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2013年11月29日 (金)

■1129■

冷泉彰彦「世紀の大傑作『かぐや姫の物語』にあえて苦言を一言」()。ニューズウィーク日本版の記事。
だいたい、映画に難癖つけたいときは、先に誉めておくといいんですよ。「いや、面白かったなあ!」と最初に言っておけば、誰でも、たいていの悪口を聞いてくれます。なので、前半はどうでもいい。

「では、この『かぐや姫の物語』は完璧な作品なのでしょうか?」……この辺から、一気に怪しくなってくる。そもそも、「完璧な作品」という概念が気持ち悪い。映画を「質のいいもの」「悪いもの」に分類できると思い込んでいる。
「もしかすると千年の命があるかもしれない作品として、あるいは世界の幅広い文化圏から賞賛を受ける可能性のある作品として考えると」……この視点が、すでに無責任だよね。「千年」「世界の幅広い文化圏」というけど、『かぐや姫の物語』って2013年の日本人が、まずは見るわけであってさ。僕らが当事者に他ならないわけです。僕が、あなたが「どう思うか」が、何はともあれ最重要であって、千年後の人間がどう思うか、他国の人がどう思うかは二の次、三の次、あるいは考慮する必要すらない。
映画って、友だちや彼女と一緒に、ポップコーンかじりながら見るエンタメですんで。その時代・その国なりの俗っぽさ下衆さや、泣き・笑いのツボが入ってないと、「今」の映画にならない。

名画といわれる戦前の映画を見てても「なげーよ」とか「こんなブスがヒロイン?」「これギャグのつもり? まったく笑えないんだが」とか、必ず思うよね。そういう、時代間・文化間のギャップを噛んで含めて「名画」なわけ。

……で、いよいよ本題です。


「ある授乳シーンでは、乳房が大きくクローズアップされますし、赤ん坊や幼児はほとんど半裸の姿で、男女の身体的特徴まで露わに描かれています。幼児の「お尻」は何度も何度も出てきます。また、全裸の少女が水に飛び込むシーンもあります。」
お婆ちゃんがお乳をあげるシーンは印象的だったし、赤ん坊の頃のかぐや姫が、ほとんど裸だったのは覚えているけど、お婆ちゃんの乳房や幼児の裸は「秘めるべきところ」なんですか?

『ぼくのエリ 200歳の少女』で、強引なモザイクが入れられたのは、男性器を切り取られたエリの股間がアップになるカットだった。つまり、性器など映りようがないカットなのに、映倫は「モザイクを入れないかぎり上映させない」と配給会社を脅した()。
そして、あのカットを隠して上映したのは、日本のみ。つまり、ガラパゴス化しているのは、日本国内の表現規制の方です。「残念ながら、授乳シーンや子どもの半裸、あるいは裸身のシーンは欧米圏、あるいはイスラム圏では上映に大きな制約がつくと思います。」と冷泉さんは言うけど、子供が半裸や全裸で水浴びする程度のヨーロッパ映画なら、僕は何本か、日本国内で見た。映倫が通したってことは、そのまんま欧米圏でも上映されてるわけですよ。勝手に「大きな制約」をつくらないで下さいよ、冷泉さん。

「レーティングを突破して上映しても、世評としては反発を買うでしょう。」って言うけど、だから、いつの時代のどの国の世評なの? いま日本で『かぐや姫の物語』を見て、「授乳シーンがあったから、問題だね」「かぐや姫の裸体が出てきたから、やばいよね」と思う観客が何人いる? この冷泉っていう人には、当事者意識がない。「2013年を生きる日本人としての俺」という感覚が希薄すぎ。「いつか、どこかに居るであろう偉い人」の尺度を援用して、「アニメにオッパイやハダカが出てくるのは、けしからん!」と誘導しているね。
「最も国内的なものが、最も国際的である」――これは、宮崎駿の言葉だったと思う。英語圏準拠でグローバル化された表現になんか、価値はないってことさ。


「Febri」誌に連載されている「クールジャパン社会学」を読んでほしいんだけど……もともと、「アニメなのに人殺しのシーンがあるぜ!」「アニメなのにセックスしてるぜ!」という部分が、英語圏で「クール」と評された過去が、日本アニメにはあります。
文化って、下品で猥雑なものなんです。学者の研究対象ではなく、とりもなおさず庶民の娯楽、暇つぶしだから。研究者には制約や建前がつきまとうかも知れないが、庶民は日常から解放されたくて、映画を見るわけ。それを規制されたら、僕ら貧乏な庶民は、生きる希望を失う。
レンタル店に「ドラマ」「アクション」に並んで、「セクシー」とかいう棚があるでしょ? ほとんどポルノのような「映画」が、当たり前のように並んでいる。あれが文化の図太さだよね。庶民の欲望に応えられなくなったとき、文化は形骸化していくんです。

これから、表現規制の嵐がやってくると思います。そして規制する側は、規制対象をよく知らない。理解しようともしない。「よく知らないけど気にくわない、気持ち悪いもの」を規制するわけです。
そのとき、アニメがまだまだ弱者である、ことに深夜アニメは社会的に認められていないことを、しっかり自覚しておかないといけない。この状況下、誰が味方になってくれるか。具体的に考えておいたほうがいいでしょう。
 

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2013年11月27日 (水)

