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2013年6月23日 (日)

■0623■

トークイベント【人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたのか。】 一週間後の日曜、30日15時より始めます。
Cat9s1w6ひとりもお客さんが来なくても、ネット配信を見ている人がゼロでも、とにかく始めます。

ゲストの前田久さんに、「何か基礎的な資料があったら、先に見せてください」と言われたけど、そんなもん無いし、あっても見せません。その場ですべて説明するから、いいんです。
その瞬間に、すべてを「起こしたい」のです。

現場まで見に、聞きに来てくださるからは、「模型の王国 浅草物件」まで。14時半会場、入場無料です。→
USTREAM配信は、こちらから。→

2~3時間やるので、トイレ休憩ありです。


『惡の華』が、ついに残り1話となった。
12話が始まる直前、友人から11話の解釈について、メールが届いた。彼も、春日の心理を誠実に読み解こうとしていて、そこで援用するのは、やはり自分の経験や人間観だ。
「自分には、春日のような経験がなかったから、感情移入できない」という言い訳が、もっともくだらない。「もう自分は中学生ではなく、いい歳になったので、理解できない」と距離を置こうとするのも、みっともない。

いや、そんな逃げ腰な態度ですら、「こんな気持ち悪いキャラで、売れるのかよ」という嘲笑すら、この作品はエネルギーに転化させていった。どんどん燃やして、自身は灰になろうとしている。
僕は昨夜、友だちに『惡の華』の魅力を語って聞かせたが、そういうことも。「そんなアニメがあるのか」と目を丸くする友人の表情も。あの作品のことを考えている、今この瞬間の気持ちも。
愚かだろうが、醜くかろうが、何もかもが新しい。次の瞬間には、もう霧散しているかも知れない。だとしても、空しくない。後のことなど、考えない。売れまいと失敗しようと、どうでもいい。その時、そこに、確実に在ればいい。こんな誠実なことって、他にある?


山道で起きたことも、作文のことも、春日は、すべてを「在った」こととして、次の行動を決める。そのすべてが空回りしようが、何だろうが。
「一切が、この時のためにあったのだ、今のためにあったのだ」と感じられれば、それほど幸福なことはない。

佐伯さんは、あいかわらず可愛かった。春日を意識して、くだらないコンビニの話に熱中しているフリをする、そんな空しい、幼稚な誤魔化しすら、美しく思えた。
仲村さんのアップは、どれも止め絵だった。完全な一枚絵で、微動だにしなかったと思う。だのに、「生きている、そこに居る」と、ありありと感じられた。「これまでのすべての動画が、この一枚のためにあった」から生きているように見えたのだろうし、次の動画も、その次の動画も、一枚一枚が今までのため、これからのために描かれてきたし、描かれていく。新しい。新鮮だ。息をしている。生きている。

「終わる」ことが、この作品にとって、どういう意味を持つのかは、まったく予想もつかない。
最後の動画を見たとき、この作品は「終わる」のか? 本当に止まるのか? 止まってくれないような気がして、それが怖くもある。


今日は選挙に行って、元気があったら、吉祥寺のヨドバシまで歩いて、レゴ・ブロックを買おうと思う。
直江さんに近づくには、レゴに触れる以外に、方法がない。

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