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2013年7月30日 (火)

■0730■

5月6日に行ったマチ★アソビのトークショー、ワンフェスがらみでGIGAZINEさんが記事にしてくださいました。『見えない部分のパンツを作り込むフィギュアメーカーの技術力の無駄遣いを現役パッケージデザイナーが解説』→
約3ヶ月前ですけど、あの遊歩道で、たった45分で大急ぎで解説したのは、間違いではなGig_3832_2かったと確信できました。
もちろん、現地でお客さんが道いっぱいに集まってくれたとか、ニコ生とか取材陣が熱くプッシュしてくれたりとか、現地の評判も上々だったのですが。

東京に戻ってから、6月30日に完璧版として『人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。』を開催しました。→ 
ただ、この時は「限られたお客さん向けでいいんだ」と、僕がだらけてしまって、べっちんさんと前田久さんに頼り切ってしまった……なので、3時間もかかったんだと思います。

マチ★アソビ、あの開放された場の空気は、忘れられない。
だからこそ、あそこに依存してはいけない気がする。GIGAZINEのNさん、今になって掲載してくれて、ありがとう!


たぶん、残りの人生で作れる模型って、そういくつも残ってない気がする。
いま、『魔女の宅急便』のキキを作っているけど、パンツは作ってないです。それより、顔が難しい。「人間の口は穴ではなくて、立体だ」と考えはじめた途端、アニメの設定画は、ほとんど役に立たなくなる。

じゃあ、口が立体だとして、どこまで形を追うのか? 筋肉を意識しすぎると、ボディビルダーのような体形になってしまう。だから、フィギュア・モデラーの人たちは、うまい落としどころを探し当てているはずなんだ。

かと言って、上手い人のコピーをするのは、また別の技量であって、コピーするには僕は歳をとりすぎた。無限に時間があれば、無限に作っていたい。
ところが、本気で、心の底から作りたいものは、ある程度の歳にならないと分からない――それは、悲劇だと思う。

若くて野心があって、もっとも技術が研ぎ澄まされている時期、「本気で作りたいもの」と出会えた人間が、成功するんだと思う。
模型でも、絵を描くんでも。小説家なんて、特にそうじゃないかな。


エンジニアの友人がいる。彼は、10年近く前に、自ら設計した装置を、ひさびさに目の前にした。そうしたら、以前のように「次はここを改良しよう」「もっといい機械を作るぞ」とは思えず、ひたすら懐かしいだけだったんだそうだ。

残酷なようだけど、それは「創造的な人生の持ち時間」が過ぎた……、ということなのだろう。その事実を認められないオッサンが、いかに多いか。
「まだまだ若いもんには負けられん!」って、それが一番、若者に迷惑なんだよ。社会の害悪なんだよ。
我が物顔で第一線に立ちつづけていいのは、他人に才能を認められた者だけだと思う。(誰にでも、ひとつは才能がある。しかし、才能は小さな生き物のようなもので、僕たちより早く衰え、いつの間にか死んでしまっている。)

最近、夜中に起きだして、眠いのにヤスリがけしている。才能に先立たれたんだから、せめて、「やる気」だけは手放したくない。
7月も、もうすぐ終わりだし。

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2013年7月27日 (土)

■0727■

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を、レンタルで。
001_mainこの映画は、3月のクロアチア旅行の機内で上映されていたが、なんとなく、英語が分からなくても楽しめそうな『ホビット 思いがけない冒険』を選んでしまって、未見だった。
CGをふんだんに使った、人工美あふれる映像は、好みが分かれるだろうけど、僕は好き。ヒンドゥー教の世界観に、マッチしている。

生きのびるために殺めた魚、吹きあれる嵐をも「神」と認める世界観は、魅惑的だ。あらゆる現象、あらゆる感情に、目に見えない根拠があるわけだから。
だけど、日本人には信仰心がないって? ――日本人は「テレビで言っていた」から信じる、「テレビに出てないから」信じない、マスコミ教です。
簡単に泣けて、簡単に笑えるテレビ的な映画が、日本人向けなのかも知れないね。


僕が雑誌やムックに書きつづける理由は、世の中に、ちょっとでも役立ってほしいから。
アニメのことで、少しだけ知識が広がったとか、監督の考え方が興味深いとか、あるいは好きなアニメの記事が載っていて、いいヒマつぶしになったとか……読者に、そう思ってもらえることが、第一の任務だ。

「どうでもいいから書き飛ばして、さっさと金を貰う」だけのライターも、いるかも知れない。家族を養っていくために、質を問わずに仕事している人を、否定はしない。貧乏のつらさも、僕はよく知っている。
ただ、出版にかぎらず、みんな、目先の損得を考えすぎる。怖いぐらい、自分の損得勘定を最優先する。

知り合いが、「ちょっとは金だせるから、取材しない?」とか言ってくる。「これはいい作品だな、広めたら世の中にプラスになるな」と僕が思ったんなら、こっちから「ぜひ、取材させてくれ」と言うよ。「金やるから」という理由では、動けない。
僕らの仕事は、読者の「余暇」に奉仕しているんだから、質が問われる。誠実であらねばならない。「金になりゃ、何でもいいだろ」「金払うんだから、従えよ」という考え方には、とうてい同意できない。


「自分の得になるものが善、損になるものが悪」と割り切ってしまうのは、受験勉強がそうだし、社会もそういう構図になっているからね。
試験の前になると、他人のノートをコピーしてたでしょ。罪悪感もなくカンニングもやる。そんな小手先で切り抜けられてしまうほど、甘っちょろい試験しか課せられない無能なクソ教師、お手軽に「教育」で稼ぐ大人が、まずはゴミクズ。