■1127■

オトナアニメ Vol.32 本日発売
Ot32
●『魔法少女まどか☆マギカ』特徴的な[新編]の絵づくり
劇団イヌカレーの描いた異次元ビジョンと、セル画の組み合わせの効果……について書いています。あと、お弁当がセルではなく美術で描かれている意味も、コラムで。

無論、それらは僕の勝手な解釈です。その「個人の勝手な解釈」を許さない窮屈な雰囲気を、ごくたまに感じます。過去、「勝手に解釈しないでください」と、版権元に怒られたこともあります。
でも、それってすごい事ですよ。「あなたの脳で考えるな」と命令してるようなもんですよ。そして、自分の脳で考えず、プレスリリースみたいな記事を書いてしまう同業者が、ここ2~3年で増えてきたような気がします。

僕は、文筆業者としては最底辺に近いところで食っていますが、それでも「書く」という行為は、自由に直結していると感じています。


秘密保護法、昨夜、衆議院で強行採決。
Ca6xnjtj_2僕は取材があったので、17時すぎに、国会議員会館に着いた。道路をはさんだ向こう側が国会議事堂で、本会議がまだ始まらない、遅れているらしい……という情報が入ってくる。
首相官邸前でも人が集まっていたが、20時10分ごろ、強行採決の報が入ってきた。

「偉い人たちの決めたことに反対すると、やばいんじゃないの?」「みんながしているように、おとなしくしてようぜ?」という小学校の頃からの、あの気味の悪い自粛ムード。「お前ひとりだけ、勝手な意見いうなよ!」「みんなの迷惑だろ?」と自分の自由を殺す反面、他人を罰せずにおれない屈折した心理。
それらが、法によって正当化される気がして、僕は怖い。


最近、背筋の凍った事件。
市販されている写真週刊誌の写真をスキャンして、ブログにアップしたら、逮捕されたうえに実名報道されてしまった()。

……でもこれ、みんな当たり前のようにやってない? アニメのキャプチャ画像も、せめて(C)を入れたほうがいいんじゃない? とは思っていたけど、いきなり逮捕されたうえ、実名報道。しかも、ヌード写真ってところがね……見せしめだよね。
こうやって、スケープゴートのように、あちこちの分野で逮捕者が出るんだろうね。みんな萎縮して、自分の意見なんて書かない、趣味の話だってしなくなるかも知れない。やがてみんな、自分の脳で考えることさえ、やめてしまうかも知れない(もうやめてる人が、かなり多いけどね)。

いまや、ありとあらゆる容疑(というか難癖)で、誰でも逮捕できる世の中です。
秘密保護法は、それを加速させる。だって、容疑は「秘密」なんだから、思いついたら即逮捕できちゃう。


では、逮捕する側の警官たちはどうか? あいかわらず毎週毎週、不祥事を起こしている。
例えば、放置されていた自転車を無断で使って、市民に盗ませようとしていた警官たちとか()。こっちは、実名報道されません。

僕と友人が、理由もなく路上で呼び止められたとき()、この田村一樹とかいう巡査は「犯罪のない社会が理想」とかゴニョゴニョ言っていたけど、お前らが犯罪をつくっているんじゃないか!
こんな国、誇れますか?

秘密保護法は、国連人権高等弁務官事務所、国際ペンクラブから非難されてますね。ニューヨーク・ タイムズ誌も酷評してますね。法案が成立すれば、ただでさえ原発事故を起こしている日本は、世界から孤立しちゃうね。
……気が休まらないなあ、まったく。

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2013年11月22日 (金)

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モデルグラフィックス 2014年1月号 25日発売
Mg
●宮崎駿の描いてきた飛行機械、その魅力と演出
私とからぱた氏が組んだ、最後の記事となりました(モデグラでは)。
このページに載っている素組み完成品は、私が打ち合わせの帰りに買ったものや、秘蔵の絶版キットを、自ら組んだものです。
「資料性のない、叙情的な文章で、宮崎メカを語ってほしい」というオーダーでした。しかし、表紙に『風立ちぬ』の文字は入れられなかったか……。

●ギャラクティカNOW 第二回
今回は、主役バトルスター艦ギャラクティカ。どろぼうひげさんの鬼電飾作例の下に、『ギャラクティカ/序章』の日本語吹き替え版がいかに素晴らしいか、書き連ねました。

●組まず語り症候群 第13夜
今回のサブタイトルは、「金型を守護に持つ女の子たち」。からぱた氏担当の最後は(連載自体は、千葉ーザム氏担当で、次号も続きます)、基本に帰って?女の子キットとなりました。

からぱた氏は、いつも他誌の仕事に追われている真夜中とかに、「廣田さん。ちょっと発狂しそうな原稿、頼んでいいですか?」「廣田さん。今回は、キチガイのフリして原稿を書いてください」などと電話してくるのでした。
僕は、彼の依頼だけは決して断りませんでした。進行が強引でも、結果が面白くなるのは分かっていたから。彼から電話が来ると、僕は他誌の仕事を、すべて一時中断して、モデグラの原稿を最優先しました(それぐらい余裕をもったスケジュールで仕事できてないと、プロとは言えない)。オーダー自体は遊びっぽくても、最後まで緊張感を持続させられる、優れた編集者でした。

彼がモデグラを辞めることは、かなり以前から聞かされていたし、今後どこへ行くのかも知っています。あとは「また仕事しましょう」という言葉に、ウソがないことを願って……って、その日まで、僕はライターやめられないじゃない!


