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2014年6月22日 (日)

■0622■

Febri Vol.23 発売中
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●『機動戦士ガンダムUC』各話解説
藤津亮太氏と分担し、僕はEp2~4を担当。Ep3のオープニング演出については、どこかで触れたかったので、ここに書きました。

●メカ作画監督・玄馬宣彦氏インタビュー
総作監として具体的にどんな作業をしたのか、各話のメカ作監との連携、そしてEp7に登場したモビルスーツの由来。生き生きと楽しそうに語ってくれました。

●渋キャラオヤジ列伝 第十一回 スベロア・ジンネマン
ジンネマンについては『俺の艦長』でも書いたので、最初は依頼を断っていました。しかし結局、編集長の「ジンネマンは娘のように愛しいマリーダを失って尚、生きつづけねばならない男」という一言に押されて、そのような方向で書いてあります。

僕は、アニメ・キャラと自分の人生とを混ぜこぜに語っていいと思う。「現実とフィクションの区別をつけましょう」という言葉には、どこかフィクション中のキャラを突き放したような冷たさを感じる。


友人とメールをやりとりしていて気がついたことだが、おそらく現実に少女に手を出してしまう犯罪行為と、少女のエロティックな絵を描いたりする創作欲とは、脳の根源的な部分では関連していると思う。(僕は「創作行為は犯罪に近しい」と、以前に書いた。犯罪的な心理のプロセスを経なくては、優れた作品は生まれない。)

だが、「絵を描く快感」があまりに巨大すぎるため、犯罪をおかす可能性など、ほぼ完全に霧散してしまう。二次元/三次元という言い方があるように、まさに「次元が違う」欲望へと分離していく。
表現規制、とくに「エッチな漫画を禁止しろ」と繰り返す人たちは、何はともあれ「絵を描く快感」、圧倒的な創作行為の快感を知らなさすぎる。表現や創作について、あまりにも考えが浅い。
ことさらに「絵」を愛好するのは、現実を忌避する一手段だと思う。対して、犯罪をおかしてまで他人を性欲の犠牲にする人は、現実世界での強者なのだ。『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』で明らかにされたように、社会で成功した父親が、当たり前のように娘を犯しつづける実態があり、漫画を取り締まるヒマがあったら、そのような社会的名声に隠れた犯罪者をあぶり出して欲しいと、これは本気でそう思う。


その一方、「現実とフィクションの区別をつけましょう」という決まり文句は、逃げ口上にも聞こえる。創作の源泉は、やはり現実なのだ。残念ながら、「絵を描く」行為は現実と手を切ることを意味しない。現実と創作の相関については、各自で考えを深め、場合によっては自ら社会に理解を求めていくよりないだろう。
(現実に欲情し、現実に罪を犯したものの処罰のほうが、よほど重要だ。人権保護を訴える団体ほど、なぜか現実に起きた事件を軽視して創作物を攻撃しがちに見えるが……。)

同じ表現物でも、写真や映像作品になると、とたんに評価が厳しくなる。実写作品だろうと、表現と虐待記録は厳しく分けて考えるべきと思う。
友人の言葉を借りると、実際の性行為にすら、ある種の「想像」を注入せざるを得ないのが人間なのだ。そうでなければ、僕らは昆虫と同じになってしまう。


ここ何ヶ月かの出来事に疲れ、数ヶ月ぶりにキャバクラへ。しかも、三鷹から吉祥寺へタクシーを飛ばして、二軒もハシゴ。

何を話すでもなく、ぼんやりと座っているだけだったので、キャバ嬢たちは戸惑っていた。最後についた嬢は、占いのサイトを教えてくれた。単なる星占いの類いではなく、かなり難解なことが書いてあるが、悩んだときは役立つのだという。
キャバ嬢のことを「カネしか判断基準がない」ように罵る人が多いが、彼女たちの優しさが軽かろうが薄かろうが、俺は何度となく彼女たちに助けられてきた。相手に、助けたつもりがあろうとなかろうと、僕は勝手に感謝している。

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