他人の丸写しを「これが私の答えです」と提出できてしまう、不勉強で恥知らずな学生ども。
そんな幼稚な世渡りが、まんま通用してしまう社会の仕組み。組織にとって得になることなら、犯罪レベルのウソでも、ついてしまう(「会社ぐるみ」ってヤツね)。その反面、個人に対しては罰しか与えない。みんな、他人のあら探し、揚げ足とりばかり熱心。

インターネットが、それを加速させている。Youtubeに、犬がキュウリを食べている動画があるんだけど、「腎臓に良くないので、与えないほうがいい」なんてコメントを寄せるヤツがいる。世の中には「間違い」と「正解」しかないと思っている。そして、自分は常に「正解」サイドに立っていたい。間違いたくないから、独自の思考をせず、まして行動するでもなく、ただ「判断」しかくださない。
正義ですらない。世間に対して「正しさ」をキープしていたいだけ。そのためには、他人が損してもいい。理由なんかない。思想もない。ただ、マジョリティに属していたい。それが今の日本人。本当にクソッタレ。

どんなに孤独でも、自分の信じるもの、美しいもの、尊いもの、守りたいもの、失って惜しいものを持ちつづける。そのためには、自分が損したっていい――いろいろ失うと、ちょっとの損得なんて、気にもならなくなるよ。

(C) 2012 Twentieth Century Fox

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2013年7月24日 (水)

■0724■

月刊モデルグラフィックス 9月号 明日発売
Mg
●廣田恵介の組まず語り症候群 第九夜
今回のサブタイトルは、「思春期のパラダイス・ロスト」。
ネタは編集部から振られたのですが、先日のイベント()と、けっこうシンクロする内容となりました。

イマイの1/12リン・ミンメイをお題にしていますが、あのキットを、けっこうセクシーに改造した人がいて。やっぱり、世の中に「救いようのないキット」なんてないんじゃないか?と、改めて思うのでした。


『パシフィック・リム』、マスコミ試写。ちゃんと3Dで上映された。
例によって、レビュー記事には書かない、個人的感想をメモしておく。
Pacificrimギレルモ・デル・トロ監督は、アクション物より、『パンズ・ラビリンス』の印象が強い。あの映画も現実と内面のふたつの世界が描かれたが、『パシフィック・リム』も、そういう構造になっている。
そのため、うっすらとセンチメンタルな雰囲気が生じ、「とにかく敵を倒せ!」的なハリウッド大作にくらべ、ややテイストが柔らかい――。

社会性より、個人の過去に軸足を置いた映画で、思ったよりも好戦的ではない。ロボットは、怪獣に対して容赦しないんだけど、それでも、どこか「仕方なしに戦っているんだ」というムードが漂う。
(バトル・シーンそのものは、『ロボ・ジョックス』の超豪華版という感じで、70年代のロボット・アニメ風。)

基地のシーンと夜景が多いので、ラストの青空に開放感があって、すごく綺麗だった。薄曇りではあるんだけど、ちゃんと青空を大きくフレームに入れているのが、良かった。映画の思想って、そういうところに出てしまうので。
だけど、画面の多くを占める密閉感、閉塞感は、やっぱり『パンズ・ラビリンス』の監督なのだなあ……と、実は少し、嬉しかった。

(あと、どこにどういう扱いで出るかは言わないけど、「原子力」と「被曝」。そのまま上映するのが正しい姿だが、ギクリとした日本人は少ないだろうな……。)


ホラー映画のレビューブログ『ホラーSHOX [呪]』のtinkerさんが、「映倫とMPAAを比較する内容の英文記事を準備中」とのこと()。
『ぼくのエリ 200歳の少女』に加えられた無残な処理に関する僕の記事も、参考にしていただいているようだ。

小学校の頃、たまに体育館で、子供向けのチャチな映画を、上映してたんですよ。みんな、周りに合わせて大爆笑していたけど、俺は真面目に見ていなかった。隣の子が、「どうしたの? 面白くないの?」と不思議そうに聞いてきたのを、覚えている。
小学二年生だったけど、教師が見せる映画なんて面白いわけないじゃん、と分かっていた。洗脳されないためには、大人が「見るな!」と言っているものを見るしかないと、なぜか、それだけは直感していた。

だから、映倫のような機関が「見るな!」と言っているなら、彼らの化けの皮をはいでやらないといけない。
僕らを正気に保ってくれるのは、野に放たれた映画、漫画、アニメ――エロもグロも雑多になった「その他いろいろ」だけなんですよ。規制なんてさせてたまるかって話。
tinkerさんの試みを、支持します。

(C)2012 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.AND LEGENDARY PICTURES FUNDING,LCC

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2013年7月22日 (月)

■0722■

ここのところ、ずっと「選挙」「山本太郎」とうるさかったと思うが、彼は66万6,684票を集めて、見事に当選した。山本は「これからが茨の道」とコメントして、万歳すらしなかったという。そりゃそうだよ、最初から覚悟していたことだもの。

児童ポルノ法規制強化に反対していた共産党の吉良よし子さん、最初は彼女に投票するか迷っていたので、彼女も当選して、まずは良かった。

山本太郎が落選したら、僕はもう、何もかもあきらめるつもりでいた。
なぜって、2011年3月15日、関東で外に出てしまった人々は、ほぼ全員、被曝しているから。
そのときの被曝が原因で死ななくとも、情報を公表しなかった日本政府に「被曝させられた」のは、万人に等しい事実だ。