水曜夜は、火炎瓶テツさん主催の秘密保護法反対・官邸前抗議。木曜夜は、テレビでも報道されている「STOP!秘密保護法 11.21大集会」(日比谷野外音楽堂)へ参加。
Ca133408(←主催者発表で7000人。会場の外には2000人ぐらい?)
当初、15日に予定されていた採決は、延期につぐ延期。それは、ようやく各界から著名人が反対の意志を表明したからであって、(維新の会はともかく)みんなの党さえ、自民党になびいてしまった。

みんなの党ってヒドくて、手の平を返したことを責められるのがイヤで、毎日訪問していた人たちが訪ねていっても、門前払いくらわせたそうです。つい昨日まで応援していた人たちを、そうやって裏切るんですね。
この秘密保護法案をめぐって、本当にウンザリするのは、そういう醜い大人たちの態度を見せつけられること。子供に言えないでしょ、「僕たちの投票で議席を得たはずの政党が、ウソついて逃げだしたよ」なんて。

簡単に言うと、「いちばん偉い人たちがウソをついても、合法的に黙っていられる」法律。さらには「そのウソを暴こうとするヤツは、たとえ一般庶民でも逮捕してしまえ」法案。だから、警察が権限を拡大したがっているわけ。
「そんな北朝鮮みたいな国になるわけないじゃん」とノホホンとしている人は、よほど幸せな人生を送ってきたのだろうな。


日比谷の大集会では、残った野党の人たち、日弁連の人、作家の落合恵子さんらがスピーチした。新聞労連の委員長は「このままでは、政府の広報担当が言ったこと以外、書けなくなってしまう!」と怒っていたけど、俺は恥ずかしかった。

なぜなら、アニメ業界では「広報担当の言ったとおりに書く」ことが、なかば常態化しているからです。いまや、若いライターや編集は、「あたりさわりなく、言われたことだけ書こう」程度の意識しか持ってないんだよ。恥ずかしい。
もちろん、優れた広報担当者なら、記事に口出ししなかったり、いい方向へ修正してくれます。だけど、広報担当者みんなが「たくさんの映像作品を見て、あらゆるジャンルの本を読んで勉強しているか?」と言うと、答えはノーです。だから、担当者の無知のために記事がつぶされ、改悪される。
出版関係者の間では「あんなに記事に口出しするのは、アニメ業界とゲーム業界だけ」と、笑われてるぐらいなんです。

秘密保護法が通ったら、ほどなくして、児童ポルノ法改正も来るでしょう。当事者たちの意識が低いままなら、一網打尽にやられるね。
音楽に詳しい編集者と話すと、ダンス営業規制があるから、秘密保護法案にも神経をとがらせているわけ。表現規制にもつながる法案だしね。ナヨナヨと愛国者ぶって、自民党にスリスリしてる場合じゃないと思うぞ、オタク諸君。

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2013年11月20日 (水)

■1120■

「秘密保護法を考える市民の会」が、連日開催している「議員まわり」という抗議活動に、飛び入りで参加してみた。
Caninng1これは、すべての国会議員の事務所を回って「秘密保護法に反対してください」と、直接お願いするという、究極の抗議行動である。
秘密保護法をめぐる事態は流動的なので、いきなり議員に会って意見を言ってしまおう!という。「いま、みんなの党はこんな感じです」「維新の党は、こんなこと言い出しました」というリアルタイムの情報が、参加者から入ってくる。この速報性は、テレビにもネットにもない。

「国会議員様の仕事場である議員会館に、庶民が入れるのか?」――と不安でしたが、これがすげえ簡単。入館許可は、会の代表者がまとめてやってくれているので、簡単な荷物検査がある程度。警官に呼び止められたりもしません。
議員会館にはコンビニもあって、ビールも売ってます。国会議員のオフィスの集まった雑居ビルのような、平和な空間です。

平日午後ということもあり、参加者は主婦の方が圧倒的に多い。男性は60代以上か、若い人(学生?)も数人。女性は、へこたれないというか、どこでも元気。


僕らのグループは、自民党議員中心に、10人ほどの議員を回った。議員自身が留守にしていても、政策秘書が対応してくれる。政策秘書がシカトして机に向かい、事務の女の子に対応させていたのは、維新の党。そういうセコい態度が、ぜんぶ見えてしまう。

そして、政策秘書が出てこようが、ただの事務の子が出てこようが、「あ…れ? こいつら、秘密保護法のこと、何も勉強してねえ?」と、唖然とさせられた。
勉強してないし、「私、政策のことは知りません」とか平気で言うの。「私の口からは言えません」とか。コンビニやファーストフードの対応と、まったく同じ。電話口で「上には伝えておきます」ってだけの担当者、どこの業界にもいるでしょ?
「こうしたい」「こうすべきだ」って自分の意志やアイデアなんか、ないんだよ。たとえ、平社員の担当者でも「私は、こう思います」「こうしたいのですが」と言うべきでしょ。意志がないから、どの業界も無責任なクソがいばってるんじゃないの?

