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2013年6月27日 (木)

■0627■

5月の「マチ★アソビ」で好評だったイベントを、ゲストも招いて増強するトークイベント【人類Canb20x8 は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。】 日曜日(30日)15時より開催です。

プラスティック・モデル史において、「アニメの女性キャラ」はどのように商品化され、思春期ユーザーの欲望をどのようにして反映していったのか? 当時の商品および、プロによる完成品も持ち寄り、フィギュア・メーカー勤務のべっちん氏と語ります。
特別ゲストは、「AniFav」編集キャップの前田久さん。

会場は模型の王国 浅草物件()。14時半開場、入場無料。途中入場・退場もOKです。
WEB配信は、こちら()から。


旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の女性検事を追ったドキュメンタリー、『カルラのリスト』。
41ilrueqlクロアチアも、けっこう出てくる。EUに加盟したいクロアチアは、戦争犯罪者の逮捕に積極的に協力する。その辺の駆け引きが、まったく粉飾なく出てくるので、面白い(犯人には、クロアチア人もいるため)。
「この事件の検事が、女性でよかった。男性は丸太のように、頭が固いから」と、被害者遺族のひとりが言う。まったく、その通り。カルラ検事は、記者会見の席を使って、非協力国を罵る。本音をずけずけ言うものだから、翌日の雑誌には下品なコラージュ写真が掲載され、嘲笑されることになる。

男だったら、そこで「俺のプライドが」って激昂するだろうな。カルラは、笑って受け流す。
記者に何を言われても、「私は仕事に、すべてをかけています」と、力強く答える。事実、彼女は専用機で各国を飛び回り、週末は故郷のスイスで、ミーティングをする。「世の中には、こんなスケールの大きな仕事があるのか」と、呆然とさせられた。

犯人のひとりが逮捕されたとき、機内でシャンパンで乾杯するシーンには、しびれる。カッコいい。


『風立ちぬ』の印象、その2。
ネットで有名な監督たちが絶賛していると聞いて、うっかりそれを読んでしまった。(作品そのものだけが真実だ、と言い張る人がいるけど、それは違う。巷の下馬評、デマ、あからさまに仕かけられた話題性、いろいろひっくるめて映画は形づくられる。)

『崖の上のポニョ』のときは、「なんか強烈にエロいアニメな気がしますけど、これホントにTky201306060332映画館でやるの?」と、エキサイティングな気持ちになった。『風立ちぬ』は、綺麗な箱に収まっているから、どうしてもケナせない。「あんな立派な作品をバカにするなんて、お前、まともな社会生活できてんのか!」と言わせるムードがある。
『おおかみこどもの雨と雪』のときは、「獣姦シーンがある」「ヒロインが怖い」と、見た人たちが嘲笑したり狼狽したりしたものだけど、『風立ちぬ』では、そういう現象は起きない気がする。

レビューには書かないことを書くけど、作中に描かれている悩みが格調高すぎて、凡人に入っていけない。「やっぱ、宮さんはロリコンだな!」と笑いとばせない、ハードルの高さがある。
「笑いとばせる」、「酒のみながら、あれこれ言える」って、映画を自分の肉体にフィットさせる重要な過程だと思うんだよな。自分と作品の関係を確認することで、足るを知るというか。
下品な言い方をすると、エロパロがつくれない(つくりづらい)アニメってどうなの? 窮屈でしょ。

長編アニメが「映画」になろうとして、今ひとつなり切れなかったのは、思春期の欲望をストレートに反映しすぎるか、欲望をエスカレートさせる面が強すぎたから。でも、その特異さゆえに、「アニメ映画」というジャンルは、いつまでも若くありつづけている。
『風立ちぬ』は、「アニメ映画」というよりは「劇映画」「日本映画」といった趣。それを慶賀するか、「いや、俺はもっとバカバカしいのがいいな!」と思うかは、人それぞれだろう。

(C)SWISS FILMS
(C)2013 二馬力・GNDHDDTK

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2013年6月26日 (水)

■0626■

『風立ちぬ』マスコミ試写。レビュー記事を2本ほど書く予定なので、個人的印象を。
Originalこのタイトルが出るたび、「宮さんも、長編は、これがラストだよね」と友だちと話していたので、堂々たる集大成になっていると思う。あとは、ジブリ美術館で、たまに短編をつくって終わるなら、こんなスマートな人生はない。
「果たして、こうまで創造的な美しい人生を、自分は生きられたか?」と、宮崎駿が自問するような映画。僕らオッサンにも、「君たち、いい仕事ができてるか?」「人に、ここまで深い愛情をもてたか?」と問いかけてくる。そういう意味では、たいへん重たい。

「また『トトロ』みたいの、やればいいのに」「もういっぺん、『ラピュタ』やってくれよ」とかいうワガママは、作家をなめている。古き良き漫画映画は、誰かが引きつぐか、時代のニーズがなければ、クラシックになっていくだけだ。
最近、ケーブルで『未来少年コナン』を見ていたんだけど、ユンカース G.38に乗り込むシーンなんて、「おお、ギガントそっくり!」 そういう意味で、ちゃんと集大成になっている。


庵野秀明さんの声は、だんだん慣れてくる。……というより、このキャストを聞いたとき、「やっぱり遺作のつもりだな」と思うよね、失礼ながら。一般客に向けて、「庵野さんが声やります」と言ったところで、ぜんぜん売りになっていないところが素晴らしい。
ジブリアニメ見てきて、『エヴァ』見てきて、その上で2人の関係を知っているなら、このキャストに文句を言うほうが、ガキなんだよ。俺らが怒るべきは、東宝出資だから長澤まさみを主演に使うとか、そっちだろう。

人の声を使ってSEにする……これも、言われてみれば「今のが、そうか?」という程度。それぐらい、違和感がなかった。
いちばん効果的だったのは、関東大震災のシーンかな。このシーンは、もっと長く見ていたいほど、悪魔的な魅力に溢れていた。やっぱり宮崎駿の発想はすごいし、鬼だと思ったよ。狂気や破壊欲を制御して、ロジカルな仕事に落とし込む(しかも、前作のノウハウも応用しながら)ところが、やっぱり、只者じゃないんだろうな。

とは言え、セルアニメで、デジタルの助けを借りつつ、誇張の入った「見ていて面白い」「気持ちいい」動きを手で描くのは、そろそろ限界という気もした。
「人って、ついつい、こうしちゃうよね」と感情移入を促す動きが、随所に散りばめられていて、「さすがだな」と感心はするんだ。だけど、それは究極の贅沢であって、この先、コンスタントに見られるとは思えない。
3D背動もあるけど、作画で背動をやっているカットのほうが「やっぱり、ジブリは手描きだよねー」と思ってしまう。それはすでに、センチメンタリズムでしかない。(そういう意味では、マイナス方向でも集大成になっている。)