実は、食べ物からの被曝は、少ないとも言われている。確かに、高い数値を出す品目は、いくつかに偏っている。それらに注意すれば、食品からの被曝は、避けられるのかも知れない。
しかし、各自治体、JA、小売店、農林水産省、厚生労働省に問い合わせをつづけ、彼らが「汚染されてようが何だろうが、とにかく食品を流通させたい」としか考えていないことを、知ってしまった。

「原発は必要だよ」「この放射脳がw」と笑っている人たちも、みんなが政府に棄てられた。
誰もが、その事実を認めたくない。こんな残忍酷薄な現実に、対峙したくない。僕だって、どうやって鈍感になろうか、現実から目をそむけようか、あれこれ考えた。
しかし、山本太郎が当選した。「まずは、脱被曝」と、彼は言っている。僕は、自分の家のベランダに積もっていた3,000Bq/kgの汚泥のこと()を、思い出さざるを得ない。

すなわち、現実をもう一度、直視せざるを得なくなったのだ。


若い友人から、『風立ちぬ』の感想が送られてきた。
彼は、自分の「10年間の創造的人生」が、もう終わってしまったのではないかと危惧していたが、とんでもない。これから始まるんだよ。
創造的な10年間が通りすぎてしまった人間には、よく分かる。

「お前なんか、どこで創造的な仕事したよ?」と笑われるだろうが、だから、たいした10年ではなかったし、創造的でもなかったってことです。
瞬間的に、「今ここで俺がやらないと、成立しないな」って記事は、いくつかあったかも知れない。だけど、読者からは、とっくに忘れ去られている。

宮崎駿自身について言えば、僕は86年の『ラピュタ』から、97年の『もののけ姫』までが、最も創造的だったと思っている。
「『もののけ姫』なんて、『ラピュタ』よりつまんないじゃん?」といったレベルの話ではない。現場で何をしたか、どういう現場をつくったか、誰とケンカして誰に影響を与えたのか? そういう細々した人間関係も含めて、「仕事」なんだよ。


だから、僕は若くてガツガツした編集者に対しては、不気味なほど、忠実だよ。「彼らの仕事を手伝う」意識でいるから。
歳くって場数を踏むほど、感性は鈍磨していく。その残酷な事実を認められない中年は、的外れな企画ばかり出して、「?」という顔をされるわけだ。

『ナウシカ』のプラモデルを作り、[fg]で公開した()。
Aこれだって、結局は余技だからね。10代後半~20代前半の頃の「誰にも負けないものを作ろう」という意欲は、とうに霧散している。

老いは「失っていくこと」に他ならない。その止めることのできないマイナスと、どう向き合っていくのか。
人生の愉悦を味わったものほど、それを考えなくてはならない。

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2013年7月19日 (金)

■0719■

ザ・テレビジョンCOLORS Vol.1 本日発売
20130719c_b
●『風立ちぬ』レビュー
色の使い方についてのコラムも含めて、やや長めに書きました。

●ジブリヒロインと“赤”の関係
ストーリーの進行、キャラの心理に応じて、服を寒色系から暖色系に着がえさせる……など、キャラ絵、セル絵の色づかいの特性を、なるべく分かりやすく解説した考察記事。
過去のジブリ作品の場面カットも、豊富に使わせてもらいました。


一緒に仕事していて気持ちいいのは、ビジョンが明確な人。
ビジョンがある人は、最初に出す指示が的確なので、デザインが上がってから、「やっぱり違う」と、ちゃぶ台返ししない。

それと、「編集部の意向」「会社の意向」などではなく、「自分の意向」で修正指示を出す人も好き。
「編集部とも相談したんですけど」と一言ついた瞬間、責任逃れしているように感じる。「修正したほうがいいという話が出ておりまして……」と、そんな主語の欠落した指示になんか、従うわけがない。

組織の都合を出すと、どうしても誇張や誤謬が入り、誠実さがそがれてしまう。


山本太郎が、三鷹駅に街宣に来た。たまたま、今日は取材も打ち合わせもないので、歩いて行ってきた。
Ca6ve377脱被曝、反TPP……実は、話にそれほどの新味はない。ただ、それらの現状に対して、「今のメディアじゃ、今の国会議員じゃダメなんだ」という苛立ちが、ストレートに伝わってきた。
本来、仕事するはずのヤツらが何もしてない、楽をしていることへの猛然とした怒りが、根底にある。そこに、強く共感する。

もうひとつ。自分が国会議員になることで、風向きを変えられる、風通しをよくすることが出来る……と、山本太郎は言う。だけど、この国が救われるとか、景気が良くなるみたいな調子のいいことは、決して口にしない。
当て推量だが、「自分が政治に参加することは、延命治療にすぎない」と思ってるんじゃないかな。自分は、救世主ではないし、そもそも世界は(完全には)救えないよって。

そこまで楽観的で虫のいいことは、考えていないと思うんだよな、この人。だから、投票するわけだけど。東京の人しか投票できないので、間違えないでね。
(旅費を溜めたいんだけど、ちょっとだけ、カンパしてしまった……。)


あるアニメ監督さんが話していたけど、3.11の直後、「俺たちはこのまま、電気を使いながらアニメなんかつくっていいのかな?」と、真剣に悩んだらしい。
だけど、被災地の避難所で、スマホか何かでアニメを見ている女子高生がいたらしく、その話を聞いて、「やはり、俺はアニメをつくろう」と決意したって。