それは、日本の政治のど真ん中・永田町でも、まったく変わらなかった。国会議員の事務所って、民間のダメ企業と同じです。そもそも、話術がない。オロオロしたり動揺したりしているのが、こちらにバレてしまっている。

ちなみに、後期高齢者・石原慎太郎老人は、面会謝絶でした。そういう傲慢な態度、ぜんぶバレますんで。ま、石原老人はもうすぐ死ぬから、特に言うこともないんだけどね。


レンタルで、『ザ・ロード』。文明崩壊後の寒冷化した地球を、父親と息子があてもなく旅する。
335576_01_02_02この父親が、何度か人を殺してしまったり、出会う人すべてを疑ったり、理想と行動がズレてしまうところがリアル。息子は、少しずつ父親の倫理観を受けついでいき、彼の誤った行為をとがめるようになる。

父親は、常にうなされて飛び起きる。「怖ろしい夢を見ている間は、まだ戦える。いい夢を見るようになったら、気をつけろ」。
安寧や落ち着きは、ゆるやかに死へつづく道。この父親は、それを恐れているのだ。

僕は、しずかな道をゆっくり散歩するのが、好きだ。残りの人生の半分ぐらいは、本当はそうして過ごしたい。

(C)2009 2929 Productions LLC,All rights reserved.

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2013年11月18日 (月)

■1118■

『惡の華』メイキング・オブ・クソムシ 22日発売
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●テキスト執筆
全体の8割ほどのテキスト、インタビューを担当しました(原作者、プロデューサーへの取材は、渡辺トモヒロ氏)。
自分的ヒットは、作監・キャラデの島村秀一さんのインタビュー。手探り状態で、「この絵柄」に落ち着くまでの紆余曲折は、絵を描いて苦労したことのある人、すべてに読んでいただきたい。
それと、表紙の絵は、ちゃんとロトスコープしてます。原作の扉絵を再現できるよう、何枚も撮ってあったスチール写真からの描き起こしです。
(『惡の華』のパッケージ・イメージは「黒地に文字のみ」が多いので、セルにしたほうが“外した”感じが出ていいはず!と、かたくなに主張してみました。)

――ほぼ二ヶ月ぐらい、この本の作業に費やしたと思うけど、いろいろ感じるものがあった。出版社の意向もあれば、編集者の意地もある。メーカーやプロダクションの対応や権利感覚が、この10年ぐらいで激変した。ムック本は、作りづらくなった。
アニメーションのビジネスとしても、「いい作品ができて、とにかく良かったッス!」などと無責任なことは、だんだん言えなくなってきている。「本編は一度見れば十分、お金を出すほどでもない」というライトユーザーが増える中、関連商品が突出して売れる場合もある。そういう動きに敏感か鈍感かは、今後を左右すると思う。


日曜日に開催したイベント『オッサンになったから、美少女フィギュアでも作ろうぜ!』は、アーカイブで見られます()。
このトーク、後半で「フィギュアを自作している人は、果たして何人ぐらいだろうか?」「いま作ってなくても、作ってみたいと思っている人は、どのくらい居るのか?」という話が出てきます。それを意識している人は、やっぱり、それなりに時流が読めているし、おもしろい仕事に恵まれている(儲かって大金持ちになっているという意味ではなく、おもしろいポジションに居られる)。

「とにかく、いいものを作ればいいんだよ! 結果は、後からついて来るよ!」という根性論は、若いうちにしか役に立たない。
その分、若いころは、お金がなくても夢を見られるんだよね。トークしながら、そんなことも考えた。


秘密保護法、国民の反対の声を浴びながらも、強行採決という噂が出てきた。
この法案が通ったら、どうなるんだろう? いつの間にか、ブログやツイッターをやる人が減り、話題が減り、政党は自民党ひとつだけになるかも知れない。

「税金を滞納すると…」という印刷物が、三鷹市から届いているんですけど、「給与差押の例」が、子細に書いてあります。
「月額給与等を調査します。勤務先に滞納の事実が知れることとなります」。「取立は滞納金額が無くなるまで継続します」。……つまり、税金のために仕事も生活も犠牲にしろと、はっきり言っているわけ。「勤務先に知れることとなる」って、オイオイオイ。どこのヤミ金融だよ、三鷹市市民部納税課?

これが、国ってものの正体です。国民を脅迫しないと、成り立っていかない。いまだに「国が守ってくれるはず」「日本は、そんな国じゃない」と考えている人は、「人間たちが、僕らを殺して食べるわけがないよ!」と信じている、養豚場の豚と同じです。
こうして、堂々と市役所から脅迫状が送られてくるってことは、僕も養豚場にいることは確かなんだよな。「俺が食われるわけがないぜ」と思っている豚から、真っ先に食われているような気がするので、そこは要注意です。

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2013年11月15日 (金)

■1115■

明後日、日曜日、開催! トークイベント『オッサンになったから、美少女フィギュアでも作ろうぜ!』
Ca0o2v19 日時:11月17日(日) 15時~17時 ※延長あり
場所:模型塾(
出演:廣田恵介、べっちん、東海村原八
備考:入場無料
ネット配信:こちら

奇しくも、今月発売の「モデルグラフィックス」誌に掲載されるネタが、美少女モノのキットです。もしかしたら、この手の話題で語れるのは、今がひとくぎりなのかも? そんな思いもあり、カッコつけをやめて「40歳をすぎて、わざわざ美少女のフィギュアを作る心境」を語ります。

