■0710■
しばらく細かい仕事が続きそうなので、『アヴェンジャーズ』をレンタルしてきて、映画欲を満たしておこうと思った。眠いのを我慢して見つづけるぐらい、面白かった。アメコミに興味は薄いし、それぞれのヒーローが活躍する映画をすべて見たわけでもないが、それでも最後まで見させる、というのは、実は凄い力量だよ。
ひとりひとりのヒーローごとに、出自も抱えている事情も異なるので、なかなか結束できない。それは、アメリカが単一民族で構成されていないからですよ。「差異」を描くから、強靭な社会性が浮かび上がるわけ。こういう、子供も見られるようなCG大作ですら。
個人が、それぞれの事情を貫こうとするから、衝突が生まれる。まず、個人が己を確立していないと、社会が生まれない。映画の3分の2ぐらいは、その衝突を描いている。
「みんなと一緒」が大好きな日本人には、『アヴェンジャーズ』は、永遠につくれないね。
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3ヶ月ぶりに、プラモデルを作って、[fg]に投稿した(■)。デイリーで10位なので、お手軽に作った割には、なかなかの評価。
すると、またクロアチア旅行の準備が、頭をかすめる。このサイクルは何なのだろう? 特に、ロシアのホテルに泊まるためのトランジット・ビザ。個人で取得するのが、やはり大変。
業者に代行を頼むと、一万円ほど、とられる。
自分には、自失願望みたいなものがある。旅先では、自分は何者でもない。
ただ単に、食事や景色を楽しむだけの「主体」のみでありたい。いつもの、暑苦しく、あつかましい態度からは、考えづらいかも知れないが――本当はいつだって、その境地に至りたいと思っている。
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「主体性を持つ」とは、他人と、社会と、関係を結ぶことだ。つまり、われわれオタクが、もっとも不得手とすることだ。
『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』は、予想に反して、とても面白いアニメだった。
主人公は、世間の価値観を軽蔑しながら、世間に自分の居場所を確保しようと、懸命になっている。唾棄すべき世間と折り合いをつけなれば、彼女は「女子高生」になれないと信じており、おそらく、それは正しい。
「この人は、何と戦ってるんだろう?」と口にできる者は、主体性を得るために、悪戦苦闘したことがないチキンだ。「私は、○○オタです」などと開き直り、早々と安易な居場所を見つけてしまった面倒くさがり屋だ。
強すぎる自我を飼いならし、社会と関係を結ぶ。それが戦いでなくて、何であろう?
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僕らは、どういうわけか、学校から「就職しろ」とだけ、教えられてきた。「経済活動に参加せよ」と。「そうすれば、大人の仲間入りだ」と。ウソだったね。
違うと思ったときに、自信と責任と勇気を持って、「違う」と言えるのが、大人だよね。ところが、組織にもたれかかって、「まあまあまあ……」と、波風たたせまいと、ウソの笑顔をつくるのが「大人の対応」とか言われている。
自分で、「大人の対応」とか言っちゃうバカもいるしね。「大人の事情」とかさ。
自分の利にならなくても、「違うぞ」と言えるのが、大人じゃないか。「経済活動に参加すれば、一人前」とウソを教えるから、誰も彼もが、「金をせしめてナンボ」という考え方になってしまった。
そんな社会に対して、「怒らない」「穏便にすます」ことが、また「大人の美徳」みたいに言われている。学校教育も間違っているが、社会に出てからの教育も、また大失敗しているわけだ。
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