状況が悲惨であればあるほど、娯楽は必要なのだと、あらためて思った。

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2013年7月17日 (水)

■0717■

すっかり、プラモデル熱が戻ってきて、『風の谷のナウシカ』第3巻の、騎馬突撃のシーンを作っている。
A_6 このシーンは、宮崎駿本人が「よく描けた」と自賛しているほど、しっかり考えぬかれ、臨場感もある。ナウシカは、ちぎれた手や足の中を駆け抜けているから、塗装のときは、点々と血も描こうかと思っている。
ナウシカは流血を避けるために銃を抜くけど、結局は、敵兵を殺してしまう。

宮崎駿は、戦闘機ばかりか戦車、兵法や戦術などにも専門的に詳しいのに、反戦・平和主義という、矛盾を体現したような人。『風立ちぬ』も、「自民党が憲法改正をもくろむ危険な状況下、なぜ、ゼロ戦の話なんだ?」と、議論を呼ぶかも知れないね。

折りしも、石破幹事長が「命令を聞かない自衛隊員は、最高刑に処すべき」みたいなクソ厄介な発言をして、順調に支持率低下中の自民党の評判を、さらに落としているようだ。
政治家にかぎらず、「若者に兵役を課すべき」という言論人は、いろいろいるみたいだね。→

(宮崎駿は徴兵制には、はっきり反対している。)


母親を殺された立場から言うが、僕は犯人を「そろそろ許してやろうか」などと考えたことは、ただの一度もない。法廷では、僕は終始一貫して、最高刑を訴えた。つまり、「そんな危険な男は、さっさと死刑にしてくれ」と。

犯人は、「まだまだ、お前なんかに負けないぐらい、俺は鍛えてるぞ!」と、僕を脅すことがあった。飼い犬を「俺の判断で、あの犬は殺す!」と怒鳴ることもあった。
……ま、だから、歳くえばくうほど、暴力自慢したがるのが、人間のオスの遺伝子的欠陥なのだと思う。老いれば老いるほど、強いフリをしたくなるらしい。
老い先短い高齢者が、自民や維新に心酔して、朝の散歩がてら投票所に行くんだとしたら、迷惑な話だよ。

今は、国家が力を持ちすぎている。警官は、何もしてない市民を呼びとめ、あれこれ難癖をつけて、自由を奪うことが出来る。自民の街頭演説で、質問や意見のプラカードを出すと、怖い男たちに囲まれ、住所を調べられる。
そして今度は、僕たちの思春期を支えてくれたエッチなアニメやゲームを、政治家のオッサンたち、暴力自慢の死にぞこない達が、合法的に取り上げようとしている。(徴兵なんかの前に、救われる術を失った若者たちは、幻滅して自殺してしまうだろう……と、僕は割とマジに危惧している)。

僕の暴力観は、「殴られたら殴りかえしてもいい」。一方的に体力と権力のある者が、一方的に暴力を振るうのなら、こちらには、高性能のマシンガンを乱射する権利がある。
「暴力では、何も解決しない」などという心優しく慈悲深い態度では、ただ体力のある絶対強者に、不条理に殴り殺されてゲーム・セットだよ。
殴られたら、「痛い、くやしい、殴り返してやりたい!」と怒るのが、生きている証だ。


二年前の、たしか政府がSPEEDIの予測を隠して、僕らを被曝させた頃から、僕は地上波のテレビを見ていない。
いや、震災・原発事故の前から、何かのCMを見て、「これは洗脳メディアじゃないか」と思って、テレビをつけっぱなしにするのを止めていた。今では、録画したアニメと映画しか見ないが、CMはきっちり飛ばしてるよ。

ともあれ、テレビは簡単に政治家にまるめ込まれるので、安倍総理が名誉毀損で提訴されたことさえ、報道してないらしい。メシおごってくれた総理に不利になることは、報道しないってか? だが、テレビの主体性なきポチっぷりを、僕らは笑えるのだろうか?
優れてもない商品を「優れてますよ」とダマして売らねば、儲けにならないとかさ。明らかにウソだと分かっているに、見てみぬフリをしなきゃならないとかさ。本当のことを黙ってないと、ハブられるとかさ。それが、いまの日本でしょ?

この前、「山本太郎に投票する」と書いたけど、彼が百パーセント、正確なことを言っているとは思わない。だけど、彼は正直者だから。この動画を見れば、分かる。→
「ダメダメだけど、がんばっているヤツが好き」――これは、河森正治さんの言葉。そんな気持ちを、僕は山本太郎に感じる。

作品でも人でも、欠点を隠さず、それゆえに負けそうなヤツを応援するのが好きなんだ。
 

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2013年7月16日 (火)

■0716■

東京ウォーカー 7/30日号 本日発売
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●『風立ちぬ』レビュー
去年の夏は、同誌に『おおかみこどもの雨と雪』のレビューを書いたなあ……と、しみじみ思い出す。
『風立ちぬ』は、やっぱり、宮崎作品をずっと追ってきた人が、最後に見届けるべき映画。『雑想ノート』まで読み込んだ人が、いちばん面白く見られると思う。
もちろん、モデルグラフィックス誌の原作も、ちゃんと厚みを持たせて、生かしている(僕の好きな、クレソンばかり食べているドイツ人も、ちゃんと出てくる)。