あと、僕らオッサン世代の価値観が、若いオタク(という人々がいるのかどうか?)に通じなくなってきたので、そういう意味でも、今がラスト・チャンスなのかも。チャンスというか、「やっぱり、若者たちには通じないのか」と実感できたら、成仏できるじゃないですか。「オジサンたちは『ヤマト2199』見て、森雪のフィギュアでも買ってるんでしょ?」と誤解されてるなら、なおさら、言い返しておきたいじゃないですか。

……そういう意地の持ち方自体が、もうすでに古いんだよね。だけど、僕らの歳じゃないと、フィギュアの話題でないと、言えないことがあるからね。
日曜日の東京は、18℃と暖かいので、ぜひ来てください。


取材で知ったんだけど、ギリシャのサントリーニ島に行きたい。今から調べて、来年6月ぐらいに。その頃までは、航空券が安いから。

フィギュアの件もそうだけど、自分にとって何が幸せなのか、考えはじめるのが遅すぎたね。あるいは、自分にそれほど期待できない年齢になったから、やや背伸びしたところに幸せがあると気がついたのかも知れない。


今はイベントのことだけ考えたいんだけど、秘密保護法の審議がガタガタで、自民党という組織の気持ち悪さが、つぎつぎと露呈している。こんな人たちが政権を握りつづけていて、大丈夫なんだろうか。秘密保護法以前の問題だよ。

たとえば、山本太郎議員に右翼団体からナイフと脅迫状が送られてきたけど、鴻池祥肇という自民党議員が「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と発言したそうで。
鴻池という人は、72歳。この年齢の老人は、自分を強く見せたい願望から、暴力自慢するんです。「暴力老人」で検索すれば、山ほど事例が出てきます。
僕の母を刺殺した犯人も、よく「俺の歳でも、お前の腕をへし折るぐらい、ワケないんだぞ!」と息巻いてましたっけ。犯人が出所してきたら、私も腕をへし折られるんでしょうか?

だけど、「間接的な殺人はしない」という言い方は、ものすごいよね。殺人自体は否定してないわけだよね。これが国会議員だよ? 与党の議員なんだよ?

福井県警の警部が、会社役員を恐喝して、100万円を脅しとったでしょ? 毎月必ず、警察官が恐喝事件を起こしている。今もう、日本はそういう国。
税金を払うとき、嫌悪感で、鳥肌が立つんですよ。「いい国だから、喜んで税金を払いますよ」なんて人、いるんですか? 自民党に心酔し、「お巡りさん、左翼のヤツラを皆殺しにしちゃって」という人たちは、高所得者なんでしょうかね。


今月は取材が多くて、いろんなところで、若い人とも話したんだよね。
そうしたら、若者はまず人口が少ない。そのうえでアニメやゲームばかりしている人は、もっと少ないから、マイナー意識を持っている。少数派だから、強いものに憧れ、決して戦おうとはしないんですよ、と……20代前半の人が、そう言っていた。

どこか、人気のない場所で、ひっそりと暮らしている分には、幸せなのかも知れないね。インターネットで仲間は見つかるだろうし、わざわざ、外に出ていかなくても、孤独は癒せるだろう。
人口が減るにしたがって、結婚という価値観も、絶対的なものではなくなってきている。何十年か後には、沈黙におおわれた滅びの道だけが、ひっそりと残されるのだろうか? 言葉にすると、甘美ではあるけれどもね。

――自分にとって、何が幸せなのかをつきつめたとき、ようやく「敵」というものが現われるんです。自分の幸せにとっての敵。のらりくらりと生きていてるくせに「俺には、敵なんかいないよ」というのは、そりゃ本当の幸せを知らないってだけのことです。

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2013年11月12日 (火)

■1112■

東京ウォーカー 本日発売
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●『かぐや姫の物語』、『夢と狂気の王国』紹介記事
レビューというよりは、普通の人向けの紹介記事です(執筆時点では『夢と狂気の王国』は、未見だったし)。
そもそも、高畑勲とはどういう人なのか?ということをザッと紹介していて、『太陽の王子 ホルスの大冒険』にも言及。いま、レンタル店に行くと、3本ぐらいDVDが置いてあるんだよな……記事執筆にあたり、10年ぶりぐらいに見てみた。

かつては、狼やネズミの襲撃シーンが止め絵であることが不満だったんだけど、やっぱりヒルダだね。ヒルダの表情が、すべて持っていく。
「美女なんだけど、実は敵」という設定は、70年代のロボット・アニメにもあったんだけど、この背徳感、ぞわぞわする感じは、子供にも分かるんだよね。
明朗快活な主人公が、ヒロインによって秘密を共有させられる――という後ろ暗さが、何とも心地いいよね。


今月は仕事もいっぱいあるんだけど、飲み会の予定もいっぱい。日曜には、イベント『オッサンになったから、美少女フィギュアでも作ろうぜ!』()もあるんだけど、その前日はクラス会なのだ。

次に旅行に行けるのは、貯金が回復しているであろう、来年2月以降。安い航空券を買う前に、二度もクロアチアに同行してくれたスーツケースを、新調したい(あまりにも重すぎるので)。靴も、新しいのを買いたい。
僕は天涯孤独なので、誰かがお金を出してくれるわけではない。ぜんぶ、自分で稼がないとダメ。だから、消費税も住民税も「痛い」と感じることができる。


