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2014年3月31日 (月)

■0331■

スウェーデン旅行まで、あと二週間。途中、ゴットランド島へ行くにしても、2日ほど滞在期間が長すぎ、物価高にもビビっている。コーラが360円とか、考えられない。

4月14~17日 アレクサンドラホテル(ストックホルム)
4月17~19日 クラリオンホテル ヴィスビー(ゴットランド島)
4月19~21日 メトロホテル(ストックホルム)

2日間有効なストックホルム・カードは、バス・地下鉄のり放題で、美術館などの観光施設もフリーパス……だが、なんと一万円もする。
しかし、言葉の通じない異国の町を、ぶらりと歩く解放感は、何にも替えがたい。


児童ポルノ規正法の厳罰化を推し進める平沢勝栄議員の、昨年7月の動画。(
「親が自分の子供に見せられるんなら、私は児童ポルノに当たらないと思う。だけど、親が自分の子供に見せられないものを、表現の自由だ何だかんだと言うのはね、これは私は、表現の自由だって無制限じゃなくてね、やっぱりちゃんと制約があるわけですから、ある程度の制約はやむを得ないし、諸外国の例を見ても創造物、漫画でもある程度規制しているわけですから」と、児童ポルノ法を公然わいせつ罪、青少年保護育成条例とゴッチャにしている。
「中にはね、親が子供の水浴びの写真を撮ったら、罰せられるんだとか何とかかんとか言っている人がいますけれど、こんこなとが出来るはずがないんです。」――司会者も笑っているけど、アメリカで一歳の子供に授乳している写真を父親に撮らせた母親が、2003年に児童ポルノ単純所持で逮捕されている()。「諸外国が」「諸外国が」という割に、なにも調べてないんだな。
 
この人はリベンジポルノについても、「いまネットのね、リベンジポルノのところにアレしますとね、そういう裸の写真だとかそんなのが、山ほど出てくるわけ」と、アバウトなことを言っている。山ほど出てくる? リベンジポルノを集めたサイトでもあるんだろうか? とにかく思いつきと思い込みが多すぎる人だ。「欧米に比べて日本は遅れている」という紋切り口調も幼稚っぽい。こういう雑な人間に、法律をいじらせるのは大変危険。
これはやっぱり、何か動かないと気がすまないよなあ……。こんな頭の悪い人に過大な権力を持たせてしまって、私は何も反対しませんでしたでは、気がおさまらない。


上記動画で、平沢議員は児童ポルノ法厳罰化について、こんなことも言っている。「アグネス・チャンなんかは、私のところまで来てね、これ(厳罰化)是非やって欲しいと。あの人はユネスコのいろんなことをやってますんで、百何万人の署名なんかも集めて、是非やって欲しいと強い要望……私に要望書を出されましたけど。」 ユネスコ? アグネスは日本ユニセフ協会ですよね? 「ユネスコのいろんなことをやってます」って、味方の情報までアバウト。アグネスが児童ポルノ法についての要望書を出したのは民主党宛てであって、署名は11万人分。百万人ではない。
これほど物事をオーバーに、裏もとらず、その場かぎりのデタラメな解釈で放言している元警察官僚が「警察は捜査権を乱用しません」などと言ったところで、どこの誰が信用する?

他人を罰したい欲求は、日本人の欠点だと思う。人に対しても作品に対しても、「はい残念でした」と努力を認めない。まずはともかく欠点を探し、それを絶対に許さない。
どこへ行っても「○○は犯罪です!」という脅迫的なキャッチフレーズが貼られている。懲罰なくして社会を維持できない。本当は、誰もが自分の存在を認めてほしいと願っているはずなのに。


映倫からレーティング指定を受けられなかった5月公開の映画『ヴィオレッタ』、クラウドファンディングで宣伝費を募っている()。
映倫は、責任とりたくないんだよ。「児童ポルノを許諾した」と後ろ指さされたくないんだろ。罪悪感をかかえたくない臆病者ばかりだね、この国の偉いジジイどもは。

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2014年3月28日 (金)

■0328■

バディ・コンプレックス Blu-ray Vol.1 発売中
Untitled_2 
●KEY ANIMATION GALLERY 構成

ブックレット内の原画集(16ページ)を構成・執筆しています。
「作画がよかった」と言うと、昨今は「作画枚数が多い」「よく動いている」ではなく、「デッサンが崩れていない」という意味になります。そのユーザー側の変化を意識しないと、行き詰まります。

「絵」として何が面白いのか、美しいのかリセットしないとダメ。影やハイライトを示す色鉛筆の配分とか……その先の工程をあえて無視して、原画段階を「最終完成形」として捉えると、作品全体の捉え方さえ変化していくような気がします。
(自分の評価軸なんてものは、刷新していくためにあるので。)


昨夜、レンタルBlu-rayで『メリー・ポピンズ』を見て、立川シネマシティで『ウォルト・ディズニーの約束』の朝の回を見てきた。『メリー・ポピンズ』を見ていないと、『~約束』は分かりづらい箇所が、かなり多くある。
Wd_large『不思議の国のアリス』のモデルとなった女性をモチーフにした『ドリームチャイルド』なんて映画もあったね。『~約束』は『メリー・ポピンズ』の原作者、パメラ・トレヴァーズの幼年時代をえぐり出すように描く。別にウォルト・ディズニーを賞賛するプロパガンダにはなっていない。パメラが映画制作にブチ切れながら、父の思い出に決着をつける物語。 『メリー・ポピンズ』の舞台裏を、子細に描いているわけではない(飽くまでプリ・プロダクションまで)。そこがちょっと意外だった。

原題は『Saving Mr. Banks』なので、英字タイトルが出たとき「?」となる。
バンクスといえば『メリー・ポピンズ』の主役一家の苗字だ。そのお父さんを「救う」とは? 『メリー・ポピンズ』のラスト10分ぐらいは、お父さん主役のエピソードであった。ディズニー映画のくせに、リアルな社会人の葛藤をきっちり描いている。あのシーンに、ウォルトやパメラの(理想的とは言い切れなかった)父親像がネガ・フィルムのように重なる構成になっている。『メリー・ポピンズ』と『~約束』で、ひとつの映画という感じ。


余談だが、『メリー・ポピンズ』をちゃんと知ったのは『スター・ウォーズ』ブームの頃だった。あの当時は、雑誌などで「SFX映画」の文脈で語られることが多かったため。
そもそも、完全無欠の美女が、人工的な空間にいるだけで何ともいえないエロティックな空気が漂う。SFX映画の万能感は、女優が発生させているような気がしてならない。(SFXとSEXが似ているので「SpFX」なる表記が『地球防衛少女イコちゃん』の広告で使われたが、もちろん定着しなかった。)

SFX映画に成人女性が出てくると、「こんな幼稚な映画に、わざわざ付き合ってあげてる」感じがして、何ともマゾヒスティックな気持ちになってしまう。
『ブレードランナー』で、ハリソン・フォードがショーン・ヤングを酒に誘うが、「そんなお店は趣味じゃない」とフラれるシーンとかね。(どうでもいい話だけど、『メリー・ポピンズ』に出てくる少年は、J.F.セバスチャンそっくり。)

ともあれ、『メリー・ポピンズ』がSFXを一切使用していなかったら、ジュリー・アンドリュースがこうまでエロティックに見えることはなかったであろう。
子供たちを寝かしつけてから、メリー・ポピンズが編み物をはじめる。眠りにつくころ、細くあいた扉のすき間から、両親の見ている洋画の音がもれ聞こえてくる――あれは、世界の広がりをこっそり伝える、不思議な安心感のある音だった。

(C)2013 Disney Enterprises, Inc.