友人に薦められて、『ゾンビランド』をレンタル。もう少し、気分的に重たいときに見れば良かった。それだけが残念。こんなに気持ちの軽くなる映画も、ひさびさ。
335210_01_01_02引きこもりで童貞の青年が、ゾンビだらけになった地球を、サバイバルする。ゾンビ殺しの達人や、詐欺テクニックに長けた美人姉妹たちとの、楽しいロード・ムービー。ゾンビ映画やホラーが苦手な人でも、これは大丈夫なはず。88分というコンパクトな上映時間も、小気味いい。

主人公が、最後に何を手に入れたか?というと、これが予定調和ギリギリのところで、「ああ、なるほどね」と思わせるモノローグでしめくくっていて、心がサッパリする。
そのモノローグの直後、彼らを乗せた車が、バーンと一匹のゾンビをはねて去っていくんだけど、それがすごく効いていた。単にアクセントをつけるための演出だったのかも知れないが、心強いというか、ホッとさせてくれた。

ゾンビ殺しの達人が、「俺の唯一の才能が、まさかゾンビを倒すこととはな……」と、妙な自信の持ち方をするのが、カッコよかった。ああいう風に生きたい。
彼が、「たまに何かを破壊しないと、気が狂うのではないか」と怖れているのも、よく分かるような気がした。


10月のクロアチア旅行、まずは、初日と2日目に泊まるザグレブの宿を予約。
あと、リエカで一泊、ロヴィニで二泊、最後にザグレブで、もう一泊のつもり。

もうひとつの懸案事項、ややこしいロシアのトランジット・ビザを、どうやって取得するか。申請用の写真だけは撮ってきたが、業者に頼むかも知れない。たった一泊のために一万円も出すのは、たいへん癪だ。

あちこちのブログで旅行記を読んだが、資金が尽きるまで、えんえんと各地を旅しつづけている女性がいるらしい(日本人ではないけど)。
僕は引きこもり体質だから、死ぬときぐらいは、どこか異国の路上で……と思っている。


先日の日曜、新宿で打ち合わせだったんだけど、「選挙フェス」というのが、渋谷で盛り上がっていたらしいね。→
官邸前の脱原発抗議も、代理店の連中のおかげで「フェス」みたいになってしまったので、いろいろ思うところはあるんだけど……都民として、山本太郎には入れようと思っている。
彼がチェルノブイリに行ったときは、「この人は何をしたいんだ?」と、かなり怪しく思っていたんだけど、今回は論点を明確にしてきたからね。

テレビしか見てない人にとっては、原発事故も何も、ぜんぶ終わったことみたいだね。俺はもう、「コレとコレは危険だから、食べないほうがいいよ」とか「原発はやめたほうがいいよ」とは言わない。俺は、客をだましてでも「カネさえ入れば、汚染なんてどうでもいい」と思っている食品業者の多さに辟易して、そいつらに加担するのがイヤなんだ。
こんな連日の猛暑なのに、原発2基しか動いてねーし。なのに、「こうしてエアコンが使えるのも、原発様のおかげです」と盲信している連中は、『続・猿の惑星』みたいだよね。

最近、公衆トイレの落書きって減ったでしょ? みんな、インターネットに書くようになったんだよ。顔を出して、声に出していえない後ろめたいことばかりなんだよ、日本人。
本気で言いたいことは、やはり相手の目を見て、言うしかないんだ。

(c)2009 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC ALL RIGHTS RESERVED.

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2013年7月13日 (土)

■0713■

EX大衆 8月号 本日発売
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●『機動戦士ガンダム』メインキャラ、その後の人生を大追跡!
これは、ひさびさに「ガンダムで何か記事やらない?」と聞かれて、「だったら、ファーストからUCまで、いろんなキャラが加齢していく様を並べたら、面白いかも」と思いついた企画です。

担当編集は、かぎりなく読者に近い視点に立っているので、何を載せるか載せないかは、彼のガンダム知識を尺度にします。コンビニで売る本は、「薄口」に調整することが、すごく大事。


だいたい、夏の間の仕事が詰まってきた。旅行前に、すべて終えられるだろう。
前回の日記に、「旅行に行くのは、自失願望があるから……」と、いうようなことを書いた。さて、ちゃんと「自失」できるだろうか?と、不愉快なことがあると、不安になってしまう。

僕が仕事で出会うのは、モノづくりをしている人がほとんどだ。彼らは、堂々としていて当たり前だし、こちらも謙虚になれる。
しかし、道ですれ違ったレベルなのに、やけに態度が大きく、いきなりタメ口をきいてくるような者に会うと、こちらが悪いことをしているような気分になってしまう。

相手に見下されているのだと分かるし、自分は見下されても仕方がないような外見をしているのだと、不意に気づかされる。
そのとき、40数年もかけて、ようやく得た自信――というか、心のやすらぎが、一気に崩れていくのを感じる。

僕は、劣等感を持ったことのないヤツ、悩んだことのないヤツが、最も醜いと思っている。


はるか以前にも書いたことだが、模型を作って、かつかつ食べていた25歳ごろのこと。

僕は、他のモデラーの人と会うため、模型屋の前で待ち合わせをしていた。そこへ髪の長い、女を連れた男が通りかかり、「俺もオタッキーになっちゃおうかな!」と大声を出した。「俺も、こんなの作っちゃおっかな!」と、ショーウィンドウの模型を指差して、通りすぎていった。
僕も、そのモデラーの人も、聞こえないフリをするのに必死だった。本当は「俺たちは、仕事で模型をつくってるんだ」「お前ごときに、真似できない技術を持っているんだ」と言い返したかった。

