■0323■
レンタルで何本か見たが、『J・エドガー』の重厚感が抜きんでていた。FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーを賞賛するでもなく、批判するでもなく、その多面性をむき出しのまま描き出す。
銃を持って「FBIだ!」と踏み込んでくる古い外国ドラマは、僕の小さい頃には、かろうじてテレビ放映されていた。『J・エドガー』では、FBIが漫画や映画のヒーローとして、少しずつフィクションの世界へ広がっていく様子も描かれている。
驚いたことに、国民の好感度を得るため、フーバーは犯人逮捕の瞬間に銃をもって立ちあい、ドラマチックに盛り上げていたのだ。やがて年老いて、それが事実だったのか、メディア向けの演出だったのか、自分でも分からなくなってしまう。
映画には、リンドバーグやシャーリー・テンプルも、名前だけだがアル・カポネも出てくる。記録映像で、キング牧師も登場する。虚実ないまぜとなったような、不思議な雰囲気があるのだが、生の歴史に直面している知性とスケール感には圧倒される。成熟した観察眼とさまざまな方面からの取材なしに、この厚みは出ない。『永遠の0』なんかをオタク監督がCGでちょいちょい映像化している国とは、比較にならない。
『ミルク』のダスティン・ランス・ブラックが脚本を書いているので、フーバーの同性愛者としての側面も、きっちり描かれる。
縦にも横にも、文化的な広がりがある。制作者たちは「これが結論ではなく、今後も議論がなされるだろう」と、反論や異論を歓迎している。さて、日本はどうだ?
■
「内閣広報室が発売前に取材要請 秘密法特集企画の女性誌に」(■)
発売前の雑誌の内容を聞いて、「ウチも取材してください」「ウチも内容チェックしたいのですが」……これはアニメ関連本では当たり前です。リンク先には「言論の自由に対する威圧につながりかねない。言語道断だ」と書いてあるけど、アニメ本に関しては、はじめから言論の自由はないです。
権利を侵害されているのに、なぜ問題にならないのか? 書いている側の意識が低いからですよ。口出しする側も、される側も幼稚だから。
EX大衆の『タイバニ』特集は、今回も評判がいいようで、特に女性ファンは、ちゃんと編集部に意見を送ってくれるんだそうです。ネットで愚痴ったりせず、当事者に声を届かせる。女性は強いです。批判意識もあると思うし、あと感情表現が豊かだよね。
ネットでは「記述がちょっとおかしいのでは?」という意見があったけど、権利元が勝手に手を加えているので、その部分までは責任をもてない。
インタビューでも「俺にインタビューしたんだから、俺が直すのは当然」と、ほぼ全面的に書き直される場合があるんだけど、たいてい文章はヘタクソです。それは、創造性とは関係ないので、ヘタでも仕方ない。だから、僕は(時間さえゆるせば)掲載前に手直しするようにしている。「直してもらった文章を、さらに直すんですか?」とビビる編集者がいるけど、いったい誰に気を使っているのか。誰のために雑誌をつくっているのか?
どんな業界でもそうだろうけど、意志のある人間、本当に勇気のある人間は、驚くほど少ないです。そして、本当のことを堂々と言った人間は、裏からこっそり排除される。陰気だね、日本社会って。
■
「オカマバーでモジモジする人は出世に向かない!?」(■)
「実は出世に必要なのは、オカマ、女性、外国人といった自分とは違う生物と分け隔てなく付き合える能力なのです」……オタクも、自分と違う世界の人たちの相手ができないよね。でもまあ、いいんです。自分の安心できる小さな楽園を見つけないと、ただ苦しいだけだから。
(C) 2011 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント