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2014年2月27日 (木)

■0227■

気分のすぐれぬまま、『ネットと愛国』(講談社)を読んでいる。在特会に取材したルポルタージュ。
会長の桜井誠という男は、つまり「永遠に勝てない戦いをしかける」ことで、決して達成されない革命の中に自分を躍らせている。それは、創造的な人生だ。
無論、桜井に勝手にネタにされた在日外国人の人たちは、いい迷惑だろう。だけど、桜井が「殺す」と叫んだところで、実際に外国人が殺されるわけではない。そこが桜井の姑息さであり、「勝てないけど負けない」コツなのだろう。勝つ必要はない。勝ったら、そこでゲームは終わってしまう。永遠にゲームをつづけるコツは「負けないこと」。ゲームを続ける理由は、「だって、あいつらがズルしてるから」という言いがかりで十分。これは桜井、うまいこと考えたよなぁ……。

お手軽に「ぜんぶ韓国のせい」にしているネトウヨは幼稚だけど、桜井は戦前から連綿とつづいている差別意識をヒョイと利用したのがズルいし、賢い。本当に創作的、芸術的だと思う。
繰り返しになるが、在日韓国人、中国人の人たちはいい迷惑だろう。桜井を誉めて不愉快なら、その分は僕が謝る。しかし、桜井を「人種差別をやめろ」と諭すのは、戦場で「戦争反対」と叫ぶのに等しい。おそらくは、人種差別でなくともいい。韓国でなくとも、歴史認識でなくともいい。肝心なのは、桜井が「生きづらい」ことであり、それに対して「戦いを挑む」ことなのだ。その戦いは、誰にも止められない。生きづらさに対して戦う。その権利は、誰にも等しく与えられているべきだ。

ただ、僕はペ・ドゥナが好きだし、ポン・ジュノの映画も好き。韓国映画を楽しむことと、桜井誠の生き方に感銘を受けたことは、今のところ矛盾しない。
最近、HDリマスターされた映画で、『ありふれた事件』というのがある(←予告。やっぱり抜群に面白いな)。連続殺人者が、楽しみのために次々と人を殺していく。見ていて愉快ではないが、彼の中には厳然としたルールがあり、彼はその中でしか人を殺さない。困ったからといって、自らのルールを書き換えたりはしないのだ。だから、『ありふれた事件』を「人殺しはよくない」という理由で否定することはできない。その感覚に、ちょっと似ている。


そろそろ、本当の話をしようではないか。誰に嫌われようとも。
都知事選での痛手が、かなり効いている。宇都宮けんじ氏の政策は、生き残るための具体的ヒントにあふれていた。しかし、「内発するパッション」という意味では、田母神俊雄氏が誰よりも優れていた。田母神氏が、あの勢いで「ブラック企業を殲滅する」と言ってくれたら、僕はかなり参っていただろう。
もちろん、原発はやめないとダメ。だけど、田母神氏のパッションは肯定する。なぜ20代有権者の24%が田母神氏に投票したのか? 政策はともかく、生きるためのエネルギーを感じたからではないのか?

僕を失望させたのは、小泉=細川ごときに「脱原発」の三文字で踊らされた者たちが、あまりに多かったことだ。原発を成立させている構造をこそ砕かねばならないのであって、原発だけを今の日本からチョキチョキ切り抜いて、ゴミ箱に捨てることなんて出来ないはず。その認識の甘さは、かつての自分も間違いなく抱いていた。だから、余計に嫌悪感があった。
原発事故を契機に、沖縄に母子避難した人がいる。ちっとも愚かではない。よく頑張っていると思う。ただ、そのお母さんが「自衛隊はいらない」と言っているのには、違和をおぼえる。災害派遣でも自衛隊は不要なのだろうか? 自衛隊は人殺し集団ではない。「沖縄に来ないでくれ」と米軍に言うなら分かるのだが……。

僕も、放射能汚染を忌避する。東北~関東産の野菜や魚は、口にしない。それは変わらない。だけど、「原発も軍隊も、自分の見えないところに押しやってしまえ」では、結局は原発を成立させた社会構造を強化するだけではないのか。
脱原発運動は、頓挫しつつある。都知事選は、それを証明した。よく噛んで含めて、この先を考えなくてはいけない。


別に、僕はヘサヨと呼ばれようと何だろうと構わないんだけど……ようは、姑息さを持って、「勝てるルール」で権力と戦っている人が、あまりに少ないんだよな。もっと卑怯でないと、権力には勝てないですよ。児童ポルノ法規制に反対するんでも、もっと利用できるものは利用しないと。生きていくためには、何でも。

児ポ法規制強化に動いている人権団体は、犯罪に近い戦略までとってますからね。
桜井誠は、戦うための燃料を間違えていると思うんだけど、間違えているからこそ、正論では倒せないわけ。「間違ったもの勝ち」のルールなんだよ。そういう目線で、自分の向き合っている問題を真正面から見つめなおさないと、とりあえず勝てないです。違いますかね?

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2014年2月26日 (水)

■0226■

私はハゲているが、清潔感を保ちたいので、週に一度ぐらい床屋へ行く。
先日、開店時間に床屋へ行ったら、腰の90度ぐらい曲がったおじいさんが、細長い階段を昇るところであった。すぐ横に、50歳ぐらいの女性がいたので、てっきり老人が階段を昇るのを手伝うのであろうと思っていた。
ところが、その女性は老人をほったらかしにしたまま、階段の下で「スーパーでお弁当を買ってこようかな……」とひとりごとを言っていた。老人は、ひとりでヨロヨロと階段を昇っている。「おいちゃん、落っこちないでよ!」と、女性は笑いながら言った。

三鷹駅構内の立ち食いそば屋。20代だと思うけど、キリッとした顔だちの美人が空になったどんぶりを前に、携帯電話で話している。「いいから、駅の改札の中に来てよ!」と、イライラしている。「だから、改札の中にいるの!」
しばらくすると、彼女の母親らしい女性が、そば屋の中に入ってきた。「お前、何を食べたの?」と、娘に聞く。母親は、自販機で食券を買って、何か注文しようとしている。娘は、呆れたように黙っている。母親はカウンターに並んだ樹脂製のハシが嫌なようで、割り箸はないかと、しつこく店員に聞いている。

何がどう、というわけではない。どちらも、異様な光景だった。それぞれ、血のつながりのある家族だと思うのだが、そこにはコミュニケーションが不在だった。


『アフリカ中部ウガンダのムセベニ大統領は24日、一部の同性愛行為に終身刑を科す「反同性愛法案」に署名した。』(
ウガンダ国会は、2013年12月に「反ポルノ法案」を可決している。女性がひざより上を露出して歩くと、逮捕されるのだという。平たく言えば、生殖目的以外のセックスを禁ずる――よって、性欲そのものを制限する政策らしい。

ウガンダには、国策によってHIVを劇的に減らした過去がある。反同性愛法案は、その歴史の上に成り立ったのだろう。同性愛者の実名リストを、顔写真入りで掲載する新聞さえある。
この国を覆いつづけた貧困と暴力の前に、欧米的な人権意識は通用しない。

児童ポルノ規正法も、我が国固有の歴史から議論されねばならない。平沢勝栄議員のように「諸外国が禁じているから」で法律を決めていては、むしろ諸外国に笑われる。


『リベラル勢力が触れない“田母神60万票”の理由』(
いい記事だとは思うが、「脱原発による電気料金の値上げはどうカバーするのか」、これは勉強不足。現在、すべての原発が停まっているのは原子力規制委員会と電力会社の都合でしかなく、電気料金の値上げなど、電力会社の経営上の問題にすぎない。

3年前、福島第一原発事故の直後、まっさきに原発維持を口にしたのは、僕のまわりでは、基本的に性格の悪い人。自己愛が強く、他人に厳しいタイプの人。規律を重んじる朴念仁タイプの人。

