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名作に学ぶアニメのつくり方 発売中
こだま兼嗣さん、杉野昭夫さん、友永和秀さん、小林七郎さんのインタビューを担当しました。
それと、作画と背景の解説も書いています。
この本は、ひとりの編集者が悪戦苦闘してつくり上げました。僕は、彼の考えた秀逸なコンセプトと情熱に応えただけで、何かクリエイティブな作業をしたわけではないです。
友人が「最近は開き直って、基礎教養だから昔のアニメは見ろって、会社の若い連中に言ってる」そうで……僕も20代前半は、古くて退屈な映画も勉強だと思って、積極的に見ていました。基礎教養がないと、年上のプロデューサーたちと話が出来なかったし。
スケジュールの詰まっていた時期だったけど、「アンタがそこまで言うなら、頑張るよ」という気分で仕事できました。この本に関しては。ギャラの交渉がまだですけど……。
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今週火曜(15日)は、無事にニコニコ生配信で『表現の不自由』を放送できました。
プレミアム会員の方は、まだ見られるはずです。⇒■
YouTubeでは、別に据えたカメラからの映像をUPしてあります(ただし、前半30分しか撮れてませんでした)。⇒■
この放送内容を「文字に起こします」という人が現われて、そうやって自主的に動いてくれる人がいると、「やって良かったな」と思います。
僕はこの放送の中で、「アメリカ様」「イギリス様」と揶揄していますが、「アグネスが」「ユニセフが」よりはマシだと思っています。少なくとも、そんな手近なところに「敵」はいないと分かってもらえたんじゃないかな。
人に会うと、何色ともいえない、多様な色を僕は感じます。それを「こういう人に会ったよ」とネットに書くと、「そいつは敵なのか味方なのか」「俺たちにメリットがあるのか、デメリットしかないのか」みたいな話にされてしまう。
そのくせ、みんな権威に弱い。警官や公務員の悪口を書くと、「彼らのどこが悪いんだ?」と難癖つけてきたりとか。原発事故なら、東電社員を「彼らも大変だよね」と擁護したりとか。そうやって、権力が強化されていくんですよ。
僕らは、思春期を受験によって抑圧されて育ったから、「この世には逆らえないものがある」と無力感にさいなまれて当然です。でも、それをちょっとは押し返すために、今もしぶとく生きています、僕の場合。
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今週は原稿がいっぱいあるんですが、ある児童保護施設に取材した記事を、その部分だけ「掲載お断り」と宣言されてしまって、やむなく消して、書き直しました。
あの人たちの活動の助けになるかと思ったら、ありがた迷惑になってしまった。付け焼刃で対応しないで、遠くから寄付だけする道もあったんでしょう。
だから、本当は「アニメのことしか書きません」と、耳をふさいで小さくなっているのが賢いんだと思います。だけど、その卑屈な態度が、結局は、自分をかつて抑圧した者たちを喜ばすんですよ。
僕は受験のために、好きな子に会いに行くのをあきらめて、睡眠だけを楽しみに勉強しました。18歳ぐらいなら、好きな子に会いに行くのが自然な行動です。だけど、そんなことでは未来はないと自分でも思い込んでいたし、何より大人たちが「今は大学に受かること」と強いてくる。力の強いものに屈して、のびのび生きられなかったけど、僕が苦しめば苦しむほど、大人たちは「頑張ってるな」と誉めてくれる。でも、それは奴隷の喜びでしかない。
「ありとあらゆる抑圧と戦う」というのは、そういう意味です。僕らは、かつて奴隷だった。その屈辱が何度も、胸によみがえってくる。それが「抗いつづけなければならない」理由です。
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