僕は、原作の『ナウシカ』以上に、『出発点』をむさぼるように読んだんだけど……「あんなに憧れた人が、とうとうここまで来たのか」という感慨で、胸がいっぱいだった。
後半、あまりに切ない展開のため、泣いている人もいたようだけど、俺だって泣きたかったよ。「こんな重厚な作品が最終作なのか! すごい作家だったな!」って。(友だちは「またつくるんじゃない?」と言っていたけど、俺はこれで終わりにしてほしい。)

だけど、もっとグチャグチャに破綻してても、良かったんだけどな。説明不足もないし、理路整然としているところが、玉にキズ。ラストも、綺麗だしね。

『かぐや姫の物語』の特報が流れたんだけど、子供は、こっちを見たほうが「アニメってスゲー!」って思うんじゃないかな。あの映像を、普通の映画館で流すとは……。

(C)2013 二馬力・GNDHDDTK

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2013年6月25日 (火)

■0625■

モデルグラフィックス 8月号 本日発売
Mg
●組まず語り症候群 第8夜
今回の『紅の豚』をもって、宮崎アニメ短期連載は終わりです。
タイアップでも何でもなく、完全に趣味の連載でした。むしろ、ジブリは迷惑したんじゃない(笑)?

●シャア専用組まず語り
「シャア特集なのに、なんでアレを取り上げないの?」と聞いたら、いきなり「載っけるから、書いて」と。
シャアのヘルメットについて書いたけど、第2話で外した「ヘルメット」は、ノーマルスーツのやつでしたね。


フィンランドを舞台にした不思議な映画、『ククーシュカ ラップランドの妖精』をレンタル。フィンランド映画かと思ったら、ロシア映画でした。
Xlhiotkpl5tqbqe75bkwzicdulr第二次世界大戦末期、自軍から見放されたソ連兵とフィンランド兵。彼らは、国境最北端のラップランドに住む部族、サーミ人の女性に命を助けられる。

面白いのは、この3人の言語がバラバラなところ。ヒロインは、実際にサーミ語を話す女性が演じており、フィンランド兵に惚れこんで、自分から積極的にアプローチするところが迫力。(メイキングを見たら、民族衣装など着ておらず、英語を話していた。)

彼女は、自分の名前を知られたとき、「呪いをかけないでね」と、おかしなことを言う。
『ゲド戦記』(原作の)みたいだな……と思っていたら、ネイティブ・アメリカンのような呪術を使うので、ラスト近くでは驚かされた。幻覚性キノコも出てくる。
むしろ、こうした意外な地域に残っている生々しいシャーマニズムや死生観が、欧米のファンタジーに影響を与えたのだろう。

文学や創作には、どこか奪われたものを取り戻すかのような痛々しさがあり……そうした切実さの感じられないフィクションには、魂を惹かれない。


吉祥寺のヨドバシまで歩き、レゴ売り場に行ってみた。
売り場についたとたん、「直江さん、遅くなりました」という言葉が胸に浮かび、自分でも驚いた。家に帰って、パッケージを開けたときも、同じ気持ちになった。

当時の僕は、直江さんの作品に触らせてもらったり、河森正治さんのレゴ作品を量産するCazjedebときに手伝った程度で、自分からレゴに触れることはなかった。
今回買ったのは、千円もしない小さなセットだったのだが、思っていたよりもパーツは多かった。

僕は、三月末にクロアチアから戻ってから、作りかけのプラモデルに触れる気さえ、なくしていた(塗装や改造なしのパチ組みのみ)。どういう心境の変化かは、まだ説明できない。

直江さんにとって、レゴを組み立てることは、際限のないプラスオンであり、世界を拡張する行為だったはずだ。なぜか、それだけは断言できる。彼にとっては、すべてが「現実」だったんだ。
その豊かさに、僕は一ミリでいいから、繋がっていたい。この気持ちは、どうにも説明ができない。

(C)2002 Sony Pictures Entertainment

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2013年6月23日 (日)

■0623■

トークイベント【人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。】 一週間後の日曜、30日15時より始めます。
Cat9s1w6ひとりもお客さんが来なくても、ネット配信を見ている人がゼロでも、とにかく始めます。

ゲストの前田久さんに、「何か基礎的な資料があったら、先に見せてください」と言われたけど、そんなもん無いし、あっても見せません。その場ですべて説明するから、いいんです。
その瞬間に、すべてを「起こしたい」のです。

現場まで見に、聞きに来てくださるからは、「模型の王国 浅草物件」まで。14時半会場、入場無料です。→
USTREAM配信は、こちらから。→

2~3時間やるので、トイレ休憩ありです。


『惡の華』が、ついに残り1話となった。
12話が始まる直前、友人から11話の解釈について、メールが届いた。彼も、春日の心理を誠実に読み解こうとしていて、そこで援用するのは、やはり自分の経験や人間観だ。
「自分には、春日のような経験がなかったから、感情移入できない」という言い訳が、もっともくだらない。「もう自分は中学生ではなく、いい歳になったので、理解できない」と距離を置こうとするのも、みっともない。

いや、そんな逃げ腰な態度ですら、「こんな気持ち悪いキャラで、売れるのかよ」という嘲笑すら、この作品はエネルギーに転化させていった。どんどん燃やして、自身は灰になろうとしている。
僕は昨夜、友だちに『惡の華』の魅力を語って聞かせたが、そういうことも。「そんなアニメがあるのか」と目を丸くする友人の表情も。あの作品のことを考えている、今この瞬間の気持ちも。
愚かだろうが、醜くかろうが、何もかもが新しい。次の瞬間には、もう霧散しているかも知れない。だとしても、空しくない。後のことなど、考えない。売れまいと失敗しようと、どうでもいい。その時、そこに、確実に在ればいい。こんな誠実なことって、他にある?


