしかない」。
ところが、「性虐待の体験を自ら話せる人たちは限られているだろうから、加害者も一定の性格傾向を持った特殊な人たちしか浮かび上がってこないのではないか」。
そう言うBさん自身、まだ父親と虐待について話すことは出来ないそうです。だったら、虐待にあった子が救われれば、まずは良しとするしかないのかな……。

だけど、加害者は何事もなかったように暮らして、被害者だけが血の出る思いで生きつづけねばならない、それは理不尽に過ぎる。

身体的虐待は外見に出やすいけど、性虐待は発見しづらいって言うでしょ。
それがイヤなんすね。被害者を黙らせるとか、黙らせることで表面だけ取り繕う世の中っていうのが。その誤魔化しを、なんかカッコいい言葉で言いくるめるヤツもいるしね。
何ら実際的な働きかけをしない、つまり「現状肯定のまま、指をくわえて傍観する」姿勢を、さまざまに粉飾して、あたかも自分が勝利したかのように宣言する連中で、ネットはあふれ返ってるでしょ。

性虐待もそう、男であること、女であることもそうなんだけど、「本人の意志と努力でどうにもならないこと」は、責めやすく責められやすい。で、責めてる側は「意志と努力」と自分とを、きれいさっぱり切り離している。
圧倒的マイナスから出発し、第三者まで元気づけてしまうBさんの生命力はまぶしいばかりだったけど、だからこそ、何もかもに全面降伏しているニヒリストたちの存在が、僕の中では際立って感じられる。

|

« ■0929■ | トップページ | ■1004■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■1001■:

« ■0929■ | トップページ | ■1004■ »