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DVDにするか迷っていた『GALACTICA:スピンオフ【BLOOD & CHROME/最高機密指令】』のブルーレイを買った。日本では、奇しくも、今年が『ギャラクティカ』誕生10周年にあたる。だったら、9.11の影響下につくられた『ギャラクティカ:序章』を見たほうが、よほど勉強になるだろう。
とは言え、『BLOOD & CHROME』のラストにも、やや苦味が残る。真の英雄のいない戦場で、主人公が苦闘する物語。これはこれで、シリーズ化されてもいいのかも知れない。
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夜中、とつぜん『魔女の宅急便』のキキを、ファンド(石粉ねんど)で作りたい!と思い、芯になるパーツをこねはじめた。今まで、博物館に展示するリアルな人体は作ったことはあったが、アニメ・キャラは作ったことがない。『風立ちぬ』の影響で、自分の中にジブリ・ブームが来たせいもあるだろうが、眠いのに粘土をこねるというのは、普通ではない。
ひさびさに『魔女の宅急便』を見て、「この作品を題材にすれば、ヨーロッパの町並みがつくれるじゃないか!」と気がついた。つまり、クロアチアに行って以来、それ以外のものへの興味が薄れていたのだ。
色を塗ることまで前提に模型を作るのは、旅行以来、3ヶ月ぶりになる。帰国してからは、改造中だった『ナウシカ』のプラキットすら、ほったらかしにしていた。
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もともと、今年一月からプラモデルを作りはじめたのは、「学生時代に出来なかった改造が、今なら簡単にできる」と知ったせいだった。昔のキットでも、お金さえ積めば買えてしまう。マテリアルも豊富に売っている――。
だから、過去を埋め合わせられれば、それで気がすんだ。良くも悪くも、模型作りは代償であり、内向的な行為だった。
でも、『魔女の宅急便』をモチーフにすれば、旅行も含めて、46年分の体験を込められるんじゃないか? 過去ではなく、これから向かう距離を埋められるんじゃないか?
(直江さんへの追悼のつもりで触ったレゴ、今月のモデグラに載っている徹屋さんの人形作品を、間近に見た影響もある。)
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『ぼくのエリ 200歳の少女』の生まれた国、スウェーデンの漫画翻訳家が、児童ポルノ単純所持で逮捕された。
彼は無罪判決を受けたけど、「誰かが表現の自由を規制に成功したその瞬間、民主主義が崩れる。絶対に負けちゃダメだ。」と語っている。(■)
しかし、映倫が、『ぼくのエリ』のフィルムに傷をつけさせた2010年、すでに民主主義は崩壊していたのだと思う。『ぼくのエリ』の画面の一部を見せないように処理したのは、世界で唯一、日本だけだ。異常なのは『ぼくのエリ』ではなく、日本社会のほうなのだ。
このブログの『ぼくのエリ』ついてのエントリは、毎日、誰かしらが閲覧していってくれる。
だけど、中には「ネタバレではないから、ボカシが入っても構わないのではないか」「日本の法律に引っかかったんだろうから、規制されて当然だろ」みたいなことを、何を調べずにコメントする者もいた。よほど、奴隷のオリの中が居心地いいんだろう。
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「表現の自由なら、憲法で保障されているじゃないか」と笑われそうだが、この国では、あらゆる憲法を、権力側が反故にしている。
なぜ反故にできるのか? この国には、憲法違反について、罰則がない。だから、ぬけぬけと「憲法を変えよう」などと言えるわけだ。
児童ポルノ法改正について言えば、表現する自由を無視しつづけた連中が、今度は、「表現を見る自由」まで奪うことになる。警察は、誤認逮捕しても「すみません」と謝るのがせいぜいであって、まったく罰せられない。だから、逮捕しほうだいなわけだ。
いま、何が起きているのか、分かってほしい。だが多くの人々は、自分の意見を持たず、その表明であるかのように選挙権を放棄している。ワタミを批判しながら、殺人的な満員電車に毎日乗り、何日徹夜したかを、誇らしげに語る。
権威に隷属することでしか、自己の存在を証明できない人間が、この国には多すぎるような気がする。
小さなあきらめは、少しずつ権力者のエネルギーへと変換されていく。沈黙するだけで、人は加害者になりえるのだ。
(C)Film 2012 Universal Studios.All Right Reserved.
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