山道で起きたことも、作文のことも、春日は、すべてを「在った」こととして、次の行動を決める。そのすべてが空回りしようが、何だろうが。
「一切が、この時のためにあったのだ、今のためにあったのだ」と感じられれば、それほど幸福なことはない。

佐伯さんは、あいかわらず可愛かった。春日を意識して、くだらないコンビニの話に熱中しているフリをする、そんな空しい、幼稚な誤魔化しすら、美しく思えた。
仲村さんのアップは、どれも止め絵だった。完全な一枚絵で、微動だにしなかったと思う。だのに、「生きている、そこに居る」と、ありありと感じられた。「これまでのすべての動画が、この一枚のためにあった」から生きているように見えたのだろうし、次の動画も、その次の動画も、一枚一枚が今までのため、これからのために描かれてきたし、描かれていく。新しい。新鮮だ。息をしている。生きている。

「終わる」ことが、この作品にとって、どういう意味を持つのかは、まったく予想もつかない。
最後の動画を見たとき、この作品は「終わる」のか? 本当に止まるのか? 止まってくれないような気がして、それが怖くもある。


今日は選挙に行って、元気があったら、吉祥寺のヨドバシまで歩いて、レゴ・ブロックを買おうと思う。
直江さんに近づくには、レゴに触れる以外に、方法がない。

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2013年6月21日 (金)

■0621■

語れ!マクロス 27日発売
51bcynoalbl__sl500_aa300_
●第二部 可変戦闘機コンプリート図鑑~バルキリー進化論から異星生命体図鑑まで~
全ページのラフ、執筆を行いました。可変戦闘機だけでなく、デストロイドやマクロス艦も掲載してあります。

●宮武一貴さんインタビュー
聞き手は編集部で、私は構成です。今まで何度となくされてきた企画成立前後の話が多いのですが、宮武さんが石黒昇監督を、どれほど認めて信頼していたか、よく伝わってきます。
石黒監督に関する記述は、すべて残しました。


10月のクロアチア旅行で、ロシアのトランジット・ビザを取得せねばならない件。
ロシアのビザ申請は難易度が高く、それゆえ、旅行会社が代行サービスを盛んに行っているのだ。だが、個人で取得した人が、ネットでノウハウを公開していたので、もう一回、がんばってみよう。

クロアチア到着後は、ザグレブ→リエカ→ロヴィーニ。宿は、来月、予約することにする。
寒いだろうけど、また遊覧船に乗りたい。


直江和由さんの死で、何が悔やまれるのか。

毎月、記事ができるたび、いや、できる前から直江さんは「廣田さんなら、大丈夫でしょう」「いつも、いい記事にしていただいて」と、ニコニコしてらした。過大評価だとは思ったけど、当時の僕は、調子に乗っていたから、素直に嬉しかった。
それと同時に、直江さんは、僕が吉祥寺のキャバクラで遊び歩いていることを、編集者から伝え聞いてもいた。編集者には「いい加減にしとけよ」と怒られたけど、直江さんは「楽しいなら、いいじゃないですか」と、笑って許してくださった。

だから、「次の記事は、もっと良くしよう」と、いつも思っていた。僕が15年間、一定に保っている能力とは「シメキリに決して遅れずに書く」、それのみだ。
しかし、直江さんは、それ以上の価値を、僕に見い出してくださった。繰り返すが、それは過大評価だ。でも、だからこそ、「期待にこたえよう」と、向上心を引き出してもらえたわけだ。

そういう方を、失った。ここ何年かお会いしていなかったし、ご本人は僕のことなど、とっくに忘れてらしたかも知れない。
とは言え、あの時に交わした言葉の感触や、心の望ましい在りかたを、僕は思い出してしまった。
過去は、過去のまま滞留していてくれない。現在にも、将来にも影響してくる。(死を「終わり」と考えるのは大きな誤りだ。)

物事のいい部分を見つけるのが、大変得意な方だった。
今の僕は、直江さんに恥ずかしい生き方をしているような気がしてきた。


明治大学の講義の件で、レナト・リベラ・ルスカ講師と、ファミレスで会う。
正直、今の若い人に話すことは、何もないと思っていた。技術的に話すことは出来るだろうけど、それはきっと、本音じゃないんだ、と正直に言った。

ところが、レナトさんが「去年までとは、別のテーマで話してほしい」と言い出し、気持ちが変わってきた。
結局、人と会って話さないと、元気になれない。明日も、友だちと会うので、楽しみだ。

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2013年6月19日 (水)

■0619■

レゴモデルビルダーの、直江和由さんが亡くなった。日曜日、急に倒れられたと聞く。

「フィギュア王」のレゴの連載でお会いしたのが最初なので、10年近く前になる。離婚後、連Ca3grrni載をやめた後だったはずだが、吉祥寺で朝まで飲んだのが、お会いした最後だったと思う。
(朝まで……ではなく、正確には夜が明けても、コンビニで酒とツマミを買って、2人で井の頭公園で飲みつづけた。)

その日は、担当編集が「直江さんと飲んでるので、ちょっと出てきませんか?」と、電話してくれたのだった。
直江さんは酔ってらして、いつも持ち歩いている手帳に、ビールのジョッキを前にした僕の似顔絵を、描いてくださった。
その似顔絵は、写真に撮ったはずなのだが、探しても出てこない。


西船橋の工房まで、八王子の自宅から通っていらした。
携帯電話を持たず、電車の中では、アイデアを絵にしてらした。そういう方なので、最後に飲んだ夜も、奥さんに電話するために、店を出て公衆電話まで歩く、その後ろ姿を、急に思い出した。

西船橋の仕事場へ取材に行ったとき、「せっかくだから、何かお土産に持っていってください」とおっしゃる。
大きなレゴ・フィギュアを欲しがっている知り合いがいたので、「では、あれをいただいても良いですか?」と聞くと、直江さん自ら、雑巾でフィギュアを拭いて、大きな手で抱えて運んでくださった。
そういう方だった。その後も、僕は、お世話になりっぱなしだった。

離婚直後、直江さんを毎月のように取材し、少しずつ仲良くさせていただいた頃の、心の景色のようなものを、突然に思い出す。
わずかばかりであろうと、酒の匂いに汚れていようと、僕は、少しの向上心と尊敬の念を維持していられた。それは、「やれやれ」と溜め息をつきながらも、僕の原稿を認めてくださる大人たちが、周囲にいたからだ。そのひとりが、直江さんであった。


そしてまた、何のお返しもできないのだ。石黒昇監督のときも、そうだった。
「廣田さん、次回は……」「廣田さん、いつかは……」と、いつも将来の話をなさる方だった。その将来は、とうとう来なかった。

運命が、その機会を奪ったのではない。僕が、機会を逃したにすぎない。いい加減、本気になってみたらどうなんだ?と思う。
悲しいというより、怒られた気分。あの日の朝、コンビニで買った酒を、最後まで飲みほせなかった。僕は、ひどい二日酔いだったはずだ。僕がだらしなく寝ている間に、直江さんは、遠くへ行ってしまった。

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2013年6月17日 (月)