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2014年3月25日 (火)

■0325■

月刊モデルグラフィックス 5月号 発売中
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●廣田恵介の組まず語り症候群第17夜
今回は、バンダイ「The特撮Collection」のキングギドラです。
モデグラ内のルールで、「インジェクションキット」は「インジェクションプラスチックキット」と表記しないとイカンのですね。

●ギャラクティカNOW 第三回
不定期連載ですが、ページの都合で何ヶ月か空いてしまいました。今回は電飾満載のペガサスです(どろぼうひげさん作)。
DVD情報のコーナーも僕が書いているのですが、『CAPRICA/ペガサスの黙示録』という謎のタイトルが……。正しくは『CAPRICA』のみです。
これは何と、メーカーさんの指示ミスなのだそうです。『ギャラクティカ』のソフトを売っているなら、(日本未発売であれ)スピンオフのタイトルぐらい把握しておくべきです。


ガス・ヴァン・サント監督の『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』。まだ20代後半だった主演のマット・ディモンが脚本も担当? すごいな。だから、アメリカ映画はなめられない。
Untitled_2驚異的な記憶力をもち、高度な数式でも難なく解いてしまう青年が、自暴自棄な暮らしと決別する物語。彼は数学者とカウンセラーに才能を見い出されるが、決して大人たちの思惑に乗ろうとはしない。大企業の面接に呼ばれても「なぜ就職したくないか」、壮絶な屁理屈を並べ立てる。低賃金の肉体労働から離れようとせず、「どんな仕事でも、誰かの役に立っているはずだ」と正論を言う。その素っ気なさが、気持ちいい。

才能もないくせに、プライドばかり高い人間は、ざらにいるよね。その逆を描くことで、僕ら高望みばかりする凡人どもに訴えかける、ちょっと意地悪な構造になっている。
自分のことを理解したがる恋人を「結局、お前は養父に虐待された俺の過去を聞きたいだけなんだろ?」と蔑んでみたり。ロビン・ウィリアムズ演ずるカウンセラーは「君は孤児なんだってね。じゃあ、僕が『オリバー・ツイスト』を読んだから、君の境遇は理解できると言ったら、どんな気分だ?」とやり返す。機知と皮肉に富んだ会話が、間断なくつづく。それは、素晴らしく豊かな時間だ。

主人公の友人たちのDQNっぷりも、容赦なく描きこまれている。ラストは陳腐だけど、映画はプロセスが大事なので、たっぷりと奥行きのある会話を楽しんでほしい。


児童ポルノ規制法について、反対署名を集めている人はいないか?と探していたら、「名も無き市民の会」が集めていました。(
ちゃんと国会議員の紹介もとりつけた、本格的な署名です。いま、ネット署名って集めにくくなっている。「署名TV」も経営難からか、サイトを閉じてしまった。志ある方は、上記署名にご協力を。

「共有ソフト児童ポルノ流出 意図せずとも警告文」(
もう、警視庁によるネット監視は始まっているということだね。そして、こういうニュースを流すだけで「児童ポルノ? ああ、なんかヤバいヤツだろ? どんどん逮捕しろよ」と関心の低い人から刷り込まれていく。完全に、規制強化サイドのペースに乗せられている。

いま、ネットで児童ポルノ法改正に反対している人たちが、互いの立場をこえて協力しあえるかというと、望みは薄い気がする。原発事故以降、「敵の味方は、やはり敵」みたいな、幼稚な対立図式が支配的になってしまったから。
「選挙のとき、あの候補を応援していた連中とは組めない」とかさ。山本太郎に投票した僕なんか、在日で革マルってことにされてしまう(笑)。そこまで他人と自分がピタリと重ならないといかんのか……。その人が「何に怒り、何を言っているのか、どう生きてきたのか」で評価してもらえないから、「あいつは○○だ」とレッテル貼りに終始してしまう。「Aに賛成した人なら、すべからくBにも賛成せねばならない」「反対したヤツは裏切り者、工作員、自作自演」――ネットの中は、とても窮屈。ネットの中だけでなく、日本全体が曖昧さやブレや迷いを排除するようになってしまった。

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2014年3月23日 (日)

■0323■

レンタルで何本か見たが、『J・エドガー』の重厚感が抜きんでていた。FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーを賞賛するでもなく、批判するでもなく、その多面性をむき出しのまま描き出す。
Untitled銃を持って「FBIだ!」と踏み込んでくる古い外国ドラマは、僕の小さい頃には、かろうじてテレビ放映されていた。『J・エドガー』では、FBIが漫画や映画のヒーローとして、少しずつフィクションの世界へ広がっていく様子も描かれている。
驚いたことに、国民の好感度を得るため、フーバーは犯人逮捕の瞬間に銃をもって立ちあい、ドラマチックに盛り上げていたのだ。やがて年老いて、それが事実だったのか、メディア向けの演出だったのか、自分でも分からなくなってしまう。

映画には、リンドバーグやシャーリー・テンプルも、名前だけだがアル・カポネも出てくる。記録映像で、キング牧師も登場する。虚実ないまぜとなったような、不思議な雰囲気があるのだが、生の歴史に直面している知性とスケール感には圧倒される。成熟した観察眼とさまざまな方面からの取材なしに、この厚みは出ない。『永遠の0』なんかをオタク監督がCGでちょいちょい映像化している国とは、比較にならない。

『ミルク』のダスティン・ランス・ブラックが脚本を書いているので、フーバーの同性愛者としての側面も、きっちり描かれる。
縦にも横にも、文化的な広がりがある。制作者たちは「これが結論ではなく、今後も議論がなされるだろう」と、反論や異論を歓迎している。さて、日本はどうだ?