だけど、「即座に言い返せない」言語能力の無さ。それが致命的なのであって。
「他人のことなど気にせず、堂々としていればいいでしょう」「誰に何を言われても、気にしなければいい」……世間から返ってくる有り難いアドバイスなんて、そんな無責任な美辞麗句ばかり。

最初に嘲笑したヤツが、一方的に勝つ。そんな薄汚い、優しさのない社会に奉仕する価値なんて、本当にあるのか? だから僕は、世の中と接点を持ちたくないニートや引きこもりを、とても否定する気になれない。
嫌なことがあったら、逃げていいに決まっている。


だけど、どんな辛い思いをさせられても、世の中に復讐してはいけない。相手が弱ければ弱いほど、少しでも味方になれないか、考えてみてほしい。

世の中は、こんなにも理不尽だ。その理不尽さに加担するような真似だけは、やっちゃいけない。少しでも、息をしやすくしなければ。

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2013年7月10日 (水)

■0710■

しばらく細かい仕事が続きそうなので、『アヴェンジャーズ』をレンタルしてきて、映画欲を満たしておこうと思った。
Main_abf0200_comp_198668_large眠いのを我慢して見つづけるぐらい、面白かった。アメコミに興味は薄いし、それぞれのヒーローが活躍する映画をすべて見たわけでもないが、それでも最後まで見させる、というのは、実は凄い力量だよ。

ひとりひとりのヒーローごとに、出自も抱えている事情も異なるので、なかなか結束できない。それは、アメリカが単一民族で構成されていないからですよ。「差異」を描くから、強靭な社会性が浮かび上がるわけ。こういう、子供も見られるようなCG大作ですら。
個人が、それぞれの事情を貫こうとするから、衝突が生まれる。まず、個人が己を確立していないと、社会が生まれない。映画の3分の2ぐらいは、その衝突を描いている。

「みんなと一緒」が大好きな日本人には、『アヴェンジャーズ』は、永遠につくれないね。


3ヶ月ぶりに、プラモデルを作って、[fg]に投稿した()。
1デイリーで10位なので、お手軽に作った割には、なかなかの評価。

すると、またクロアチア旅行の準備が、頭をかすめる。このサイクルは何なのだろう? 特に、ロシアのホテルに泊まるためのトランジット・ビザ。個人で取得するのが、やはり大変。
業者に代行を頼むと、一万円ほど、とられる。

自分には、自失願望みたいなものがある。旅先では、自分は何者でもない。
ただ単に、食事や景色を楽しむだけの「主体」のみでありたい。いつもの、暑苦しく、あつかましい態度からは、考えづらいかも知れないが――本当はいつだって、その境地に至りたいと思っている。


「主体性を持つ」とは、他人と、社会と、関係を結ぶことだ。つまり、われわれオタクが、もっとも不得手とすることだ。
『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』は、予想に反して、とても面白いアニメだった。
主人公は、世間の価値観を軽蔑しながら、世間に自分の居場所を確保しようと、懸命になっている。唾棄すべき世間と折り合いをつけなれば、彼女は「女子高生」になれないと信じており、おそらく、それは正しい。

「この人は、何と戦ってるんだろう?」と口にできる者は、主体性を得るために、悪戦苦闘したことがないチキンだ。「私は、○○オタです」などと開き直り、早々と安易な居場所を見つけてしまった面倒くさがり屋だ。

強すぎる自我を飼いならし、社会と関係を結ぶ。それが戦いでなくて、何であろう?


僕らは、どういうわけか、学校から「就職しろ」とだけ、教えられてきた。「経済活動に参加せよ」と。「そうすれば、大人の仲間入りだ」と。ウソだったね。
違うと思ったときに、自信と責任と勇気を持って、「違う」と言えるのが、大人だよね。ところが、組織にもたれかかって、「まあまあまあ……」と、波風たたせまいと、ウソの笑顔をつくるのが「大人の対応」とか言われている。

自分で、「大人の対応」とか言っちゃうバカもいるしね。「大人の事情」とかさ。
自分の利にならなくても、「違うぞ」と言えるのが、大人じゃないか。「経済活動に参加すれば、一人前」とウソを教えるから、誰も彼もが、「金をせしめてナンボ」という考え方になってしまった。

そんな社会に対して、「怒らない」「穏便にすます」ことが、また「大人の美徳」みたいに言われている。学校教育も間違っているが、社会に出てからの教育も、また大失敗しているわけだ。

TM & (C) 2012 Marvel & Subs.

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2013年7月 6日 (土)

■0706■

『魔女の宅急便』公開当時の、宮崎駿監督のインタビューを読んでいたら、「この歳になったら、人前で恥をかいた過去を、ほほえましく見られるようになった」という意味のことが書いてあって、何だか嬉しくなってしまった。
宮さんは、このとき、47~48歳。今の僕より、少し年上だ。この作品の寛容さは、カッコつけるのをやめたオジサンの余裕から生じている。

キキの仕草については「ジブリの女性アニメーターを観察した」と言っているけど、こCaql03y7れは照れ隠しじゃないかな……。
やっぱり、ご本人の生理とか、「女の子には、こうあって欲しい」という控えめな理想が、投影されているように見える。

しかし、この頃に比べると、『風立ちぬ』はシャレにならない領域に突入してしまった。
「もう一回、見たい?」と聞かれたら、かなり覚悟しないと無理だろう。見るのに、胆力が必要な映画が『風立ちぬ』。