■0617■

トランジット・ビザを受け取りに、ロシア大使館へ行く。
ところが、旅行業者が何社も予約していて、まったく順番が来ない。その旅行業者同士が、「なんでこんなに遅いんですかね?」とイライラしていたので、よほどのことだろう。
身ぶり手ぶりで、ビザの交付場所を教えてくれた大使館の職員には、すごく好感を持ったんだけど……。二時間待ったところで、「こりゃ、今日は無理だな」と、手ぶらで帰ってきた。

一泊するだけなのに、どうしてもビザは必要なのかなー。そこからして、初心者だものな。
ホテルは、空港から近くて、いちばん安い宿(それでも8,000円)を、予約してしまった。

クロアチアに着いてからは、一泊5千円以下の宿だけに泊まろうと思う。ソベやホステルは怖いので、ホテル限定だけど。
……いいんだよ。疲れたなあ、ムカついたなあって経験が、旅先で起きたって。そういうイライラを楽しめるぐらいになりたいんだ。


クロアチアで出会ったアニメ、『Winx Club』の本を、アマゾンで購入。
Cazs90pjシールやパズルだけを収めた、学習雑誌の付録を集めたような本。……先日、知り合いと「女児向けアニメにばかりハマっているオッサンは、どんな心境なのか?」について、語り合ったんだけど。「別にいいんだけど、せめて隠れて見ろ!」みたいな結論が出た。

女児向けアニメだろうと何だろうと、その人が追いつめられなければ、何に依存してもいいと思うよ。だから、引きこもりの人とか、あんまり責める気になれない。苦しさから逃れる手段は、絶対に残しておくべき。

俺自身、酔っぱらってキャバクラに通うのは、明らかに依存だと自覚しているし。
一人前の男だと認められてないことに、コンプレックスがあるんじゃない? 「男らしさ」なんてどうでもよくて、異性に全面的に許されたいんだと思う。異性に「かわいい」と言われると、昔から嬉しかったもの。「セクシー」って意味ではなく、「珍獣」ってニュアンスの「かわいい」なんだけど。
「かっこいい」は重たいから、「かわいい」と言われていたいんだよ。ずーっと。

これがどれほど奇怪な、気持ち悪い願望だろうと、それによって僕は救われるんだから、決して否定しない。
どうすれば、心が救われるか? それはお金を稼ぐよりも大切なテーマだ。


『惡の華』、こんなにも若い頃って辛かったかな?と、思い出してみる。

「オトナアニメ」の告白コラムは、第10話を見る前に書いたから、かなり気取っている。実際は、もっとドス黒かった。性欲も嫉妬も自己陶酔も、もうごちゃまぜで。
でも、そういう時にかぎって、空がすごく綺麗に見えたりする。見てられないぐらい、綺麗なんだよ。

この空の美しさを知るために、自分の心は、こんなにも汚いのか?とさえ思う。本当に堕落したら、あの空さえも、濁って見えるんだろうな。

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2013年6月15日 (土)

■0615■

トークイベント【人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。】の開催が、二週間後に迫りました。
Cakp384w30日15時から、二時間ほどトークします。場所は、東京の「模型の王国 浅草物件」。→
USTREAM配信のアドレスは、こちら。→

出演は、私のほかに、某フィギュアメーカーのパッケージ・デザイナーであるべっちん氏、そして、ツッコミ役として、「AniFav」の前田久氏をお招きしています。
入場は無料。14時半ぐらいから、開場しようと思います。定員は30名ぐらいですかね。
「東京は遠い」という方は、ぜひ、配信を見てください。よろしくお願いします。


復興庁の幹部が、「左翼のクソどもから、 ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。 不思議と反発は感じない。 感じるのは相手の知性の欠除に対する哀れみのみ。」とツイッターで発言し、更迭された。

公務員なんて、この程度の職業意識なんだろうね。自分の仕事を愛してない。誇りもない。向上心もない。この人のツイートを見てみると、やたら「被弾」という言葉を使っている。仕事を、災難みたいに考えているんだろうな。45歳にもなって。幼稚な男だな、と思ったよ。
誰だって、仕事で、ひどい目に合ってはいるだろうさ。だけど、愚痴りたければ、酒の席とか友だちへのメールとか、いくらでもあるじゃん。
ブログに、客のことを「きんもーっ☆」と書いてしまった女子大生と、仕事に対するスタンスが変わらない。45歳にもなって。

総理大臣とか、大阪市長とか、偉い立場の人のネットの発言が国際問題になっているけど、「職業意識が低い」「向上心がない」「そのくせに傲慢」ってだけだよなあ……。
もともと、日本の大人、男ってのは、その程度のものです。駅のトイレを見れば、分かるでしょ。あの常識はずれの汚らしさが、大部分の日本人の心の中なのだと、僕はずっと思っている。


「自分の頭で考えるな」「現状を変えようなどと思うな」って教育を、日本人は受けてきた。
俺、教師が何をしゃべってようと、大友克洋の『童夢』から目が話せず、授業中、ずーっと読んでたけど、誰でも似たような経験があるはずだよ。
校則で禁止されてたけど、学校の帰りに、映画を見にいったしさ。そうやって、「俺だけの価値」を発見していくよね。偉い立場の大人たちが、教えてくれないものを。

どうすれば大友みたいに絵が上手くなるか、何度も模写したよ。より多く、より豊かに映画を見るために、詳しい人に聞いたり、映画の本を読んだりもしたよ。
で、そういう社会の決めた権威と関係ない「遊び」のパートでさえ、努力しないヤツって、やがては権威に帰依してしまう。なぜって、学校で「長いものに巻かれろ」って教えてるから。楽なんだよ。

中学や高校で「そんなの、どーでもいいじゃん」と物事を考えなかったヤツって、ひさびさに会うと、「政府が安全だって言ってるんだから、安全に決まってるじゃん」と、平然と言うよ。
公務員や総理大臣が「失言」と受けとられる発言をしても、すぐ擁護するヤツらも同じ。「多数決は絶対」と学校で教えられた、そのまんまの思考をしている。だから彼らは、自分の考えをもって、まして行動にうつす人間が、癪に触って仕方がないわけ。

向上心を放棄した人間って、「現状維持」しか指針がない。
例の復興庁の幹部が、「今日は懸案が一つ解決。正確に言うと、白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意しただけなんだけど、こんな解決策もあるということ。」と、ツイートしてたでしょ。
……こうなっちゃうんだよ。向上心を捨て切ると。

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2013年6月13日 (木)