秘密保護法に対して、各界から批判続々。TVキャスターだけでなく、俳優の伊勢谷友介まで反対しているとは、知らなかった。
だけど、個人が発言すると、必ず袋叩きにあって、謝罪させられるのな。この国って。「集団で囲んで黙らせる」国民性なんだよ。たとえ、秘密保護法を廃案に追いこめたとしても、日本人の陰湿さが変わるわけじゃない。「逆らわずに黙っていよう」「自分だけは責任を負うまい」という国民の狡猾さは、「気に触ったヤツは、こっそり逮捕」という秘密保護法の精神に、そのまま直結している。

まったく退屈な話がつづいて申し訳ないけど……日本人は70年間も戦争をしなかったから、温厚な国民なのか? 戦争で使われなかった暴力は、狭い国土のいたるところに噴出しているように見える。警察官は横暴になり、やすやすと市民を逮捕し、もはや弱者の味方ではなくなった。プラカードに総理大臣への質問を書いた主婦を、背広姿の男たちが取り囲む。健全なはずのスポーツの世界で、師匠やコーチが、怪我を残すほどの体罰を加えている。
脅迫と罰則によってコントロールされる社会。子供たちは、罰せられるのがイヤだから宿題をやる。楽しいから、誉めてもらえるから、やるんじゃない。

公園に行くと、つくづく憂鬱になる。「花火禁止」「ボール遊び禁止」「犬の散歩禁止」……。すべて、警察と自治体の看板だ。


表現規制は、思わぬ形でやってくると思う。「こういう描写は禁止しますので、よろしく」なんて、お行儀よくやってこない。ある日いきなり、誰かが逮捕されるとか、取り返しのつかない状態で姿を現すのだろう。

あるいはこっそりと、誰にも気づかぬ形で我々の心に忍び込み、もっとも深いところをギュッと、力まかせに締め上げるのだ。
そのときには「痛い」と言うことさえ、禁じられているのかも知れない。いや、禁じられずとも、僕らは勝手に黙りこむ。罰が怖いから、勝手に黙る。僕らは、そういう教育を受けてきた。

まったく、僕をこんなに憂鬱にさせる日本政府に、税金なんて払いたいわけないじゃない……。

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2013年11月 8日 (金)

■1108■

『夢と狂気の王国』、マスコミ試写。「ジブリというスタジオから見た、四季の風景」といった趣で、女性ディレクターらしい控えめな距離感がある。だが、ジブリ設立当初の古いフィルムなども使われていて、お手軽感はない。
Mmi_kyoki_01「宮崎駿の喋っているところを、一秒でも長く見ていたい!」という人やジブリ関連の資料本を読み込んだ人には、やや物足りないかも。単に『風立ちぬ』のメイキングであれば、「ロマンアルバム エクストラ」が凄まじいので、あれ一冊あればいいように思う。そのへんの按配は、見る人によるだろうな。
庵野秀明さんが、けっこう師匠のことを語っていて、当時の落書き(宮さんに「人物、下手だね」と言われるヤツ)も出てきて、庵野ラブな人も必見。惚れなおすよ。
意外なところでは、宮崎吾郎さん。けっこう辛いところを撮っていて、あのシーンは、もう少し長く見たかった。

もっとも大事なのは、『風立ちぬ』見て、『かぐや姫の物語』見たら、レンタル待ちとかしないで、早めに見たほうがいい。それだけ、今年は区切りの年だったんだよ。「ひとつの時代が終わった」ことを体感しないとね。
高畑勲さんは、残念ながら、あまり出ません。その代わり、『かぐや姫』の若きプロデューサー・西村義明さんが、歯に衣着せぬ弁舌で、なかなか聞かせます。
(『かぐや姫』は、プロデュース的にも逆風が吹きまくっていたんだな。あの映画は137分という長さが、唯一のネックなんだよなあ……と言って、どこも切れないんだけどね。)

マニアックな知識の必要ない、万人向けのつくりになっているけど、「奥田誠治」と言われて「日本テレビ」と連想してしまう人なら、細かい発見はいろいろあると思う。スタジオの落書きを丁寧に拾っているのも、良い。


ただ、ものすごく気になる会話があった。具体的には書かないけど、それは表現規制の話。ほんの二~三言だったけど、ゾッとさせられた。
具体的に『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が国から検閲を受けたのではなく、これから先の話なんだけど……。そのシーンもあったから、「いい時代が過ぎていくなあ」という悲愴なたそがれ感が、どこか根底に流れている。

『かぐや姫の物語』にディズニーのお金が入っているのは、割といいことだと思う。日本が滅んでも、アメリカに残るから。あの映画は、百年ぐらい、平気で残るだろう。
対して、宮崎さんは“超一流の俗物”だと思うので、時代によって評価が変わるんだろうな。ミリタリー好きって部分も、賛否両論だろうしね。宮崎さんが「あのオタクども」と怒っているのを、僕らが「何だよ、ロリコンのくせに」と茶化しているのが、健全な関係だと思う。
黒澤明が国内で撮れなくなってきたころ、日活ロマンポルノが現われた。それが文化なんだよ。下世話なまでの文化のしぶとさ。
佐藤忠男さんは「映画は、自由を目指す」と書いたけど、どんな映画でも、かなり芸術的な映画でも、主人公が抑圧から解放されるとか、逆に閉じ込められてバッドエンドか、どっちかなんだよ。(『かぐや姫の物語』は、自由を失うことの辛さについての映画だしね。)