一方で、「だいたい、左翼なんて、みんな社会のエリートじゃないですか」という在特会広報局長の言葉(講談社『ネットと愛国』より)が、胸にひっかかる。
エリートでないが、ライターだの文筆業だの名乗って、「原稿料だけで生計を立てている」と豪語してきた僕が、脱原発文化人を嫌悪できるのか。ハンパな業界人ヅラをしておいて、今さら中立派ぶるな、とも思う。


自分のミスを低く見積もるものは、しょせん低い理想しか抱いていない。
リスクを過小評価するものは、最初から高い目標など設定していない。

こういう気分のときは、たいてい人と話すと回復するのだが、今日はダメだった。

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2014年2月24日 (月)

■0224■

月刊モデルグラフィックス2014年4月号 明日発売
Mg
●廣田恵介の「組まず語り症候群」 第16夜
80年代をプレイバックするのは、もう古い。いま懐かしいのは90年代だ! 今回は、模型をネタに90年代を振り返ります。
そして同時に、90年代版の「パンツ・フィギュア」も、ばっちり掲載。

このページは、編集部が「廣田さんの好きなように書いてください」と、がっちりガードしてくれている。「何が起きても自己責任で」という世の中、ともに悩んでくれる編集者は、本当に貴重。


結局、20周年以降の『ガンダム』文化史は、演出家も企画コンセプトも異なるバラバラの作品を「公式」宇宙世紀年表に、機械的に組み込む作業でしかなかった。雑誌や記事をつくる側は、「公式」から逸脱することが許されなくなってしまった。

いま、ウクライナが大変なことになっている。ウクライナの領土内には、ロシアからの石油パイプが多数あるという。大国が関与しているため、国自体が左右に分裂するのではないかという事態に及んでいる。
スペースコロニー単位の国家主義が生まれたとき、連邦政府の手放したくないコロニーは、飴とムチで翻弄されたと思うんだよね。逆に、ジオンは真っ先に(敵にとって)資源的価値のあるコロニーを狙ったと思う。そこを考えると、世界が広がっていく気がする。

『Zガンダム』なんて、いまリメイクしたら、かなり面白いものになると思う。戦後のジオン共和国がどんな扱いを受けたかも、ちゃんと描きこんでやるといい。


カミーユは、潜在的ネトウヨではないか?と考えると、僕には得心がいく。両親に愛されなかった子供には、世間に復讐する権利がある。
潜在的ネトウヨであるカミーユに対して、クワトロ大尉が説得力を持たないのは道理であって、シャアはハイソな脱原発文化人、坂本龍一みたいな存在だから。目の前の目的に対して、過去の権威で戦えると自惚れた年寄りなど、殴られても文句は言えない。
シャアはダカールの連邦議会で演説したけど、まるでリアリティがなかった。坂本龍一が金曜官邸前抗議に行ったところで、あんなもん、代理店の采配で成り立っているわけで、少しも実効力はない。カミーユにとっては、「リベラルな左派」であるエゥーゴは、さぞかし居心地が悪かったろうな。

彼はティターンズの戦力であるガンダムMk-Ⅱを「抑圧されるのが、どんなに怖いか」知らしめるために奪ったわけだよね。そのむき出しの衝動には、今日的なリアリティがある。
少なくとも、誰かを守るためではなく、自分のために暴力を選択したわけだよ。「自分には、暴力をふるう自由も権利もある」と、彼は認識した。「圧政を倒すには、暴力もやむを得ない」のではなく、身を守るため、自我を維持するための、自分の内からみなぎる暴力。
やはり、シャアよりもカミーユに分があった……といわざるを得ない。


東京都美術館が反安倍政権のメッセージを貼りつけた作品を、撤去させようとした。あるいは、『アンネの日記』が都内の図書館で、破られた。
それらを「許されないこと」とネットで言っているだけでは、何のストッパーにもならない。芸術作品は「文化」だから、「非暴力」と考えるのは愚かなことで、作品というのは犯罪的だし、個人にとっても組織にとっても脅威になりえる。作品の犯罪性や脅威の部分で対抗していくのが、少なくとも作家や作家を支援する人にとっては正攻法だという気がする。

ヘイトスピーチは、許されねばならない。ヘイトスピーチに対するカウンター活動も、やはり許されねばならない。「そのようなことを言うな」「考えるな」という権力のみを、許さなければいいだけの話だ。
右も左もない。自由の敵だけが、いつだって本当の敵なのだ。

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2014年2月22日 (土)

■0222■

いま、シャア・アズナブルに関する、短いけど濃い記事をつくっていて。いろいろ過去の文献を読んでいて、この会話で笑った。

シャア「戦いの中で、人を救う方法もあるはずだ! それを探せ!」
カミーユ「あるわけないだろ!」


これ凄いな。シャアがエゥーゴに参加したのは、やっぱりティターンズの横暴さを知って、びっくりしたからだろうね。「ティターンズやばいな。これ何とかしないとな。政治か……政治は苦手なんだよな。モビルスーツのことしか知らないんだよな。でも何とかしないとな」程度の認識と動機しかない。
カミーユは衝動的で、「ティターンズむかつく! 俺、モビルスーツ動かせる! やっちまえ!」 こんな勢い。脊髄反射。そこが、アムロのような文系ニュータイプと違う。「140字でツイートして、伝わらなければいいや」みたいな。「今、Skypeあるし、LINEあるし」みたいな勢いで「ガンダムMk-Ⅱ? Zガンダムの方が早いじゃん。変形するし。俺、自分で作るし」と、本当に作っちゃう。

対して、シャアは百式に乗ったとたん、「ガンダムの出来損ない」と、過去文脈で否定されてしまう。
『逆襲のシャア』は、恵まれてるんだよ。しょせんは同世代の内輪もめ同窓会で、「情けないやつ」「あんな小娘にうつつを抜かして」とか言ってもらえるから。『Zガンダム』のシャアは、コミュニケーションしてもらえないから、キツいよね。カミーユ、文脈ぶっとばして来るからね。
シャアは、ティターンズという体制に対して、左派に立とうとしたんだろうね。だけど、何しろ出自が「赤い彗星」で、ぜんぜんリアリティないわけで、理論武装しないと左派に加われない。『ガンダム』から『Zガンダム』へ枠組みがシフトするとき、シャアだけ苦しいんだよね。「父の復讐のため」とか言って出てきた、ウソっぽいキャラだから。

反目しあいながらも、同世代で「情けない」と言い合える『逆シャア』が、ややお疲れ気味のオジサンに支持されてるのも分かるような。……こういうガンダム語り自体が、若い人にはウザいってのも、最近やっと実感できてきた。


昨夜は、YouTubeで『テラポリ』という番組を見ていた。テーマは【山田太郎参院議員に聞く「児童ポルノ禁止法『改正』問題」】

この番組に寄せられた意見で、「児童ポルノと呼ばずに、児童性的虐待記録物と呼ぶべき」、これは国際刑事警察機構が日本に提言しているそうです。「児童性的虐待記録物」。それを所持することを禁ずる。それなら分かる。「児童ポルノ」という言葉には、すでに「異常」「享楽的」「取り締まるべき」というニュアンスが入っている。さらに言うなら、“ポルノ”には創作物も含むかのようなニュアンスがある。
ニュアンスではなく、ロジカルに「児童性的虐待記録物」と呼ぶと、焦点がはっきりしてくる。被害者の存在も、強く意識できる。創作物は含まれない、と明言しているし。

推進派も反対派も、「実在の被害児童を救済する、保護する」という点では一致しているはず。しかし、推進派が不勉強で論点をズラしまくるから、「児童ポルノ」という恣意的な言葉の意味が、いびつに膨らんでしまう。