「内閣広報室が発売前に取材要請 秘密法特集企画の女性誌に」(
発売前の雑誌の内容を聞いて、「ウチも取材してください」「ウチも内容チェックしたいのですが」……これはアニメ関連本では当たり前です。リンク先には「言論の自由に対する威圧につながりかねない。言語道断だ」と書いてあるけど、アニメ本に関しては、はじめから言論の自由はないです。
権利を侵害されているのに、なぜ問題にならないのか? 書いている側の意識が低いからですよ。口出しする側も、される側も幼稚だから。

EX大衆の『タイバニ』特集は、今回も評判がいいようで、特に女性ファンは、ちゃんと編集部に意見を送ってくれるんだそうです。ネットで愚痴ったりせず、当事者に声を届かせる。女性は強いです。批判意識もあると思うし、あと感情表現が豊かだよね。
ネットでは「記述がちょっとおかしいのでは?」という意見があったけど、権利元が勝手に手を加えているので、その部分までは責任をもてない。

インタビューでも「俺にインタビューしたんだから、俺が直すのは当然」と、ほぼ全面的に書き直される場合があるんだけど、たいてい文章はヘタクソです。それは、創造性とは関係ないので、ヘタでも仕方ない。だから、僕は(時間さえゆるせば)掲載前に手直しするようにしている。「直してもらった文章を、さらに直すんですか?」とビビる編集者がいるけど、いったい誰に気を使っているのか。誰のために雑誌をつくっているのか?

どんな業界でもそうだろうけど、意志のある人間、本当に勇気のある人間は、驚くほど少ないです。そして、本当のことを堂々と言った人間は、裏からこっそり排除される。陰気だね、日本社会って。


「オカマバーでモジモジする人は出世に向かない!?」(
「実は出世に必要なのは、オカマ、女性、外国人といった自分とは違う生物と分け隔てなく付き合える能力なのです」……オタクも、自分と違う世界の人たちの相手ができないよね。でもまあ、いいんです。自分の安心できる小さな楽園を見つけないと、ただ苦しいだけだから。

(C) 2011 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

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2014年3月20日 (木)

■0320■

今日は、石黒昇監督の三回忌。監督は、原発事故を嘆き、東京電力にマジ切れしてらした。反骨の人だった。


『アナと雪の女王 ビジュアルガイド』を購入。僕は思ったより、相当この作品に参っている。
Untitled_2監督だけではなく、ストーリー・アーティストやアニメーション監督やスーパーバイジング・アニメーターといった、膨大な数のスタッフたちが、ストーリーやキャラクターの心情をきっちり考えている。ノルウェーにロケハンに行くのは分かるけど、主演声優が演技に口出ししてアニメーターとアイデアをやりとりしている。すごい。日本では、声優が最もアニメの現場から遠いのに。
(職域が違うのに話し合えるのは、コミュニケーション能力があるってことでしょ。)

何人かの日本人スタッフのインタビューも掲載されている。
これほど主体性をもった人々を統率し、一本のアニメ映画をつくり上げてしまう機動力、もはや軍隊レベルである。
「この一本で、最低三年間は経済を回すぞ」って勢い。「今期のディスクさえ売れればいい」なんてセコい話ではない。「世界中の人々を魅了するぞ!」と意気込んでいる。このスケール感、本当にやばい。


日本のアニメは、良くも悪くも、個人作品なんだよな。しかも、ディスクが売れないと赤字になるような博打を延々やっている。あるプロデューサーから「こんな商売のしかたでは、やっていけない」と聞かされたけど、誰も代案を考えていない。

僕らは誰にも指図されずに、作品の「良いところ」を主体的に見つけて記事にしているのに、ディスクを売りたいはずのアニメ会社の人々が、どんどん邪魔してくるんだから、意味が分からない。僕、彼らの要求を聞き入れて、自分の文章を削って、ディスクの広告まで載せてるんだからさ。それで「売れない」とか嘆いているんだもん。
ディスクが売れないと、その作品には価値がないことになってしまう。ニコ動で何万回と無料で再生されている作品には、ちゃんと価値がある。「あいつらは素人だから」「こっちは権利者だから」なんて幼稚な区別をしているから、アイデアが広がらないんだよ。
日本のアニメ業界は、引きこもっている。


前回、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述へのリンクを貼った。
創作に向かわず、犯罪に走ることで「救われてしまう」人もいる。その危うさを理解し、受け入れることだ。表現規制したがる人は、受け入れてないんだよ。児童ポルノ規制法強化を推進する平沢勝栄議員は、このようにおっしゃっている(2/11放送『深層NEWS』より)。

「漫画なんかでも、エログロとしか思えないような、とても芸術とは思えないような漫画については、規制する国がある。日本でも実際に犯罪が起こったら、あとで(容疑者の部屋を)調べてみたら、そういう漫画本が出てくるという事例があるから、じゃあ一度、研究してみようと、研究課題として置いているだけのことであって、すぐに今度の法律で漫画・アニメを取り締まろうということではないんです。」

――なるほど。この人は、無意識なのかバカなのか分からないけど、表現に犯罪性が潜んでいることは見抜いている。だけど、「だからこそ、規制などしてはならない」ところまでには考えが至っていない。
富野由悠季さんが「人を介護できるロボットは、人を殺しうる」という意味のことをおっしゃっていた。表現は人生の美しさを謳いあげるが、同時に救いがたい暗部をも描きうる。不可分だ。闇を消しされば、光もまた失われる。
規制派のおそろしいところは、「悪を滅ぼすことができるなら、善をも犠牲にする」獰猛さなんだよね。「犯罪を潰せるなら、表現なんてどうでもいい」と彼らは考えている。「芸術」が「エログロ」に支えられていることに、気がついていない。

『黒子のバスケ』脅迫事件の被告は、何も努力しなかったと自ら認めているくせに、自殺という所期の目的から逃げた。それは卑怯だ。自分に対して誠実とは言えない。
俺は、努力しないヤツは嫌い。それは脅迫事件の被告でも自民党の国会議員でも、変わらない。

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2014年3月18日 (火)

■0318■

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開(
長文なのでふたつに分かれているが、時間をつくってでも読む価値あり。「これは自分のことだ」とピンときた人は、さぞかし多いだろう。

『俗っぽい言い方をすれば、自分のような汚い顔のキモブサメンが成功したイケメンの足を引っ張ってはいけないのです。』
『自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。』


多かれ少なかれ、オタクっぽい人たちは、生まれながらに自分を罰してきた「何か」に対峙しているんだろうな。だから、オタクの人生は創作的にならざるを得ない。
作品というのは、犯罪の代償物じゃないか……と、以前から思っていた。どんな作品でも、人を傷つけうる。人を救いうる。犯罪をおかすことで、救われる人間がいるのと同じように。
作品は、社会に迷惑をかけうる。作品を「清く美しいもの」と規定している人は、根本的な思い違いをしている。

