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2013年12月10日 (火)

■1210■

またもや、防府日報さんからプレゼントが贈られてきた。
12_06cimg0259_15『マイマイ新子と千年の魔法』カレンダー! 片渕監督監修で、キャラ表と場面カットのシンプルな組み合わせで、ちゃんと季節感を出しているのが上手い。

『惡の華』のムック本をつくった気力と気迫で、もういちど『新子』に挑みたい。特に、美術と色指定。あと、時代考証的な部分も。
日本のアニメってのは……本当に、世界遺産に登録しろよ?と思う。商売の出口にいる連中がダメにしているだけで、すごい文化なんだよ。世界唯一だと思う。

アニメ業界に取材して、検閲が入らないことなんて、ほぼ無い。100人にひとりぐらい、「原稿チェックなんて、しませんよ」と、すべてこちらに任せてくれる人がいる。だが、力の強い会社ほど「ウチの作品は、こういう感じに書いてください」と、出版社やライターを外注の広報担当のように扱うし、バッサリと原稿を書き直して「このとおりに印刷しろ」と投げてよこす人もいる。
健全とは言いがたい状況にある。


最近、レンタルで見た映画は『プラトーン』と『セルピコ』。
Alpacino1356340381244901いまの時勢にピッタリだと思った映画は『セルピコ』。私服刑事になった主人公が、警察署内の汚職を思い知らされ、それでもめげずに、内部告発に踏み切る。
ほとんどの刑事は、犯人から金を巻き上げることを当たり前だと思っているし、上層部はその事実をもみ消そうとする。閉塞したまま、巨大すぎる権力を持たされた組織は、カルト化してしまうのだ。
セルピコだけは、髪とヒゲをヒッピーのように伸ばし、どこにでも潜入捜査する。そのため、彼はいつも異なる服装をしている。彼だけが、外部との、社会との接触を絶たずにいる。

僕たちは、いま生きているのだから、いつの時代の映画でも「今」の映画として見なくてはならない。映画の中で起きていることを、自分に引き寄せてほしいんですよ。我田引水していい。


映画が、個人の側に立ちつづけているかぎり、社会は正気を保っていると思う。
セルピコの恋人が、意味深なたとえ話をする。「ある日、王様以外の全国民が、毒を飲んで狂った。ひとり残された王様が毒を飲んで狂ってしまうと、国民たちは“やっと王様が正気になった”と喜んだ」。
いま、日本のあちこちで、そういう現象が起きているんじゃないの? そのとき、あなたがどうしたらいいのか、この40年前の映画は教えてくれる。

『かぐや姫の物語』が素晴らしいのは、終始一貫して、個人の味方をしつづけてくれるところだね。映画を見るときは、いつもひとりだから、映画は、表現は、個人に対して無限に解放されているべきだと思う。

(幸いにして、実写映画について取材するとき、配給会社と特別な関係にないかぎり、記事内容をチェックされたりはしません。映画評論が成り立っているのは、業界が成熟している証拠です。)


今週金曜、特定秘密保護法、発布。
つづいて、1月早々の通常国会に、児童ポルノ禁止法改正案が提出されるらしい。自民党は秘密保護法強行で支持率が急降下しているから、一気呵成にやるつもりだろうな。

そして、表現規制が実行されるときは、事前警告ナシだろうと思う。いきなり誰かが逮捕されていたりとか、気がつくとイベントが消えていたりとか、気がつかないうちに、静かに進むだろうな。

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