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2014年8月30日 (土)

■0830■

レンタルで、『(500)日のサマー』。これは「ムービープラス」で、後半だけ見た。主人公が「カードライター」(カードに短文を書く仕事)で、すらすらと美しい言葉を口にするシーンで思い出した。ラストシーンも、よく覚えている。
334208_01_05_02いいんですよ。こういう映画は、中身なんてなくったって。パーティのシーンと、幸せなシーンと切ないシーンと、二人で映画を見るシーンがあれば。
あと、ロケ地が綺麗なこと。出てくる食べ物がユニークで上品なこと。恋愛映画は、それだけで十分。

『スター・ウォーズ』一作目が、ワンカットだけ引用されている(20世紀フォックスの映画なので)。あと、30歳前後の主人公二人が『ナイトライダー』の話をしたり、どことなくノスタルジアの漂う映画だ。


この手の、さして悲痛でも崇高でもない恋愛映画を見ていると、ハンサムな友だちと、彼の恋人のことを思い出す。
今でこそ、彼はよく出来た奥さんと結婚し、子供に恵まれているが、20代のころは美人で感情の起伏の激しい子と付き合っていた。(彼をMくん、彼女をN子さんと呼ぶ。)
Mくんは「N子と堂々と会うため」、実家からそう遠くない場所に、小奇麗なフローリングのアパートを借りていた。90年代のはじめ頃で、まだ世の中には、バブリーな空気が漂っていた。

夜中にMくんのアパートで長話ししていると、彼女から電話が来て、「今からN子が来るっていうんだけど、いい?」 N子さんは明るい子で、僕のような鬱屈した男にも、気楽に話しかけてくれた。
大学卒業時にこっぴどくフラれて以来、女性と距離のできてしまった僕は、Mくんが席を外しているときにN子さんに話しかけられると、間が持たないような気がして、どきまぎしたものだった。
「うわ、悪趣味!」と、N子さんが言う。彼女は『ワイルド・アット・ハート』の映画チラシを僕に見せて「見てよ、この衣装……」 だが、ファッションにうとい僕には、どこが悪趣味なのか、よく分からなかった。

N子さんが友だちを連れてきている夜もあって、いつも二人の周囲はにぎやかだった。僕は人付き合いが下手だったから、彼らの軽やかな人間関係には溶けこめないでいた。
誰も彼も、「お金がない」と言いながら、とてもオシャレだった。


MくんとN子さんの、どこか飄々とした恋人ぶりに、おそらく心のどこかで憧れていたと思う。
二人の乗った車に同乗させてもらったとき、洋楽のCDがかかっていた。「次の曲って何?」とN子さんが聞く。Mくんは抑揚のない声で、つぶやくように答える。「キミの嫌いな曲」。
そんな場面が、それこそ映画のワンシーンのように思い出される。
「キミさ……。その口紅の色だけは、何とかしなさいって言ったよね?」などとN子さんに不満をもらすMくんの声音には、不思議な優しさがこもっていた。

そのうち、Mくんには新しい恋人ができ、それからまた新しい恋人ができ、もちろんN子さんとの間には何度か修羅場が展開されたはずなのだが、それすらMくんは淡々と「泣きながら抱きつかれたら、追い返せないだろう……」と、他人事のように話すのだった。
「そういや、N子が会いたがっていたよ」 「会いたい? 誰に?」 「お前にだよ」――とうとう、N子さんの相談相手は、僕ぐらいしかいなくなってしまったのだ。
お互いの電話番号を知らないので、もちろん連絡のとりようなどなかった。


ところが、滅多に行かない渋谷を歩いていたら(僕のことだから映画の帰りだったと思う)、偶然にN子さんと出会った。「ちょっとだけ話していい?」と、僕はファーストキッチンに連れていかれた。
「会いたい」と言っていたわりに、N子さんはたいした話はしなかった。Mくんは、新しい恋人とうまく行っていたので、僕は正直に「彼は彼で、幸せそうだ」と答えてしまった。N子さんは、笑顔のまま涙をポロポロこぼした。20代なかばの僕には、対処の方法が思いつかなかったので、相手が泣きやむまで、黙っているしかなかった。

やがて、N子さんは泣きやむと、「彼女いるの?」と僕に聞いた。いるわけがなかった。「じゃあ、いいよね」と、彼女は自分の携帯番号をメモして、涙のまじった笑顔で僕に渡した。ぼちぼち、携帯電話が普及しはじめていた頃だ。
僕は何度か、彼女に電話してみた。何度目かで、「私、もう新しい彼氏いるし……そもそも、どうして廣田くんは私に電話してくるわけ?」
そのへんの間合いが、徹底的に測れない、20代半ばの僕だった。2~3年後、僕にも彼女ができたけれど、重たくて重たくて、11ヶ月で別れた。

