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2014年6月16日 (月)

■0616■

三鷹駅前のバス・ターミナル。財布からカード類を落としてしまったオバチャンが、パニックに陥っていた。数枚のカードは風にあおられ、停車しているバスの下にまで飛ばされてしまっている。
ちょっと怖かったけど、バスの下に潜り込んで、カードを回収して歩道に戻った。オバチャンは「ごめんね、ありがとうね」と頭を下げながら、買い物袋からウィンナー・ソーセージの袋を出して、僕にくれた。
親も子供もいない中年男は、こういう時ぐらいしか役に立たないんだよね。


『最高の人生の見つけ方』、以前にレンタルして見たはずなのだが、最初の数分で寝てしまった映画。今回は、最後まで楽しく見られた。
Untitled末期がんにおかされた二人の老人が、人生でやり残したことを実現しようと旅に出る。ジャック・ニコルソンが自家用機まで持っているほどの大金持ち、という設定でかろうじてリアリティを保っていたドラマは、終盤へ向かうほど寓話じみていく。
エベレスト登山に来た二人は、足止めをくう。吹雪のために飛行機は飛べない。吹雪がやむのは、春になってからだ。その頃には、二人は死んでいる。彼らは、エベレストに近い寺院で、ミイラのように死んでいくのだろうか。二人は輪廻転生の話をする。「善行をつめば生き返るという理屈が分からんな。カタツムリはどうやって善行をつめばいい? まっすぐに這えばいいのか?」

4度の結婚に失敗したジャック・ニコルソンの自暴自棄な生き方が、身に染みる。特に、ひとりでインスタントな食事をとった後、女たちを部屋に呼ぶシーンがいい。女たちは、もちろん彼の孤独を理解してなどいない。「ひょっとして、あの人、泣いてるの?」と、本人に聞こえる距離で話している。その救いのない描写が、いっそ心地よくさえある。
日本語吹き替えで見ると、モーガン・フリーマンの声はアダマ艦長の坂口芳貞。『ギャラクティカ』を思い出してしまうので、字幕で見るにかぎる。


この映画のジャック・ニコルソンのように「家族」という単位に馴染めなかったんだよね、ようするに。
嫁姑の仲も悪かったし、父親は夜中に怒鳴りだすし。犬を飼ったら飼ったで、「しつけに失敗したから殺す」「俺のカネで買った犬だから、文句は言わせない」とかさ。声を出して泣いたよね、その夜は。
実際には犬は殺されなかったし、僕が殴られたり蹴られたりしたことは少なかったんだけど、殺気があったんだよ。家の中に。

もっと酷い環境で育った人もいるだろう。家庭だけでなく、学校が嫌だった人もいるはず。
そういうとき、テレビでアニメを放送してくれたおかげで、何とか乗り切れた。『ボトムズ』を見ながら、キリコの孤独癖に、友達のできない自分を重ねてみたりした。「教室でひとりで過ごしていても、おかしくはないんだ」って。
同調圧力を強いるだけの教室になんか、多様な生き方はなかったですよ。アニメの中にあったんだよ。セル画の質感には小さい頃から親しんでいたから、極端にいうとセル画にしか愛着も信頼もわかなかった。

多かれ少なかれ、現実とフィクションの歪んだ狭間の中で、誰しもがオタクにならざるを得なかったんだと思う。家庭も学校も重すぎる。キツすぎる。あるいは、職場が厳しすぎる。
そうした「実社会の欠陥」に対して、いったい誰が責任をとりましたかね? その責任を棚上げしたまま、フィクションに罪を着せるような大人たちを許せるわけないじゃん。ま、表現規制に対する怒りは、そんな辺りからも芽吹いている。

アニメや漫画やゲームじゃないよ、家庭や学校こそが青少年の育成に害悪を与えてきたんだろうがよ。
いま苦しんでいる子たちがいるとしたら、まずは大人たちの責任追及から始めるべき。そして、フィクションという優れた逃げ場を、しっかりと守らねばならない。
 
(C) 2008 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

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