例えば、自民党の高市早苗議員の「児童ポルノ禁止法改正案」Q&A(

現行法第2条3項に基づき「児童ポルノ」の例を挙げますと、「性交や、性交に類似する手淫・口淫・同性愛などの行為を撮影したもの」、「児童の性器を触る行為、児童が大人の性器を触る行為を撮影したもので、性欲を興奮させ刺激するもの」、「全裸や半裸の児童に扇情的なポーズをとらせて撮影したもので、性欲を興奮させ刺激するもの」です。

……「現行法に基づき」って言うけど、「同性愛」なんてどこに書いてあるんですか? 現行法第二条3項は、以下のとおりです。

一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態

 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの

「全裸や半裸」とは書いてないです。「性交に類似する手淫・口淫・同性愛」って……どういう状態なんだろうな。イメージがつかめない。
推進派議員から、「なるほど、ごもっともです」という主張が出てきたことあるんですかね? 僕ら反対派に「参りました、規制強化してください」と言わせてみなさい。


だけど、論理破綻のまま、畳み込みにかかっているから規制推進派は怖いんです。
『小4女児連れ去り図る=容疑で足立区職員逮捕-刃物で脅し手足に手錠・警視庁』(
「自宅からは女児を描写した性的な内容の同人誌約2000冊が押収されたという。」――これ、警視庁の発表だからね。発表しなくてもいいのに、わざわざ歩調を合わせている、世論をつくろうとしている。
これでまた、推進派の平沢勝栄議員が、「ホラやっぱり!」「同人誌と性犯罪は因果関係ある!」と言えるわけですよ。論理で説得する必要、ないよね。

国会議員の不勉強ぐらい、警察とマスコミがカバーしてくれる。権力って、そうやって形づくられるんだね。東京オリンピックまでに、コミケは滅ぼされるかも知れないね。

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2014年2月21日 (金)

■0221■

そもそも、テレビはアニメと映画しか見ないので、ソチ五輪とかまったく興味ないんだが、日本の代表として送られた選手を、「負けると分かっていた」なんてよく言えるな、この死にぞこない。(

泣くかと思うほど、怒りました。この発言には。怒りのFAXも、森喜朗の事務所に送りつけました。
76歳のジジイが、23歳の女の子に「恥をかかせることなかった」って、老害にも限度があるだろ? 一体どこまで弱者に冷たい国なんだよ? 若い子たちが石を積み上げても、老人たちがいつも横から蹴り倒す。ぜんぶ水の泡にする。日常的に起きてることだよ。

もう、いい加減に分かったでしょ? いちばん弱い相手を、いちばん強く叩きのめす国なんだって。「そんなこと言うお前は在日だろう」「日本から出ていけ」とでも言われるんだろうけど、僕より辛い目にあってる人たちが、いっぱいいる。その人たちを思えよ。


最近は、児童ポルノ禁止法のことしか書いてないので、このブログの読者はだいぶ減っただろうな。
僕の知り合いには、幼い頃に性的虐待にあった人もいる。望まない性関係を強要された人。彼女たちはもう、僕と同じ空気を吸いたくないかも知れないな。彼女たちのくやしさを、何とか想像しようと試みた。昨日一日、ずっと。

結局、母が刺殺されたあの日に、気持ちが帰る。警察から電話があったあの瞬間に。
法廷で見せられた、母の無残な写真。検視解剖の写真。それらが、もし面白半分にネットで出回っているとしたら、僕は法的手段で戦うだろうな。母の名誉のために。

警察やら検察庁やらから、ヘトヘトになって帰って来るでしょ? 2ちゃんねるに、事件のことが書いてあったよ。母を性的に誹謗する書き込みもあった。
だけど、人の心に命令はできないからね。残虐なゲームや映画によって、なんとか正気をたもっている人たちもいる。心ほど、もろいものはない。心ほど、多様なものはない。
母を殺した犯人は憎むが、事件そのものを面白がったり、笑った人までは憎めない。嫌悪しないし、馬鹿にもしない。そこまで強靭な心を、僕は持っていない。


児童ポルノ法に関しては、平沢勝栄議員に質問状を送ろうと考えている。もし回答がなかったら、「国民の声を無視した」ことになるので、法的対応を考える。

「単純所持禁止」は、やはり看過できない。これを通したら、「漫画の単純所持禁止」への門がひらかれる。あとは、一直線だろう。
確かに、見ていてひどすぎると思った漫画もある。だけど、「気持ち悪いから法で縛れ」は思考の放棄、戦闘の放棄だ。「こんな漫画は間違っている」と思ったなら、あなたの言葉と声で戦うべきなのだ。母が殺されたとき、僕は戦った。考えることは、戦うこととイコールなのだ。考えること、戦うこと、それこそが意志の証明だ。

警官に、街で呼び止められたことある? 彼らは思考を放棄しているし、こちらにも放棄を迫る。「逆らえば逮捕する」、それが今の日本の警察。自民党議員も同様。「権力に逆らう者からは人権を奪う」。そいつらに一言も言い返せないなんて、屈辱だからね。

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2014年2月19日 (水)

■0219■

ひさびさに、「今朝まで一睡もせずに作業しちゃいました!」 徹夜自慢を聞かされた。
なるほど、これから私とミーティングしようというのに「スケジュール管理できてませーん!」と宣言するとは、いい度胸だ。私との打ち合わせなど、寝ぼけまなこで十分ってことだな。一挙に、モチベーションが下がる。

仕事を請けるときは、まず寝る時間を計算する。「30分ほど寝られる」「4時間も寝られる」だって? 6~8時間ぐらい、しっかり寝ないとダメだ。先に決まっていたスケジュールすべてに、まんべんなく睡眠不足が影響してくるぞ。ボーッとした頭で書いた原稿がどれほどヒドいものかは、身をもって知っている。編集者は助かっても、眠い眠いのグダグダ原稿を読まされる読者の身になれば、「一秒でも早く!」なんて仕事を請けるほうが無責任というものだ。

「掲載する画像、すぐ選んでください!」 だったら、適当な選び方になるけど、いいですかって話だ。「今週中でいいですよ~」と言われれば、他の仕事の合い間、ゆっくりコーヒーを飲みながら「この画像もいいが、とりあえず第二候補にしておくか」「まず選んでおいて、後から意見を聞こう」と熟考できるというのに。
ようするに、「急げ急げ」「早く早く」は、「雑に仕事しろ」と相手に強いているだけなのだ。


まだ結婚しているころ。夜中3時に電話が鳴った。
「やっぱり起きてましたか! 出版業界なら、この時間に起きてないとウソですよね~!」 知らない編集者だった。誰かから、僕の電話番号を聞いたらしい。「近々、ご相談したい案件がありまして! またお電話します!」 「……ハイ」「……そうですかハイ」と、あくびまじりに生返事して電話を切ったが、二度とそいつの声を聞くことはなかった。

――ま、思いつきで行動するヤツは、飽きるのも諦めるのも早いから。

徹夜するヤツは、相手も徹夜していると決めつける。
ぎりぎりのスケジュールを出してくるヤツは、こっちもギリギリで仕事をしていると思っている。ちゃんと寝るし、ちゃんと食うし、好きな映画も見られるように管理してるっての。「時間なくて、映画なんて見られなくて~!」って、ようするに見る気がないんだろ? こっちは見る時間つくってるんだよ。好奇心を満たすには、スケジュール管理が必要ってだけの話だよ。

24時間あったら、24時間ずーっとパソコンに向かっていると思ってるらしい。メシを食う30分と、文章を書く30分とでは、時間の濃度や質が違う。そこが分かってないんだろうな。

最近は面倒なので、アホに「アホ」と言うようなことはしない。アホというのは、人の話を聞かないからアホなのだ。アホを「変えよう」「説得しよう」などと無駄なことを考えてはいけない。アホからは、距離を置く。それ以外に、身の守り方はない。


