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昨日は、秋葉原toy cafe TOIQUEにて、「直江さんを偲ぶ会」に出席。
20名以上の人々が集まり、レゴ作品を持ち込んだりその場で組み立てたりして、机の上はいっぱいになってしまった。
レゴの世界の人たちは大変社交的で、どんどん友達になってしまう。僕は、誘ってくれたギムレット氏に「廣田さん、誰にも話しかけないから」と指摘されたとおり、ジッと黙っていた。
まだ店内に人の少ないころ、「ライターの方ですよね? レゴのイベントでお見かけしました」と声をかけられた。もう7~8年前のイベントだ。「僕は『マイマイ新子』も好きなので……」と、その方は笑っていた。署名活動のことだろう。
おそらく、2010年までに、僕の役割は終わったんだろうな。2011年は、母の死で年明けした。以降、見知らぬ人が僕の顔や名前を新たに覚える機会は、なくなった。
まだ閉会の時間ではなかったが、主催のさいとうよしかずさんに挨拶して、冷たい雨の中を帰った。
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『機動戦士ガンダム サンダーボルト』第3巻。漫画の発売日に本屋に駆けつけるのは、何年ぶりだろう。しかし、内容は主人公たちの乗るモビルスーツの壮絶な一騎打ち……と、第一巻にあった戦術的な面白さは後退してしまった。
ただ、この作品には「個人のガンダム史」が込められているせいか、責める気にはなれない。フルアーマー・ガンダムと高機動型ザクが戦うのは、プラモデルとテキストのみのコンテンツ、MSVからの発案。その更に源流には、テレビの『機動戦士ガンダム』1クール目の戦闘シーンが位置している。
1クール目には、ワンオフの連邦軍の高性能モビルスーツに、ベテラン向けにチューンナップされたシャアのザクが挑む構図があった。ま、巌流島ですね。映画化に際して「RX78ガンダム vs MS06ザク」とポスターに刷られるほど明快な、一対一の決闘の図式。「リアル」「ミリタリー」と呼ばれる『ガンダム』には、剣豪小説のような通俗性があった。ガンダムとグフの剣戟シーンになると、より顕著だよね。
ようするに、未来戦記モノの『サンダーボルト』ですら、チャンバラを入れずして『ガンダム』の派生作品として認識不可能なわけ。『MS IGLOO』が『ガンダム』っぽくないのは、チャンバラ要素がないからだろうね。他のスピンオフには、『0083』であれ『08小隊』であれ『ポケ戦』であれ、ライバル同士のチャンバラ・シーンは必須の要素として入っている。
(MSVに、ザクのバリエーションだけでなくガンダムの派生型が入っている理由も推して知るべし。「ガンダムvsザク」の構図を再現可能にしておかないと、『ガンダム』コンテンツに見えないのだ。)
そういうエンタメの約束ごとを踏まえたうえで、『サンダーボルト』を読んで「戦争は悲惨だ」などと言うのは、ちょっと恥ずかしい。
「しっかり社会とのかかわりを押さえている若者なら『ガンダム』ではじめて戦争を知ったなんて言いはしない」……『GUNDAM CENTURY』に、永井一郎氏が書いている。「『ガンダム』がある人たちにははじめて戦争を知らせたのなら『ガンダム』は大いに価値があったというものだ。しかしその認識の仕方はほんとに問題だよ。もっと社会とかかわる目を持ってよ。」
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妊婦が電車に乗ると、蹴られたり罵声を浴びせられるというニュース。『「マタニティマーク」は危険?』(■)
和をもって貴しとなす日本人は、「輪」の外の人間には冷ややかだ。自分の属する社会集団の中で己を殺せば殺すほど、「なぜアイツラだけが優遇されているんだ」という僻みが鬱積していく。戦おうという人間がいない。覚悟のすわった、意志のある人間は、驚くほど少ない。
児童ポルノ規正法改正案に対して、署名活動ぐらいやろうかと思ったけど、とても糾合できない気がしてきた。なぜなら、「自分は保守で自民党支持だから、自民議員の提出した児ポ法改正案には反対できない」と、自らを縛している人が、ネットで散見されるからだ。
原発が嫌いで、秘密保護法に反対していたブサヨの僕などが署名を集めても、数百人も集まらないだろうと思う。「自民支持だけど児ポ法改正はイヤ」という人は、「日本のアニメや漫画をつぶしたい韓国の陰謀」と言いはじめている(笑)。規制推進派はウハウハだろうな。自分たちのところには反対意見が届かず、よその国に矛先が向いてるんだから。
宮沢りえの『Santa Fe』や、『ドラえもん』の入浴シーンはNGにならないです。ああいう社会的強者を標的にした法律ではないので。推進派は、逮捕しても誰も困らない無名の人たちを標的にしているわけですよ。世間に「気持ち悪いオタクが逮捕されて、よかった」と思わせたいわけだから。
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