■0613■

オトナアニメ Vol.30 15日発売
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●『翠星のガルガンティア』第1話Aパート徹底分析
SFアニメ特集と聞いていたので、自分から「第1話の作戦を詳述しましょう!」と企画を出し、ラフも切りました。ただ、土壇場で設定考証の直しが入ったので、ちょっと心配。
「ディメンストリーム」「ヘクサエレナ級特務艦」……こういう用語は、コンテで加えられたらしいんです。取材のとき、村田和也監督が「自分の作業用のコンテです」と見せてくれたのですが、色エンピツでの書き込みや付箋が、ギッシリと。あれは、原画を生で見るのに近い快感がありました。

●特集『惡の華』
僕が担当したのは、長濱博史監督と加藤哲宏(実写パート)撮影監督のインタビューです。あと、ミニコラムが三本と、実体験コラム。
……僕は「オトナアニメ」の特集は、滅多に誉めないんだけど、これはいい。いま『惡の華』を楽しみに見ている人なら、みんな喜んでくれるんじゃないかな。ちょっとした裏話ですら、きちっとコラム化してあって、「ああ、楽しいなあ」って。
僕は、声優さんのインタビューは積極的に断るんだけど、伊瀬茉莉也さんのインタビューなら、やりたかったよなあ。

●『ねらわれた学園』『宇宙戦艦ヤマト2199』ミニコラム
今回は著者校はあったけど、特集全体の中で、どういう扱いなのかは不明。そんな立場で、著者なんて言えるんだろうか?


大学を出たばかりのころ、一度だけ、Vシネマの制作進行をやったことがあった。
僕は免許がなかったので、運転手を雇って、必要な場合に、荷物を運んだりしてもらっていた。
それで、僕の下に二人ぐらい制作助手がいて、いちばんダメな助手は、やたら運転手をコキ使うんだよ。なにかしら余計な用事をつくって、「車を出させましょう」と言う。「そんなの、俺たちが分担して運べばすむだろう?」ととがめると、「だって、このために彼はカネで雇われてるわけですから」と、シレッと反論するわけ。

どんどん仕事を増やして、デザイナーやライターにどんどん押しつけて、「だって、こっちがカネ払うんだから」って態度の人って、たまにいる。
そういう人は、「仕事を終わらせる」というビジョンがないから、時間切れまで、ドタバタしている。で、言い訳はいつも「時間がない」。

学生時代、特殊メイクが得意な後輩がいて。彼によく、マスクを作ってもらっていた。
マスクって、俳優の顔に樹脂を塗って、型をとるでしょ。「固まるまで、一時間かかります。一時間、ジッとできますか?」と、その後輩は、必ず俳優に聞く。「えーっ、一時間も?」と、誰もが驚いて、「……まあ、しょうがないか」と、腹をくくるわけ。
だけど、実際には、30分ちょっとで型は固まるんだよ。わざわざ「一時間です」と言うのは、型を外したとき、俳優に「もう終わったのか、意外と早かったな」と、ホッとしてもらうためなんだそうだ。
……だから、時間って、つくれるの!

「仕事をする」って、つまりは、時間をつくること。「仕事をする」って、楽しいことのはず。雇っている、雇われているに関係なく、みんなが楽しい時間を過ごすべきなんだ。


先日、同年代の編集者が『ガンダムUC』について、面白いことを言っていたよ。
バナージ君は、ジンネマンやブライトたちの説教を聞かされて、分かったフリをしているだけ。彼が行動する動機は、ミネバとかマリーダとかロニ・ガーベイ(CV:伊瀬茉莉也)とか、結局は女の子だけだよね!と。
でも、それは正しいよね、という話。オッサンの説教で動くような若者には、期待できない。

バナージ君の体験の面白さは、モビルスーツに乗ったり、大気圏突入したり、死ぬような目にあいながらも、年ごろの女の子たちに恵まれつづけていること。
「女目当てで行動しただけなのに、どうして、こんなムチャクチャなことになってるんだ?」という得たいの知れない体験が、彼の残りの人生を形づくる。大人たちが導いているわけじゃない。そんな欺瞞に満ちた物語は、もう必要ない。


ひさびさに、放射能の話。
産地偽装が常態化している、日本の米。農家の人自身が「基準値以下でも食べない」と言っているわけですよ。→
米だけじゃない、キノコ、梅、牛肉……。検出されやすい食材の傾向ぐらい、つかんでおいたら? 江戸川のウナギも、食べれなくなっちゃったしね。

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2013年6月11日 (火)

■0611■

Febri Vol.17 14日発売
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●『翠星のガルガンティア』各話解説
第10話までの解説です。あと、本編中の「通訳」の演出について、ちょっとコラムを書きました。

●渋キャラオヤジ列伝 第十回
今回は、『攻殻機動隊 S.A.C』シリーズの荒巻大輔です。

●ガールズ&ワークス in アニメーション
新連載です。制作会社の若い女の子たちに、オッサン臭さ丸出しでインタビューしていく記事なので、まだ第一回は“キャバクラ感”が足りない。
もうちょっと、頭の悪い連載にしたいのですが。


先日は、『惡の華』第10話に関連して、かなり意味の分からない話を書いた。
「だって、恋愛というのは、告白して、相手に受け入れられて、デートしたりセックスしたり、時には結婚に至るようなものなんでしょ?」と言うなら、それはテレビや雑誌から漏れ聞こえてきたノイズ、社会が無責任に流布させたルーティンでしかない。

確かに、自分もそういうプロセスを踏まねばならない、と思っていた。実際、それらの要素を包含してはいるのだが、もっと得体の知れない体験をした。「なぜ、こうなってしまったのか」と呆然とする。今でも、説明がつかない。何かが、煌々と燃えていた。希望ではなく、欲望のようなもの。あつかましいほど力強い、生存本能のようなものに出会った。
それが多分、この前書いた「それから後の人生を生きていくための材料、エネルギー」なのだろう。

その中に、甘美な感情もあった。セックスも、その体験の中で、たまたま生じた。だが、僕は同じ時期に、幽霊を見た。幻覚だったと思うのだが、彼らの発する音も聞いた。疲労のあまり、そのようなものを知覚できる精神状態に、陥っていただけだろう。
――だけど、その幽霊たちのほうが、ずっと信用できた。信用できた、というのは、5年間の恋愛ともサバイバルとも言えないような、異様な体験以降に出会った女たちよりも。
それは、余裕や自慢で言っているんじゃない。あの5年間は、それほど例外的だったんだ。