30代に入ってから知り合った子と結婚したわけだけど、ご存知のとおり3年で離婚した。
もう、人生に恋愛のチャンスはないだろうけど、僕の恋愛観には、MくんとN子さんのジメジメした部分を他人に見せない洒脱な付き合い方が作用している。適度な出来具合の恋愛映画を見ると、今でも彼らに憧れた日々を思い出す。

(その二人をモデルにした短編小説が、これである。⇒

(c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

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2014年8月28日 (木)

■0828■

『Gのレコンギスタ』 先行上映版パンフレット

Product_theatre02●吉田健一さんインタビュー
キャラクターデザインと総作画監督の、吉田健一さんにインタビューしました。
ジブリ時代の話、バイクで事故った『もののけ姫』の話、ボンズの話も出ました。何年分もの膨大なラフスケッチ、作監修正も見せていただきました。ユーモアと風格があって、これから何十年も絵を描いていきそうだ、と予感させてくれるタフさも感じました。
こういう人に会えるから、ライター、インタビュアーという仕事はやめられないのです。そして、『Gレコ』のようなみずみずしい作品に、ほんの端っこだけど公式に関われて、光栄に思います。


レンタルで、『少年と自転車』。ベルギー、フランス、イタリア合作で、カンヌ国際映画祭でグランプリをとったから、知っている人もいるだろう。

Sub2_large脚本が高く評価されているけど、ラストは、いかにもヨーロッパ映画らしく、どうとも受けとられるような多義的な味わい。ヒョイと曲がり角をまがって、その先がどうなっているのかは分からない。

親に捨てられた少年が主人公だけど、聖母のような女性に救われもする。だけど、幸せじゃない。思ったようにならないけど、死にたいとか殺したいとか、そこまではいかない。
その、人生がいやおうなく続いていってしまう倦怠を、自転車という小道具を随所で生かしながら、ありありと見せてくれる。
「自殺したいほどでもない不幸」は、何かの拍子に、生きていく力になってくれる。


この映画の少年は、父親に騙されて捨てられるんだけど、軽視されない人間なんていない。どんなに誇りをもって生きていても、どこかの誰かから見たら、虫ケラなんだよね。それを受け入れないと、生きていくのはつらい。
それに耐えられない人は、負けそうになると弱みを口にする。持病だとかさ。「僕は病気で、あなたより不幸であるにもかかわらず、こうして負けてあげてるんだよ。そんな僕を責めるあなたって、実にひどい人だよね」って。
病気や家庭の不幸には同情するけれど、武器に使うのは卑怯なんだよ。

僕は昨日、市役所の職員から、それこそ「取るに足らない、生きてるだけで迷惑な役立たず」に扱われたから、それこそ「家庭の不幸」を印籠のように取り出そうかと考えた。
でも、それをやったら、さらにバカにされるからね。自分も傷つくだろうし、相手の望むような阿呆に徹した。すると相手は、「あ、こいつ、思ったとおりの虫ケラだったな」って顔をしてくれる。
その顔を見た瞬間、最低限の要求は通せると確信したし、実際、そこそこ通せた。すると、帰り道は湖のように心が静まっている。

変な例えだけど、『レイズナー』の後期で、乞食のフリをして敵の目をあざむくエイジ。あれが一番つよい。本当は服の下の肉体は鍛えてあるし、手のこんだ作戦も立ててある。だからこそ、いちばん目につきやすい外見を、相手にバカにされやすいよう、汚くしておく。
そういう捨て身の知恵と工夫さえあれば、きっと誇りは最後まで守られる。

(C)Christine PLENUS

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2014年8月25日 (月)

■0825■

月刊モデルグラフィックス 10月号 発売中
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●「組まず語り症候群」第22夜

この連載も、そろそろ開始して二年ぐらいになるんですね。今回のサブタイトル、「てめえらの爪はなに色だーっ!!」の意味は、本文を読めば分かります。ネタは『北斗の拳』と『伝説巨神イデオン』のフィギュア・キットです。

80年代の、ほんの3年ぐらいの間、「とりあえずプラモデルにすれば、子どもに認識してもらえる」文化がありました。その感覚は、後に「擬人化」「萌えおこし」などのキャラクター文化に吸収されていったと思うのですが、プラモデル文化まで把握して語る人は、なかなかいませんね……。