児童ポルノ禁止法、昼間たかしさんの最新記事。『民主党も「単純所持禁止」導入で妥協? 児童ポルノ法改定をめぐり後退が続く規制反対』(
不勉強ながら、民主党がここまで単純所持禁止に反対しているとは、知らなかった。お恥ずかしい。以下、青字部分は引用。

“民主党は09年には、独自の案を作成し「児童ポルノ」という名称そのものを廃して「児童性行為等姿態描写物」とした上で、範囲を限定すべきという意見を示した。

 ところが、今回はかなり規制への抵抗論が後退。単純所持の導入は避けられないという前提の上で「児童ポルノ」の定義を定めた(現行法の)第2条3号の部分を、もう少し明確にする程度の対案に止まる見込みだ。”

第2条3号とは「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」という部分だろうね。山田太郎議員が「では、肩だけ出していても児童ポルノなのか?」と首をひねった箇所ね。
この一文のために、日本では「ここからここまでが児童ポルノです」という境界線がボヤけてしまっている(=恣意的な解釈が可能)。なので、その規定を明確にするのは正しい。

ようするに、性行為を強要されているような被害児童の実在を立証できる画像であるなら、単純所持は禁ずるべきだろう。(ただし、被害児童の存在しない漫画などに関しては、児童ポルノ禁止法から逸脱するので、話は別だ。)


さらに、昼間さんの記事から引用する。

“一部では「二次元規制が避けられれば……」という論もあるが、「単純所持禁止」の導入が、特定秘密保護法などに連なる言論・表現の自由への抑圧であることは、明らかだ。昨年、特定秘密保護法をめぐっては、法案が提出されてどうしようもない状態になってから、「左派」がとりあえず国会前を囲むという、悲惨な状況を見せた。果たして、児童ポルノ法をめぐって、これが「エロ」とか「マンガ」「アニメ」だけの問題ではないと国民が気づくことがあるのか?”

いや、国民は気づかないでしょう。この法律でいう「児童」が18歳未満であることすら、みんな知らないと思う。なので、国民的議論にすべきではないし、ならない。
秘密保護法に反対していた「ヘサヨ」として確信をもって言えることは、国会議員の質が下がりすぎてしまい、ロビィ活動は無意味。著名人や団体の反対声明も無意味。日弁連が反対していようが無意味。新聞に載っても、国会周辺に一万人集まっても、秘密保護法は強行採決されてしまったのだから。

むしろ、海面下の動き――ネットで「ちょっとまずい展開になってきたな」と思っている人たちを糾合する必要があるかも知れない。誤認逮捕しまくっているばかりか、児童買春すらしている今の警察の権力を拡大させることは、何とかして防ぎたい。


もうひとつ、覚え書き程度に書いておきます。
単純所持を禁止している諸外国で、その効果はあったのだろうか? こと、強行的推進派である平沢勝栄議員が好んで例に出す、G8諸国(アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリア)。
カトリック教信者の多い国ばかりですよね。

2002~2010年にかけて、各国のカトリック教会の聖職者が、児童に性的虐待をうけていたことが明るみに出ました。しかも、ローマ教皇自ら謝罪すらしているのです。(『カトリック教会の性的虐待事件』) 数件じゃないですよ。アメリカ国内だけで一万件をこえている……聖職者による犯罪だけで。

キリスト教系の団体は、児童ポルノ撲滅に熱心と聞きます。推進派の平沢議員もそうですが、カトリック教圏における聖職者による児童への大規模な性的虐待。これに一言も触れない理由は何か?
つまり、いくら「単純所持禁止」にしたところで、実際の性犯罪は止めることが出来ない。その冷徹な事実を、規制推進派は認めるべきではないだろうか? 平沢議員に公開質問状でも送りましょうか?

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2014年2月17日 (月)

■0217■

レンタルで『スター・トレック イントゥ・ザ・ダークネス』。
Untitled宇宙船に包容力を感じるのは、船そのものが巨大な生命維持装置だからだろうな。映画のラストでクルーが「5年間も宇宙船で暮らすのか」とボヤくけど、無酸素・超低温の宇宙で、人は生きていけない。
その“生きづらさ”から、宇宙船は僕らを守ってくれる。この母性を女性が理解してくれないのは、何となくうなづける話だ。宇宙船を嫌いな男子はいないと思う。


4月のスウェーデン旅行に向けて、いろいろ調べはじめている。
酒は、政府の許可した店にしか置いていない。免税店があるが、店内で書類を作成してもらわなくてはならない。空港から市街へのバスは、クレジット・カードしか使えない。首都ストックホルムが、広大すぎて怖い。

いろいろ、不安。だけど、この目で見て回らないのは、もっと不安。


先日の児童ポルノ法についての討論番組のレポ記事、ブログ「二次元規制問題の備忘録」さんがツイッターにリンクを貼ってくださってから、おおいに拡散された。
リンクしてもらえると、逆にツイッターでは、どういう情報がやりとりされているのか、分かってくる。大変ありがたい。特に、大学院教授で弁護士の園田寿さんの『児童の首から下を想像してCGで制作した、リアルな裸の画像は「児童ポルノ」なのか?』は必読の記事()。少し、引用します。

“したがって、善良な性風俗の維持という社会的法益を保護する刑法上のわいせつ物規制と児童ポルノ規制は、それぞれの規制の目的を異にしているといえます。成人のポルノに子どもの顔だけを貼り付けた「擬似(ぎじ)児童ポルノ」(合成写真)も成人の女性にセーラー服を着せた「擬態(ぎたい)児童ポルノ」も、それがわいせつと判断されれば刑法上の犯罪となりますが、現実の児童に対する性的搾取や虐待がない限り、少なくとも法的には「児童ポルノ」ではありません。 ”

つまり、実写と区別がつかないほどリアルなCGであろうと、実際の写真を加工したものであろうと、、「現実の児童に対する性的搾取・虐待」を介していないかぎり、児童ポルノと規定することは出来ない。
なぜなら、児童ポルノ処罰法の目的(「現実の児童に対する性的搾取・虐待の禁止」)から外れているからです。よく覚えておきましょう。
……でも、だからこそ、今回の改正案では「漫画、アニメ、CG、擬似児童ポルノ等」を加えようとしているわけですね。なるほど。「擬似児童ポルノ等」の中に、合成写真も含めてしまえ、というわけか。

ちなみに、この記事によると、児童ポルノ処罰法では「文章や音声などは除かれます」とのこと。児ポ法規制推進派の平沢勝栄議員(自民党)は「エログロなら、当然、小説も規制する」と仰っていたましたが、現行の児ポ法そのものを、ちゃんと読まれているのでしょうか?
(……ただし、「疑似児童ポルノ等」のなかに、小説も含まれてしまう可能性がある。それぐらい、推進派の論理は飛躍しているうえ、強引な印象を受ける。)


さて、どうするかな。国会議員の中では、山田太郎議員(みんなの党)が反対派として孤軍奮闘中。反対団体は、日弁連、日本動画協会、日本文藝家協会、日本漫画家協会などだそうです(「オオルリのブログ」)。

先日の記事が、ツイッターで500以上もリンクされたので、反対する個人の数を可視化するためにも、また署名を集めるか?とも考えたけど。
団体の反対声明ってのは、声明を出したら終わりなんでね。別に法改正されようがされまいが、何の責任もとってくれない。秘密保護法のとき、そうだったから。
署名が50万人ぐらい集まれば、推進派に対しては圧力になるだろうけどね。そのかわり、僕は今度こそ仕事を失う(笑)。

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2014年2月15日 (土)