自民党の片山さつき議員が、初音ミクと性犯罪との関連を言い出した。(
「あしたのジョーの力石のお葬式」を例にあげているが、そんなの、1970年のことだからね。昔話ですよ。いまの若い人たちが、ピンとくるわけがない。
「初音ミク並のリアルな動きの女児」……これは、コンサートか何かの映像を見て、アニメだと勘違いしたんだろうな。音声ソフトであることを知らないのは、確かだろう。

ま、その程度です。対象を知ろうともしない不勉強な人間が、われわれを規制しようとしている。
片山は、「彼女は(18歳以上かどうかは別として)『女児』の設定ではなく『女性アイドル』の設定に私には見えますので児童ポルノの年齢的対象に入らないと思います」などと言っているが、つまり「18歳に満たない者」かどうかは、規制する側が「見た目」で決めるわけだ。
ここが、怖い。

児ポ法の「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」って定義が、すでに、どうとでも解釈可能でしょ。靴下を脱いでいたら、もう児童ポルノなのか? 靴下を履いていても、それを見て興奮したら、もうアウトなのか?
アウトかどうかは、規制する側が、勝手に決めることができる。いま現在、すでにそうなっている。

以前に児ポ法改正の動きがあった2008年ごろに比べて、事態は悪化していると思う。


なぜならば、福島市での安倍総理の街頭演説のとき、「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」と書いたプラカードを掲げた女性が、住所や名前を聞かれたでしょ。(
「よく、逮捕されなかったな!」と思ったよ。去年の都知事選のとき、法定ビラを配っているだけで、逮捕されたおじいさんがいたぐらいだから。

そうした権力側の横暴を支持してしまう人たちが、この数年で激増した。アニメのアイコンで、「脱原発デモやってる連中は、銃殺しちゃえ」とコメントするような連中ね。
「自分の意見を言う」「自分の意志で行動する」こと自体が、気に入らない。だから、ネットという隠れやすい場所から、罵詈雑言を浴びせる。

そういう人たちが、児ポ法改正に危機感を募らせているとしても、現政府に対して意見したり行動したりするとは、とうてい考えられない。だって、政策に反対したら「左翼」なんでしょ?
「事態が悪化している」というのは、権力に付和雷同する者が増えすぎた、という意味です。(08年には法改正反対の署名活動があったけど、今はどうだろうか……。)

そんな趨勢も作用して、児ポ法は改正されると、僕は思っている。
「自業自得」という言葉が、脳裏に浮かばないでもない。先日、パンチラ・フィギュアのイベント()をやったのは、まだ出来るうちに、わずかでもカウンターを打っておきたい気持ちもあった。


前の僕なら、「若者は選挙に行け」とか「被曝に気をつけて」ぐらいは、言ったと思う。
だけど、手遅れになったことを言っても、仕方がない。若いうちは、好きなように生きたほうがいい。
自由というのは、「世界中から見放される」可能性を覚悟したとき、やっと本物になる。

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2013年7月 3日 (水)

■0703■

DVDにするか迷っていた『GALACTICA:スピンオフ【BLOOD & CHROME/最高機密指令】』のブルーレイを買った。
Bc_000x05_f01_0010日本では、奇しくも、今年が『ギャラクティカ』誕生10周年にあたる。だったら、9.11の影響下につくられた『ギャラクティカ:序章』を見たほうが、よほど勉強になるだろう。

とは言え、『BLOOD & CHROME』のラストにも、やや苦味が残る。真の英雄のいない戦場で、主人公が苦闘する物語。これはこれで、シリーズ化されてもいいのかも知れない。


夜中、とつぜん『魔女の宅急便』のキキを、ファンド(石粉ねんど)で作りたい!と思い、芯になるパーツをこねはじめた。
Ca10dcln今まで、博物館に展示するリアルな人体は作ったことはあったが、アニメ・キャラは作ったことがない。『風立ちぬ』の影響で、自分の中にジブリ・ブームが来たせいもあるだろうが、眠いのに粘土をこねるというのは、普通ではない。

ひさびさに『魔女の宅急便』を見て、「この作品を題材にすれば、ヨーロッパの町並みがつくれるじゃないか!」と気がついた。つまり、クロアチアに行って以来、それ以外のものへの興味が薄れていたのだ。
色を塗ることまで前提に模型を作るのは、旅行以来、3ヶ月ぶりになる。帰国してからは、改造中だった『ナウシカ』のプラキットすら、ほったらかしにしていた。


もともと、今年一月からプラモデルを作りはじめたのは、「学生時代に出来なかった改造が、今なら簡単にできる」と知ったせいだった。昔のキットでも、お金さえ積めば買えてしまう。マテリアルも豊富に売っている――。
だから、過去を埋め合わせられれば、それで気がすんだ。良くも悪くも、模型作りは代償であり、内向的な行為だった。

でも、『魔女の宅急便』をモチーフにすれば、旅行も含めて、46年分の体験を込められるんじゃないか? 過去ではなく、これから向かう距離を埋められるんじゃないか?
(直江さんへの追悼のつもりで触ったレゴ、今月のモデグラに載っている徹屋さんの人形作品を、間近に見た影響もある。)


『ぼくのエリ 200歳の少女』の生まれた国、スウェーデンの漫画翻訳家が、児童ポルノ単純所持で逮捕された。
彼は無罪判決を受けたけど、「誰かが表現の自由を規制に成功したその瞬間、民主主義が崩れる。絶対に負けちゃダメだ。」と語っている。(