昨日は、友人に誘われ、「平成26年度 富士総合火力演習」(総火演)を見学してきました。
ロボットアニメをつくるとき、あるアニメ監督が「本物の兵器を知らなければ架空の兵器など描けるわけがない」と、スタッフを総火演に引き連れていった逸話があります。

Dsc_1883自衛隊も兵器も、日本ではフィクションに近しい存在なので、無料配布のパンフレットには『ガールズ&パンツァー』と『白銀の意思 アルジェヴォルン』(ミリタリー調のロボットアニメ)の広告が刷られていました。
総火演の後半は、「敵に上陸された島を奪還する」シナリオでの訓練で、ナレーションを交えるとますます虚構性が高まり、見た後は「USJのような、実物大のプロップを使った大迫力アトラクション」を堪能したように感じられます。

もし、ミリオタっぽい男性ばかりが観客なら「派手なアトラクションだったな」という、お気楽な感想は出なかったのかも。観客は親子連れ、夫婦連れが多く、中には迷彩柄のタンクトップを着たセクシーなお姉さんも……。
「そういう普通の人たちが、本物の兵器を楽しむために集まるなんて異常だ」と、神経質な人には言われてしまいそう。食べ物の屋台は出てるし、自衛隊関連のグッズも売っているし、完全に「お祭り」なんだよね、雰囲気は。


誘ってくれた友達は、兵器関連の仕事をしているので、帰りの車中ではいろいろな裏話を聞いた。彼とは『コンバット』ごっこをしていた小学生時代からの付き合いで、そもそもミリタリーモデルの楽しみ方もプラモデルの塗装なども、すべて彼から学んだ。
今では二児の父親となった彼は、思想的に偏っているわけではなく、現政権への批判も多い。

それは別にして、僕がちょっと気になるのは、『ガルパン』や『艦これ』のような萌えミリタリー・ジャンルが「日本の右傾化に拍車をかけている」などと、ネットで批判されがちなことなんだよねえ……。
社会からの批判に対して、アニメ業界は対抗手段を持っていないと思う。児ポ法改正後、毎日新聞の社説で「アニメ業界は自粛に取り組むべき」とまで書かれたのに、それすら知らない業界人が大半だろう。

そして、萌えミリタリー物が叩かれる理由は、「アニメだから」「ゲームだから」「アニメやゲームのファンは気持ち悪いから」という、ありきたりな偏見が原因だと思う。児ポ法改正の煽りをくらったのと、たいして変わらない。
児ポ法改正に関して、漫画業界の動きは活発だったけど、アニメ業界は沈黙したままだった。社会とのケーブルが断線しているかのように、僕には見える。批判に対して、何のリアクションもないから懲りてないように見えてしまうし、それゆえ、(漫画より)叩きやすいんだろう。


結局、性犯罪も右傾化も「気持ち悪いオタクのせい」にされてしまって、「とにかくオタクを叩けば、意見が正当化される」という風潮が出来ているとすれば、それはこの後も、ずっと続くでしょう。
どうしてオタク文化が「気持ち悪い」と思われてしまうかというと、「よく知らない」「見たことがない」から(これも毎度のことだよなあ……)。もしかすると、僕らから「外部」に向かってアピールしていくことが必要なのかも知れない。

「こっちには、こういう事情があることを分かって欲しい」とオープンに言い合える社会になれば、かなりの誤解や憎悪、差別を取り除けるのではないでしょうか。
やっぱり、話し合いと語りかけが大事なんですよ。僕は二度の署名でお金も力も使い果たしてしまったけど、まだもうちょっと、出来ることがないか考えてみます。

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2014年8月21日 (木)

■0821■

レンタルで、『コンプライアンス 服従の心理』。
Sub11_largeアメリカのファストフード店に、警察官を名乗る男から電話がかかってくる。若い女性店員が客から金を盗んだと嫌疑をかけられ、女性店長は警察官に言われたとおり、彼女を丸裸にしてしまう。
ここに貼った写真のように、ファストフード店のディテールが繊細に切り取られ、この小さな事件に緊張感を加えていく。例えば、ストローの内側に溜まった水滴、駐車場のすみに溶けのこった雪など……。

電話で指図を受けた人々は、羞恥心と好奇心を引き出され、こじんまりとした人間関係にヒビが入っていく。事件後、裸にされた女性店員は犯人ではなく、店長を訴えようと考える。
もはや若いとはいえない女性店長が、雑談をしている顔のアップで、映画は終わる。やや深刻な立場に追い込まれつつあるというのに、不思議なもので、そういうときにかぎって人間は笑い出してしまう。その得体の知れない笑いの表情には、異様な迫力がある。

