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2014年3月20日 (木)

■0320■

今日は、石黒昇監督の三回忌。監督は、原発事故を嘆き、東京電力にマジ切れしてらした。反骨の人だった。


『アナと雪の女王 ビジュアルガイド』を購入。僕は思ったより、相当この作品に参っている。
Untitled_2監督だけではなく、ストーリー・アーティストやアニメーション監督やスーパーバイジング・アニメーターといった、膨大な数のスタッフたちが、ストーリーやキャラクターの心情をきっちり考えている。ノルウェーにロケハンに行くのは分かるけど、主演声優が演技に口出ししてアニメーターとアイデアをやりとりしている。すごい。日本では、声優が最もアニメの現場から遠いのに。
(職域が違うのに話し合えるのは、コミュニケーション能力があるってことでしょ。)

何人かの日本人スタッフのインタビューも掲載されている。
これほど主体性をもった人々を統率し、一本のアニメ映画をつくり上げてしまう機動力、もはや軍隊レベルである。
「この一本で、最低三年間は経済を回すぞ」って勢い。「今期のディスクさえ売れればいい」なんてセコい話ではない。「世界中の人々を魅了するぞ!」と意気込んでいる。このスケール感、本当にやばい。


日本のアニメは、良くも悪くも、個人作品なんだよな。しかも、ディスクが売れないと赤字になるような博打を延々やっている。あるプロデューサーから「こんな商売のしかたでは、やっていけない」と聞かされたけど、誰も代案を考えていない。

僕らは誰にも指図されずに、作品の「良いところ」を主体的に見つけて記事にしているのに、ディスクを売りたいはずのアニメ会社の人々が、どんどん邪魔してくるんだから、意味が分からない。僕、彼らの要求を聞き入れて、自分の文章を削って、ディスクの広告まで載せてるんだからさ。それで「売れない」とか嘆いているんだもん。
ディスクが売れないと、その作品には価値がないことになってしまう。ニコ動で何万回と無料で再生されている作品には、ちゃんと価値がある。「あいつらは素人だから」「こっちは権利者だから」なんて幼稚な区別をしているから、アイデアが広がらないんだよ。
日本のアニメ業界は、引きこもっている。


前回、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述へのリンクを貼った。
創作に向かわず、犯罪に走ることで「救われてしまう」人もいる。その危うさを理解し、受け入れることだ。表現規制したがる人は、受け入れてないんだよ。児童ポルノ規制法強化を推進する平沢勝栄議員は、このようにおっしゃっている(2/11放送『深層NEWS』より)。

「漫画なんかでも、エログロとしか思えないような、とても芸術とは思えないような漫画については、規制する国がある。日本でも実際に犯罪が起こったら、あとで(容疑者の部屋を)調べてみたら、そういう漫画本が出てくるという事例があるから、じゃあ一度、研究してみようと、研究課題として置いているだけのことであって、すぐに今度の法律で漫画・アニメを取り締まろうということではないんです。」

――なるほど。この人は、無意識なのかバカなのか分からないけど、表現に犯罪性が潜んでいることは見抜いている。だけど、「だからこそ、規制などしてはならない」ところまでには考えが至っていない。
富野由悠季さんが「人を介護できるロボットは、人を殺しうる」という意味のことをおっしゃっていた。表現は人生の美しさを謳いあげるが、同時に救いがたい暗部をも描きうる。不可分だ。闇を消しされば、光もまた失われる。
規制派のおそろしいところは、「悪を滅ぼすことができるなら、善をも犠牲にする」獰猛さなんだよね。「犯罪を潰せるなら、表現なんてどうでもいい」と彼らは考えている。「芸術」が「エログロ」に支えられていることに、気がついていない。

『黒子のバスケ』脅迫事件の被告は、何も努力しなかったと自ら認めているくせに、自殺という所期の目的から逃げた。それは卑怯だ。自分に対して誠実とは言えない。
俺は、努力しないヤツは嫌い。それは脅迫事件の被告でも自民党の国会議員でも、変わらない。

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