いかにして自分を救うか。それは、人生の大きなテーマだ。アニメしか楽しみがなくて、ずっとコンプレックスにさいなまれてきた人が、結婚によって「人生が明るくなった」パターンを知っている。ただひとりに認められるだけで、人は救われる。
僕の別れた妻が、「親から“かわいい、かわいい”と育てられなかった子供が、かわいく育つわけがない」と言っていて。別れて10年近くたつけど、その言葉だけは覚えている。ブサイクでも才能がなくても、妙に自信満々な人は、親に誉められて育っている。僕もコンプレックスは強烈にあるけど、母親に誉めてもらったので、戦う気力ぐらいは、かろうじてあった。
親の責任は、とても大きい。親に見離された人は、誰かに受けとめてもらわなければならない。その「誰か」が見つからないとき、作品を愛することで満たされる場合がある。
(作品――映画や音楽にまったく触れずに生きている人は、意外と多い。彼らは実生活で充実しているから、触れる必要がないのだ。)


少し前から、在特会に理解を示す発言をしているので「?」と思っている人が多いだろうな。在特会は、誰からも愛されなかった桜井誠が描きだした「作品」だと思う。彼はヘイトスピーチを行うことで、ぎりぎり救われている。だから、彼の表現の自由を尊重すべきだと、僕は言うのだ。
ヘンリー・ダーガーは、大勢の子供を物語の中で惨殺した「犯罪的な」作家だが、それゆえに、彼は実社会では犯罪をおかさず、静かに人生を終えることが出来た。
(なので、「汚らしい言葉や残虐で猥褻な作品は禁ずる」程度の野蛮な脳で、権力を行使してはならない。)

ありとあらゆる逃走経路を、確保しておかねばならない。アニメに逃げていい。萌えに逃げてもいい。作品を愛さなくてもいい。憎んで気がすむなら、憎めばいい。
別に、一生の仕事が見つからなくてもいいよ。成功しなくてもいいし、金持ちになる必要もない。信念なんてもたなくていい(むしろ邪魔)、誰かに愛されなくても絶望する必要はない。些細な楽しみを見つけさえすればいい。

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2014年3月17日 (月)

■0317■

『アナと雪の女王』を見た夜、『塔の上のラプンツェル』を見直してみた。やはり、『アナ~』は表情や仕草の細やかさが、段違いに向上している。

CGモデルって、一度作成してしまうと、後は演技で勝負するしかないから、指先の動きひとつ無駄にできない。体全部をめいっぱい使わないと、強い感情をしっかり伝えることは出来ない。そこが、微妙な心模様を沈黙のうちに伝える日本との違いなんだろうな。
ディズニーは、今までになく強気だと思う。確かに、この表現力は脅威だよ。

アカデミー賞をとった『Let It Go』は、二人のヒロインのうち、姉のほうが雪の女王として孤独に生きようと決めたシーンで歌われる。だが物語は、「ひとりで生きてないで、みんなで生きましょう」という方向へ進む。そこが、最も僕がノレなかった理由かも知れない。
「冷たい氷の中が居心地がいい」「その方が自分らしい」と決意した人間を、「みんなの中に戻ってこい」と引き戻すのは、同調圧力でしかない。「ひとりで生きるのも、個人の自由だよ」と認めたとき、ディズニーは殻を破れるんだろうな。

ジョン・ラセターが、プロデューサーなんだよな。アニメの表現としては、確実にブレイクスルーしている。もう一回、見たい……。


昨日、池袋で在特会の集会とデモがあったってね。ヘイトデモへのカウンターを名乗る人たちが、「レイシストくたばれ」と猛反撃している動画を見たよ。どっちもどっちだよね。
「在特会の集会を許可した豊島区に抗議する」「ヘイトデモは法律で禁止しろ」という人もいたけど、それじゃダメだろ。ヘイトデモさえも「表現の自由」として許容するのが、成熟した社会だと思うぞ。「脱原発デモは許すが、ヘイトデモは許さない」社会なんて、俺は薄気味悪いな。人種差別を、自分と関係ないと思っているから、「法で禁じろ」なんて言えるんだよ。

「在日韓国人、中国人の人たちに申し訳ない」と思うなら、普段から彼らと仲良くすべきだ。普段は、彼らの身の上なんて考えもしないんだろ?
児童ポルノ法と同じだよ。いつもは「児童の人権」なんて意識していない連中が、議論も抜きで「ハダカはけしからん、法で縛れ」と極論に走っているだけ。「彫刻作品のハダカが街頭に展示してあるのは芸術だが、同人誌だの成人漫画だのは犯罪だ」とかさ。芸術の中に猥褻が生じ、ポルノの中に芸術が生じる。経験が浅く考えが幼稚な人間は、そのようなアンビギュイティ(曖昧さ)を理解できないわけ。


「うちは私企業ですから」『ドラえもん』しずかちゃん修正問題――自主規制を「制作の一部」と言い張るテレビ朝日の呆れた回答(
昼間たかしさんの孤軍奮闘。この記事を読んで、俺もテレ朝に抗議のメールを送ったけど、腹立たないかな、この対応? 担当者の思考停止ぶりは、もはや「人間やめました」レベルだよ。

俺は、この国が怖い。この国は、個人の思考を奪おうとするから。組織に順応し、組織の権力を無意識に行使している人間が、あまりにも多すぎる。

C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

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2014年3月14日 (金)

■0314■

明日誕生日でもあるし、ちょっと贅沢しようと思って、初日に行ってきた。『アナと雪の女王』。3D上映すらない吉祥寺プラザは、場所のせいか天気のせいか、かなり空いていた。
98987ディズニーは「絵を実写に近づける」ことと、「実写(というより現実)を理想化する」ことを、両方向から同時に行ってきたスタジオだと思う。それは、『白雪姫』以降、ずーっと続いてきたチャンレンジだった。CGになっても、そのチャレンジの方向は変わっていない。
「本当は焦っているんだけど、愛想笑いしなくちゃいけない」とか、「怒っているんだけど、ちょっとは嬉しい」とか、微妙な感情表現を完璧に美しく描いている。開幕20分ぐらいは、溜め息しかでない。CGだから、変な自我や主観、甘えが入り込まない。全世界に向けて発信するのだ、どこへ出しても恥ずかしくない作品にするのだという気高い理想が感じられて、神々しいぐらい。「全人類を説得する」「世界をくまなく侵略する」勢いだね。凶暴ですらある。

アカデミー主題歌賞の『Let It Go』も、ストーリーの流れの中で見ると、素晴らしく良い(私が見たのは、日本語吹き替え版)。解放感のあるシチュエーションがいい。
……が、溜め息をついていたのは、そこまで。後は冗長。段取りが多い。わざわざ時間差をもうけて、すぐ近くにいるはずのキャラクターを出会わせない(後で出会わせるため)など、「次のシーンのためのシーン」が多い。アクションがつづくので、キャラクターの表情もオーバーに類型化されてしまう。

『風立ちぬ』はアカデミー賞を逃がしたけど、それはハリウッド帝国に「侵略しきれなかった」証だと思う。文学性という意味では、日本アニメの方が30年以上、先を行っている。……というか、私小説みたいなものを何億円もかけて映像化している日本のアニメが、独特すぎるんだよね。
実写映画よりも、アニメを見たほうが、その国の国民が「現実」とどう折り合いをつけているか見えてくるような気がする。


(こういう話の流れで書くと、別の意味が生じてしまうかも知れないけど。)
昨夜、EX大衆の編集者から、お詫びの電話があった。二人で苦労してつくった『タイバニ』の記事、校了日に大きな直しが入ってしまったとのこと。
校了日に「直してください」と言われたら、それはもう呑むしかない。編集は「そこを切ったら、つまらない記事になりますよ」と抵抗してくれたそうだが、何しろ校了日だ。雑誌が出せるかどうかの瀬戸際なので、やむを得なかったという(そりゃそうだ)。

大きく切られた(というか消された)のは、テレビシリーズでシュテルンビルトの街が危機に陥るシチュエーションが『ダークナイト ライジング』とよく似ている……と書いた箇所だ。もちろん、『タイバニ』のほうが先だと注記しておいたが、「他作品と比較するな」という権利元の意向らしい。
だから、アニメ業界は引きこもっているというんだよ。「ハリウッド映画と比べるな」なんて、甘えている。そんな風だから、アニメ・ファンの外にいる人たちを引き込めないんだよ。

現場がどんなハイレベルな作劇や絵づくりをしていようとも、宣伝だの広報だのといったセクションで「僕たちに分かるような記事にしてください」と矮小化される。どうすれば、価値観の違う相手に魅力を伝えられるかなんて、考えたこともないんだろうな。


「オトナアニメ」に書いた『銀河漂流バイファム』のレビュー記事は、サンライズの担当者が大幅に書き直して、そのまま「廣田恵介」名義で出版されてしまった。(このときは弁護士に相談し、告訴の準備までした。)
ライター個人の著作権をないがしろにしておいて、自分たちの作品を動画サイトにアップされたら、たちまち「権利侵害」と怒り出すからね。お子様としか言いようがない。

「組織は守るが、個人は叩く」国民性が、ここでも露骨に発揮されている。
ライターや編集者が集まると、「○○社の宣伝の□□がまた…」「えっ、アイツが担当なの? じゃあ絶対に記事にしない」といった話題は、かならず出る。
それ以上に、アニメ会社のご機嫌をそこねないよう、初めから当たりさわりのない公式サイトみたいなレビューを書くライターが増えている。権利者が「ここを凄いと誉めてほしいな」と思ったところを、そのまんま記事にしてしまう人。外注の広告屋に徹するなら、それはそれでいいんだろうけど、本人は広告をつくっている自覚がなかったりするんだよな。

「業界の中だけで、誰もが損しないように仲良くやろう」と考えると、流れが滞留して、水が濁るよね。……こんな簡単な教訓すら通じない相手ですよ。僕を日々、困らせている人たちは。

(C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

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2014年3月13日 (木)

■0313■

EX大衆 4月号 15日発売予定
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●TIGER&BUNNYについて、マニアックに吠えるぜ!
前回のタイバニ特集がEX大衆を買っていなかった女性層から支持を受け、今回はモノクロだけど、5ページに拡大。
「どうせ代理店が絡んでいるんだろう」とワケ知り顔の人もいたけど、編集者と僕とが『タイバニ』の映画を見にいって、相談しながら記事をつくってます。それが面白ければ、ちゃんと数字に出るし、読者からのリアクションがあったからこそ、こうしてページを確保できたわけです。

●宇宙世紀の革命家 シャア・アズナブルの生涯
こちらは、カラー3ページ。なんと最終ページには、宇野常寛氏の寄稿があります。
記事全体は、よくある「シャアのすべて」などではなく、「政治家としてのシャア」をコンセプトに構成。シャアは、ララァさえ失わなければ、納得のいく人生を送れたのだろうね。


「しずかちゃんの裸が自主規制される! アニメついに『ドラえもん』しずかちゃんの裸に規制の手が入った!! 過剰な自主規制がまかり通るのは何故か?」(
これが、児童ポルノ規制法の「本当の効果」なのかも知れない。この自主規制へのリアクションを見ると、「そういう時代なんだろう」「そういう決まりがあるんだろう」と勝手に萎縮している人がいる。「アレがやばいのだから、こっちもまずいのではないか」と、誰も何も言ってないのに暗黙のタブーだけが拡大し、空気がギスギスしていく。日本って、そういう国でしょ。

テレビ朝日は、「我々は『ドラえもん』を放映することで視聴率を稼ぐが、しかし、しずかちゃんの裸を出すような映画制作者たちはけしからん」と、上前はねた分際で作品をそしっている。いいとこ取りだけしたいわけ。
つまるところ、「児童に悪影響があるといけない」という偽善のもと、大人同士が「子供の裸で商売してはいかんよな」と、下衆な罪悪感をたらい回しに押しつけあってるだけ。自分だけは綺麗でいたい、潔白でいたいってだけでしょ?


『ドラえもん』の自主規制に触れた山田太郎議員の番組『みんなのさんちゃんねる』。コメントの中に『ぼくのエリ』()についても取り上げてほしい、と言っている人がいて、いささか驚いた。確かに、似たケースだ。
『ぼくのエリ』にボカシを入れた国は、日本だけだからね。児童ポルノ規制の先進国とされているG8各国ですら、無修正で公開した。何もないところにボカシをかけるのは、日本だけの珍現象。
この狭い島国で、関係各方面に気を使い、気をくばり、誰にも嫌われたり怒られたしないように四苦八苦して、ツケはすべて作品に払わせている。主体性がない。作品にハサミを入れた本人が「見る人が傷つくかと思って」などと責任転嫁している。恥を知れと言いたい。

作品というのは、ダイレクトに作り手の嗜好があらわれるから、サンドバックにされやすい。匿名を隠れ蓑にした連中に、点数や星の数で採点され、「ネタバレあり」だの「なし」だの、くだらない気遣いをされる。
日本では、欠点を見つけて罰するシステムだけは発達しやすい。誉めたり、認めたりするのが徹底的に不得手な国民なんだろうな。

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2014年3月10日 (月)

■0310■

ここのところ、どんな映画を見ても物足りない。
Untitledジョン・ウォーターズ監督『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』。ハリウッドのメジャー映画とシネマコンプレックスに叛逆するセシル・B・ディメンテッドという男が女優を誘拐し、自作を撮影する。
『ピンク・フラミンゴ』を上映している劇場を「ぴあ」で探しまわり、嫌悪と失望の入り混じった気持ちで帰路についた者としては、歳を重ね、露悪趣味のフリをしたウォーターズの穏やかさがくすぐったい。本当は、ハリウッド・メジャーを憎んでなんかいないし、いろんな映画があっていいんだよ……と、照れ笑いを浮かべているような慈悲深い映画。