しかし、映倫が、『ぼくのエリ』のフィルムに傷をつけさせた2010年、すでに民主主義は崩壊していたのだと思う。『ぼくのエリ』の画面の一部を見せないように処理したのは、世界で唯一、日本だけだ。異常なのは『ぼくのエリ』ではなく、日本社会のほうなのだ。

このブログの『ぼくのエリ』ついてのエントリは、毎日、誰かしらが閲覧していってくれる。
だけど、中には「ネタバレではないから、ボカシが入っても構わないのではないか」「日本の法律に引っかかったんだろうから、規制されて当然だろ」みたいなことを、何を調べずにコメントする者もいた。よほど、奴隷のオリの中が居心地いいんだろう。


「表現の自由なら、憲法で保障されているじゃないか」と笑われそうだが、この国では、あらゆる憲法を、権力側が反故にしている。
なぜ反故にできるのか? この国には、憲法違反について、罰則がない。だから、ぬけぬけと「憲法を変えよう」などと言えるわけだ。

児童ポルノ法改正について言えば、表現する自由を無視しつづけた連中が、今度は、「表現を見る自由」まで奪うことになる。警察は、誤認逮捕しても「すみません」と謝るのがせいぜいであって、まったく罰せられない。だから、逮捕しほうだいなわけだ。
いま、何が起きているのか、分かってほしい。だが多くの人々は、自分の意見を持たず、その表明であるかのように選挙権を放棄している。ワタミを批判しながら、殺人的な満員電車に毎日乗り、何日徹夜したかを、誇らしげに語る。
権威に隷属することでしか、自己の存在を証明できない人間が、この国には多すぎるような気がする。

小さなあきらめは、少しずつ権力者のエネルギーへと変換されていく。沈黙するだけで、人は加害者になりえるのだ。

(C)Film 2012 Universal Studios.All Right Reserved.

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2013年7月 1日 (月)

■0701■

昨日、【人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。】にご来場くださった皆さん、配信を見てくださった皆さん、誠にありがとうございます。
Img_2222_2 「二時間で、きれいに終われるかな?」と思いきや、最後のほうがグダグダになってしまい、申し訳ございませんでした。
ラスト一時間は、かなり余計な話をしていますが、録画してありますので、見逃した方は、どうぞ。→

今回はやっぱり、「島田君からのお手紙」が白眉でしたね(開始21分ぐらい)。
しかし、もうちょっとハッキリしゃべらないと、私の声は非常に聴きとりづらい……。
あまりにトークに関してダラけているので、やはり、マチ★アソビは引退した方が良さそうだね。


仕事に関連して、ジブリ・アニメを、6本ほど見返す。

『魔女の宅急便』は、数年前に見てから、愛しいアニメの一本となった。ヒロインに対して、フェティッシュが強烈なところがいい。女の子を「触れられないもの」「聖なるもの」ではなく、明らかに「手の届く存在」として描いている。
最初、ポスター案として、トイレに座っているキキを、宮崎監督が描いたでしょ。そういうことです。人に見せられない姿を、見せている。見せているというか、見たいから自分で描くんだ。

その反面、「素敵なボーイフレンドが現われたら、どうするの?」とか、中年が頑張って、乙女になろうと奮闘努力しているところ。あのセリフは、実際の女子中学生が聞いたら、ちょっと白けるんではないか……。でも、中年が監督して、中年が努力した痕跡に、胸打たれる。
公開当時(1989年)は大学生で、年上の女性と見に行って、ずいぶん恥ずかしい思いをしたものだった。40歳をすぎてから、急に愛しいアニメになった。


あと、『耳をすませば』。近藤喜文さん唯一の監督作。
1995年の公開時、聖蹟桜ヶ丘でバイトしていたこともあり、当時から、気に入ってはいた。「あんな恥ずかしい話のどこが……」と言われたこともあるけど、別に映画というのは、ストーリーを主軸に見なくてはいけないわけではない。ボーッと映像だけ見ていてもいいし、途中で寝てもいいし、途中から見てもいい。
完璧であることより、主体性ある感想を持てることのほうが、よほど大事だ。

空間の抜け具合がいいよね。坂道が多いとか、思わぬところに、空が開けているとか。
20年近く前の作品だけど、ジブリは西東京に、美を発見したんだと思う。
僕もあの頃は、自分の住んでいる辺りの風景が好きだった。貧乏していると、視野が狭くなる。だから、自分の住んでいるところを肯定するしか、なくなるのかも知れない。

あと、前年の 『平成狸合戦ぽんぽこ』の作画枚数が、82,289枚。
『耳すま』は、64,491枚しかない。尺が短いから、当たり前ではあるんだけど。だから、やや小規模に作りはじめた作品。そうすると、動きがラフになって、ちょうど見やすくなる。

あと、『風立ちぬ』は見た人の人生を変えうるけど、『耳をすませば』は変えそうもない(笑)。その奥ゆかしさも、なかなか良い。


『惡の華』最終回、やはり終わらなかったなー。
見世物小屋みたいに、「もっと、すごいのが出ますよ」と言いながら、「ハイ、そろそろお時間です」と畳んでしまうやり方も、それはそれでエンタメだと、俺は思う。
こんな窮屈なご時世だから、「まだまだ、俺たちはつくりたいんだ!」と叫ぶ自由ぐらい、深夜番組にあったっていいじゃん。

7月になったので、ロシアのトランジット・ビザの取得に、再挑戦するかな。

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