■0730■
5月6日に行ったマチ★アソビのトークショー、ワンフェスがらみでGIGAZINEさんが記事にしてくださいました。『見えない部分のパンツを作り込むフィギュアメーカーの技術力の無駄遣いを現役パッケージデザイナーが解説』→■
約3ヶ月前ですけど、あの遊歩道で、たった45分で大急ぎで解説したのは、間違いではなかったと確信できました。
もちろん、現地でお客さんが道いっぱいに集まってくれたとか、ニコ生とか取材陣が熱くプッシュしてくれたりとか、現地の評判も上々だったのですが。
東京に戻ってから、6月30日に完璧版として『人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。』を開催しました。→ ■
ただ、この時は「限られたお客さん向けでいいんだ」と、僕がだらけてしまって、べっちんさんと前田久さんに頼り切ってしまった……なので、3時間もかかったんだと思います。
マチ★アソビ、あの開放された場の空気は、忘れられない。
だからこそ、あそこに依存してはいけない気がする。GIGAZINEのNさん、今になって掲載してくれて、ありがとう!
■
たぶん、残りの人生で作れる模型って、そういくつも残ってない気がする。
いま、『魔女の宅急便』のキキを作っているけど、パンツは作ってないです。それより、顔が難しい。「人間の口は穴ではなくて、立体だ」と考えはじめた途端、アニメの設定画は、ほとんど役に立たなくなる。
じゃあ、口が立体だとして、どこまで形を追うのか? 筋肉を意識しすぎると、ボディビルダーのような体形になってしまう。だから、フィギュア・モデラーの人たちは、うまい落としどころを探し当てているはずなんだ。
かと言って、上手い人のコピーをするのは、また別の技量であって、コピーするには僕は歳をとりすぎた。無限に時間があれば、無限に作っていたい。
ところが、本気で、心の底から作りたいものは、ある程度の歳にならないと分からない――それは、悲劇だと思う。
若くて野心があって、もっとも技術が研ぎ澄まされている時期、「本気で作りたいもの」と出会えた人間が、成功するんだと思う。
模型でも、絵を描くんでも。小説家なんて、特にそうじゃないかな。
■
エンジニアの友人がいる。彼は、10年近く前に、自ら設計した装置を、ひさびさに目の前にした。そうしたら、以前のように「次はここを改良しよう」「もっといい機械を作るぞ」とは思えず、ひたすら懐かしいだけだったんだそうだ。
残酷なようだけど、それは「創造的な人生の持ち時間」が過ぎた……、ということなのだろう。その事実を認められないオッサンが、いかに多いか。
「まだまだ若いもんには負けられん!」って、それが一番、若者に迷惑なんだよ。社会の害悪なんだよ。
我が物顔で第一線に立ちつづけていいのは、他人に才能を認められた者だけだと思う。(誰にでも、ひとつは才能がある。しかし、才能は小さな生き物のようなもので、僕たちより早く衰え、いつの間にか死んでしまっている。)
最近、夜中に起きだして、眠いのにヤスリがけしている。才能に先立たれたんだから、せめて、「やる気」だけは手放したくない。
7月も、もうすぐ終わりだし。
■
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)