■0215■

レンタルで見た『ブラジルから来た少年』の感想でも書こうと思ったのですが、先日のブログ記事()があまりにも見られていないので、ちょっと色々考えてしまいます。「表現の自由について議論しよう!」と言えば、少しは耳を傾けてくれるんでしょう。「児童ポルノについて議論しよう!」と言うと、「そんなもん、議論するまでもない、ぜんぶ禁止だ」という心理が働くのではないか……。

ブログやツイッターで、先日の番組(『深層NEWS』)がどう受け止められているか、検索してみた。その中で、2013年の平沢勝栄議員のインタビューに、山田太郎議員がツッコミを入れている動画の書き起こし(「二次元規制の備忘録」)が見つかった。ちょっと引用させてください。

山田議員
「次。『実在児童の人権救済とは関係ないが』。関係ないってはっきり認めちゃってるんだよ? 『関係ないが、海外では漫画も規制対象だ』。馬鹿こけと。次、『漫画やアニメに影響されて青少年らが性犯罪に走る例も、警察の資料によれば実際にある』。ねえ、自分で作っちゃったという。すごいよねえ。」「必ず規制派の人は、規制したほうがいいという証拠を勝手に作って持ってきちゃいますからね。」

山田議員
「『私の所に送られてくる漫画の現物はひどいものだ』。見てみたいね、どんなものなのか。ヒドいんだって。こっからがスゴイよ。だから『表現の自由は大事だが無制限でなく、社会的制約がある』。すごい、憲法21条(=表現の自由)やめちまえ!みたいな」


このブログは非常に充実していて、『深層NEWS』後の山田議員のコメントも文字起こししてありました()。そこも引用させてください。

山田議員
「分かったのは、議論にはならない、ということで。確かに漫画とアニメをターゲットとして、ああいうものを見せたくない、見たくない。あのー、はびこると世の中よくならない。で、それはね、要は、児童ポルノ規制法の、いわゆる写真を撮られちゃったりした少年少女を守ろうという話からもう全然逸脱した議論と。いわゆる青少年健全育成法と言われるような、小さな子どもたちが将来変な大人になっちゃわないようにっていう、あっちの法律の話がね、みんなグチャグチャ。」



本当にね、単純所持規制と漫画、アニメ(小説も入れるとか入れないとか)の議論はパッキリ分けないと、どちらの議論も深まりません。自民党としては、「本棚やPCにエロ漫画・エロ画像があったら、単純所持で逮捕」という形にしたいんだろうな。
そういう流れの中で、「少女漫画を持っていた男が怪しいので、通報した」なんて報道がなされる。しかも、少女漫画の件は、女児監禁事件の容疑者が逮捕された後、あえて強調された感があるよね。それは最大与党の自民党が「漫画とアニメを規制したい」方向を意識した報道だし、警視庁からの依頼があったのかも知れない。

メディアは、政治の道具になり得る。だから、クーデターが起きるとラジオ局やテレビ局が占拠される。
安倍総理の仲間だけで経営委員を固めたNHKが、アメリカ大使から取材拒否されたでしょ? そうした動き全体のなかで、今回の児ポ法改正に、どうして現政府が躍起なのかも、考えないといけない。昨年末、秘密保護法が、どんな形で採決されたのか、知っておかないといけない。安倍政権になってから、日本が急速に世界から孤立しつつあることも……。
それを鑑みると、平沢議員が「世界の主な国が規制しているから、(児ポ法については)日本も従うんだ」と繰り返していたのが滑稽でもあり、怖くもある。「世界が」「外国が」と言いながら、世界も外国も見ようとしない。――そういう人が、多大な権力を有する与党の議員ですからね。


この世界は、バラバラになってしまった。僕に対する賛成意見も反対意見も、かつてはブログのコメント欄に書いてあった。今では、僕の目の届きづらいところにサラッと書いてある。匿名が当たり前のネットでは、自我同一性が保ちづらい。

いま一緒に仕事を進めている、ほんの数人の編集者だけが、孤独を癒してくれる相手であって。仕事で知り合った女性に「優しそうな人」と言われたけど、女性は結局、僕のことを何も救ってはくれなかった。恋愛という体験だけは、得恋であれ失恋であれ、して良かったとは思うけど。
神様には、出会えない。だから、また旅の計画を立てている。

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2014年2月13日 (木)

■0213■

あいかわらずの思いつきで、ストックホルム行きの航空券を10万以下で買ってしまい……4月中旬、スウェーデンへ行ってきます。
Caw2st2i_2本日は、『地球の歩き方 北欧』を探しに行って、『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』を衝動買い。
1900円で、ものすごく充実している画集。人込みで見づらい個展へ行くより、断然いいんじゃない? 横長の絵は、折り込みで再現、図版はすべてカラー。ダーガーとは誰なのか、『非現実の王国で』の何がすごいのか、丁寧に解説してある。編著の小出由紀子さん、リスペクト。
そして、この表紙を平積みどころか、立体的なポップにしてに販売した啓文堂書店にもリスペクト。


さて、ダーガーは芸術で、市販のエロ漫画はわいせつなのか? BS日テレ『深層NEWS』の「児童ポルノ拡散を防げ 法律でどこまで規制」を視聴。出演は推進派の平沢勝栄議員(自民党・元警視庁)、反対派の山田太郎議員(みんなの党)。
……すべて文字起こししたいぐらいだけど、これは予想以上にとんでもない。平沢議員の言葉を中心に、メモっておきますか。

まず、2003年には215件だった児童ポルノの検挙が、2012年には1596件になったというグラフ。 「これがすべてではなく、暗数(統計にあらわれない数字)が、い~っぱいある。なぜなら、子供の将来を傷つけたくないなど、親御さんにはいろいろ考えがあるので、協力してもらえない。だから、事件としての検挙が難しくなってくるため。」……そういうケースは証拠がないし、何も実証できないので、平沢議員の想像ではないか?という気もするのだが、実際に児童が被害に合うような事件については、もちろん厳重に取り締まってください。現行法で。

しかし、今回の主な争点は、定義すら曖昧な児童ポルノの「単純所持の禁止」です。
ここから、平沢議員の言葉が怪しくなってきます。


平沢議員が単純所持を禁止したい理由は「日本は(児ポ規制については)世界から見ると、最も後進国と思われている。」「先進国並の、世界の常識に合わせた形で取り締まる。」「(単純所持禁止は)世界では、常識になってきているんです。」「外国が、ほとんどの国が禁止しているわけですよ。」「外国の主な国は、ほとんど(禁止を)やっているわけですよ。」
……検討事項として挙げられている「漫画、アニメと性犯罪の因果関係」についても、 「外国にも(漫画やアニメを取り締まっている)例がある。」「他の国には(禁止項目が)あるという前例。」を、理由にあげています。

山田議員は、単純所持禁止については「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」という、児ポ法の曖昧さを指摘します。
平沢議員は、「時代ごとの社会通念に合わせて変えていくため、定義を曖昧にしている」と反論しますが、漫画、アニメについては「日本は(児ポの区分が)外国と違って、ハッキリしてないんですよ。」「外国は、区分がものすごく厳格なんです。」 ……ん? 単純所持禁止については「曖昧なままでいい」のに、漫画、アニメだと「厳格にしなくてはいけない」のですか?
先進国、ようするに「欧米は何でも進んでいる、優れている」という昭和の頭でいるから、こういう矛盾を言ってしまう。

漫画、アニメを検討事項に入れた理由は「外国で規制しているところが、いっぱいあるってことです。」「じゃあ、なぜ外国では取り締まっているんですか。やっぱり、いろんな問題があるからでしょう?」「諸外国でやってるからですよ。」
この程度。規制を進めようとしている本人が、こんな程度なんです。敗戦コンプレックスですね。カトリック聖職者による児童への性的虐待は、国連で問題視されている()。それが「外国」の現実です。


平沢議員は、秋葉原で写真集や漫画を買ってみたそうですが、「水着というより、事実上、ハダカに近い。」「見たらひどいもので、自分の子供にはとても見せられないような酷い漫画。」と、曖昧な主観しか述べません。どうしても児ポ法を規制強化したいなら、第三者が「これはNG、ここからはOK」と判断できる「厳格な区分」が必要でしょう。
さらに、山田議員が「なぜ、アニメと漫画だけ狙い撃ちで、小説は外されているのか」と疑問を呈すると、「小説は子供たちが読めないからですよ。」「子供が読む小説で、ものすごくエログロだったら、当然、(規制の)対象になりますよ。」と、あれ? 子供の見る漫画やアニメ、小説を規制するの? 大人の犯す犯罪と表現の因果関係を検討するんじゃないんですか?