怖ろしいのは、『惡の華』がリアルタイムで放送されているのに影響されて、僕の記憶が同時再生されていることだ。過去は、過去の時間軸のまま、ジッとしていてくれない。もしかすると、あの体験は、これから2年後ぐらい先まで手を回して、影響してくるのではないか?
……そんな生々しい予感があるから、「もはや若くないので、冒険はしない」「歳をとったのだから、大人しくしていよう」と安穏としている人たちは、何かを見落としているのではないか?と思ってしまう。
僕とまったく同じ体験ではないにしても、あのふてぶてしいほどの生存欲求に出会いましたか?と聞きたい。

『禁断の惑星』に出てくる、イドの怪物のように、飼いならすことが出来ない。湖が干上がったとしても、あいつは湖底で生きのびる。だけど――、あの煌々と燃える炎の中に、澄んだ水さえ、春の花さえ、木陰のそよ風さえもある。

それが、救いだ。僕は、図々しいエゴイスト。だけど、人や世界の清らかさを知っていないわけじゃない。


政策に反対する納税者の声を、「左翼」と切って捨てる58歳()。こんなズサンな出来の首相のいる国には、やはり半年ですら、ジッとしていたくない。恥ずかしく思う。

今日、ひさびさに仕事をふってくれた編集者は、ちゃんとクロアチア旅行のことを知ってくれていた。あと四ヶ月もある。旅なれた知り合いのアドバイスで、モスクワのホテルに泊まることにした。

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2013年6月 9日 (日)

■0609■

WEBで公開されていた『GALACTICA:スピンオフ【BLOOD&CHROME/最高機密指令】』が、な51hwoknsvl__sl500_aa300_んと日本語吹き替えでレンタルされていることが、判明した。
25日には、ブルーレイも出るそうだが()、全シリーズをDVDで集めているので、DVDでもいいかな……と迷ってしまう。

メーカーとしては、重厚長大な『ギャラクティカ』本編に比べ、『BLOOD&CHROME』はエンタメ性の強い、SFサスペンスとして売り出したいようだ。
製作者のひとり、ロナルド・D・ムーアが抜けてしまっているが、本編に比べると、確かに軽く楽しめるのかも知れない。


『惡の華』第10話、朝まで4回も続けて見てしまった。
峠につづく車道は、夕方と夜の二回、同ポジで出てきたと思うが、特に夜景が目に染みるように美しく、「これは確かに、僕の知っている風景だ」と思わせてくれた。
上手側の民家の明かり、下手のガソリン・スタンドの明かりが、心細く温かく、「いつか自分も、こんな道を通ったな」と、感傷的な気分にさせられた。

それにしても、声優たちの、自分の人生を投げ捨てたような演技には、驚嘆するほかない。あれは、実写の俳優には無理だろう。20代後半の日笠陽子が中学生を演じるから、厚みが出るんでしょ。本物の14歳に出来るだろうか?という気がする。
三人とも、確実に寿命をちぢめる芝居を見せてくれた。

……結局、思春期を捨てられてないんだよね。人間の脳ってそういう構造なのかも知れないけど、高校~大学のいちばん強烈だった日々を、つい昨日のように思い出してしまう。ひとりで行くあてもなく、何日もさまよったりとか。好きな子と二人、公園で野宿したりとか。それから後、結婚したり離婚したり……は、社会的には大きいかも知れないけど、心の中の出来事としては、十代のころに、好きな子と歩いた経験のほうが、比較にならないぐらい巨大。そういうもんです。いま十代なら、押しつぶされそうな辛い恋愛であれ、物理的に胸が痛むような恋愛であれ、もうそれ以上の体験は巡ってこないと思ったほうがいいです。
命をかけた、汚らしいまでに心の中をぶちまけた激しい恋愛って、一生に一度なんだよ。あとは、すべてフェイクなんだ。「こんなことなら、前にもあったよ」って、ずっと失望しつづけていく。

自分の正体を、見てしまうんだよ。結果がどうあれ、きれいにあきらめて、きれいな思い出などに終わらせず(それは卑劣だ)、自己嫌悪に陥るぐらい正直になれるとしたら、一生に一度。相手の精神力をも、使わせてもらうんだよ。
俺は、「廣田君は自分に酔っている」「エゴイスト」と言われたよ。それ以降、誰ひとり、そんなことは言ってくれなかった。


佐伯さんが、「石ころだった私を、春日君は宝石にしてくれた」と言っていたけど、あんな重たいセリフ、ないよね。そんな風に思える恋愛って、彼女の残りの人生には、二度と訪れないと思う。

「若気の至り」とか、そんなものではなくて、角砂糖のでかい塊を飲み込んだような感覚なんだよ。その巨大な角砂糖を、ちょっとずつ薄めて、溶かして、人生の残りを生きていくしかない。
それから後に発生する仕事であれ何であれ、それらをやりとげるための巨大な材料を、エネルギーを、魂をすり減らすような体験と引き換えに、胸に収めるんだよ。それは、拒否できない。拒否できる程度の小さなものだったら、そこから先は、つまらない人生になる。

――俺は、「恋愛は尊いから、大事にしなさい」なんて言ってないよ。恋愛か、恋愛に近い状況が来たら、その後に生きていけるだけの力を得られる、またとないチャンスなんだよ。
思いのあまり、血が吹き出るんじゃないかって体験が必要なんだ。

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2013年6月 6日 (木)

■0606■

空港から出られなくなった男の映画、『パリ空港の人々』。
どんなに新しくても80年代だろうと思って見ていたら、90年代前半の制作・公開。『ポンヌフの恋人』の翌々年ぐらいだから、ミニシアターが元気だった頃だな。

『ポンヌフ~』のような、お洒落な映画ではないが、クライマックスのパリのシーンでは、言葉にしUntitledがたい幸福感と寂寥感がないまぜになって、意味もわからずに涙が出てきた。
主人公が図像学者で、インテリだというのが効いていた。ラスト近く、正体不明だった黒人の原語を、主人公は言い当てる。それは、何百年も前に滅んだはずの言葉なのだ。
その、ストーリーと無縁に思える意味深長な謎かけが、この映画に奇妙なスケール感を与えている。まるで、「われわれは、どんな人種であろうと、こうして何百年もさまよいつづけてきたではないか」とでも言いたげな……。

だから、映画に点数など付けられない。何十年もしてから、突如として心を支配する映画もある。
その時のためにも、心をしなやかに保っておかねばならない。揺れ動く気持ちを、数字でしばってはならない。


『パリ空港の人々』は、シャルル・ド・ゴール空港が舞台だが、本当にこんなに暗いのだろうか?
僕が寄るシェレメーチエヴォ空港近くに、シェラトン・ホテルがオープンするらしい。だけど、ホテルに行くには、ビザが必要なんだっけ。いろいろ悩んでしまうね。

