■0829■
シメキリは、早い時期に言ってほしい、と思う。早ければ早いほど、対策も早く立てられるから。グズグズと言いよどんだ挙句、「……実は、明後日までなんです」なんて言われたら、他の仕事に、ぜんぶ影響してしまう。
僕の歳になると、「体力がある」前提ではなく、「体力がない」前提でスケジュールを考えないといけない。猪突猛進は、しない。寝る時間を、まず確保。眠る前に、チャッチャッとできる仕事もある。同じ「書く」仕事にも、種類がある。それを把握しないとダメ。
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先日、「勇気を持つ」とは「残酷さと正直さを、同時に持つこと」と書いた。
正直に、なおかつ冷酷なまでに事実を直視せねば、勇気を持つことは出来ない。どんよりとした優しさなら、誰でもすぐ手にできる。
この国は、なんとなく甘ったるく、事実を感情でくるんで曖昧にする傾向がある。仕事がデッドエンドに向けて突進しているのに、「気合いで乗り切れ!」みたいなことを叫んでごまかす。
放射能汚染に危機感を持っている人でも、ぼんやりとネットの情報を眺めている人と、自ら数値を求める人とでは、対応が違ってくる。
早い時期から、海外製のガイガーカウンターを買った人は、機械のクセなどを折り込んで「この数値はアテにならない」「こういう場所では、高めに出て当然」と、自らの手で事実に触れている。(ちなみに、僕はエステーのエアカウンターしか持ってないので、危機感もそれなりである。)
「自分で調べる」といえば、市民測定所の「にっこり館」さんは、かなりのつわものだ。
僕は身のまわりの汚泥、公園の土、水道水などを測ってもらったのだが、数値しか言わない。ただ、今までの実測データと比べて、高いか低いか示してくれる。
以前、「避難すべきかどうか」と、悩んでいるお母さんが来館していた。にっこり館さんはデータを示しつつも、「でも、避難するかは、僕が決めることじゃありません」と冷徹だった。それが「勇気」ってことじゃないか……。
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ところが、放射能に危機感を持っているくせに、市民測定所に検体を持ち込むでもなければ、まして金銭的な支援などまっぴら……という人たちがいる。「金はらってまで、情報を得たくない」人の感覚は、それなりにアバウトで無責任だ。
同様に、「東電、絶対に許さない」「自民党、本気で許さない」とネットに書いて、許してしまっている人がいる。
本気で許せなければ、告訴・告発すればいい。方法は、ネット検索すれば、山ほど出てきます。「法テラス」に電話すれば、相談にのってくれます。そんな手間すら惜しんでいるくせに「許さない!」とは、片腹いたい。
同様に、「放射能なんて恐れるに足りない」という人も、手間と金を惜しんではいけない。
僕は、「カリウムなら安全だ」と言える。品川の放射能プレミアムドックセンターで、自分の体内を調べてもらって、カリウムがいっぱい検出されたから(笑)。
「セシウムが大量に出たら、どうしよう?」と怖かったけど、これぐらいはやらないと。ネットの受け売りで「バナナにカリウムが入ってるから、放射能は安全」と念仏を唱えている人は、むしろ可愛らしいぐらいだ。
品川の施設が信頼できるかどうか、ではない。「測りに行った」「数値を見た」という個々のプロセスが、説得力になるのだ。
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半藤一利と宮崎駿の『腰抜け愛国談義』を読むと、「どうして、この飛行機は落ちやすかったのか?」という話題で、盛り上がっている。
そういう具体的な事実から入らないと、戦争は語れない気がしてくる。みんな、初めから漠然とした理想から入りすぎなんだよ。「金より命!」と、よく脱原発デモのコールで聞いたけど、無粋なツッコミを入れるなら、金がないと命は守れない。貧乏は、生きていく気力すら、容赦なく奪う。
だから、仕事がうまく進まないけど、「気合いで乗り切ろう!」というのは、勇気ではないですよ。コレとコレが致命的に足りないから、○日後をメドに……と具体的に計画しないと、乗り切れない。
目の前の惨事を、グッと真正面から見つめないと、対応策なんて出てこないです。
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