出版社の自主規制について、「大手の出版社は、その辺のことはわきまえておられるかも知れないけど、なんかワケの分かんない出版社が、ドンドン出してきて、いろんなところで売っているわけですから」と、平沢議員は言います。自らが関わった松文館事件のことでしょうね、ワケの分かんない出版社って。
こうやって、強者は疑わず、弱者から潰していく。そのために、権力者は世の中で最も弱い者をダシに使う。すなわち、子供ですよ。

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2014年2月12日 (水)

■0212■

アンジェイ・ワイダ監督、80歳のときの作品『カティンの森』。
Untitled_k 1939年、ドイツとソ連のポーランド侵攻により、夫を捕虜にとられた女性。夫は、カティンという場所で他の大勢のポーランド兵とともに殺されてしまうのだが、その事実はドイツ・ソ連両軍の間で、曖昧にされていく。
まず、ドイツ側がカティンから大量の死骸を発見する。実在するニュース・フィルムでは、「ソ連軍の残虐な犯罪」と喧伝される。ところがドイツが敗北すると、ソ連軍が「カティンの虐殺はドイツによるもの」と主張し、真実を知る者を弾圧しはじめる。

「藪の中」のような話だが、映画のラスト10分ほどは「これが真実だ」と言わんばかりに、ソ連軍がポーランド兵たちを撃ち殺して、ブルドーザーで掘った穴に捨てていく作業を、えんえんと映しつづける。
『いのちの食べかた』というドキュメンタリー映画があるが、あの映画で牛を殺すシーンにそっくり。順番に兵士を処刑部屋に通し、係の者が後頭部からズドンと一発。死骸は専用の穴から地上に引っぱり上げて、用意された穴の中に捨てる。床に流れた血は、ザッと水を流して清掃する。
その作業の中で、殺されるポーランド兵たちは、今から何が起きるのかを察して、じたばた暴れる。その様子にいたるまで、屠殺場で殺される家畜そっくりなのだ。
だから、戦争というのは「人殺し」ですらない、ただの「行い」なんだよね。


映画のラストカットは、射殺された何百、何千という人たちを埋めていく凍てついたような灰色の泥、それが寒空と森を背景に、ものすごく嫌な角度でフレームに収まっている。神経を逆なでする、人間の生理にフィットしない絵。
(その絵が暗転してからも、しばらくスタッフ・ロールが出てこない。真っ暗なまま。)

この映画には、さまざまな人々が登場し、それぞれに嫌な思いをするが、一切はラスト10分のために供される。その意地悪な構成も、しかし、カティンの森で整然と行われた虐殺行為の冷徹さには、遠く及ばない。
神も仏も、ないですよ。人間、やるときはやってしまうんですよ。想像しうること、すべてやってしまう。原発20キロ圏内で、飢えた動物たちが共食いしているそうだけど、同じことです。言葉ではない。行為が、すべてなんだよ。言葉は、本当に無力。


テレビ朝日『テレメンタリー2014 “3.11”を忘れない45 「隠蔽か黙殺か~封印された汚染マップ~』。
Untitled 平日の真夜中の放送だったけど、「原発も放射能も禁句」化しつつある腑抜けジャパンの中、なかなか辛らつな番組だった。
アメリカ軍は、原発事故直後、現場周辺を飛行機で測定し、正確な汚染地図を作成して日本政府にも提供していた。「日本政府」と言っても、防衛省、原子力安全・保安院、文部科学省、いろいろある。各省に個別にインタビューしていくと、「官邸が知らないはずがない」と言うわけ。汚染データを知っておきながら、現地にいる人たちには黙っていた。

それが日本政府なんですよ。だから、彼らが何をしようと、何を言おうと、僕は信用できない。選挙に行かない人たちが圧倒的多数なのも、当たり前です。正当な民主主義なんて、この国にはないと、みんな直感的に分かっている。

政府にかぎらず、世の中そのものがウソで成り立っていることを知っていて、だから何もしない人は、いっそ潔いのかも知れない。「無関心」でいることさえ、今の僕には正義に思える。「まずは選挙に行け」は、「まずは不公平なイカサマに参加しろ」と言ってるようなものだ。
公然とイカサマをやられているのに、民主主義を信じて疑わない「リベラルな人たち」は、ネトウヨ以上に手に負えないと思います。


児童ポルノ法規制強化について、いくつか書こうと思ったが、長くなったので、ひとつだけ。
現在閉鎖されているブログの2009年の記事なのだが、『APP研「オムツCMも児童ポルノです!」(キリッ)』(
以下、引用。「少なくとも子どものオムツの姿が性的なフェティッシュとしてとらえられるのは、重大な人権侵害、子どもの性的虐待につながり、ギャグですまされません。」 Aの人権を守るためなら、Bの人権を剥奪しても構わないという考え方。

敗戦国に生まれた僕たちは、戦後教育で弱いもの同士競争させられ、偏差値で「みんなより上すぎないか下すぎないか」意識させられ、中流意識を植えつけられ、志望校にパスしたらそれまでの勉強は丸ごと忘れてもいいから存分に遊べと侮辱され、いずれのテストも次のテストのためのテストだと奴隷扱いされてきた。
まったく本質的でないイカサマ教育の結果、「どうにかして他人を蹴落としてやろう」という歪な本能だけが残された。こうして、「普通でないヤツはすぐ通報しろ」という、いやらしい監視社会が出来上がった。

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2014年2月10日 (月)

■0210■

都知事選が、前回より低い46.14%の投票率で、終了しました。
僕の投票した宇都宮けんじ氏は、第二位で982,594票。ちょっと調べると、お金持ちの住んでいそうな都心の区では、細川護熙氏のほうが上回っています。お金持ちは、家柄のいい有名人に投票したってことだろうね。クソッタレめ。

僕は震災直後から脱原発を言ってきたし、たくさんの脱原発デモに参加してきた。原発の本も読みあさった。だけど、細川の言うモア~ンとした「原発依存をやめ、自然エネルギーで雇用を♪」という主張は、どこか別の国の話を聞いているかのように実感がなかった。
なのに、一万人ぐらいの人々が街頭演説に集まった。みんな、テレビを見ているような感覚なんだろうな。結果、956,063票。

そもそも、いま原発一基も動いていないし。「電力不足で電車が止まったのは、脱原発どものせい」といまだに言う人いるし。原発停めてるのは、原子力規制委員会と電力会社だけの都合なのに、彼らは決して権力側にたてつこうとしない。権力に迎合することで、自分は孤立してないと錯覚したがる。

だが、「寄らば大樹の陰」的な卑屈さ・老獪さは、95万人の脱原発志向の都民にも同じことが言えてしまう。彼らは東京の汚染実態に目を向けようとせず、あいかわらず「福島かわいそー」「地方がかわいそー」という軽薄な優越感から、単なる潔癖と偽善から「原発やだー」と駄々をこねていたに過ぎない。
2011年3月15日と21日、屋外で呼吸していたか換気扇・エアコンを使っていた都民は、もれなく被曝したはずである。必要のない被曝をさせられ、しかもその事実をこの国の行政府はしばらく黙っていた。僕の怒りの立脚点は、自分の身体が無用な被曝させられたことにしかない。


