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EX大衆 2月号 本日発売
●TIGER&BUNNYについて吠えるぜ!
カラー4ページの特集。「劇場版第二弾公開前なので、画像を大量に使える」とのことで編集部主導で動いた企画でしたが、意外と制約が多くて、振り回されました。
「ウチの読者はタイバニを知らないと思うので、入門的な記事を」「と同時に、EX大衆ならではの視点も欲しい」とのオーダーで、Febriに書いたときのメモを引っ張り出して『虎徹名言集』をつくったり、平田広明さんの事務所の話を出したり……。
しかし、今月のEX大衆は「ケイブンシャの大百科の大百科」という記事が、素晴らしい。当時の「大百科」シリーズの編集者が、自販機本を引き合いにだして、「最低限の情報だけ押さえておいて、あとは自分たちで好き勝手にページを埋める」楽しみを存分に語っている。
そういう記事が、EX大衆のような雑誌に載っているのが、また美しい。自販機本なんて、憧れのまとですよ、俺にとっては。大量に刷ってとにかく儲けたいのか、少なくてもいいからゲリラ的に好きな本をつくるのか……その志向が定まらないヤツほど、「出版不況」と言いたがるんだよね。
自分にとって、何が幸せなのか、何が本当に楽しいのか、心の底から正直になって考えないといけない。つまらない義務感やプライドは、目を曇らせるだけ。本当に面白ければ、どんな仕事をやっても楽しいはずだし、つまらなければやめてしまった方がいい。
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『プライベート・ベンジャミン』と間違えて借りてきた『G.I.ジェーン』。リドリー・スコット監督。女性議員の政策アピールの一環として、米海軍のSEALsへ送り込まれたデミ・ムーア。
むくつけき男たちの中で、たったひとりの女性訓練兵。『エイリアン』と同じテーマを、異邦人の側から眺め返しているかのような作品だ。
『エイリアン』では、人間たちの中に、人間を生殖の道具に使う生き物が紛れ込んだため、人間のありようそのものが変質していった。エイリアンから見れば、人間たちは生殖のための器官にすぎないからだ。
『G.I.ジェーン』のデミ・ムーアは、男性ばかりの組織に順応するのではない。彼女が頭を丸刈りにして、汚いスラングを口にすればするほど、SEALsが「女のいる特殊部隊」へと再編成されてしまうのだ。
そのため、上層部は動揺し、彼女を送り込んだ女性議員までが手の平を返す。女性兵士が男に負けまいと抵抗しただけなのに、上部組織までもが変質を迫られていく。
ラストで、自分をレイプしようとした鬼教官を助けてしまうシークエンスは、かなりどうでもいい。たいていの映画にとって、ラストは他愛のないものだ。映画は、過程が面白いのだ。
しかし、訓練兵たちが昼食を手づかみで食べ、食べきれずにポリバケツに捨てさせられた挙句、そのポリバケツの中の残飯を「貴様らの晩飯だ」と食べさせられるシーンは強烈だった。
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今週、梅津泰臣監督にインタビューすることになっているのだが、 『ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル』は、カットワークの切れ味がいい。セシルが事務所に初出勤してくるシーンで、「すみません、遅くなりました」と敬礼するけど、ワンカットのように見えて、アップの絵だけ別カットになっている。(これは顔だけ見ていても分からない。よく見ると、背景が急に寄った絵になっている。)
カットを分けることでカクッとテンポがついて、仕草と顔が強調される。
もうひとつ、安定した構図の中で、主人公だけ目立たせるラストカット。
警官ふたりナメで、右にセシル、左にもよがいる。セシルは警官に弁明しているが、問い詰められるとガクッと頭を下げて、「セシルです」。ここでEDに切り替わるセンス。
もし主人公の顔アップで「セシルです」だったら、視聴者は何も探すものがないというか、選択肢がない。4人のキャラが止まっている中で、セシルだけが自分の名前を言いながら頭を下げる。すると、4人の中でセシルにフォーカスが合う。視聴者の視線が誘導される。その瞬間にバスンと終わるのが、カッコイイんだよ。
あと、キャスター付きの椅子に座ったキャラが、フレームインしてセリフ一言とか。最初からフレームの中にいるより、シャープな動きが加わる。セリフの印象も強まる。
何度も見てしまう作品には、必ず、何度も見たくなるような仕掛けが潜んでいる。
(C)1997 HOLLYWOOD PICTURES COMPANY and TRAP-TWO-ZERO PRODUCTIONS,INC
(C)ウドパートナーズ
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