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2013年11月 1日 (金)

■1101■

昨夜は、『かぐや姫の物語』マスコミ試写。
Main_largeここ数年、デジタルだ3Dだ……とにぎやかなアニメ業界だったけど、『アルプスの少女ハイジ』の作者は、淡々と8年間も、こんな作品をつくっていましたか。ノルシュテインが『話の話』をつくるように。
ハイジが長く愛されているのは、カルピスのCMではなく、作品の力だけで立ちつづけたからだろう。そうした、アニメがCMに堕す前の原初的な姿が、ここにある。製作には大手代理店が二つも並んでいるけど、彼らの手に負えるものではない。

プロット的に何にいちばん近いかというと、ディズニーのプリンセス物ではないかと思うんだけど、これは(製作委員会に参加している)ディズニーにはつくれない。手描きでないと不可能な表現が、随所にあるから。そして、78歳でここまで官能的な少女を描けるのは、まったくの脅威。
日本のアニメは、大変なところまで来てしまったが、題材が古典にリワインドするのは、ある種の限界のようにも感じる……古典以外の選択肢はなかった、とも思うけどね。


僕は事情があって、20代の終わりに、2歳の男の子と暮らしたことがある。その頃の記憶Sub02_largeを、皮膚感覚的に引きずり出された。子供って、確かにこういう動きをする。気味が悪いほどリアル。過度な誇張はない。地に足がついている。そこはやはり、高畑勲なんだよなあ。
もちろん、かぐや姫の動きも色っぽい。体重まで感じられるぐらい。こういうラフな絵だから、肉体の重さとか柔らかさが伝わるんだよ。

そして、ギャグは現代風。姫の周りでちょこまか動き回る女童は、誰が声をやっているんだろう?と思ったら、なんと僕の大好きな田畑智子じゃないですか。抜群に面白くて可愛らしいコメディ・リリーフ。こういう俗っぽい、カートゥーンにも通じるような笑いを残しているあたり、スケールがでかい。78歳のアニメ作家、底知れない。


プレスシートを読むと、高畑勲監督は「このような物語に、いわゆる今日性があるのかどうか」危惧しているようだけど、それは大丈夫。だって、こんな国だもん。偉い人ほど、ウソをつく。弱者ほど、損をする。これは、今の日本の話だよ。

いろんなことを思い出すと思う。庭で虫をつかまえたり、はだしで地面を駆け回っていたころ。雨にぬれることさえ、楽しかったころ。もっと言うなら、絵本で『かぐや姫』を知ったころの記憶。どんな気持ちでこの物語を知ったのだろう、なかなか思い出せない。
月からのお迎えは、あんなにも美しく、あんなにも不気味なものだっただろうか? この国には、まだまだ掘り返すべき宝が埋まっている。

いい物をつくろう、次はもっといい物をつくろう……という高畑・宮崎による半世紀のトライアルは、とうとうゴールに達したのだな。この作品は何十年も残るだろうけど、ゴールした瞬間を見られた僕たちは、つくづく幸せだと思う。みんな、もっと嬉しそうにしないと。
カッコつけて「俺はジブリ作品は見ない」とか言ってる場合じゃない。ジブリがどうとかいう問題じゃないんだよ。自分たちの接している文化を、もっと尊重しないといけないんだ。
作品の運命を決めるのは、作者ではない。観客が主体性をもたないといけない。やっぱり、日本のアニメ、こんなに放埓で面白い文化は、世界に二つとないんだよ。

(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

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