人間を卑下せず、その不思議さに迫ろうとする映画には温かみを感じる。たまには、こういう映画に振り回されないと、心のバランスがどうにかなりそうだ。
出てくる人々が、とくに裕福そうでも、格別に幸せそうでもないのが良かった。


僕の友人は、奥さんと子どもに恵まれたまっとうな男が多いのだが、彼らはインターネットをほとんどやらない。特に、SNSには近寄ろうともしない。まことに賢明だと思う。
ツイッターは匿名でやっている人が多いと思うが、本音をこえた本音がぶちまけられていて、たまに狂気を感じる。狂った人間が多いという意味ではなく、ふつうに暮らしている人の狂気が発露しやすい場なのだろう。

それはまあ、いい。疲弊するのは、すきあらば人を嘲笑しよう、少しでも優位に立って頭のよさをアピールしようと狙っている、ケチな男と出会ってしまった場合。
揚げ足をとられないように気をつけていればいいのではなく、ようはツイッターをやっている以上、彼らを避けるわけにはいかない。
現実の問題を解決するには、結局は、生きた人間と対面するしかないと思っているので、僕がネットに依存しすぎなのだ。


今の仕事は、勉強熱心なクリエーターの方たちの話を聞けるので、心が老いるということはない。
だけど、上手な歳のとりかただってあるはずだ、とたまに思う。ひとりで、朝まで飲んでOKなのは、30代までではないか……例えば、そんなことを考える。

「愛する家族と一緒に暮らすとか、食いたいサラミをたらふく食えるとか、コーヒーもおかわりできるとか、風邪をひいたら風邪薬。そういう人間らしい暮らしな、どう思う?」
――『茄子 スーツケースの渡り鳥』より

(C)2012 Bad Cop Bad Cop Film Productions, LLC 

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2014年8月18日 (月)

■0818■

大人が「G-レコ」を見る必要はない! 「ガンダム Gのレコンギスタ」富野由悠季に直撃取材――アキバ総研
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●取材・文
富野監督には何度かインタビューし、『アイアン・スカイ』のプロモーション生配信でもご一緒しましたが、これはかなり面白いインタビューに仕上がったと自負しています()。

ただ、もう40代の使い古しのライターでないと、富野監督にインタビューできないのだとしたら、それはそれで健全とはいえない。
(僕は、自分のところに依頼のくる富野監督への取材を、どんどん若いライターに回していた時期があります。その彼も、そろそろ30代の終わり頃では……。)


コミケ会場でAFEEのチラシ配りボランティアをした翌日、長距離バスで、福島県いわき市に向かう。
特に用事はない。三年前、マスクなどの物資を持っていき、ついでに原発や放射能について取材させていただいた方たちと、ひさびさに会うというだけの小旅行。

学習塾経営のGさんが、勿来と呼ばれる沿岸地域を、車でグルリと回ってくださった。
Dsc_1880まだ倒壊したままの建物もある。この眺めのいい場所は、公園になる予定だという(右奥は、火力発電所)。
僕は、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映会のときのように、彼らと何か協力しあう気持ちで行ったのだが、その必要はないようだった。

いわきの町は「ここ数日、毎日どこかしらで盆踊りをやっている」そうで、にぎやかだった。
この町は、もう三年前とは違う。再生しようとしている。もう、僕が手を貸せることは、ひとつもない。


二児の母のNさんによると、彼女の娘さんが『マイマイ新子と千年の魔法』を林間学校へのバスの中で上映したところ、子どもたちに大ウケだったという。
その話を聞いても、やはり……偉そうに言わせてもらうなら、自分は(上映会で)種ぐらいはまいたのかも知れない。まいてないかも知れないが、とにかく、葉っぱは芽吹いているのだ……それが、この小さな旅の印象であった。

いわき駅前には、洒落たガールズバーが出来ていた。値段が安かったせいか、ついつい飲みすぎてしまった。


東京に帰ってきた翌日、これといった目的もない「オフ会」へ。
表現規制に反対している方たちが、男女7人も集まってくださった(偏見があるかも知れないが、エロ表現への規制に反対している女性は、思ったより多い。僕の行った「性虐待記録物」署名でも、少なくとも三割が女性だった……ので、偏見もたないでね)。