高校時代の話。自称“映画好き”のクラスメイトが、年賀状に「今年期待できる映画ベスト10」を書いて、送ってくるわけ。そのベスト10は、彼個人の意見だから、ぜんぜん構わないんだけどね。彼は、オナニーしたくなると、腕立て伏せして、禁欲していたそうです。
そのベスト10と禁欲の話を合わせてみて、“抑圧の萌芽”みたいなものを、僕は感じてしまったのね。彼のベスト10に入らない映画は、彼にとっては、汚らわしい忌むべきものなのかな?って。後に、彼は牧師になったそうです。

だからね、「クソ映画」とネットに書くぐらいなら笑ってすませられるけど、映画サイトの「この映画の注目度」とか「5点評価しよう」とか、作品を選別して優劣をつける価値意識は、やすやすと表現規制と結びついてしまうよ。
秘密保護法について、法学部の学生が「知りません」と答えていて、ちょっと絶句したんだけど、「そんな風なら、君らの自由は、持ってもあと3年だね」……と思ってしまう。

話がそれたけど、「素晴らしい映画だから、後世に残しましょう」という考え方は大事。それと同時に、いかなる映画も表現も、踏んでも蹴られてもいい状態にしておくべき。蹴られた映画は、きっと、誰かがキャッチするんだよ。

(C)2013 dwango

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2013年11月 4日 (月)

■1104■

最も年長の友人から頼まれごとがあり、僕ひとりではどうにもならないので、歳若い友人に甘えることにした。
この歳になると、年上の友人に頼られるのも、年下の友人に頼るのも嬉しい。若い編集者でも、自分の意志で「こういう企画をやりたい」と言ってくる人の背中は、必ず押すようにしている。「若い」ことは、無条件に、圧倒的に強力な武器である。四十代で一日を棒に振るのは単なるマイナスだが、二十代なら一年間の遅れさえ、数時間で取り返せる。伸びるときは、一日で伸びる。それが「若い」ということだ。

僕は、引きこもりやニートを責める気になれない。いま停滞していても、若いうちなら取り返せる可能性があるからだ。


秘密保護法に反対せねばならないのは、裏でこういう話が進んでいるからだ。「児童ポルノ禁止法改正で宮沢りえ『サンタフェ』所持も犯罪か」(
今年5月の国会では、『ドカベン』の妹の入浴シーンが例に挙げられた。『ドカベン』という例は、非常に回りくどい。はっきり、「エロ漫画が根絶やしにされ、エロ同人誌を作成しただけで逮捕される時代になる」と言わないとダメ。表現の自由というより、「欲情の自由」が脅かされる。「お前ら、これを見て興奮したら逮捕だからな」「興奮したいなら、こっちだけにしろや」と、体制側にズリネタまで決められてしまう。ひらたく言えば、「異常性欲禁止法」だ。
どうだ、君たち。ひとり部屋で妄想する分には、誰が何に興奮しようと自由ではないのか? 結局、児ポ法改正は日本独特の「人の目」「世間体」にもとづく相互監視を強化し、性的マイノリティを追いつめるものでしかない。僕は、世の中にどんな変態がいようと、変態でいることによって心の自由が保たれるなら、その自由は鉄壁のガードで守られねばならないと思う。

国会議員や自治体首長の発言を見て、どう思う? 彼らの使う「常識」「当たり前」という言葉に暴力を感じるのは、僕だけだろうか?
女装バーで飲んでいたら、「女みたいな格好してるけど、しょせん、君らは男だろ」と絡んでいるヤツがいた。なんという無味乾燥な、殺伐とした野蛮な人間観だろう? 狭いバーの中、女装によって心の安寧が保たれるなら、誰に文句を言われる筋合いもない。「男なら男の格好をしろ」「男なら女にだけ欲情しろ」――この「常識」や「当たり前」が、人によっては耐えがたい抑圧になることを、必ず知っておかねばならない。他人の痛みを知らねばならない。

秘密保護法に嫌悪を感じるのは、力の強い側の一方的な常識、一方的な当たり前がまかり通る世の中になってしまうからだ。君や僕は、力の強い側に属しているか? 君が女子高生を買春しても逮捕されない体力自慢の警察官でもないかぎり、権力は君の部屋に、君の心の中に押し入ってくる。君が弱者なら、一ミリでもいいから権力側の横暴を押し返せ。


「僕らは、数知れず、アニメに救われてきた」と、同年代の友人と語り合った。僕らの世代でいうと、小学6年生でロボットアニメを見ていたら、「まだマンガなんて見てるの?」と笑われたものだ。
だけど、他人から見てどうであろうと、アニメを見ていなければ発狂するか自殺するかしてたんじゃないか……と思う。それぐらい深く「生」に直結しているのが、アニメであり、我ながら幼稚に感じるオタク趣味であり、ありとあらゆる表現や芸術であり、それらに貴賎はない。すべて、等しく尊い。人の心を解放するものは、すべて尊い。