都民の脱原発志向の浅はかさの他、もうひとつ、気がついたことがある。
田母神俊雄氏に投じられた、610,865票である。20~30代が最も多く、合わせて30%を超えている。「若者は選挙に行かない」と大人たちはいうが、田母神支持者は雪の残る街路を、自発的に投票しに行ったわけだ。この事実に、もっと瞠目せねばならない。

選挙のたびに書いているが、せっかくの日曜日、PCやスマホが普及したご時世、歩いて投票所まで行かなくてはならない――この制度は、早朝の散歩が好きな高齢者には向いているかも知れないが、若者にはフィットしない。彼らは日曜昼間は遊ぶか、休みたいはずだ。
つまり、若者たちは高齢者に有利なルールの中で戦うよう無理強いされているのであり、投票率が低いのは当たり前のことなのだ。

ところが、田母神氏に投票するために、61万人が自発的に行動した。田母神氏は、原発も放射能も安全だと主張している。靖国神社に参拝もしている。安倍晋三が参拝で世界的に叩かれているというのに、まるで空気を読まない、わが道を行くのが田母神という男だ。
「戦争する国、絶対反対!」と、僕もデモや抗議活動で叫んだが、田母神の耳にはまったく届いていない様子だ(笑)。「デモはテロ」などと怯えてもいない。これは強敵である。彼の言動には100%反対だが、彼の頑迷さが若い世代に支持された事実は、厳粛に受け止めるべきと思う。

「戦争反対」「原発反対」では、若者は動かない。リベラルな人たちは、「若者は政治に無関心」という。いや、違う。戦争も原発も大賛成な若者たちが、確かに存在するのだ。彼らの意志は固い。
その固さの理由を知ろうとしなければ、本当の日本のリアル、お花畑ではない生々しさに触れることはできない。


宇都宮氏は75歳以上の医療費を無料化すると公約したが、同時に18歳以下も無料にするといった。若者を使い捨てるブラック企業を規制し、最低賃金を底上げすると宣言した。
実情に即しているし、若い世代の生活を支えるにはベストな政策。これはこれで、まぎれもないリアルなのだ。大人の示しうる精一杯の良識だ。

ところが、高齢の有権者どもは舛添要一に投票してしまった。若者の未来より、てめーらの現在を優先した。国を滅ぼすのは、いつだって現世利益にすがりつく老人たちなのだ。
ジジイたちはこう言っているのだ。「国が滅びるとしたら、政治に無関心な若者たちの自己責任だよ」と。怒れる若者たちの答えは、選挙への参加拒否。押井守流に言えば、「自分たちが勝てもしないゲームに乗るものか」というわけだ。
もうひとつが、田母神氏への61万票である。……これは盲点だった。いや、僕は自分の盲点を発見しては喜ぶ癖があるのだが、あまりにも強固な事実だ。「原発はもちろん、戦争まで行ってしまえ」という若者たちが、顔の見えないネットでほざくのではなく、旧態依然とした投票行動の中に存在している――。体系化しえない、何かが起きている。

舛添都知事の誕生などより、「田母神61万票」は、僕の心を揺さぶる。戦慄というより、感銘に近い。あいかわらず、僕は原発を容認できないし、反対活動はつづけるだろう。しかし、原発も戦争も積極的に肯定する若者たちの存在は、僕の胸に刺さって抜けないトゲとなった。

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2014年2月 8日 (土)

■0208■

Febri Vol.21 10日発売
Cover1
●『キルラキル』各話解説の一部
第1話、第5話、第8話、第12話の解説です。

●『キルラキル』 金子雄司美術監督インタビュー
いつもの美術ページ連載ですが、今回は特集とあわせた形で。
最近の話数では、「手で描いたフレア」が多いのですが、それについても聞いてきました。

●『ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル』 梅津泰臣インタビュー
キャラクターのラフ絵を掲載し、徹底的にキャラデと作画について話を聞きました。『MEZZO』『KATE』『メガゾーン23 PARTⅡ』の話も、ちょっとずつ出てきます。
梅津さんとお会いするのは夢でしたから、かなり気合いの入ったページになってますよ。

●劇場版『モーレツ宇宙海賊 ABYSS OF HYPERSPACE -亜空の深淵-』 佐藤竜雄監督インタビュー
絵コンテを見せていただいたうえでのインタビューです。劇場版『ナデシコ』の話も、少し聞けました。
劇場版『モーパイ』は『宝島』+『銀河鉄道999』で、ちょっと『空飛ぶ幽霊船』だそうです。

●クールジャパン社会学 第四回
レナト・リベラ・ルスカさんの連載(私が聞き書きしたもの)。
昨年秋、日本のオタク文化を取り上げた番組が二本あったのですが、海外から、オタクがどんな偏見をもたれているか。それについて熱く語っています。


都内は大雪。しかし、都知事選挙は明日です。ちゃんと投票しましょう。
私は期日前投票で、宇都宮けんじさん()に入れてきました。

今回は、細川護熙を支持する「脱原発文化人」の高飛車ぶりに、ほとほと嫌気がさしている。しょせん、テレビに出たもの同士の馴れ合いなんだよね。
自分だけ綺麗でいようとする人間は、かえって薄汚い。


二度の内戦に見舞われたリベリア共和国を舞台にした『ジョニー・マッド・ドッグ』。フランス・ベルギー・リベリア合作。
100417johnnymaddog反政府軍の少年兵たちは、傷口にコカインをすり込んで士気を高め、相手がドゴ族と知るや、子供でも容赦なく撃ち殺す。
「在日死ね」「殺すぞ」と新大久保でわめく連中に、ちょっと似ていなくなもない。だけど、彼らが銃までは持とうとしないのは、日本全体に敗戦コンプレックスがあるからだろうな。ナチスの旗を身にまとって、満足してしまう。

この映画の少年兵たちは殺人・略奪・レイプをするんだけど、何をするにも、自分の肉体を使っている。それは、リベリアが奴隷によって建国された国なのと無関係ではないだろう。
リベリアの公用語は英語で、少年兵たちはアメリカのアクション映画を見て、銃の名前を覚える。だから、その国唯一の完全にオリジナルな文化というのは幻想であって。「美しい日本」とかさ(笑)。
いろんな価値観が交じり合ったほうが、強い文化ができると思うんだよな。

(C) 2008 - MNP ENTREPRISE - EXPLICIT FILMS

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2014年2月 4日 (火)

■0204■

アフリカ映画の父と呼ばれるセンベーヌ・ウスマン監督の『母たちの村』。フランス・セネガル合作、マンディンゴ語。
Moolaadepagetop西アフリカ、少女への割礼の儀式が残る小さな村。割礼を嫌がった少女たちが、ある女性のもとへ逃げてくる。割礼していない女性は「穢れている」とされ、嫁にもらえない。少女らをかくまった女性は鞭打たれ、平和な村は内戦状態のごとき様相を呈していく
割礼は、つまりは支配のシステムだ。割礼されていない女性を男たちが差別することで、村の中にパワーバランスが構築されている。しかし、この村には小さな突破口が開いている。それは、フランスからもたらされるラジオだ。ラジオからの情報で、母親たちは割礼が欺瞞に満ちたシステムであることを見抜いている。

もうひとつ、西欧からの輸入品を村で売る元・傭兵。彼もまた、外の世界、価値観を知る存在だ。彼は割礼だけでなく、年端もいかない少女との婚約を犯罪視している。そのため、彼は村から放逐された挙句、殺されてしまう。
さらに男たちは村中のラジオを集めて、燃やす。どんな世の中でも、変化を怖れているのは男たちだ。伝統を死守するのは男たちだ。ところが、フランス旅行から帰ってきた村長の息子は、「僕は割礼していない女性と結婚する」と宣言し、村の支配システムを破壊する。