初めて聞くような情報(それぞれの方の実体験。それが何より貴重)が、せまい会場にとびかった。もっと、悲壮感のただよう会合になると思ったけど、皆さん、「こんな不満を抱えています」「僕なんて、もっとイヤなことあった」と言い合いながらも、意外と元気。

……どういう世界が理想なのか、それぞれ考えていると思う。世の中どうでもいい、自分の趣味だけを守りたいと思っているだけなら、そもそも、見知らぬ人と話そうとはしないだろう。
「明日は、今日よりマシな自分でいよう」って程度の向上心は、持っているはずだよ。「二次元表現規制反対」=「変態のロリコン野郎」と思われているだろうけど、そんな、性欲のためだけにガツガツと生きている人間はいないでしょうよ……。
(少なくとも僕は、理不尽に人の心に入り込んでくる規制に対して、反対している――そこについては、もっと実際的な肯定意見が、女性陣から出た。)

だけど、同時に、僕らにまったく罪がないのかというと、そんなことはないだろう。
人と関係を結ぶのに、罪悪感だけは素通りではないような気がする。人への罪悪感ってのは、自己完結しないからね。

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2014年8月14日 (木)

■0814■

明日昼から、福島県いわき市に一泊旅行してきます。
帰ってきた翌日は、テーマなきオフ会()。どういうわけか、満席になってしまいました。ほとんど初対面同士なので、どんな場になるのか、すごく楽しみ。


レンタルで、『キャプテン・フィリップス』。
159925_4『ダイ・ハード』の海洋版……と思いきや、ソマリアの海賊にジャックされた輸送船の中での頭脳戦は、前半のみ。トム・ハンクス演じる船長が人質になってしまい、あとはアメリカ軍の救出作戦と海賊たちの交渉がメインになっていく。

トム・ハンクスは、ソマリア人の海賊を撃ちません。それどころか、憎みもしません。むしろ、助けようとさえする。だけど、それは彼が慈善家だからじゃない。彼はただ黙々と、目の前で起きている事態を「ちょっとはマシ」にしているだけであって、なにか英雄的な働きをするわけではない。
船長が生真面目な凡人だとするなら、銃を構えた海賊たちの本業が、「単なる漁師」でしかない事実が、妙に強調されてくる。彼らは、別に悪漢ではない。トム・ハンクスがヒーローではないように。

むしろ、海賊たちを精密な狙撃で撃ち殺し、ただひとり残った彼らのボスを、アメリカの法廷で裁こうとする米救出部隊の獰猛な「正義」だけが、不自然に見えてくる。
救出されたトム・ハンクスが、海賊たちの返り血を「私の流した血じゃない」と泣きながら説明するシーンに、多層的な意味が加わってくる――が、そこから先は、ソマリアの歴史を勉強しないと、何も言えないのだけれど。


『キャプテン・フィリップス』の「出会うはずのなかった立場の人々が、たまたま出会ってしまったことによる混乱」は、SNSで無意味に起こる論争にも似ている。

僕が対人恐怖症になったのは、父親が食事中、いつもムッと黙り込んでいて、「心の中を読まれているのではないか」と怖れつづけていたためだろう。
今でも、取材のときや服を買うとき、滝のような汗が出てしまう場合がある。

今日は、エンターテイメント表現の自由の会「AFEE」のチラシ配布の手伝いで、見知らぬ人たちと一緒に作業した。最初は違和感があっても、だんだん楽しくなってくる。
サークルの席に座っている知らない人に「お疲れ様です」「よろしくお願いします」と声をかけるのも、楽しい。

だから、オタク文化に積極的に参加することで、ちょっとずつ自分を矯正している部分はあると思う。

(C)2013Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

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2014年8月11日 (月)

■0811■

EX大衆 9月号 12日発売
Photo
●『ガンダム Gのレコンギスタのすべて』構成・執筆
『Gレコ』に関しては、複数媒体でインタビューなどもやっていますが、これはすべて私のテキストで構成された記事です。絵コンテも読んだ上でのテキストなので、公式サイトのコピペにはなってませんよ!