そして、重厚長大な文学作品を読破することも、エロ同人誌をネタにオナニーすることも、個人の自由という意味では、まったく同じ行為だと僕は思う。ついつい、オナニーは汚いもの恥ずかしいものと切り捨ててしまいがちだが、あれをやらねば男子は救われない。秘密を持たねば、人は生きられない。
ヘンリー・ダーガーは、今でこそ「アウトサイダー・アートの巨匠」などと呼ばれているが、彼の作品は、彼自身にとって性的な秘密(ズリネタ)であったに違いない。偉大なる変態・ダーガーの作品を見るとき、僕は「アートもズリネタも、結局は同じものだ」と穏やかな気持ちになる。表現は「生」のみならず、「性」にも直結していることを、決して忘れてはならない。

他人を殺す自由や他人を強姦する自由を放逐すればいいのであって、変態でいる自由を奪うような世の中にしてはいけない。「人の心に命令はできない」(『ベルサイユのばら』)のだ。

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2013年11月 3日 (日)

■1103■

トークイベント『オッサンになったから、美少女フィギュアでも作ろうぜ!』
A日時:11月17日(日) 15時~17時 ※延長あり
場所:模型塾() 
出演:廣田恵介、べっちん、東海村原八
備考:入場無料

プラモデルにおける美少女フィギュア・キットのパンツ再現の歴史を語った『人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。』に続き、「実践編」として、自らフィギュアを自作しはじめたオッサン2人が模型塾に来る!

製作中のフィギュアを公開しながら、私とべっちん氏(某フィギュアメーカー勤務)が、あれこれ見苦しい言い訳をします。ツッコミ役は、模型塾で「フィギュア原型入門」などを開講しているプロモデラーの東海村原八氏。

「いまフィギュアを作っている」「これから作りたい」人にとっては、精神的ハードルが下がること請け合い。ちょっと模型の知識があったほうが、より面白いかも。
ネット配信もあります()。べっちん氏は『プリキュア』を作っているらしいので、このイベントに持って来させます。楽しみ!


変更があれば、当ブログで伝えていきます。よろしくお願いします。
★参考にどうぞ。GIGAZINE『見えない部分のパンツを作り込むフィギュアメーカーの技術力の無駄遣いを現役パッケージデザイナーが解説』(

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2013年11月 1日 (金)

■1101■

昨夜は、『かぐや姫の物語』マスコミ試写。
Main_largeここ数年、デジタルだ3Dだ……とにぎやかなアニメ業界だったけど、『アルプスの少女ハイジ』の作者は、淡々と8年間も、こんな作品をつくっていましたか。ノルシュテインが『話の話』をつくるように。
ハイジが長く愛されているのは、カルピスのCMではなく、作品の力だけで立ちつづけたからだろう。そうした、アニメがCMに堕す前の原初的な姿が、ここにある。製作には大手代理店が二つも並んでいるけど、彼らの手に負えるものではない。

プロット的に何にいちばん近いかというと、ディズニーのプリンセス物ではないかと思うんだけど、これは(製作委員会に参加している)ディズニーにはつくれない。手描きでないと不可能な表現が、随所にあるから。そして、78歳でここまで官能的な少女を描けるのは、まったくの脅威。
日本のアニメは、大変なところまで来てしまったが、題材が古典にリワインドするのは、ある種の限界のようにも感じる……古典以外の選択肢はなかった、とも思うけどね。


僕は事情があって、20代の終わりに、2歳の男の子と暮らしたことがある。その頃の記憶Sub02_largeを、皮膚感覚的に引きずり出された。子供って、確かにこういう動きをする。気味が悪いほどリアル。過度な誇張はない。地に足がついている。そこはやはり、高畑勲なんだよなあ。
もちろん、かぐや姫の動きも色っぽい。体重まで感じられるぐらい。こういうラフな絵だから、肉体の重さとか柔らかさが伝わるんだよ。

そして、ギャグは現代風。姫の周りでちょこまか動き回る女童は、誰が声をやっているんだろう?と思ったら、なんと僕の大好きな田畑智子じゃないですか。抜群に面白くて可愛らしいコメディ・リリーフ。こういう俗っぽい、カートゥーンにも通じるような笑いを残しているあたり、スケールがでかい。78歳のアニメ作家、底知れない。


プレスシートを読むと、高畑勲監督は「このような物語に、いわゆる今日性があるのかどうか」危惧しているようだけど、それは大丈夫。だって、こんな国だもん。偉い人ほど、ウソをつく。弱者ほど、損をする。これは、今の日本の話だよ。

いろんなことを思い出すと思う。庭で虫をつかまえたり、はだしで地面を駆け回っていたころ。雨にぬれることさえ、楽しかったころ。もっと言うなら、絵本で『かぐや姫』を知ったころの記憶。どんな気持ちでこの物語を知ったのだろう、なかなか思い出せない。
月からのお迎えは、あんなにも美しく、あんなにも不気味なものだっただろうか? この国には、まだまだ掘り返すべき宝が埋まっている。

いい物をつくろう、次はもっといい物をつくろう……という高畑・宮崎による半世紀のトライアルは、とうとうゴールに達したのだな。この作品は何十年も残るだろうけど、ゴールした瞬間を見られた僕たちは、つくづく幸せだと思う。みんな、もっと嬉しそうにしないと。
カッコつけて「俺はジブリ作品は見ない」とか言ってる場合じゃない。ジブリがどうとかいう問題じゃないんだよ。自分たちの接している文化を、もっと尊重しないといけないんだ。
作品の運命を決めるのは、作者ではない。観客が主体性をもたないといけない。やっぱり、日本のアニメ、こんなに放埓で面白い文化は、世界に二つとないんだよ。

(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

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