クロアチアに着いてからも、ザグレブでは日本人経営のホテルに泊まるべきなのか?
ザグレブからプーラに移動してしまっては、旅の最後に、ロヴィニに着いたときの感動が薄まりそうだ。貿易港であるリエカで一泊し、翌日、リエカ→プーラ→ロヴィニへ、バス移動なら、どうだ?
帰りは、ロヴィニからザグレブへ、バスで直行できないものか? 一日、予備がとってあるから、大丈夫とは思う……。

個人旅行って、自分で演出まで考えないといけないんだね。


漫画を売ったり、読まない本を処分したりしているうち、『スター・ウォーズ EP3 シスの復讐』のクロスレビューの掲載された「グレートメカニック」が出てきた。
レビュアーは、僕のほかに岡島正晃氏、藤津亮太氏。二人とも、歯に衣きせず、辛らつな言い回しで、最終的には映画を誉めていて、実にアクロバティックで刺激的。
「ルーカスには演出の才能がない」程度では、映画関係者の誰ひとり怒らない。署名記事とは、そういうものだ。

ところが、アニメのレビューは、「名前付きで宣伝してくれてる」と関係者が勘違いしている場合が(やや)多い。だから、上司に怒られるように、原稿をばっさり改ざんされることも、(たまに)ある。
怖いと思うのは、「一見、おバカなアニメと思われがちだけど……」と書いたとして、「バカなんて後ろ向きな言葉は、使わないで下さい」とマジギレされるような局面だ。後ろ向きかどうかは、文脈で変わるだろうに、担当窓口の方たちは「いい言葉」と「悪い言葉」の二種類しかないと思っているのかな?と、首をかしげてしまう。
個人の主観をも、コントロール可能と信じている人がいるらしい。だとしたら、怖い。

先ほど、「映画に点数は付けられない」と書いたのも、同じ根拠による。育つまで、どんな植物か分からない雑草の埋まっている土こそが、健やかで豊潤なのである。ところが、雑草を刈りとることを、正義と信じる人たちがいる。
クロかシロか(強制して)はっきりさせることは、判断力の簒奪である。児ポ法改正が怖いのは、「個人の主観をも罰する」からである。

オスカル・フランソワが言ったように、「人の心に命令はできない」のだ。

(C)AFMD

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2013年6月 4日 (火)

■0604■

クロアチアまでの往復航空券を買った。10月3日出発、今回は個人旅行。カタール航空がいちばん安いようだが、3月のツアーでは最悪の対応を見せてくれたので、徹底的に避け、アエロフロートにした。
すると、悪評高いモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港で一晩すごすか、近くのホテルに泊まるしかないわけだが、友だちに言わせると、空港に泊まるのも楽しいらしい。だけど、ちゃんとベッドで寝ておきたい気もする。
……そういうことも含めて、四ヵ月後の計画を練るのは、楽しい。

たぶん、「今度は別ルートを回りますから、またクロアチアへツアー旅行しませんか?」と言われても、断ると思う。個人旅行でないと、ハードルが上がった感じがしない。
Caxus2w8(←クロアチアのドライブ・インで買った『塔の上のラプンツェル』ジグソー・パズル。ポーランドのTrefl社製で、裏にはクロアチア語で「警告」表示が刷られている。)
ツアーで一緒になった人たちは、みんな落ち着きがあって、誰ひとりイヤな人はいなかった。特に、女性陣は、あれこれ世話を焼いてくれた。

だけど、結局、ひとりで行動しているときが一番楽しかった。
バルカン半島を、たったひとり、その日の宿さえ決めずに旅して周った人がいて()、この方に元気づけられた面もある。
(もっとも、この人は英語が堪能なようで、各国の旅行者と雑談などしている。バスを乗りまちがえて、猛ダッシュでバス・ターミナルに走り戻ったりするところもスゴイ。)


ザグレブ、リエカ、ロヴィニと二泊ずつしながら西へ向かうつもりだったが、リエカ→ロヴィニ行きのバスは、あまり便がないらしい。
リエカはやめて、プーラに寄ったほうがいいような気がしてきた。プーラまでなら、鉄道という移動手段もある。

……こうして考えると、H.I.Sのツアー企画は、とてもよく出来ていた。世界遺産に指定された主な観光地を網羅して、20万を切っているのだから。添乗員の女性も、とても頭の切れる理知的な方だった。

反面、クロアチアで働いている女性たちは、カフェの店員にいたるまで、愛想がなかった。それすらも、今は懐かしく感じる。……いや、また行くと決まったら、あの冷たい感じが、リアルに思い出されてきた。
でも、もう航空券を買ってしまったから、どうにもならない。この「行く以外の選択肢がない」という状況は、けっこう好きだな。


フィンランド映画『ヤコブへの手紙』。
Untitled俺のように、「宗教って、よく分からん」「信仰心って、分からん」という人には、親切な入門書といえそうだ。
ヤコブという老神父は、「自分は今まで、主の代わりとして、人々を助けているつもりだった。実際は逆で、主に私が助けられていたのかも知れない」と悟る。これは、仕事論ですね。というか、仕事に置きかえて考えると、ちょっとだけ分かるんだよ。神という超越的なものを設定しながら生きる、ということが。

仕事に理想をもって、その理想を具現化していくというのは、信仰に近いのかも知れない。
だって、理想のない人って、同じ仕事をしているのに、話が通じないもの。目に見えないものを信じてない人って、仕組みに従って動いているだけだから、パンチ力に欠ける。
ようは、不可知のものを設定しないと、クリエイティブに生きることは出来ないんだろうな。

(C)2009 Olive Films.