カラー4ページの後半は、「富野由悠季監督特集」なんだけど、図版はガンダム・シリーズのみにして欲しい……という事情が入り、『聖戦士ダンバイン』『リーンの翼』『伝説巨神イデオン』などについて書いたテキストは、すべて没に……。唯一、『ブレンパワード』のテキストのみ、使われています。


昨日は、大崎駅ちかくの会場で、イベント「ゴー宣道場」に出席してきました。
どんな話をしてきたのか、私の走り書きを、ツイッターでまとめてもらえました()。録音禁止だったので、正確な発言とはなってないけど……。
僕の目標は、「児童ポルノ」という言葉が曖昧すぎて誤解をまねくので、「性虐待記録物」と呼びかえるべきですよと、それだけを分かってほしかったので、それは成功したと思います。

「その相手に会う」って、とても重要だと思うんだけど、あれだけネットではケンカ腰だった小林よしのりさんは、真剣に話を聞いてくれました。目線とか口調とか、その場の空気を通じないと分からないものがあります。ダメなときは「あ、これは話しても無駄……」って、分かるもんでしょ。(ネットでは、死力を尽くして議論しつづけている人たちがいますけど。)
もともと時間を大きくとってくれたのに、「まだ話す? もういい?」とまで言ってくれましたからね。


「会う」という意味では、議題に「児童ポルノ」を加えてくれた叢叡世さん、僕を道場に誘ってくれた魔中年ATさん、お二人が、とてもいい人だった。
ツイッターだけでは、想像つきませんからね。お二人とも、笑顔で挨拶してくれて、最初から話もよく弾んだ。
会場近くのファミレスで作戦会議したけれど、相手の意見を黙ってよく聞いて、「じゃあ、僕はコレとコレを言います」と、てきぱきと話が進む。こんなこと、仕事では滅多にないです。仕事じゃないからこそ、互いを尊重して話し合えたのかも知れません。

何しろ、お二人とも、ウェイトレスが飲み物を持ってくるだけで「ありがとうございます」と会釈していたので、なんと礼儀正しい人たちだろうと、すっかり感心してしまった。
作戦だけでなく、「最近のマスコミってどう思います?」と、世間話ができたのも良かった。


だから、実はイベントでの議論より、半日だけだけど、このお二人といっしょに戦えた(戦いってほど白熱はしなかったけど、一生懸命に話した)ことが、楽しかった。
三人ならんで席についていても、初めて会った同士なのに、一体感があった。
不思議な充実感。正直、イベントに出るのは気が重かったけど、「この人たちと会えたから、別にいいや」と思える。

ネットは、殺伐としている。いつでも、誰かが他人の間違いや失敗を探している。少しの誤字を許さなかったり、執拗に疑ってくる人、叱るチャンスをうかがっている人もいる。それは、その人自身がそうされてきたことへの復讐なのかも知れないな、とも思う。
あるいは、学校で「正しい」と「間違い」を峻別するように教育されてきたことへの、名残なのかも知れない。頭のよさ、知識力ばかりを競い合うようなところがある。
「ネットでは埒があかないので、直接、話そうよ」とはならない。人と人が会う場には、「正しい」「間違っている」なんかでは表現できない、多彩な色が広がっている。議論だの論破だの説得だの以前の、その人ならではの「存在感」に、圧倒されもする。


だから、17日の「オフ会」()は、ちょうどいい時期に設定できたな……と思う。
この日を最後に、何もかもやめてしまいたいぐらい。だから、心の中では「廣田のお葬式」って呼んでいる。

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2014年8月 9日 (土)

■0809■

Febri No.23 本日発売
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●『シドニアの騎士』プロダクションデザイナー 田中直哉インタビュー

いつもの美術ページですが、『シドニア』の特殊なワークフロー上、美術監督さんではなく「プロダクションデザイナー」にインタビューしています。

単に背景画とセル(3Dキャラ)を重ねるのではなく、最初にどうのような映像にするのか設計する『シドニア』のワークフローは、実写SFX映画に近い。途中素材を大量にいただいたので、メイキング風に構成したのですが、「Febri」は飽くまでも「ビジュアル」を見せる本なんです。
なので、いつもの美術ページを見せる体裁に、レイアウトを修正。


ここ何日か、不思議な夢を見ている。
高校のころ、初めて付き合った女の子と、自転車を二人乗りする。新しい街。新しい人間関係。父親からの逃避(これは、忘れた頃、いつも夢に出てくるテーマだ)。

自転車で、気の向くまま、見知らぬ街を二人で走っている。食べたいものを見つけたら、「これ、二人分ね!」と、自転車から降りようともせず、店先から声をかける。
足の裏が地面から浮くような解放感……。だが一人になると、新しいお店に入って、注文のしかたが分からずに戸惑ったり迷ったり、早く家に帰らなくては……と焦ったりしている。