たいへん皮肉に感じたのは、価値観の解放を意味するのがテレビであり、村にテレビアンテナが立って終わるところ。テレビは洗脳マシンなので、より大きな支配の象徴なんだけどね。


「女の子が生まれたら、教育をしなさい。ちゃんと知識を与えなさい」という意味の歌が、映画の最後に流れる。しかし、教育は支配と直結している。
だからこそ、僕らは学んだことを捨てる勇気を持たねばならないし、漫画やアニメを見てドロップアウトしつづけなければならない。感じつづけ、考えつづけねばならない。

見る価値のある映画であることは確かだけど、DVD特典の日本語版監修者のコメントは見ないほうがいい。フェミニズムは、ある面では解放を促すが、同時に新しい抑圧を生み出すのだと実感されて、イヤな気持ちになるよ。


札幌の少女監禁事件。「少女漫画を所持している不審な男がいる」という第一報。少女漫画は、被害少女に与えるために容疑者が買った物のようだけど、この報じ方ってどうなの? 『少女漫画持ち乗車「怪しい」 札幌監禁、タクシーの機転』(

ついに少女漫画を持ったままタクシーに乗ったら、通報される時代がやってきた。成人男性が『プリキュア』グッズを買ったら、即座に逮捕ではないだろうか?
今国会に、児童ポルノ法規制強化案が提出される見込み。だから、マスコミは「いま叩くんなら漫画とアニメだ」と、かさにかかって煽りたてる。結果、テレビ報道に易々とコントロールされる洗脳民が、「やはり、漫画やアニメは規制すべき」と、政府と同じ方向を向いてしまう。
まして、「デモする連中はテロリスト」「靖国参拝に反対するヤツらは日本人じゃない」と、反対意見を排外する差別主義者が支持される昨今である。

そして、漫画やアニメの立場は、かくも弱い。タクシーの運転手に「怪しい」と思われてしまうほど、社会的地位が低い。僕らにも責任がある。外部に理解を得ようとして来なかった。似たような嗜好の仲間だけで繋がりあい、異なる価値観や生き方から目をそむけてきた。寛容さに欠け、勇気も足りなかった。
SNSの登場で、似たもの同士だけが集まる仕組みが出来て、誰もがそれに甘えすぎた。日本人の大好きな相互監視と陰口、村八分を加速するSNS。その誘惑に負けたのは、何も漫画・アニメファンだけではなかったはずなのだが。


“バカッター”によって、若者のモラルの低さは可視化されたのかも知れない。しかし、何かを現すことは、それ以外の何かを隠すことでもあって、バカッターを見て笑っている人たちは、決して表面化してこない。誰かが立ち上がれば、それ以外の人たちは座ったままになる。そのサイレント・マジョリティこそ、社会の実相なのだ。
バカッターをスマホで黙って見ている人たちのモラルが高いのかというと、もちろんそんなことはない。圧倒的多数の冷笑は、「人身事故」のアナウンスを聞いて舌打ちする乾いた心から生じている。

漫画やアニメを愛好する人は、いつの時代でも少数派なのかも知れないな。むしろ、漫画やアニメを一切見ない多数派の心が、時代につれて変わってくのだろう。顕現してこない多数派をコントロールするのが、権力だものな。
「日本人はみんな、宮崎アニメを見ているから偏見はない」と言うかも知れないけど、「いいアニメは宮崎アニメ」「それ以外のアニメは見たことない」って人ばかりだから、怖いって言うんだ。

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2014年2月 2日 (日)

■0202■

この土日は、都内あちこちで「選挙に行こうデモ」「選挙に行こうフェス」が開催されて、なかなかにぎやかだったんだけど……俺は、宇都宮けんじ都知事候補()と一緒に、高円寺商店街の練り歩きに参加!
Cimg0264_2宇都宮さんの政策は、まず老人介護、子育て、若者の雇用ですからね。貧困社会からの脱却。「俺は貧困とは関係ない」という人が、低賃金で長時間労働しまくっていたりするよね?
何はともあれ、都民は選挙に行くことだ。「政治参加しても何も変わらない」とかいう、甘ったれたニヒリズムと決別するためにも。

『「表現の自由」を守ってくれる都知事は誕生しなそう? AFEEが都知事選候補者へのアンケート結果を公表』(
昼間たかしさんは最近、悲観的な記事ばかり書いている。児童ポルノ禁止法改正案は、今国会中に提出見込み。焦るのは分かるけど、国会をしっかり監視するしかないと思う。


「お前たちえただろう。えたのくせして差別がイヤなんてふざけたこと言うんじゃねえ。えたは差別されていればいいんだよ。差別されないえたなんて家をつくらない大工みたいな者。勤務怠まんである。えたが差別イヤということは絶対に認められない。お前たちは日本、いやこの世にいるかぎり差別されるのが仕事である。(以下略)」 『安心のファシズム』より
2003年末、部落解放同盟に送られてきた書簡からの引用だが、「えた」を「在日」に置き換えれば、いまネットに溢れている在日韓国人・中国人への差別発言とピタリ重なる。この手の幼稚な差別感情には実体験による裏づけが感じられず、「どこかに悪い奴らがいるぞ」程度の乏しい情報から生じているという。

年末、編集者から「ネトウヨって、ようは自分自身のコンプレックスと向き合えないから、その苛立ちを社会的・国際的なものと錯覚することで、差別を正当化してるわけでしょう?」と問いかけられたが、他者をおとしめて安心しようとする姑息な心理は、日常のあちこちに潜んでいる。
仕事でも、自分の能力不足に焦りまくっている人ほど、「廣田さん、そんな仕事の進め方でいいんすか?」みたいに、他人に転嫁しがちだもんね。嫉妬ですらないんだよ、その人の内部の問題だから。

先月、現政権が外国人労働者の受け入れ拡大の準備を始めると、さすがに安倍晋三を崇拝していたネトウヨたちも、気がついたらしい。「そんなことしたら、韓国人や中国人の労働者が大量に流入してきてしまうのでは?」「そんな政策おかしいぞ?」
自民党本部隣にあるローソンでは、中国人の女の子が普通にレジ打ってるし、生の現実に接すれば「在日死ね」なんて言ってられないはずなんだ。
ネトウヨの人たちは自分を許せないんでしょ? 本当は「俺死ね」と言いたいんじゃない?


ネトウヨとまで行かなくても、秘密保護法反対のプラカードをネットで見て、「あんなフォントを主婦が持っているはずがないから、プロ市民がデザイナーを雇ってるんだろう」などと、卑屈な言いがかりをつける人がいる。
違うんだよ。秘密保護法に対しては、プロのデザイナーの中にも反対する人たちがいたの。官僚主導国家になるのを怖れて、演劇人や映画人も反対声明だしたでしょ。クライアントの顔色だけうかがって業界の外へ、街へ出ようとしない雇われデザイナーはどっちだよ?って話だ。

「デモとか反対運動うぜー」って人は、原発事故の起きなかった「もうひとつの日本」を生きてるんだろうな。平行世界的に言うと(笑)。
僕が高円寺の脱原発デモに参加したとき、「廣田はどこのセクトだ?」とか言ってるヤツがいんの。セクトって、昭和かよ。冷戦かよ。参加してみりゃ分かるよ。これから社会に出ていく若い層は、もはやデモにも選挙にも期待してないの。その静かな絶望に、詰んだ大人たちは応えられないでいる。言葉ひとつ、かけられない。
その無力さこそを、本当は痛切に感じなければならないんだよ。俺たち昭和生まれのオッサンたちは。

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