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2013年10月21日 (月)

■1021■

月刊モデルグラフィックス 12月号 25日発売予定
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●組まず語り症候群 第12夜
サブタイトルは「こまかく彫られたコマだから」。前回のつづきで、ズベズダ・ネタです。この連載も、「まあ休み休み、適当にやろう」と言いながら、一年間つづきましたね。

「そろそろ、一冊にまとめましょうか」と言われているけど、なんか考えないとね。付加価値を。できれば、500円ぐらいで紙質も粗悪で、すぐ捨てられるような本だと嬉しいんだけど……(薄っぺらいのに3千円とか、心が痛むじゃん)。


そろそろ、めんどくさい話でもしましょうか。

まず、秘密保全法(特定秘密保護法案)。これに反対するFAXを、私の住む東京22区の国会議員・伊藤達也先生の事務所に送っておきました(旅行前に)。伊藤先生は自民党なので、特に何の考えもなく、賛成なさるんでしょうか。
藤原紀香が、この秘密保全法の危険性をブログで訴えたところ、公安にマークされたとか、されなかったとか。

で、こうやって「FAXした」「抗議した」などと言うと、「議員の事務所に迷惑だろ」「威力業務妨害だな」と、個人が自由意志で何かやる分には、非常に厳しいのな。君たちは。
組織の人間が、組織のためにやることには、あきれるほど寛大な君たち。「左翼のクソども」とツイッターに書くような官僚を、「官僚も大変だなあ」などと、気味悪く気づかってしまう君たちは、たんに権威に弱いだけなのだろうか。

警察官は、自分の腕力でねじ伏せられそうな、見るからに弱そうな相手にしか、職質しない。屈強な黒人に立ち向かう勇敢な警官なんて、日本にはいない。立ち向かうとしたら、10人20人30人で取り囲むんだろうな。それが最も身近な、「個人と組織」のグロテスクな関係さ。
街を歩いているとき、好きな場所へ向かっているとき、僕も君も「個人」でしかない。無限に自由な個人。その自由を奪うのは、常に組織。この、胸のむかつくほどの圧倒的な彼我戦力差を、まずは認めなくてはならない。

自由は、木の葉のように軽やかだ。だが、木の葉は、マッチ一本で燃やされてしまうほど脆弱でもある。


大阪大学の一年生にアンケートをとったら、いま稼動中の原発がゼロだと答えられた学生は、113人中17人のみ()。
僕は、どこの大学も似たようなものだと思う。だから、明大で講義に立つことを、今年からお断りした。「助かろうと願っていない人間は、決して救うことができない」。これは、大震災で被災した旧友と話してみて、実感したこと。

上のアンケートを見ると、食べ物の産地を気にしない学生が64パーセント。助かろうと思っていない人たちは救えないので、僕からは、特に言うことはない。
スーパーやコンビニで、割と普通に買い物してても、意外と大丈夫なんじゃない?と、僕は思っている。だけど、自治体や農水省、食品業者に問い合わせてみ? そのルーズさに、唖然とするよ。

だけど、僕らは許してしまう。根拠薄弱、意志薄弱にも許してしまう。「許す」というのは、責任を手放すということだよ。「許さない」と決めた瞬間、ズシッと重たくなる。みんな、その重いのがイヤなだけだ。違うかい?
オリンピックだって、「いーよいーよ、決まったことだ」で許しているだろ? 僕はオセロゲームの盤面が真っ黒になっても、最後までひっくり返らない、白いコマでいたい。

自由は、木の葉のように軽い。薄くて上等なシャツのようなものだよ。その自由を満喫するのに、誰の許可を得る必要もないはずだ。僕も、君も。そうだろう?
だから、「オイコラ、止まれ」と職質してくる警官のような類い、権力を拡大しようとする連中を「いーよいーよ」で許すつもりは、毛頭ないのです。

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