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2014年1月 1日 (水)

■0101■

以前から見たいと思っていたスティーブン・スピルバーグ監督の『戦火の馬』。2013年に見た最後の映画となった。
Images 第一次大戦前夜のイギリス。美しい馬と出会った青年が、せっかく育てた馬を軍に徴収されてしまう。やがて青年自身も従軍して、長い道のりの末に愛馬と再会するまでを描く。
古い飛行場を改造したという、巨大な戦場のオープンセットがすごい。ねずみの這い回る塹壕の外へ出ていくと、あちこちに砲弾によるクレーターがあり、そこに雨水が溜まっているのだ。泥の中を突撃する兵士たちは次々に銃弾に倒れ、鉄条網に引っかかったまま死んでいく。

ひとつひとつの表現に、がっしりと背骨が通っている。
例えば、クライマックスで馬は戦場を駆け回るのだが、やがて有刺鉄線が体に食い込み、ドイツ・イギリス両軍が睨み合う陣地の中央に倒れてしまう。
イギリス兵が馬を助けようと白旗を掲げて、塹壕から出てくる。すると、ドイツ側からも鉄線を切る工具をもった兵士がやって来る。彼らは、トゲの食い込んだ馬の体から、二人がかりで鉄線を切断していく。少しずつ馬は自由になり、両軍の兵士も冗談をかわしはじめ、最後には互いの名を名乗って、手を握る。
つまり、このシーンで有刺鉄線から助けだされているのは、馬一頭だけではない。二人の兵士は、お互いを縛りつける国家や民族から、少しずつ解放されていくのだ。


古典的といってもいいカットワークが、歯車のように映画を駆動させる。
戦地に借り出された馬は、騎乗突撃で最初の乗り手を失う。森に潜んでいたドイツ軍は、機銃掃射でイギリス軍の騎馬部隊を迎えうつ。馬にのったイギリス将校の顔が、驚きにゆがむ。その顔のアップ。次に、ドイツ軍の機銃の銃口のアップ。そのカットから、音声がなくなる。機銃が火を吹く。イギリス軍人が撃たれるカットも、落馬するカットもない。次のカットで、馬はただ一頭で森の中を駆けている。それだけで、乗り手が撃たれたことが分かる。機能的で、なおかつ美しい。

物語の進行は、まるでミニチュア模型を作りこむように、映画の世界観を広げていく。
ドイツ軍にとらわれた馬は、今度は野砲を運ぶのに借り出される。数頭の馬に牽かれて、野砲は丘に登る。カメラが引くと、丘には巨大な野砲がズラリと並んでいる。
「装填!」 丘の下には、すでに砲撃でボロボロになった街が広がっている。暗闇で、砲撃に怯えているイギリス兵たちの表情が、つぎつぎとアップになる。最後に映るのは、最初に馬を育てていた、あの青年だ。
深い愛情に結ばれた青年と馬は、いまは敵同士に引き裂かれている。馬は野砲の並ぶ陣地に、青年は砲撃に耐える街にいる。その数奇な、しかし残酷な構図を、映画は手抜かりなく丁寧に組み立てていく。

「映画が面白い」とは、ひとつひとつのカットが十分に役割を果たしている、ということなのだ。カットが機能しなければ、我々は「物語」に触れることすら出来ない。


今日は、母の三回忌。マンションの周囲は、死んだように静まっている。
母は、凶刃に倒れた。今でも、どれだけ痛かったか、怖かったか、想像する。僕は理不尽に向かって、戦いを開始した。

今は、朝には祭壇の水をかえ、夜にはロウソクの炎を灯す生活をしている。
今朝は、しおれた花を生ゴミの袋に捨てた。

あれから、まだ僕は人と話している。人の悩みを聞いている。あるいは、たわいのない世間話に笑っている。いまだ、新しい人との出会いがあり、新しい関係が築かれていくことに驚きを感じる。
――いろいろな世代や境遇の人と、よく会話すること。いろいろな意見、いろいろな感想を聞くこと。多様性を失わず、矛盾を受け入れることが、悲惨な事件から自分を救う唯一の方法だ。暗闇は、いつでも口を開けて僕らを待っている。


年末のコミケは、「販売停止」が相次いだという()。コミケ準備会が、同人誌の修正基準を「商業誌に準ずる」とするなら、児童ポルノ禁止法が改正された暁には、逮捕者が続出するかも知れない。

逮捕におびえ、同人活動を自粛するのか。今のうちに情報を集め、規制強化反対の世論を国会に届かせて対抗するか。人の心に、命令はできない。

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