去年10月のクロアチアでは、なんでもない街路を歩いていて、なぜか涙が出そうになった。
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平日の午前中、芝生の中にある小さなブランコで、母娘がひっそりと遊んでいた。
彼らに何か感情移入したのではなく、むしろ、彼らがあまりに僕と無関係だから――、「自分はひとりだ」と、解放感をかんじたのだろう。


海外在住の長い友だちが、旅のハウトゥ本を贈ってくれた。半年ぐらい先の航空チケットなら、かなり安くとれるんじゃないか?と考えはじめている。

海外旅行が面白いのは、入り口と出口さえ間違えなければ、あとはいくらでも自由に過ごせるところだ。道に迷っても、ホテルに帰りつけさえすれば、チェックアウトは出来る。チェックアウトできれば、次の目的地に向かうことが出来る。バスや電車を間違えさえしなければ(間違えないように事前に調べておくのが、また面白い)、また次のホテルで荷物をおろして、そこから先は自由……。
まさか翌日、酔いつぶれるわけにはいかないので、ビールは2本まで。日本にいるときの僕より、よほど計画的だし、節制もしている。
そんな自分を知りたいから、また旅に行きたい。日本にいても、自堕落になる一方だ。


明日、ゴー宣道場に行ったら、14日はコミケ近辺でのチラシ配りのお手伝い、15日は福島県いわき市へ一泊旅行。17日のオフ会には最低おひとり見えられるので、いろいろ雑談するつもり。

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2014年8月 6日 (水)

■0806■

月刊 創 10月号 明日発売
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●『児童ポルノ法改正後、表現規制はどこへ行く?』

自民党の土屋正忠議員、日本ユニセフ協会へ取材を行いました。「表現規制派ばかりじゃないか!」と怒られそうですが、まずは規制したい側の言い分ぐらい聞けないと、話し合いもできないと思います。

最後に、規制推進も反対も関係ない児童保護施設に取材したのですが、そもそも、創作物の対立図式に巻き込まれるのが迷惑らしく、取材後に掲載を断られました。
ですから、記事の最後には、そうした経緯も書いてあります。僕は、「規制派vs反対派」なんて構図から、何か建設的な議論が生まれるとは思っていません。児童保護の最前線では、「漫画? アニメ? 私たちは生身の子どもたちを相手にしているのですよ」と、必ず言われます。


……と、地道に取材活動していこうと考えていたのですが、思わぬ議論の場に出ることになってしまいました。
漫画家・小林よしのりさんの『ゴー宣道場』というイベントで、10日開催です()。ツイッターで「危ない日本語として児童ポルノ法が議題にあがるそうなので、例の署名の話をされては?」と誘われて応募したのですが、児ポ法の話だけして帰られる雰囲気ではなくなってきました。

児ポ法の与党改正案にあった、「漫画・アニメなど創作物の研究」は、外されたはずです。
ところが、新聞や雑誌が「だけど、過激なアニメが世界の恥なんだよねー」と、話を蒸し返すわけですよ。『ゴー宣道場』も、まあ似たような雰囲気でして、ブログに「児童ポルノ漫画アニメのオタク」などと書かれてしまいました。
僕は、二次元の世界にしか安息を見出せない人たちの味方でありたいので、「漫画アニメのオタク」と呼ばれるのは構いません。だけど、「児童ポルノ漫画アニメ」などという乱雑な造語が出てきてしまうのは、法律の趣旨すら理解していない証拠です。

僕のほかに、二人の方が出場しますが、名前や顔の割れている僕とは違いますので、現段階でこうまで叩かれてしまって、大丈夫かな?と心配しています。


僕のベースには、やはり「児童ポルノではなく【児童性虐待記録物】と呼んでください」署名()があります。
署名開始当初は、附帯条項に漫画・アニメの研究が入っていたので、「表現の自由を守る」意味あいが強かったと思います。今は、「性虐待を防ぐ」ための主張です。

ツイッターで、明らかな「性虐待の記録物」(写真)を発見したので、それは警察に通報しました。翌日には削除されていましたが、いい気分じゃないですよ、通報なんて。
吐き気がしたし、声を出して泣きもしました。でも、性虐待の実態を知ってしまうと、「見なかったフリ」が世の中を閉塞させていると分かりますから、誰かが通報しないといけない。(だって、あれだけ法改正にうるさかった人たちは、汚れ仕事はイヤなわけでしょ?)