『ピンク・フラミンゴ』の頃、確かにウォーターズの居場所はなかったかも知れない。日本での公開は、アメリカに遅れること14年を経た86年だった。その頃の東京は、とにかく貪欲で、どんな得体の知れない映画でもレイトショーで公開し、マイナーな監督の特集上映があちこちで行われていた。
暴風雨が吹き荒れるように、ありとあらゆる映画が毎週公開され、行くあてのない観客たちを受けいれてくれた。小さな自主上映会に行っても、みんな「ここが俺たちの最前線」といった顔で、席に陣取っていた。


『浦和レッズの試合で差別的横断幕「JAPANESE ONLY」』(
「人種差別、許せない!」と、顔を真っ赤にして正義を主張している人たちも含め、余裕のない国になった。30年前にも、過激な右翼はいた。だけど、世の中が一色に染まりにくかった。かなりの変わり者がいても、うまく衝突を回避できるバッファがあった。
いまは「お前は右なのか? 右じゃないなら左だよな?」と、常に誰かに脅迫されているような感じ。

差別発言しているネトウヨを皆殺しにすれば、それ以外の人々の心から差別意識が消えるんだろうか? 「自分は普通だ」「正常だ」と信じたいがため、どこかの誰かを「あいつらは異常」にせざるを得ない。幼稚で短絡的な心の仕組み。
「性の多様さを認めましょう」と、わざわざ口に出さないと、認めていることにならない――自分で自分にレッテルを貼らないと、居場所を確保できない。だとするなら、今の日本は針のむしろだよね。性の多様さを認めている人たちは、認めない人たちを決して許さないじゃん? その不寛容さこそ、多様性の敵なんじゃないの? 自分で自分のシッポを追い回して、ぐるぐる回っているみたいだよ。

もしかすると、俺はカルト宗教にハマっていて、その教義を信じているだけかも知れない――。週に一度ぐらい、その可能性を疑ってみるといい。
たいがい、何かに偏っているか、頼っているか、誰かを嫌っているか、バカにすることで自我を保っているんだよね。もちろん、この僕も。


「そんなにも、自分が世界の中心になりたいかよ?」という、友人の言葉が忘れられない。たとえば難病がテーマの映画だったら「私の祖父も難病でしたので、人ごととは思えません」と、身近に引き寄せて「他人よりも、よく理解しているぞ」という顔をしたがる人ね。
映画でも他人の話でも、「私もそうなんですよ!」と自分の体験に照らしてしまう……ついやってしまいがちだが、はしたないので気をつけたほうがいい。

相手を立てて、自分も相手も気持ちいい関係を保てるのは、何も特別なことなく、日々淡々と生きてきた人が上手い。あれは何でだろうな、と思う。
まるでスポットライトの当たらない地味な人生を生きてきた人が、人間関係の上では、まぶしいぐらい素敵な役割を演じている。本人はウケようとか好意をもたれようとか、まったく意識してないところがスゴイ。

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2014年3月 8日 (土)

■0308■

VISAカードが出来たので、来月のスウェーデン旅行のフェリーとホテルを予約。

4/14●成田→アーランダ空港 ストックホルム泊
4/15●ストックホルム観光
4/16●ストックホルム観光
4/17●ストックホルム→ゴットランド島へ ヴィスビィ泊
4/18●ゴットランド島観光
4/19●ゴットランド島→ストックホルムへ
4/20●未定 へーゲルステン泊 
4/21●アーランダ空港→成田 機内泊
4/22●帰国

……一泊か二泊、余計だったかも知れない。移動に丸一日確保しておかないと気がすまない臆病さが、このスケジュールに表れている(ゴットランド島へはバスとフェリーで行くが、4時間で着く)。旅行記を見ると、スウェーデンに来たついでに、ノルウェーやフィンランドまで回る人が多い。そこまでの行動力は、僕にはない。

ゴットランド島に二泊した後は、ストックホルム郊外、トレカンテン湖に近い安ホテルに二泊する。
昨年10月のクロアチア旅行でも、最終日は安くて交通の便の悪いホテルに泊まった。観光地から離れているがゆえに、さびれた首都のたたずまいを見ることが出来た。あれはまさに、「この世のどんづまり」だった。
Cimg0247_2あのときの写真。そう、Slavonska Avenue……この通りの向こう側へ渡れば、図書館や大学、洒落た並木道が姿をあらわす。しかし、通りのこちら側は、まるで地方都市だ。イケメン男がひとり、カフェでサッカーの試合を眺めているな?と思ったら、金髪のガールフレンドが男の肩に頭をのせて、目をとじている。
そこには、ヤンキー文化の香りがあった。黒ずくめでツンとすました、あの知的な女たちは、そのエリアにはいない。ガイドブックには決して載っていない、異国の横顔が見られただけで、僕は満足だった。

無関心の顔をした、夜の幹線道路。僕は、何度も通い歩いた。硬質な哀しみ、のような力強い感情が、心の底に広がっていった。孤独や夜は、僕を強くしてくれた。


いろいろ調べていたら、スウェーデンに関することが二件。

ひとつは、スウェーデン人の日本アニメファンがつくった自主制作アニメ、『Senpai Club』()。
Untitled「これをつくった人たちと会えないかな?」と、ちょっと思っている。ストックホルムに5泊もするんだから、大量に日本アニメのお土産を持っていくんだけどな。
そして、ここまでの下地があるから、スウェーデンで日本製の二次元美少女のイラストが「児童ポルノ」として扱われたんだろう。

『漫画はいかにして児童ポルノとされたか』(うぐいすリボン
スウェーデンの夕刊紙「エクスプレッセン」に掲載された記事の日本語翻訳版。「日本の漫画キャラクターを描いた51枚のアマチュア絵」を単純所持していたスウェーデン人が、起訴された。

おそらく、リンク先の文章を読む人は少ないだろうから、記事を書いたホーカン・リンドグレーン氏の言葉を引用する。
「度々言及されるこの児童一般への侮辱というものは、そもそもどのように行われるのか? 児童一般が見てもいない絵によって侮辱されるのなら、読んでもいない文章によって同等に侮辱されないのはなぜか?

