■0821■
レンタルで、『コンプライアンス 服従の心理』。アメリカのファストフード店に、警察官を名乗る男から電話がかかってくる。若い女性店員が客から金を盗んだと嫌疑をかけられ、女性店長は警察官に言われたとおり、彼女を丸裸にしてしまう。
ここに貼った写真のように、ファストフード店のディテールが繊細に切り取られ、この小さな事件に緊張感を加えていく。例えば、ストローの内側に溜まった水滴、駐車場のすみに溶けのこった雪など……。
電話で指図を受けた人々は、羞恥心と好奇心を引き出され、こじんまりとした人間関係にヒビが入っていく。事件後、裸にされた女性店員は犯人ではなく、店長を訴えようと考える。
もはや若いとはいえない女性店長が、雑談をしている顔のアップで、映画は終わる。やや深刻な立場に追い込まれつつあるというのに、不思議なもので、そういうときにかぎって人間は笑い出してしまう。その得体の知れない笑いの表情には、異様な迫力がある。
人間を卑下せず、その不思議さに迫ろうとする映画には温かみを感じる。たまには、こういう映画に振り回されないと、心のバランスがどうにかなりそうだ。
出てくる人々が、とくに裕福そうでも、格別に幸せそうでもないのが良かった。
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僕の友人は、奥さんと子どもに恵まれたまっとうな男が多いのだが、彼らはインターネットをほとんどやらない。特に、SNSには近寄ろうともしない。まことに賢明だと思う。
ツイッターは匿名でやっている人が多いと思うが、本音をこえた本音がぶちまけられていて、たまに狂気を感じる。狂った人間が多いという意味ではなく、ふつうに暮らしている人の狂気が発露しやすい場なのだろう。
それはまあ、いい。疲弊するのは、すきあらば人を嘲笑しよう、少しでも優位に立って頭のよさをアピールしようと狙っている、ケチな男と出会ってしまった場合。
揚げ足をとられないように気をつけていればいいのではなく、ようはツイッターをやっている以上、彼らを避けるわけにはいかない。
現実の問題を解決するには、結局は、生きた人間と対面するしかないと思っているので、僕がネットに依存しすぎなのだ。
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今の仕事は、勉強熱心なクリエーターの方たちの話を聞けるので、心が老いるということはない。
だけど、上手な歳のとりかただってあるはずだ、とたまに思う。ひとりで、朝まで飲んでOKなのは、30代までではないか……例えば、そんなことを考える。
「愛する家族と一緒に暮らすとか、食いたいサラミをたらふく食えるとか、コーヒーもおかわりできるとか、風邪をひいたら風邪薬。そういう人間らしい暮らしな、どう思う?」
――『茄子 スーツケースの渡り鳥』より
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