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この2日間で見た映画は、『砂と霧の家』と『小さな命が呼ぶとき』。
『砂と霧の家』は、ジェニファー・コネリーの演じる女性が、差し押さえされた家を取り戻そうと、イラクからの移民家族と衝突する。元イラク軍人を演じるベン・キングズレーのハゲっぷり、ダメ男に転がってしまうジェニファー・コネリーの自虐ぶりが、なかなか見ごたえある。
税金が払えなくて持ち家をとられてしまうバツイチ女、朝から晩まで肉体労働しなくては食っていけない元イラク軍人……社会的に弱いもの同士が、争いをやめて共存しようと模索しはじめるあたりに、ほのかな希望が見える。その希望を完膚なきまでに破壊するのが、ジェニファーに言い寄ってくるダメ警官というのが、痛々しかった。
『小さな命が呼ぶとき』は、ひどい邦題だな。ハリソン・フォードが出演している映画とは思えない。原題は「Extraordinary Measures」。
子供を難病におかされたビジネスマンが、偏屈な科学者と組んで、新薬開発の事業に乗り出す実話。価値観の違いすぎる二人が、なんとか妥協点を探りつつ、出資者を募るあたりから面白くなってくる。
だが、自分の子供を真っ先に救いたい主人公は、新薬を我が子に投与するよう、裏技を使う。……そりゃあ、あまりに利己的じゃないの?と思っていると、最初は激怒していたハリソン・フォード演じる科学者が、ちょっと気のきいたことを言う。
『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』や『正義のゆくえ』もそうだったけど、アメリカ映画は「まず、お前はどうしたいんだ?」と、個人の意志を尊重するところがある。とりあえず、個々人の差異を認める。
アメリカという国がどうあれ、そこは見習いたいと思わせられるんだよな。
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ASEAN(東南アジア諸国連合)の会席で、安倍晋三がAKB48やEXILEのショーを披露。
(この写真はニュースサイトより転載。)
北朝鮮の「喜び組」を連想した人もいるようだけど、軍に掌握された時祭イヴみたいなもんでしょう……。ちょっと前に、「いずれ日本政府はアイドルを利用するよ」と書いたけど、思ったより早かった。
もともと、握手券や投票券で客を釣るような商売しているアイドルだから、そりゃあ、電通にプロデュースしてもらっている無能政府とは相性いいに決まっている。
こうして、テレビばかり見ている層に向けて好感度を増すために、もはや恥もプライドもかなぐり捨てている焦りっぷりが、安倍政権は怖い。
アニメも漫画も、根こそぎ持っていかれる気がしている。それでもなお(支持率急降下中の)現政権に心酔するオタクたちのマゾヒズムは、一体どこに由来するのだろう?
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オタクというのは趣味の一形態ではない。オタクになる人は、「体」がオタクなんだよね。僕も、姿勢の悪さや肌の白さには、いまだにコンプレックスを感じる。醜形恐怖、対人恐怖……46歳にもなって、コンプレックスを克服できてない。
社会性の無さ(コミュニケーション不全)は、幼年期の家庭環境に左右されていると自覚している。
だから、何かにすがりたい、頼りたい、甘えたい心情は分かる。だって、原発事故が起きてしまって、大人たちの社会が「放射能は安全です」と食材も何もガンガン流通させはじめて、もともと怖かった社会が、もっと怖くなったんだもの。
社会との付き合い方が分からなくてアニメやゲームに逃避した人たちが、何か依存できるものはないか血まなこで探しはじめるのは、無理からぬ話だ。原発事故後、急に在日韓国人を嫌悪しはじめた人って多いんじゃないかな?
「人種差別は、社会生活に支障が生じたときに始まる」と聞いたことがある。社会への不安を押し殺すために、誰かを差別したり嘲笑したりせずにいられない。それがオタクの暗黒面。
内通者に向いているのは、「友達が少なくてプライドが高い人」なんだって。自尊心をくすぐってやれば、何でも言うこと聞くから。ギクリとした人、いるんじゃないの?
「友達が少なくてプライドが高い人」「孤独なのに、偉そうに振る舞いたいヤツ」は、権力側からはコントロールしやすいんだって。そのパターンにまんまと嵌まっている人が、何十万って単位で存在しているのが今の状況なんじゃないかな。
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