……静かに暮らしたかったね。また、ヨーロッパにも旅行したい。
お酒抜きの、大人っぽいデートも懐かしい。みんな、離れていってしまったのか?と、たまに呆然とする。


ノルウェー、スウェーデン、ポーランド、フランス合作の『孤島の王』。
Kongenavbastybilde5_1ノルウェー沖に実在した島の、少年院のような閉鎖的施設での抑圧と反抗を、冷たい映像で描く。
この映画にも、「収容されている少年を、立派な立場の寮長が性虐待する」シチュエーションが出てくる。僕の女性の知り合いが、「子どもへの性虐待は、性欲ではなく支配欲ではないか」と話していた。

社会的強者による抑圧と……、抵抗と逃避か。いまさら、人並みの幸福はいらない。ただ、自由でありたい。
(C)les films du losange

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2014年8月 3日 (日)

■0803■

性犯罪・福祉犯(強制わいせつ・児童ポルノ・児童買春・青少年条例・児童福祉法違反)に強い奥村徹弁護士のブログに、このような記事がアップされました。
“[児童ポルノ・児童買春]13歳未満の男児の上半身着衣のボタンを外して乳首を露出させている画像が、3号ポルノとされた事例(某地裁H26 実刑)”(
ようするに、男児の上半身裸の写真が「児童ポルノ」と認定されたのです。奥村弁護士のブログにリンクが貼ってありますが、小学校の水泳大会の写真が「児童ポルノ」になってしまいます。6月の改正案成立で、単純所持が罰則化されたので、持っているだけで逮捕でしょう。

そんな事態が起こりえるようになったのに、改正後の正確な条文は、ネット検索でも出てこないと思います。法務省の法令データベースでも、改正前のままです。
昼間たかしさんの調べたところによると()、警察庁生活安全局少年課の児童ポルノ対策官は、転勤のため不在という状況です。
僕は、法務省にも警視庁にも問い合わせのメールを送りましたが、何の返事もありません。つまり、男児の水着姿などの「児童ポルノ」単純所持を禁じてはいるけど、具体的にどうやって国民に捨てさせるのか、そもそも「こういう写真が児童ポルノに相当する」とさえ、国は、明らかにするつもりがないのです。判断基準がない。

そのような無法状態なので、僕は女友達に「今後は、子どもたちの水泳の写真なんか、ブログにアップしない方がいいよ」と忠告しました。本当は、持っていてもアウト……とまでは言わずとも、海外では、自分の子どもの写真での逮捕例は多いです。


僕は署名活動などを始めるまえに、児ポ法は「国家が何に対して、これに興奮したらアウト、こっちにだけ興奮していなさい」と命じる“性欲禁止法”ではないか……と、書きました。
法律の目的は、「児童の権利を擁護することを目的とする」と第一条に書かれており、これは改正後も変わらないばかりか、「児童を性的搾取および性的虐待から守るという法律の趣旨を踏まえた運用を行うこと」と、附帯決議がつきました。
そんな当たり前のことを、なぜわざわざ付け加えねばならないのか。法の制定から15年、児童を守ることから「児童のわいせつな画像を見て興奮してはいけない」と、法の趣旨がねじ曲げられてしまったからです。
いまだに、大多数の人たちが「子どもの裸などのエッチ画像は、とりあえず児童ポルノだ」と調べもせずに思い込んでいるだろうし(そもそも、なぜ裸がエッチなのか考えもせず)、だから附帯事項から削除されたはずの創作物規制の話が、いまだに何度も何度も、雑誌やネットで蒸し返されるのです。

ちょっと調べれば、分かることです。だけど皆、呆れ果てるほど「調べる」ことをしない。客観的事実より、「思い込み」や「空気」「雰囲気」を大事にする。
僕らは、試験前には「他人のノートをコピー」して、「理解もせずに丸暗記」し、「試験が終わったらすべて忘れる」学習法で乗り切ってきたので、社会に出てから、いきなり「自分の頭で考える」「主体的に調べる」ことが出来ないのだと思います。

ただ、つまらない競争意識だけは植えつけられたので、ネット上では「いかに相手を論破するか」「いかに相手の間違いを探し、いかに嘲笑するか」ばかりが優先される。
誰もが、口先だけの「頭のよさ」を競い合っている。


そして、森田ゆり著『子どもへの性的虐待』に何度も書かれているように、ごく普通の家庭内で近親者によって為されるのが、性虐待の特徴です。その事実に、政治家も新聞記者も決して触れようとしない。「沈黙する社会」に加担している。
そのくせ、児童の乳首が映っているだの映っていないだの、そんなことにばかり時間を削っている。

こんなグダグダの、「罰するために罰する」だけの無法地帯で、僕は何をすべきなのか、今まで何をしてきのか、いま呆然としています。

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