この侮辱は、妙に限定的に発生するものらしい。もし私が絵に描いた児童の服を脱がすことが許されないのなら、なぜ撃ち殺すことは許されるのか? 絵に描いた児童の命を奪っても、児童一般は侮辱されないのか? 答えは簡単。これは児童の問題ではなく、ある種の大人たちの問題だからだ。すなわち、自分自身の考える最悪は何か――絵か、児童虐待か――自分自身で未だに明確にできていない大人たちと、純粋に利便のために両者を同じ法律で裁くことを好んでいる大人たちの問題だ。」


「ロリコンに人権はない」と正義の暴論をふりかざす人たちの、何人がこの問いを正面から受けとめることができるだろう? ホーカン氏の意見に反論があるなら、是非聞きたい。

大人たちが「自分にとって最悪の罪とは何か?」という重たい罪悪感から、苦しまぎれに考えだした概念が「児童ポルノ」なのだ。だから、国内のニュースでも、「17歳以下の子供たちが自ら撮った裸の画像」は、まるで問題にされない。なぜなら、それは大人たちの罪悪感とは関係ないから。
「大人が大人を罰すること」が、児童ポルノ禁止法の目的と化してしまっている。キリスト教圏で、多数の聖職者が万単位の子供たちを性的に虐待しているのに、国内の推進派はこの事実には決して触れようとしない。卑怯だ。実際に起きてしまった犯罪を追及する努力を放棄し、「これから起きるであろう犯罪」「見方によっては、もう起きているかも知れない犯罪」を創出し、その手近で楽チンな作業にだけかまける。包丁を持った相手からは逃げ、包丁を持つかも知れない相手をだけ、前もって罰しようとする。

自分を汚れていると思いたくない大人たちが、「私のことはさておき、おそらくアイツは汚れているであろう」と、他人に罪をなすりつけたがっている。薄汚い正義感。その怠惰さを、僕は嫌悪する。

(C)makebabi.es

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2014年3月 6日 (木)

■0306■

カードが出来ないと、フェリーやホテルの予約が難しいため、スウェーデン旅行のあれこれは凍結中。
Caeexc0eストックホルムは、基本的にホテル代が高い。ニーネスハムンは、フェリー乗り場から何キロも離れたところにしかホテルがないので、宿泊はあきらめる。ゴットランド島のホテルも、今のところ一軒しか見つけられず……と、不安要素は多い。

昨年3月、初めての海外旅行から、早くも一年が経過した。


録りためたアニメを、4本ほど続けて見る。
前から気になっていたことだけど、声優さんの「…ウッ」「…グッ」というリアクションの芝居が、あまりに多すぎる。顔のアップで無言だと、必ず「…ウッ」と唸る。パターン化していると思う。
『Wake Up,Girls!』なんて、7人全員がいっせいに「…グッ」とハモっていたからね。感情表現、貧しすぎるでしょ。

ある音響監督さんによると、実写映画の俳優さんがアニメに出ると、「…ウッ」「…グッ」が出来ないのだという。つまり、アニメの中だけでしか通用しない表現。そういうのは克服して、表現の幅を広げたほうが方がいい。
『なるたる』という漫画で、たった一言だけ記憶に残ったセリフは「多様性がなくなると、外圧に対して弱くなる」。多様であることが、その表現の生き残っていく条件ではないだろうか?


児童ポルノ禁止法関連で、いくつか。
『山田太郎議員秘書・坂井崇俊氏「児童ポルノ法改正案について(法案提出者の1人である)平沢勝栄議員に要望書を出す』(二次元規制問題の備忘録
公開質問状にしなければ、「要望は聞きました、ハイ」で終わりだね。映倫から回答を引き出した僕が言うんだから、間違いない。

『自ら裸を撮影42%=児童ポルノ過去最悪-スマホ普及が背景・警察庁』(
「身元を特定した子どもについてポルノ画像が作られた方法を調べたところ、自画撮りが63人増の270人で最も多かった。」……こういうケースについては、「児童本人が、どのような過程で撮ることになったのか」は、ほとんど問題にされない。いきなり「大人が脅して撮らせた」前提で話が進んでいる(いったいぜんたい、児童本人は「製造」の罪に問われないのだろうか?)。
中学生だったら、同年代の異性が気になるだろう。高校生同士なら、セックスまでいかなくとも、キスぐらいはするだろう。そのグラデーションを「児童」の一色で塗りこめていることが、この法律の乱暴さだと思う。


LGBT(L=レズビアン、G=ゲイ、B= バイセクシュアル、T=トランスジェンダー)の権利が、いま流行っているらしいね。「LGBTの市民権を守る」文脈で「ロリコンのような犯罪予備軍の人権まで守る必要あるのか?」という議論を、ちょくちょく目にする。
つまり、小児性愛はSMやスカトロと同じような性癖のひとつにすぎないから、セクシャル・マイノリティとしかカウントすべきではない(したがって人権を守る必要もない)という意見。
性癖のひとつに過ぎないなら、他人に迷惑をかけないかぎり放っておくべき。わざわざ「そいつらの人権は配慮しない」と言い出すことが、すでに暴力なんすけどね。

何度も例に出したくはないが、僕の母親は父親に刺し殺された。
そのときね、ある編集者が得意満面で言いいましたよ。「人を殺したからって、人権が消滅するわけじゃないんですよ」って。弁護士も、同じことを言った。「○○さん(犯人の名)にも、権利がありますのでねえ」。
友達にも言われたよ。「お父さんを恨むなんて、それは辛い選択になるよ」。「殺した側だって、辛かったんだと思うよ」。お前たちの慈悲深さには、ありがたくて涙が出るよ。お前たちは分かりやすい。「人を殺す」という極端なパターンにおいては、軽々と「殺した側の人権」を口にする。「殺された側の人権」に想像の及ばぬ連中が、いけしゃあしゃあと「死刑反対」などと綺麗事をぬかすのさ。

お前ら、本気で弱者の側に立ったことないだろう?
LGBTが流行っているから、脱原発と同じノリで「性差別反対」と言い始めただけなんだろ? 同じ口で「死刑反対」とも言ってるんだろうな。自分だけは、何の罪もまとっていないかのような涼しい顔で、正義をネタに自慰をする連中。


話が、とっちらかった。
つまり、少女であれ少年であれ、児童に対して心ひそかに欲望を持つ者たちは、社会から人権を奪われる覚悟をせよ。心ひそかであっても、犯罪につながる可能性があるので、欲望をもつこと自体を禁ずる。思うこと、考えること、感じることさえ罰してやろう――魔女狩りを望んでいるのは、多くの「リベラルな」人たちだ。
いまや、児童ポルノ法がどうなるかより、そういう人たちの存在が、僕は怖ろしい。

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2014年3月 3日 (月)

■0303■

昨日は、秋葉原toy cafe TOIQUEにて、「直江さんを偲ぶ会」に出席。
Dsc_172620名以上の人々が集まり、レゴ作品を持ち込んだりその場で組み立てたりして、机の上はいっぱいになってしまった。
レゴの世界の人たちは大変社交的で、どんどん友達になってしまう。僕は、誘ってくれたギムレット氏に「廣田さん、誰にも話しかけないから」と指摘されたとおり、ジッと黙っていた。

まだ店内に人の少ないころ、「ライターの方ですよね? レゴのイベントでお見かけしました」と声をかけられた。もう7~8年前のイベントだ。「僕は『マイマイ新子』も好きなので……」と、その方は笑っていた。署名活動のことだろう。
おそらく、2010年までに、僕の役割は終わったんだろうな。2011年は、母の死で年明けした。以降、見知らぬ人が僕の顔や名前を新たに覚える機会は、なくなった。

まだ閉会の時間ではなかったが、主催のさいとうよしかずさんに挨拶して、冷たい雨の中を帰った。


『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第3巻。漫画の発売日に本屋に駆けつけるのは、何年ぶりだろう。しかし、内容は主人公たちの乗るモビルスーツの壮絶な一騎打ち……と、第一巻にあった戦術的な面白さは後退してしまった。

