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2014年9月20日 (土)

■0920■

『幸せへのキセキ』と同時に、友人に薦められた『きっと、うまくいく』。
Main_largeこの映画には、圧倒された。この映画一本さえあれば、他に何もいらないって人もいるだろう。単館系といえども、大ヒットしたのも納得がいく。
3時間ちかくあるが、開始30分ごろに出てくるミュージカル・シーンに心をつかまれた。「心はとても臆病だから、困難が近づいてきたら、“うまくいく”と言い聞かせるんだ。困難をやりすごす勇気が生まれる」。
たったそれだけのことで、ありとあらゆる困難を突破していく力技のストーリーに、得体の知れない説得力が加わる。勇気が出る。

おそらく、俳優たちの過剰なまでの表現力にも、その理由がある。主演のアーミル・カーンは44歳だというのに、どうしてもこの映画に出たくて、大学生に見えるよう努力したという。
ミュージカル・シーンが、力強い。振り付けのアイデアは泥臭いのだが、それがかえってエネルギッシュだ。
しかも、セットを大量に作り、まったく金を惜しまない。その豪胆さも気持ちいい。とにかく、やることすべてに確信がある。自信がある。何も怖れてない。

「いい物語は、常にすべてのついての物語である」――ひさびさに、この言葉を思い出した。


もうひとつ、「成績や順位など気にせず、本当に身になることを学ぼう」というテーマがいい。主人公は、ありもしない言葉を黒板に書いて、「この意味を調べてみて」と、他の学生たちに出題する。だが、誰もが自分がビリになるまいとするだけで、その言葉に意味があるのかどうかは問題にしようとしない。
「学校なんて、制服さえあれば入れるんだよ」。主人公は、幼い頃から制服を着て学校に忍びこみ、どんどん知識を吸収していった。「制服を着ているからには、生徒に違いない」という浅はかな思い込みを逆転利用し、どんどん本質を学んでいく。

この映画がヒットする日本は、そうそう捨てたものではないかも知れない。
僕らを苦しめているのは、この映画で何度も何度も指摘される、本質から遠くかけ離れた表層なのだ。誰もがおかしいと感じていながら、言葉に出して「おかしい」と言えない空気なのだ。
だが、義務教育で順位をつけられ、抑圧されて育ったから、他人の批判だけが上手くなる。いやらしく他人のミスを探し、欠点をあげつらい、際限のない努力を迫る。まるで本質に近づけない努力を。

しばしば僕を絶望させるのは、形骸だけの社会、それを指摘できず改善もせず、個人に多大な抑圧を加える人々の心だ。


「児童ポルノ」という言葉を改め、「児童の性虐待記録物」と呼ぶべきだと主張するのは、まさしく形骸化した社会の構造を打ち壊したいと思うがゆえだ。
性虐待の過酷な実態には目を向けず、もし知ったとしても、「難しい問題なんだ」「そう簡単に無くせないんだ」と解決を遠ざけ、責任を放棄し、そのくせ他人の心の中をのぞいて、「悪いのは、お前の性欲だ」とあざ笑う構造だけは強化・維持していく。
僕に何度も浴びせられた「どうせ、エロ漫画を読みたいだけなんだろ?」という嘲笑が、まさしく本質と向き合わない、だが他人を貶めたい、卑しい社会の一断面だ。

言葉を変えるだけで、何が問題なのか見えてくる場合がある。
だが、僕らは問題解決を学ぶことなく、むしろ問題を糊塗する方法だけを叩き込まれてきたから、羊のように黙り込む大人になった。表層を維持するための奴隷になった。

みんな、分かっていると思う。「本当は、自分はウソをついている」と。ウソをつかないと弾きだされる社会に、加担してきたと。
今からでも引き返せる。まだ、脈はあると僕は思っている。「行動」なんて大仰なことではなく、日々の生き方、言動を少し変えるだけで、誠実な社会を取り戻せる。やってごらん。

(C)Vinod Chopra Films Pvt Ltd 2009. All rights reserved

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