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冷泉彰彦「世紀の大傑作『かぐや姫の物語』にあえて苦言を一言」(■)。ニューズウィーク日本版の記事。
だいたい、映画に難癖つけたいときは、先に誉めておくといいんですよ。「いや、面白かったなあ!」と最初に言っておけば、誰でも、たいていの悪口を聞いてくれます。なので、前半はどうでもいい。
「では、この『かぐや姫の物語』は完璧な作品なのでしょうか?」……この辺から、一気に怪しくなってくる。そもそも、「完璧な作品」という概念が気持ち悪い。映画を「質のいいもの」「悪いもの」に分類できると思い込んでいる。
「もしかすると千年の命があるかもしれない作品として、あるいは世界の幅広い文化圏から賞賛を受ける可能性のある作品として考えると」……この視点が、すでに無責任だよね。「千年」「世界の幅広い文化圏」というけど、『かぐや姫の物語』って2013年の日本人が、まずは見るわけであってさ。僕らが当事者に他ならないわけです。僕が、あなたが「どう思うか」が、何はともあれ最重要であって、千年後の人間がどう思うか、他国の人がどう思うかは二の次、三の次、あるいは考慮する必要すらない。
映画って、友だちや彼女と一緒に、ポップコーンかじりながら見るエンタメですんで。その時代・その国なりの俗っぽさ下衆さや、泣き・笑いのツボが入ってないと、「今」の映画にならない。
名画といわれる戦前の映画を見てても「なげーよ」とか「こんなブスがヒロイン?」「これギャグのつもり? まったく笑えないんだが」とか、必ず思うよね。そういう、時代間・文化間のギャップを噛んで含めて「名画」なわけ。
……で、いよいよ本題です。
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「ある授乳シーンでは、乳房が大きくクローズアップされますし、赤ん坊や幼児はほとんど半裸の姿で、男女の身体的特徴まで露わに描かれています。幼児の「お尻」は何度も何度も出てきます。また、全裸の少女が水に飛び込むシーンもあります。」
お婆ちゃんがお乳をあげるシーンは印象的だったし、赤ん坊の頃のかぐや姫が、ほとんど裸だったのは覚えているけど、お婆ちゃんの乳房や幼児の裸は「秘めるべきところ」なんですか?
『ぼくのエリ 200歳の少女』で、強引なモザイクが入れられたのは、男性器を切り取られたエリの股間がアップになるカットだった。つまり、性器など映りようがないカットなのに、映倫は「モザイクを入れないかぎり上映させない」と配給会社を脅した(■)。
そして、あのカットを隠して上映したのは、日本のみ。つまり、ガラパゴス化しているのは、日本国内の表現規制の方です。「残念ながら、授乳シーンや子どもの半裸、あるいは裸身のシーンは欧米圏、あるいはイスラム圏では上映に大きな制約がつくと思います。」と冷泉さんは言うけど、子供が半裸や全裸で水浴びする程度のヨーロッパ映画なら、僕は何本か、日本国内で見た。映倫が通したってことは、そのまんま欧米圏でも上映されてるわけですよ。勝手に「大きな制約」をつくらないで下さいよ、冷泉さん。
「レーティングを突破して上映しても、世評としては反発を買うでしょう。」って言うけど、だから、いつの時代のどの国の世評なの? いま日本で『かぐや姫の物語』を見て、「授乳シーンがあったから、問題だね」「かぐや姫の裸体が出てきたから、やばいよね」と思う観客が何人いる? この冷泉っていう人には、当事者意識がない。「2013年を生きる日本人としての俺」という感覚が希薄すぎ。「いつか、どこかに居るであろう偉い人」の尺度を援用して、「アニメにオッパイやハダカが出てくるのは、けしからん!」と誘導しているね。
「最も国内的なものが、最も国際的である」――これは、宮崎駿の言葉だったと思う。英語圏準拠でグローバル化された表現になんか、価値はないってことさ。
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「Febri」誌に連載されている「クールジャパン社会学」を読んでほしいんだけど……もともと、「アニメなのに人殺しのシーンがあるぜ!」「アニメなのにセックスしてるぜ!」という部分が、英語圏で「クール」と評された過去が、日本アニメにはあります。
文化って、下品で猥雑なものなんです。学者の研究対象ではなく、とりもなおさず庶民の娯楽、暇つぶしだから。研究者には制約や建前がつきまとうかも知れないが、庶民は日常から解放されたくて、映画を見るわけ。それを規制されたら、僕ら貧乏な庶民は、生きる希望を失う。
レンタル店に「ドラマ」「アクション」に並んで、「セクシー」とかいう棚があるでしょ? ほとんどポルノのような「映画」が、当たり前のように並んでいる。あれが文化の図太さだよね。庶民の欲望に応えられなくなったとき、文化は形骸化していくんです。
これから、表現規制の嵐がやってくると思います。そして規制する側は、規制対象をよく知らない。理解しようともしない。「よく知らないけど気にくわない、気持ち悪いもの」を規制するわけです。
そのとき、アニメがまだまだ弱者である、ことに深夜アニメは社会的に認められていないことを、しっかり自覚しておかないといけない。この状況下、誰が味方になってくれるか。具体的に考えておいたほうがいいでしょう。
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