ただ、この作品には「個人のガンダム史」が込められているせいか、責める気にはなれない。フルアーマー・ガンダムと高機動型ザクが戦うのは、プラモデルとテキストのみのコンテンツ、MSVからの発案。その更に源流には、テレビの『機動戦士ガンダム』1クール目の戦闘シーンが位置している。
1クール目には、ワンオフの連邦軍の高性能モビルスーツに、ベテラン向けにチューンナップされたシャアのザクが挑む構図があった。ま、巌流島ですね。映画化に際して「RX78ガンダム vs MS06ザク」とポスターに刷られるほど明快な、一対一の決闘の図式。「リアル」「ミリタリー」と呼ばれる『ガンダム』には、剣豪小説のような通俗性があった。ガンダムとグフの剣戟シーンになると、より顕著だよね。
ようするに、未来戦記モノの『サンダーボルト』ですら、チャンバラを入れずして『ガンダム』の派生作品として認識不可能なわけ。『MS IGLOO』が『ガンダム』っぽくないのは、チャンバラ要素がないからだろうね。他のスピンオフには、『0083』であれ『08小隊』であれ『ポケ戦』であれ、ライバル同士のチャンバラ・シーンは必須の要素として入っている。
(MSVに、ザクのバリエーションだけでなくガンダムの派生型が入っている理由も推して知るべし。「ガンダムvsザク」の構図を再現可能にしておかないと、『ガンダム』コンテンツに見えないのだ。)

そういうエンタメの約束ごとを踏まえたうえで、『サンダーボルト』を読んで「戦争は悲惨だ」などと言うのは、ちょっと恥ずかしい。
「しっかり社会とのかかわりを押さえている若者なら『ガンダム』ではじめて戦争を知ったなんて言いはしない」……『GUNDAM CENTURY』に、永井一郎氏が書いている。「『ガンダム』がある人たちにははじめて戦争を知らせたのなら『ガンダム』は大いに価値があったというものだ。しかしその認識の仕方はほんとに問題だよ。もっと社会とかかわる目を持ってよ。」


妊婦が電車に乗ると、蹴られたり罵声を浴びせられるというニュース。『「マタニティマーク」は危険?』(
和をもって貴しとなす日本人は、「輪」の外の人間には冷ややかだ。自分の属する社会集団の中で己を殺せば殺すほど、「なぜアイツラだけが優遇されているんだ」という僻みが鬱積していく。戦おうという人間がいない。覚悟のすわった、意志のある人間は、驚くほど少ない。

児童ポルノ規正法改正案に対して、署名活動ぐらいやろうかと思ったけど、とても糾合できない気がしてきた。なぜなら、「自分は保守で自民党支持だから、自民議員の提出した児ポ法改正案には反対できない」と、自らを縛している人が、ネットで散見されるからだ。
原発が嫌いで、秘密保護法に反対していたブサヨの僕などが署名を集めても、数百人も集まらないだろうと思う。「自民支持だけど児ポ法改正はイヤ」という人は、「日本のアニメや漫画をつぶしたい韓国の陰謀」と言いはじめている(笑)。規制推進派はウハウハだろうな。自分たちのところには反対意見が届かず、よその国に矛先が向いてるんだから。

宮沢りえの『Santa Fe』や、『ドラえもん』の入浴シーンはNGにならないです。ああいう社会的強者を標的にした法律ではないので。推進派は、逮捕しても誰も困らない無名の人たちを標的にしているわけですよ。世間に「気持ち悪いオタクが逮捕されて、よかった」と思わせたいわけだから。

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2014年3月 1日 (土)

■0301■

吉祥寺ヨドバシカメラまで歩き、新しいスーツケースを買う。友人からもらったスーツケースCa44k201 は、昨年、二度もクロアチアへお供してくれた。貫禄があって良かったのだが、いかんせん重量がありすぎた。なので、今回は軽いのを購入。

4/14からのスウェーデン旅行、いい加減に予定をつめないといけない。個人の旅行記をかたっぱしから読みながら、情報収集している。
ゴットランド島で一泊するのは確定として、それ以外の3日間をどう過ごすか。ストックホルムなら、旧市街(ガムラ・スタン)で一日。あと、郊外にあるスクーグシェルコゴーデン(森の墓地)。ここは寂寥としたいい雰囲気のようなので、必ず行きたい。あと、いくつか教会建築を見て歩けば、一日使える。

それと、ほとんど情報のない港町ニーネスハムン。ちょっと、ここで一泊してみようかと思う。前回も、単なる通り道にすぎないクロアチアの港町リエカに泊まったら、予想もしない夜の活気と濃密な文化の香りに圧倒されたからね。そういうノイズを混ぜていかないと。

まずは、フェリーのチケットを予約しようと思ったが、JCBカードが使えない。スウェーデンは、バスも地下鉄もカード払い。カード作るところから始めないといけない。


トルコ映画『卵』、ウディ・アレン監督『ミッドナイト・イン・パリ』……主人公が詩人だとか作家だとかいうだけで、うんざりしてしまう。やっぱり、主人公が戦ってないとダメだ。
どちらも、とても頭が良くて、映像センスの高い映画だと思う。だけど、何に対しても逆らってない。従順な、おとなしい映画。これは緩慢な死だ。いま、そういう映画はいらない。煮えたぎるような、生への欲求が欲しい。
僕の知り合いに「ゾンビ映画しか見ない」という人がいるが、その気持ちが数ミリだけ分かったような。

結局、『ガンヘッド』ってのは「世界初の実写ロボット映画」という、自ら立てたコンセプトに向けて戦っているからね。戦った結果、負けているような気もするんだけど、とにかく「戦った」事実だけは誰にも動かせない。原作も何もない、援護も受けられない状態なのに、映画一本で居場所を獲得しようとした。そこを最大限に評価する。『王立宇宙軍』も、そう。時代の要請があったわけではないのに、勝手に目標を設定し、勝手に猪突猛進した。そこが好き。
成功を約束されたものが、いちばんつまらない。……そういう意味では、実写版『魔女の宅急便』は興味ある。『私の優しくない先輩』も、「望まれてないのに生まれようとした」一点において、まぎれもなく愛する価値のある一本。『Wake Up, Girls!』も、もちろん毎週見ている。面白いかどうかなど、問題ではない。戦っているかどうか。それが、すべてだ。


おそらく、「好感度」なんてものを気にしているから、ダメなんですよ。
『ゾンビランド』に「些細なことを楽しめ」という格言が出てくるけど、それに尽きる。自分に対するウケさえ狙っていけばいい。他人に愛されようとして、意地汚くならないこと。

明日は、「直江さんをしのぶ会」()に出席予定。
レゴ界のすごい方々がお集まりのようなので、早めに帰る。

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