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2013年6月 2日 (日)

■0602■

『惡の華』は、絵のことばかり言われるけど、昨夜の第9話は、音声だけ聞いていて涙腺が緩んでしまった。
今までは、伊瀬茉莉也のセリフを何度も聞いて楽しんでいたのだが、日笠陽子もすごい。窓の下から叫ぶシーン、体が震えるほど素敵だった。まず、原作のセリフが中学生らしくて上手いんだろうし、実写段階での演技もいいんだろうけど、プロの声優がフィニッシュすると、こんなにも生々しくなるんだね。

だから、この作品の意地悪なところは、随所で、従来のアニメ番組のフォーマットに準拠しているところだね。もし「萌え声の声優なんか使いません」という頭の悪い強硬姿勢だったら、効果は裏目に出ていただろう。「こんなリアルな絵なのに、こんなキャリアのある声優つかってしまって、ギャップが生じないか?」と誰もが恐れただろうに、シレッとやってのけて、しかも上手い方向へ転んでいるのだから、心憎いとしか言いようがない。
みんな、ロトスコープがどうとか、分かりやすいところ、見えやすいところで欠点を探そうとするけど、探せば探すほど、別の場所で驚かされる。嫌味なぐらい、うまく行っている。

忘れないうちに書いておくと、佐伯さんが叫ぶシーンのラスト、スニーカーを履いた足がアップになるでしょ。あのフォルム、体重が乗っている感じが良く出ていた。カゲなしでも、線と色の面だけで、きっちり量感を出している。そういう絵の上手さが、また心憎い。


『惡の華』は、表から見ても裏から見ても、アニメ番組でしかない。タネも仕掛けもあるとしたら、それは「アニメ番組でしかない」ことだろう。
ロトスコープを使っているけど、あんな原始的な方法はない(僕もゲーム会社にいた頃、やってみたことがある)。「このアクションには、スタントマンを使っています」程度のことでしかない。つまりは、レギュレーションの範囲内だ。
この番組を「例外」扱いしたい人は、そこでイライラしてしまうのだろうな。

最終的にインタビュー原稿からカットしたのだが、主題歌の間奏部分に本編映像をカットインさせる演出を、長濱博史監督は『レイズナー』と呼んでらして、そのミもフタのなさが、ようは強みなんだろうな。
主題歌も次回予告もあるし、無いのはアイキャッチぐらい。結局、絵やストーリーで勝負している。「試みはいいんだけど、話が面白くない」と思ったら、僕は今ごろ脱落していると思う。
だから、目的地には着いてるんだよね。毎回。目的地に着ければいいのであって、そのためなら、普通に歩いても後ろ向きになって歩いてもいいはずだよね。後ろ向きに歩いている人がいたら、みんな振り返るよね。だけど、誰にでも後ろ向きに歩くことは出来るんだよ。
「あれっ、どうしてみんな後ろ向きに歩かないの? ちゃんと目的地に着けるのに」という、開き直りの勇気をもっていることが、『惡の華』の素晴らしさだ。


例えば、アニメ映画と実写映画のDVDをレンタルしてきたら、僕は「疲れているから、アニメのほうを先に見よう」と思う。アニメは、情報が整理されているから、見るのが楽なのね。「見ていて疲れない」とか「絵だから分かりやすい」、それは疑いようがないと思うよ。
だから、アニメ好きで現実に適応できてない人って、分かりやすい。その程度のことを、傷みたいに言わないでほしい。アニメだけ見て実写映画を見ないのは、現実が怖いか嫌いって程度の理由でしょ。積極的にアニメを選択したように、虚勢を張らないでほしい。

ことほどさように、アニメは、現実に対する退避所として機能している。その依存の構図に、たまに自己嫌悪になる。ちゃんと現実に対峙して、その上で、息抜き程度にアニメを見るのが理想……なんだけど、なかなか乳離れできない人、俺のほかにもいるんじゃない?
そこで『惡の華』を見ると、ちょっと現実に戻れたように錯覚できるんだよ。だけど、佐伯さんはもちろん、仲村さんも、セル絵、キャラ絵として綺麗にまとまってると思う(この程度で「気持ち悪い」と思ってしまうのは、自分の好きな絵しか見てないせいです)。
そのうえで女性声優の演技、声を聞いていて気持ちいいのだから、やはり依存の構図は断ち切れてない。だから、後ろ向きに歩いているだけで、着地点は変わらないんだろうね。快楽が形成される手続きが違うってだけで、快楽の質そのものは、意外と他のアニメと同じではないか……。

いや、つまんないところに話が行っている。『惡の華』を見ていて、胸を突かれるのは、もっと思いも寄らないことを、気づかないうちにやられているからだろうな。
、■

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2013年6月 1日 (土)

■0601■

夜中に、ムービープラスでワンシーンだけ見て「おっ、いい映画だな」と思った『ブルーバレンタイン』。再放送されたので、ちゃんと見てみた。
338698view001最初に僕が見たワンシーンというのは、主人公が幼い娘に電話しているところ。「これが未来の笑い方だ」と、奇声を発するのが、すごく良かった。娘を喜ばすためなら、どこまでもバカになれる性格が。

全体を通すと、シーンはぶつ切りになっているし、これといったあらすじがない。カメラはバストショットが多く、説明的なカットはない。その分、俳優の表情や挙動は、とても印象的に伝わるし、伝わりさえすればOK……という映画。
そういう作り方が気に入らなかったら、ごめんなさいって感じだな。

ラスト、主人公は妻子のもとを去っていくけど、煮えたぎるような愛情を背負っている。そこが良かった。
主人公の歩いていく先で、近所の子供たちが花火をやってるんだけど、それも良かった。


仕事とは、詮ずるところ、時間の使い方だと思う。

最初から、ぎりぎりのスケジュールを組んでおいて、不眠不休で働けば、何かやった気になる。寝なければ、会社から帰らなければ、「頑張った気分」だけは得られる。
こうした類いの錯覚は、すべて、義務教育時代の刷り込みである。中間試験、期末試験前になると、なぜか部活中止。「一週間後、試験だぞ」と、有無を言わさず、「追い込み」させられる。ようは、シメキリに追われつづける状態を強制的につくってしまって、「寝る時間があったら、少しでも詰め込む」勉強法を、良しとしてしまった。

社会に散見されるアホは、いまだに義務教育時代の刷り込みを繰り返しているわけだ。
何が幸福か、考えたことないんだよ。「明日やってもいいんだけど、今晩中に終わらせれば、酒が飲めるぞ」とか、考えないかな? 
僕の知っている編集者は、月の半分ぐらいは、ボロボロになるまで働く。だけど、本が出た翌日には、もう日本にいなかったりする。秘境みたいなところで、キャンプしてる。遊び方の上手いヤツは、ものの見方が違う。ずーっと机に座ってるヤツって、同じ映画の話をしても、まるでつまんないじゃん?

仕事と遊びって、隣り合ったパズルのピースのようなものであって。両方あって、初めてひとつの絵が出来るんだよね。
遊ぶ時間もつくれないようなヤツに、面白い仕事ができるわけがない。


「もんじゅ」の再開準備に中止命令が下り、この夏以降、電力会社が原発を廃炉しやすいように、経産省も方策を練りはじめました。
「原発がないと、経済がー!」と騒いでいた人たちは、どうすんの?
脳が疲れてくると、人間は現状維持を望む。お上に唯々諾々と従っている人たちは、みんな疲れてるんだろうな。

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