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『風立ちぬ』マスコミ試写。レビュー記事を2本ほど書く予定なので、個人的印象を。このタイトルが出るたび、「宮さんも、長編は、これがラストだよね」と友だちと話していたので、堂々たる集大成になっていると思う。あとは、ジブリ美術館で、たまに短編をつくって終わるなら、こんなスマートな人生はない。
「果たして、こうまで創造的な美しい人生を、自分は生きられたか?」と、宮崎駿が自問するような映画。僕らオッサンにも、「君たち、いい仕事ができてるか?」「人に、ここまで深い愛情をもてたか?」と問いかけてくる。そういう意味では、たいへん重たい。
「また『トトロ』みたいの、やればいいのに」「もういっぺん、『ラピュタ』やってくれよ」とかいうワガママは、作家をなめている。古き良き漫画映画は、誰かが引きつぐか、時代のニーズがなければ、クラシックになっていくだけだ。
最近、ケーブルで『未来少年コナン』を見ていたんだけど、ユンカース G.38に乗り込むシーンなんて、「おお、ギガントそっくり!」 そういう意味で、ちゃんと集大成になっている。
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庵野秀明さんの声は、だんだん慣れてくる。……というより、このキャストを聞いたとき、「やっぱり遺作のつもりだな」と思うよね、失礼ながら。一般客に向けて、「庵野さんが声やります」と言ったところで、ぜんぜん売りになっていないところが素晴らしい。
ジブリアニメ見てきて、『エヴァ』見てきて、その上で2人の関係を知っているなら、このキャストに文句を言うほうが、ガキなんだよ。俺らが怒るべきは、東宝出資だから長澤まさみを主演に使うとか、そっちだろう。
人の声を使ってSEにする……これも、言われてみれば「今のが、そうか?」という程度。それぐらい、違和感がなかった。
いちばん効果的だったのは、関東大震災のシーンかな。このシーンは、もっと長く見ていたいほど、悪魔的な魅力に溢れていた。やっぱり宮崎駿の発想はすごいし、鬼だと思ったよ。狂気や破壊欲を制御して、ロジカルな仕事に落とし込む(しかも、前作のノウハウも応用しながら)ところが、やっぱり、只者じゃないんだろうな。
とは言え、セルアニメで、デジタルの助けを借りつつ、誇張の入った「見ていて面白い」「気持ちいい」動きを手で描くのは、そろそろ限界という気もした。
「人って、ついつい、こうしちゃうよね」と感情移入を促す動きが、随所に散りばめられていて、「さすがだな」と感心はするんだ。だけど、それは究極の贅沢であって、この先、コンスタントに見られるとは思えない。
3D背動もあるけど、作画で背動をやっているカットのほうが「やっぱり、ジブリは手描きだよねー」と思ってしまう。それはすでに、センチメンタリズムでしかない。(そういう意味では、マイナス方向でも集大成になっている。)
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僕は、原作の『ナウシカ』以上に、『出発点』をむさぼるように読んだんだけど……「あんなに憧れた人が、とうとうここまで来たのか」という感慨で、胸がいっぱいだった。
後半、あまりに切ない展開のため、泣いている人もいたようだけど、俺だって泣きたかったよ。「こんな重厚な作品が最終作なのか! すごい作家だったな!」って。(友だちは「またつくるんじゃない?」と言っていたけど、俺はこれで終わりにしてほしい。)
だけど、もっとグチャグチャに破綻してても、良かったんだけどな。説明不足もないし、理路整然としているところが、玉にキズ。ラストも、綺麗だしね。
『かぐや姫の物語』の特報が流れたんだけど、子供は、こっちを見たほうが「アニメってスゲー!」って思うんじゃないかな。あの映像を、普通の映画館で流すとは……。
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